256 王子問答
『応えられよ! この東門の守将はどなたであるか!』
拡声の魔法を使った使者の声が、東門の前で響く。王都外壁の東門は、高い城壁を左右に配しながら、中央の大門は、巨大で重厚な鉄扉により、硬く閉ざされている。
『私は、王子オーギュ=ド=アクウィである。現在、この門は臨時に私の指揮下にある。用件はなにか?』
オーギュはその姿が見えるように、高い城壁のてっぺん、胸壁の傍に寄って立ち。拡声の魔法具を使って使者の呼びかけに応じた。
使者は語った。用件は、第一王子の伝言であり、命令同然の要求でもあった。内容は、王都が精霊たちの襲撃を受けていると聞いた第一王子が、みずから一軍を率いて、王都の民を襲撃から守ろうとするものである。ために東門を通過を望むものだ。よって安心して扉を開けよーーそういうものだ。
『ーー否である』
オーギュは要求を拒否した。理由は襲撃してきた精霊はすでに撃退され、王都は平時に戻っていること。平時に軍が王都に入るには、王都の民に無用な恐怖心を起こさしめないよう、事前に王城に申請して許可をとらなければならぬ。また、兵士たちが持つ武具には、すべからく覆いをつけなければならない。
『よって、王子殿下および東部公には、正式な手続きを踏まれることを望む』
使者は改めて要望する。許可には時間がかかる。だがもし非常時であれば大変であるので、取り急ぎは門を開くこと。しかるのちに要望の許可については検討しよう。
しかし、オーギュは。王都の混乱に乗じて野盗が出没する可能性があることを理由としてあげ、扉を閉じ続ける考えーーつまり第一王子の軍に対して、門を開かないという考えを、再度示し。
そして、条件を提案した。
『この意見に納得しかねるということであればーー、第一王子殿下ーー兄上に、弟である私から直接に状況を説明したい。まず、率いられている軍は、一つ鐘分の行軍の距離を、退いていただいたうえでそこに留めおき』
オーギュは続ける。そのうえで、ご足労だがーー
『第一王子殿下ご自身だけで、この門前まで来ていただくよう、お伝えいただけまいか』
けっして兄上にそむくような心持ちではなく、ただ王城の定めた規則をまもらんがためである。直接話し、兄上の提案が規則と照らし合わせたうえで妥当だということであれば、喜んでこの門を開くであろう。そんなことをオーギュは言い添える。
『・・・オーギュ殿下。我が主であるセブール殿下と話され、貴殿下がご納得をされれば、この東門は開かれる。そのような理解で相違なきや』
『相違ない』
オーギュがそのように宣すると、騎走鳥獣に乗った使者は、そのように復命すると言い残し。もと来た道を急ぎ引き返した。
■□■
「そうか。東門にいるのはやはりオーギュ。そして、あやつ、そんなことを言っていたか」
復命してきた使者の報告を聞いているのは、第一王子のセブールと、東部公爵だった。ちなみに、すでに王都の東門を望める位置に軍を進めていながら、その軍は停止させている。
「王都への入城規則か。なかば守られておらぬ、古めかしいものを持ち出しおって。小賢しい」
肥満した腹を揺らし、憤慨するのは東部公爵である。
「アレは昔から生半可に正義感が強く、細かな規則を並べるのが好きでしたからな。規則を守りたいだけで、我々を妨害するつもりでもないでしょう」
セブールは過去の思い出を思い出しながら言った。
あれはまだオーギュもセブール幼かったころの話。ふたりは、見るものすべてが珍しくおもしろく、はずむ毬のような少年だった。
あのとき、王子ふたりで、王城を探検して遊んでいた。世話役の目を盗み、ちょこちょこと付いてくるオーギュを連れて、セブールは、あれやこれやと王城にある部屋を見て回った。王城の裏舞台にあたる使用人たちが勤める部屋は、彼らにとって、とくに珍しいものがたくさんあって、お気に入りだった。
探検が進んで、とある主厨房にまで入った。そこで、気の荒い料理人に見つかった。彼女が、子どもたちが王子かどうかわかっていのか不明だが、危ないし規則だからと怒られ、追い出された。
オーギュ少年は素直に危険だから厨房に入ってはいけないのだと理解したが、セブール少年は違う理解をした。危ないかどうかなど、見ればわかるし自分で判断できる。あの料理人がいない、別の厨房を見ればいいと考えた。
結果、意見が割れた。そこで、セブールだけで探検を続け、別にある厨房を探検して帰ってきた。そこで、案の定、ずるいずるくないの話から、子供同士で喧嘩になった・・・。
セブールは、記憶力が優れている。「きそくはまもらないといけない」と少年オーギュが泣きながら向かってきたことを覚えている。
じつにたわいもない、昔の話だ。
セブールの考えはいまでも変わっていない。自分にとって危ないかどうかなど、自分で判断できるし、自己の責任のもとにそうすべきものだ。規則とは、その向こうにある何かを守るために存在する『手段』であり、目的ではない。だから、盲目的に規則に従うのは違う。一歩譲っても、それは被支配者にとっての美徳だ。支配者、それもゆくゆくはこの国の頂点に立つべき、自分のそれではない。
(規則規則と言い立てるのは、視点が低く思慮が浅いことの証明だ。ましてそれをするのが王族となれば、愚かと評価し断ずるべきもの。幼いころの思い出だけなら、笑って済ませられるが)
幼き日の喧嘩では、とうぜん、年長のセブールが勝ち、負けたオーギュ少年はべそをかいた。
そしていま。笑顔の裏で、セブールは、そんな記憶をたどりながら。
彼は、東部公爵と会話をしている。
「ーーしかし、門の警備をしている者を、攻め潰すわけにもいかぬでしょう。相手には職務という大義がありますし、じっさい、城門を攻めるとなると装備が足りません」
「それは認めるにしても、あの小僧を呼びつけて、ここに越させるのが筋であろう。どちらが上だと心得ておるのか」
いらいらと、鞍を指で叩くようにしながら、東部公爵が言う。
ーーこれしきのことで感情を乱すなど、なんとも器の小さいことだ。そんな言葉を胸中に浮かべつつも、セブールはことさらに辞儀を低くする。
「いえ、どちらが出向くのか、そこで意地の張り合いになっても面倒です。ここはこちらが折れることで、大度を示せるでしょう」
うむ、わかった。面白くなさそうにしながらも、東部公爵が頷く。理解を示した東部公爵を持ち上げる賛辞を言いながら、セブールは、ことがみずからの思惑どおりに進んでいることに満足する。
(オーギュのことは、うまく処理すれば、むしろこちらに好都合になる。宴の日に、鶏が自らかまどに飛び込んできたようなものだ)
セブールは誰にもさとられぬよう、心中でほくそ笑む。
彼には、考えがある。
どのみち、王都の精霊襲撃の黒幕の罪は、オーギュにかぶってもらうつもりだった。騒擾の役者として精霊を選んだのは、そのための布石だ。精霊たちは異母弟の婚約者、リュミフォンセと関わりが深い。リュミフォンセは狼の精霊を操る姫として有名で、王都の民にはまだ印象が強い。精霊姫などという異名もある。オーギュが、婚約者リュミフォンセと共謀して、今回の精霊襲撃をくわだてた。うまく説明すれば、たいした証拠がなくとも、王都の民たちも納得するだろう。
そして、その黒幕役をつとめてもらうオーギュの身柄を、王城に行くまでに捕らえることができれば。つまり、反論をする本人の口をふさげば、あとのことをでっちあげるのは楽になる。
(しかし、まさか本当に東門に来てくれるとはな。青犬の情報通りになったか)
一瞬だけ、諜者として使っている貴族のひとりの顔が、セブールの脳裏をかすめたが、すぐにそれは消えた。彼にとって、それは情報源のひとつという程度の価値しか認めていないものだった。
セブールは、第二王子捕縛のため、3人の腕利きを選び、護衛としての同行を命じた。
■□■
たかくそびえる外壁東門の前にやってきたのは、セブール第一王子を含めて、4騎の騎走鳥獣だった。
対話のため、彼らが乗騎から降りる下鳥の要求にも従ったのを確認し、オーギュ第二王子は、話し合いに出向く準備をする。手飼いの翠風騎士隊からあらかじめ選んでいた護衛から、さらに3人を選んだ。銀鎧騎士と、角兜の戦士と、双剣の自由剣士。ちなみに、先の闘技会で決勝を戦ったものたちだ。
そして、王子本人は、風の魔法具を手に握った。
「殿下。本当に行かれるのか」
そう横から口を挟んだのは、黒外套の貴公子。ヴィクト辺境伯子だった。
「もちろんさ。後詰は君たちに任せるよ。大変だろうが、さっき説明した作戦通りに頼むよ」
こともなげに言うオーギュだったけれど、ヴィクトはむしろ第二王子のその淡白な様子が不満げだった。やりとりの様子を、サフィリアとメアリが見ているが、しかし、何かを言うべき場面ではないと思っているのか、彼女たちは何も言わない。
「オーギュ殿下。あなたは我々の旗印だ。あなたが直々に出向くのは、やはり危険が大きすぎる」
「多少の危険をおかさなければ、大物を釣り上げることはできないよ、ヴィクト」
「その危険が、多少ではないのだが」
「言葉尻だよ。・・・これは作戦のかなめだ。もう変えようがない」
わかった。ヴィクトは、これ以上の議論は無意味だと悟りひとつ頷くと、王子の武運と加護を祈り。そして数歩さがった。
それを見て、オーギュは手に持っていた風の魔法具ーー見た目は緑色の宝玉ーーに、魂力を籠める。
おもむろに風が巻き起こった。その風は、オーギュと護衛3人を包む。
そして、オーギュは真紅の外套をはためかせ。城門の胸壁をこえ、そして宙へと身を踊らせる。護衛たちもそれに続く。
城壁は、7階建ての建物ほどの高さがある。
だが魔法具の起こした風が、落下する者たちの速度をやわらげる。落下速度緩和の魔法具。
彼らは長い距離を落ち。
やがて、ざくっと、凍った雪の上にオーギュたちは降りた。前方に対峙するのは、セブール第一王子と、その護衛たち。
その者たちは、城門のうえから見れば、点にしか見えない。また、申し訳程度に後方へと下がって雪原に陣取った、王軍と東部連合軍の2000騎から見ても、同じように芥子粒ほどにしか見えない。
お互いの味方から離れ、わずかな護衛だけを連れ、それぞれの思惑を秘めて。第二王子と第一王子は向かいあった。お互いの距離は、5歩ほど空いている。声が届かないことは決してないが、近くはない。
「兄上ご自身に足を運んでいただき、ご足労、痛み入る」
「弟君こそ。役目の外でもあるのに王都の門を守り、誠にご苦労である」
当てこすり気味に挨拶を交わし、口火が切られる。お互いに公式の報告に使うような言葉を使い、二人の仲の硬さが透けて見える。
セブールが続けて言った。
「今朝未明、王都の民草たちが精霊の襲撃されていると急報を受けた。我々は救援のために、郊外での訓練を急遽中止し、兵たちとともに夜通し駆けて、いま東門までたどり着いていたところだ。兵士の王都入場の規則はわかっているところだが、いまは非常時。武装のまま東門を通していただきたいが、如何」
疑問形ではあるが、口調は高圧的で、言に従って当然というセブールの態度だった。常に柔和な態度を心がけている彼であるが、年の近い弟の前では、どうしても本音が隠しきれない。
「たしかに昨晩、王都は精霊たちに襲撃された」オーギュは応じる。「だがしかし、精霊たちは我々と王都の有志たちによってすでに撃退された。すなわち、いまは非常時ではなく、平時である。よって、平時の法に従われたい」
「精霊はすでに撃退されたと?」
セブールが、聞き返した。オーギュは答える。
「然り。いま王都の騒ぎは鎮静している。これから被害状況を調査し、街の復旧の手立てを検討しなければならぬところ。ここに武装した軍を入れて、無用な混乱は避けたい。ご理解いただけまいか」
「・・・・・・」
セブールは視線を外し、王都の空を見る。ややあってまたオーギュへと視線を戻したとき、黒く活発な瞳が、静かに据わっている。
「精霊は大群で、雷の大鳥や人型の上位精霊までいると聞いた。王軍が出動しなければ、倒せない戦力だと聞いている・・・。精霊たちを制圧したというには、早すぎはしまいか?」
「お見立ては間違ってはいないでしょう。しかし、昨晩に身を張って戦ったものたちが、それだけ奮起勇戦し、そして優秀だったということ」
オーギュは言葉をさらに重ねる。
「・・・昨晩、率先して戦うべき王軍は、指摘のとおり、たしかに動かなかった。動けなかったのだ。それは、緊急の指揮をとってしかるべき士官、隊長級のものがすべて王都を不在にしていたからだ。昨日は、急な慰労の大宴会が合同訓練の場で開かれるので、それに参加する命令も出されていた。・・・兄上の企画だそうだが」
最後の言葉には、ややとげがあった。
「・・・何が。言いたい?」セブールはオーギュを見下ろすように顎をあげ。そして、足場を確認するかのように、わずかに足を開いた。
「兄上こそ。精霊をうまく撃退できた、予想外の好結果に、喜んでいただけると思っていたのだが、早すぎるとは・・・どういう懸念でしょう?」
「それを問うか! ならば言おう! 今回の精霊襲撃、自作自演の疑いがある!」
セブールは外套をひるがえし、右手を突き出し宣するように語る。
「オーギュ。そなた、婚約者である精霊姫に働きかけ、精霊を使役して王都を襲わせたのではないか? そのような話が、すでに王都のそこかしこ囁かれている! 根拠のないところに、このような話はわきあがって来ぬ!」
「これは、賢明な兄上とも思えぬお言葉」
そよ風でも受けるかのような表情で、オーギュは返す。
「それは流言飛語のたぐい。私の婚約者は魔法師としてのちからを使い、精霊を鎮めるために奔走し、精霊と戦った。これは多くの者が見ている事実だ。むしろ、兄上は、噂について詳しすぎる。まるで噂を広めた本人のごとく。組織のものと結託して、今回の事件をそそのかした、不埒者がいる、というのが真実ーーその不埒者とは、兄上、貴方のことだ!」
両王子ともに、精霊襲撃の責が相手にあると、指摘し合っている。詳しくない者が傍でみていれば、どちらが真実を語っているのか、わからないだろう。
「語るに落ちたな! さしたる証拠もなく、よくもそのような出鱈目を! もう良い、オーギュ、お前をここで虜にし、白日たる裁きの場で、お前の罪を裁くのみだ!」
そのセブールの言葉を宣言として。第一王子の護衛たちが、それぞれの得物を一斉に抜きつれた。
刹那、オーギュは動じない。むしろ、鋭く叫ぶ。ーー場面を確定させるために。
「見ろ! 先に抜いたのはあちらだ! ーー第一王子に、叛意あり!」




