258 一手の誤り
水の大精霊、サフィリアの大魔法による一連の魔法乱撃は。
しかし、直接には、戦況に大きな変化は与えなかった。
攻撃を受けた救援部隊は熟練の経験を発揮、兵組みを駆使して守りを固め魔法をしのぎ、いまもじわじわと進撃を続けている。
乱撃の流れ弾が落ちた先にいた、二人の王子とその護衛たちたちもまずまず無事だった。城門の下では剣戟の音が響き、戦いは続いている。
しかし、思わぬ人物に、この魔法乱撃が、思わぬ効果を与えていた。
虚空より突如現れた大河のごとき激流に、城門から霰のごとく乱れ飛んでくる拳大の水弾。
その大魔法の光景は、2千弱の騎士たちを擁しながら後方に陣取ったままいまだ動かない、東部公爵からも、よく見るえるものだった。
「なんだいまの大水は! 地形が変わったぞ!」
臨時の指揮所から戦況を望観していた東部公爵は、周囲にそう怒鳴り散らした。わずかに高い地形に陣取り、幕を巡らせただけの臨時の指揮所は、休憩所も兼ねており、中央に床几を据える公爵の周りには、王軍と東部の諸将の首脳級が居並んでいる。
そのなかにいたひとり、歳経た白髪の将が、つぶやくように言った。彼は、東部公爵家の筆頭軍事顧問である。
「先程、拡声魔法で述べられた宣言どおりであれば、北部辺境伯子が城門に来ているようですな。であれば、その奥方の魔法であろうかと」
「北部の小倅のーー」言われて、東部公爵はつぶやく。尊大で癇癪持ちではあるが、頭のめぐりは悪い男ではない。「そうか、西部のやつが大精霊を養女にして、北部に輿入れさせたと聞いていたが、あれがその結果か」
御意、と頭を下げる軍服姿の白髪の将。出たがりな公爵に長年仕えてきた男らしく、老練だが万事控えめな男だ。
「となればーー」東部公爵は、次の指示を出す。「まず、いま先行している者どもに、進軍停止の合図を送れ」
「はっ」白髪の将に、特に反論はない。その鳴り物を鳴らし、合図を送るだけのことだ。だがあとで責任をかぶらないために、聞くべきことは逃さない。
「しかし、第一王子の救援はいかが致しましょう」
白髪の将の問いに、ふん、と東部公爵は鼻を鳴らす。
「あの大魔法で直接にセブール第一王子を攻撃をしないのであれば、相手なりに、なにかの意図があるのだ。つまりは、急には危険が無いということだ」
にたりと笑いながら、勝ち誇るように言う東部公爵だが、その読みはたしかに正しいものだった。
救援に向かった騎士たちには、装備やら育成やらに結構な金と時間を費やしている。ここで一兵でも損じるのは、もったいないわ。
騎士を失ったときのことを想像したのか、気難しげな表情でつぶやいたあと。名案だというようにまた表情を変え、東部公爵は言う。
「代わりにーー『勇者』をぶつけるように、王軍に言え。あれなら使い減りはせんだろう。もし失っても、反抗的な人材ならば、問題もない。むしろつぶしあってくれるのがちょうど良いわ」
白髪の将は頷く。たしかにいま、陣中に勇者ーー元勇者というべきかーールーク=ロックが居る。ただし居場所はここ本陣ではなく、おそらく左翼であろうから、使いを出さねばなるまい。
「化け物には、化け物の相手が似合いよ」くっく、と東部公爵は喉を鳴らす。
ただちに、と白髪の将は言い、部下に伝令を命ずる。
東部公爵の処置は、正邪はどうあれ、利害のうえでは最上の策だった。
しかし、これはまだ先のことだが。
結果から見れば、救援のため突出した騎士を止めたことで。東部公爵は、一手、誤ったことになった。
■□■
もうすっかり過去のことになってしまったことだが。勇者ルーク=ロックは、魔王討伐の後、褒賞の意味もあって、請われて王軍に籍を置くことになった。
自由に旅をしていたころと、王の軍隊のなかでの宮仕えとは随分違う。ルークの立場は随分と考慮されて、親衛隊の参与、という自由度が高い立ち位置にある。直属の部下は持たず、いわば権威だけの名誉職ではあるのだが、それでもお目付け役のように上司がいる。
勇者という職業は、世間に出ればただの自由人であり、たとえてみれば個人事業主のようなものだろうか。その職業に慣れきった人間には、がちがちの上下関係の決まった組織に馴染むことがーールーク個人の特性なのかも知れないがーー、なかなかに難しい。いっそすべてを放り投げて故郷に戻りたいとルークが思うこともしばしばだ。
けれど、ルークには時間の流れとともに愛する妻と子供ができて、家庭人という立場もできた。妻のほうはといえば、さる高貴な家に仕えたこともある元侍女で、退職したあとも元職場から仕事の依頼が来るほど信頼が厚い。
つまりルークよりも妻のほうが、社会人、組織人としてうまくやっているといえるわけで。そうなってくると、ルークのほうは、一家のあるじとしての立場上、愚痴すらも言いづらいというわけである。
そんな妻ーーメアリは、子供を連れて外泊の仕事に出ている。離宮に泊まり込むことになったからだ。王都の借家に残されたルークにとっては、独身時代が戻ってきたようなものだ。仕事は相変わらずつまらないが、その日の勤務が終わればあとは自由にできる。とはいえ、年少で遊びも知らずに勇者になったルークだ。せいぜい職場の同僚に誘い誘われて、夜に食事と酒を楽しむくらいのもの、だったのだが。
或る晩、というか昨夜のことだ。突然に親衛隊を含めた王軍へと、第一王子主催の大慰労会が開催されるとお達しがあった。
場所が王都郊外ということで遠くはあったのだが、功労を賞するという名目で、士官級以上は全員招待であったので断れず、ルークもーー妻に報告するいとまもなくーー大慰労会に参加。そして美食と美酒に舌鼓を打ちながら、おおいに飲み食いしたのであった。
そして明け方に、『王都が精霊の襲撃を受けた』という急報を受けて。自分の外套に身を包んで、泥酔してその辺で寝転がっていたルークたち王軍士官は、叩き起こされた。
そして酔いのたっぷりと残る頭を抱えながら、彼は多くの同じような状態の同僚たちーー東部軍も含めれば2000騎という数ーーとともに、王都へと向かう途上、というわけである。
いまルークは、リュミフォンセら王都の有志の活躍によって王都を襲撃した精霊たちが鎮圧されたことはもちろん知らない。昨晩、王軍の士官たちがこぞって王都を離れたことで、王軍がまともに機能しなかったということも知らない。
けれど、魔王軍との戦いを続けた勇者の経験は伊達ではない。魂力の感知と、長い戦いの旅を通して養われた天才的な戦いの勘により、いまいまは王都が危険にさらされているわけではない、どうやら安全な様子だ、ということは、ルークにはなんとなくわかっていた。
なので、東門を目の前にして王都への入城を取りやめ、後退、滞陣しても、彼に焦る気持ちは特になかった。彼の大切なものは、きっと無事だと思っていたからだ。
だから・・・。自分のところに東部公爵から出馬要請の使者が来たとき。よくわからない『上の事情』というやつに、自分が巻き込まれたのだと、ルークはなんとなく思った。
「・・・以上、東部公爵からの指令です。ご出陣を」
東門の前で、第一王子と第二王子が争っている。第一王子救援のために騎士の一隊が出た。しかし、その騎士一隊を、敵方の大精霊が妨害して進めなくなっている。勇者は、妨害する大精霊、これを討て。ーーというのが指令だった。
「・・・・・・」
第一王子救援のために、一隊が出たのは知っていた。親衛隊の副団長が、独断で手勢を引き連れていったのを、大勢の王軍の関係者が見ている。
副団長の行動は処罰覚悟の命令外のものなので、本来は、待機をするのが正しい行動だ。ルークも多数が取る正しい行動に従っているにすぎない。軍では、勝手に自分で判断して行動するのは、仲間を危険に晒す行為として忌まれる。勇者をやっていたころと、決定的に違う点だ。
逆に言えば、命令には従わなければならない。組織の絶対的な掟だ。
それは、その通りで、ルークはいやというほど理解させられたことなのだが。
「・・・いやー」ルークは後ろ頭を片手でかきまわす。
「いや?」いぶかしむ、使者。
「ああ! そういう意味じゃないです! なんというかですね・・・」
会話しながら、ルークは思う。こういうとき、うまく言い抜けられるのが良い組織人の条件なのだから、自分は絶対に良い組織人にはなれない。
東門からの拡声魔法の声は、ルークにも聞こえた。内容が正しいかどうかはわからないが、少なくともいち演説をぶった者は、北部辺境伯子ヴィクトーー。高貴な人間ではあるが、ともに戦ったこともある、恐れ多くもルークの知り合いであった。となれば、大魔法、しかも水の大魔法を使って東門への接近を妨害している大精霊とは、ヴィクトの奥方であるサフィリアだろう。こちらもルークにとって戦友のようなものだ。
そのふたりと争うなんて、とんでもないことだった。
しかも、この件の元をたどれば、やはり知人の第二王子オーギュの王太子継承にからんだ問題であり、第二王子の婚約者のリュミフォンセは、妻が敬愛する旧主であり、ルーク自身も護衛を努めたことがある、縁浅からぬ間柄・・・。
悪事の証拠があるならともかく、それもない状況で命のやり取りをしたいと思う相手ではなかった。もっといえば、そういう相手と感情を押し殺して戦えるほど、王軍という組織に、忠誠を持っているわけでもなかった。仕事だからという理由で知人に剣を向けられるほど割り切った性格なら、勇者なんてやってない。
だからといって、ここで正面きって反抗できるわけでもない。腕っぷしだけですべてが通る時代は、魔王が倒れて、とうに終わっている。
なのでルークは、拙いことは承知のうえで、反論をかまえる。
「へ・・・変じゃないですかね? 自分は王軍に属しています。なのに、東部公爵からの命令と言われても・・・」
東部公爵からの使者は、まだ地位は高くないが、いかにもこれから出世しそうな有望な若手、という感じの男だった。
「この軍は、第一王子と東部公爵、共同で率いられている軍だ。盟主の片方である第一王子が不在である以上、緊急時に残った東部公が指示を出しても、なんらおかしくはないでしょう」
(・・・さらっと返してきた! この手の議論は、苦手なんだよな〜 頭を使う作業は、仲間に任せきりだったし)
ルークは思った。議論が得意な勇者というのも、あまり聞かないが。思い返すのは、魔王軍と戦っていた、旅のころの思い出が圧倒的に多い。それだけ彼にとって濃密な時間だった。
(いまは仲間はいないけど・・・。でも、知り合いに剣を向けるわけにもいかないし・・・。口下手でも、ここはうまく言い逃れるしかない!)
胸中で「これは、自分にとって大戦だ!」とルークは自分を鼓舞する。
「・・・・・・」
しばらく黙り込んだあと、ルークは再び使者へと口を開く。
「お言葉ですけれど、自分の所属は王軍です。代理の命令も、王軍の人のものじゃなければ、聞けません」
「では、貴官の上官とお話をさせてください。どなたですか?」やはりノータイムで、使者は次の質問をしてくる。
「えーと・・・」ルークが言いよどむと、脇でやり取りを見ていた同僚が、助け舟のつもりか、口をはさむ。
「ルーク殿は参与ですから。彼への命令権を持っているのは、親衛隊の団長と副団長ですね」
「つまり、第一王子と、いま先行している副団長ですか。両人とも、この場にはいない人だ」
「そ、そうなんですよ、つまり・・・」
上官がいないために出陣すべきか判断できない・・・。そういうことを、ルークが説明しようとした矢先、機先を制するように、使者が発言する。
「では、戦場に出て、上官の指示を仰いできてください。それであれば問題ないですね?」
「はいっ?」
「それは承諾の返事と受け取ってよろしいですね。では、小官はその旨、復命しますので、これで」
「・・・や、待ってください!」
「・・・まだ何か?」
うろんなものを見る目を、使者はルークに向けた。
(なにか言わないと・・・なにかないか、なにか)
背中に汗をびっしょりとかきながら、ルークは考える。
「て・・・敵軍は・・・東門の軍は・・・。セブール第一王子殿下を、攻撃しようとしていないのですよね・・・?」
「・・・・・・」
このことについて使者は答えを持っていなかったのか、沈黙で答える。ルークにとっては苦し紛れの一言だったのだが、使者の予想外の反応を引き出せたので、この話題を続ける。
「やろうと思えばすぐできるのに、していない・・・。これは、何かあるのでは・・・?」
とっさの思いつき。弱々しい語尾だが、ルークは言って、使者を見る。使者は不快そうな表情を隠さずに言い返した。
「たとえ、敵に何か作戦意図あるのだとしても」
いらだたしげに、使者は言う。
「それは我々、非指揮者の判断の及ぶところではない。なにより、第二王子に騙し討ちのようにされて、直接剣を交えているのは、貴方の上官である第一王子ですよ? 本来なら、命令など待たず、貴方は武人として助けに向かうべきじゃないのですか?」
こつり。違和感。探していたものにぶつかった感触。
「それ! そこですよ!」感じて、ルークは、叫ぶように言う。
「なっ・・・なんです?」
「えーと・・・ちょっと待ってください、いまぴーんと来たんで・・・言葉にするのに、ちょっと時間が・・・」
ぶつぶつとつぶやいたあとに、ルークは。
「そうです・・・! 戦っているのは、王子同士だけなんですよ!」
「な、何を言っているんです。貴方のところからも見えたでしょう。敵の大精霊が、水の大魔法を使うところが・・・」
今度は使者に最後まで言わせず、ルークが言葉を挟んだ。
「それですよ! あの魔法は、救援の軍が近寄ってくるのを阻んだだけです。あの魔法を第一王子に向ければすぐに出来事が終わる。それか城門内にいる兵士が押し出せば、あの東門前の王子たちの戦いはすぐに終わるんです。それをしないのはーー」
「それをしないのは、我々が本気の行動に出ないか、恐れているためですよ」
「違いますね」
使者の意見を、ルークは断定的に否定する。そして、とっておきの思いつきをぶつける。
「あれはーー兄弟喧嘩だからです」
「はあ?」
「だから、喧嘩なんですよ、王子たちのーー。ええと、こういうときに良い言葉がーー、そうだ!」
頭の奥から必要な単語を引っ張り出して来て、ルークは語る。
「あれは『私闘』なんです。セブール殿下が、公人として、指揮官として戦っているのなら、王軍のものとして救援に向かわなければいけません。けれど、かの人が一人の一私人として戦っているならーーそれは『ただのケンカ』ですから、助けるには及びません」
「ーー。それは東部公の命令には従わない、という回答でよろしいか?」
一息吸って、ルークはまっすぐに使者の目を見て言い切る。
「ただのケンカに、軍務命令を持ち込むのは、おかしいはずです」
一瞬の空白。
「失礼する!」
言って、使者は身を翻す。復命を急ぐためだろう、その使者が、騎走鳥獣を駆けさせて去っていくのを見送って。
(な、なんとか言い抜けた・・・? 勝った・・・?)
ぶはああああ。ルークは、大きく肩で息を吐く。慣れないことは、したくないものだ。
(あとでどんな評価を受けるかわからないけれど・・・。仕方がない。ま、王軍をやめても、どうにかなるさ。なにより・・・)
そしてルークは、遠く見える東門の上部を見る。
視力が良い彼には、そこで動く人の姿まで見えるーーごく見慣れた、侍女服姿の女性も。
(まさか、自分の嫁さんとさ。刃を交えるわけにはいかんからなあ)
向こうもこちらに気づいている可能性がある。であれば、あとでいったいどうなってしまうのか。
考えるだけでもおそろしいため、ルークはこれ以上、考えることをやめた。そのへんの石ころのように。