254 黒幕
王都、外壁東門上。背の高い胸壁を超えて見えるのは、朝陽に照らされる平かな雪原。その果てに、雪煙と砂塵を立ててうごめく群れがある。遠くから見れば、ただの銀点の群れにしか見えないがーー。
「ーー来たな」
「ーーああ」
がっしりとした石造りの門の最上部で、そう頷きあうのは、第二王子オーギュ=ド=アクウィと、その盟友とも言える、北部辺境伯子のヴィクト=アブズブール。
「なんじゃ、ものものしいのう、あれは。兵の群れか」
その後ろで、目を細めて言うのは銀髪の美少女。水の大精霊で、辺境伯子の奥方でもあるサフィリアである。年を経ても姿は変わらない。
「そうだ。あれは、郊外に訓練に出ていた、王城の親衛隊と王軍の精鋭部隊だ。ざっと2千はいるだろう」
オーギュが相槌を打ってやると、サフィリアは興なさげにふぅんと言った。我らの10倍じゃの。
「それで、あれらは、われらの敵かや?」
「まだ、そうとは決まっていないんだ、サフィ。敵になるかどうか、白黒をつけるための手順が必要になる。相手の考えも確認しないといけないしな」
苦い笑いの表情で、ヴィクトが話を引き取る。ふっと小さくため息のようにサフィリアは呼吸を吐く。
「賢しい人間というのは、面倒じゃの。向背がはっきりせぬというのは、まったく、座りが悪くてかなわぬ」
「味方のように見せかけて油断させて、その隙を襲って勝利するーーというのが、一番効率が良く得られる果実が多いからね。あの人が好む戦術だ」
「それは、卑怯というものではないかの?」
サフィリアの問いかけに、オーギュはそれは予定されていた質問だというように、視線は遠くの雪原に向けたまま、流暢に答える。
「味方だと言った覚えはない。勝手に気を許したほうに非があるーーそう言うだろうね。あの人は」
古代、敵軍の陣地に乗り込み、酒を振るまって、女装して舞を見せて相手を油断させて。そうして敵将を討って英雄になった者が居た。その英雄もやはり同じようなことを言ったね。
「・・・・・・」
第二王子の開陳された知識に、辺境伯子夫妻は、互いに顔を見合わせる。
オーギュは、遠くの兵団に向けていた青い瞳を、少し細めた。
「そういう人だよ。セブール兄上は」
「・・・・・・」
ヴィクト辺境伯子は、再び黙り込み。自身の胸のなかだけで考える。
友人殿下が語ったセブール兄上とは、セブール=パドール第一王子。妾腹でありながら第一王子と称される。呼び名たったひとつで、王の寵愛の厚さが推測できる。
周囲もそれを感じとったようで、この第一王子は、不義の子にも関わらず、昔から一等の王国の後継者候補と目されてきた。女優生まれの母から引き継いだ華やかな容姿と優雅な物腰、文武両道の優れた資質、どこからか提供される資金による派手な金遣いは、周囲の耳目を引きつけ続けた。
一方、正室の腹と血統に正統を持ちながらも、そんな第一王子の影に埋もれ続けてきた第二王子オーギュ。
だが、離れて暮らしていることも良かったのか、王子ふたりの仲が、特別に悪いというわけでもなかった。幼いころの男の子にとって、3歳の年齢差は大きい。評判が良く周囲から好まれる第一王子を、第二王子は兄として敬慕していたようだーーと。
そんなふうに、ヴィクトは聞いている。
(オーギュの生まれもった性質は、もともとはまっすぐ素直なものだったのだろうな)
ヴィクトの思考がまた巡る。学院で初めて出会った頃は、オーギュは強い正義感を求め示していた。しかしそれが過剰だと思っていたヴィクトは、それを彼の偏狭さだと解釈していた。
けれど、学院を卒業したあと、殿下と友人として付き合いを深めてみて、さらにいろいろと過去の情報を仕入れるうちに、ヴィクトはオーギュへの評価を改めた。
そして、改めたのは、オーギュへの評価だけではない。第一王子のセブールへの評価も、同様だった。
華やかな話が多いセブール王子だが、巷に流れている話を冷静に振り返って整理してみれば、出来すぎだという話も多かった。嘘とは言えないまでも、潤色の範囲なのかも知れないが、セブール第一王子の評判をあげることを意図して流された話が多いことがわかった。
またその一方で、セブール王子が、実は後ろ暗い連中とも付き合いがある、というような深い情報まで入ってくるようになると、第一王子にまつわる社交的で文武両道な好青年。常に貴族の社交界の中心にあるような、明るく楽しい噂を、そのまま受け取ることが難しく感じられるようになった。
第一王子と東西南北への大貴族との付き合い方にも、疑問が出てきた。王国で富裕な東部と南部に対しては、第一王子は、すり寄るようにして密接な交流を築いている。その甲斐あってか、第一王子は東部公爵家から妻までも得た。
一方で第一王子は、北部と西部には、近寄りすらしない。北部と西部を露骨に見下してすらいるとも風に聞く。
このように、第一王子セブールは利に聡い。そしてその性質の鏡写しのように、利を引き出せない者に対しては、とても冷淡な人物であると解釈できる。そういう前提に立って調べてみれば、他人を利用し、価値がなくなったと見れば、塵のように捨てる。そんな話も聞けた。
しかし、そうした話が、世の表に出てこないのは、セブール第一王子とその周囲が、人心操作に長け、事をおさめる能力が高いとも解釈できる。
ヴィクト辺境伯子自身は、セブール第一王子と接点が無い。だから第一王子に関わるうわさが、どこまで本当なのかはわからない。
だが、それよりも。ヴィクトは素朴に気になっていることがあった。
ヴィクトは、隣に立つオーギュ第二王子を見遣る。端正な顔にかかる金の髪を、埃混じりの寒風が吹き上げる。
ーー腹違いとはいえ、兄弟で敵同士として争うことに、戸惑いはないのだろうか。
北部アブズブール家の2男2女、ヴィクトの弟妹たちは、さいわいにもみなお互いに仲が良い。だから正直、家族のなかで争うということが、オーギュの心境、その痛みが。いまのヴィクトには、実感としての想像が難しい。
しかし、当然、歴史から学んだ知識はある。支配権を巡って一家のなかで、つまり家族同士で争うことは珍しくない。王国を統べる王族であれば、当然、兄弟で相争う覚悟はしているだろう。
だから、オーギュもその覚悟はしているはずで。あまりに当たり前すぎて、聞くこともはばかられる。けれど、覚悟しているからといって、心が傷つかないわけではない。
だがそれでもーー。
(殿下のその痛みを気遣ってやるのは、俺の仕事ではないな)
もっとオーギュ殿下に親しい人間、異性のほうが適任だろう。たとえば、彼の婚約者であるリュミフォンセ様のような・・・。
そこまでヴィクトが考えたとき。ぐぉんと脇腹を後ろから突かれた。
「ぐふっううっ!?」
妻であるサフィリアの拳が、ヴィクトの脇腹に突き刺さる。
「なにか妙なことを考えておった顔じゃったな。別のおなごのことか? 緊張感が足りぬぞ夫どの」
やりとりとしては、妻が軽く小突くーーぐらいのものなのだが、なにぶん大精霊サフィリアの怪力。ヴィクトの黒鋼づくりの鎧をしても防げず、凝縮された衝撃が骨身に伝わるのだ。
かろうじて地面に膝を突きはしなかった。ヴィクトはたたらを踏みながらも、なんとか痛みに耐える。いままで考えたことなどはすでに霧散してしまっている。額に脂汗を浮かべながら、ヴィクトは応じる。
「ぐうっ・・・。あ、ああ。すまない。家のことを思い出していたんだ。つい、集中を欠いてしまった」
「わかれば良いのじゃ」ぱっと機嫌良さそうなにサフィリアが笑う。華が咲いたような笑顔。「む、肋骨にひびが入ったようじゃの。癒やしておこう」
サフィリアの白い手に浮かぶ詠唱紋が一周し、治癒魔法が発動する。たちまちにヴィクトの骨折が治って、問題は解決した。といっても、怪我をさせたのはサフィリアであり、癒やしたのもサフィリアでーー。
「いったい何をしているんだ、君らは」
さすがに呆れたように、一連の出来事を見ていたオーギュが指摘する。
「なに、軽いじゃれ合いじゃ。その、夫婦のな」
まったく悪びれず、しかし少し照れながら言うサフィリアに、
「そうだな」
と、痛みから立ち直ったヴィクトが、真面目くさった顔で追従した。
「・・・・・・」
あまりにもくだらないとでも思ったのか。オーギュが、夫妻へのそれ以上の追及を諦めたとき。
とんとんとんとん、と石の階段を昇ってくる足音がした。
「お疲れ様でございます、皆様」
そう言ってスカートの裾をつまむ淑女の礼をしてみせたのは、金髪の侍女。
「おお、メアリどのか」
振り返りつつ、ぱっと笑顔とともにサフィリアが新たな参加者の名を呼ぶ。お互いの無事を確認するために言葉を交わし、メアリが戦いの結果を話す。ちょっとだけ手強い精霊もいましたけど、無事に気絶させて勝てました。
そして、オーギュが。
「メアリ殿。精霊襲撃では、その身を挺して王都の民を良く守ってくれた。勇者一行の名にふさわしい誇りある行いだと思う。病中の王に代わり、王子である私より礼を言う」
そう言って、頭を下げた。第二王子に礼を言われたとなれば、メアリも恐縮してしまう。
「そんな、もったいない。私は、みなさんのために、できることをするのは当然ですから。それに、私のすることを認めて後押ししてくれたのは、リュミフォンセ様なのです」
オーギュは、謙虚なことだと心の中で思ったが、口には出さず、ただ頷いた。その一方で、メアリが、伺いたいことが御座いますと丁重に言った。
「いま、この東門はどういう状況なのでしょうか? 私は、オーギュ様が東門で危機だと聞きつけて駆けつけてきました。けれど、ここには精霊やモンスターが見当たりません。ひょっとして、遠くに見える兵隊さんたちが、敵になるということでしょうか?」
もし、そうであるなら、戦いの前に。詳しい事情をお聞かせくださいませ。
メアリは、第二王子を見据えて言う。真剣な瞳は、戦いに臨むときと変わらない重みがある。だが、オーギュは戦侍女のその視線を、そらすことなく真っ向からどっしりと受け止める。
「むろん、そうしよう。勇者一行に身をおいた者が、人間同士の戦いに手を貸すことに、慎重であることは理解している」
オーギュは、視線を変え、遠くに見える軍勢の人波を見る。行軍速度からいえば、四半鐘もあれば、この門前まで来るだろうとざっと目算する。
そして、彼はメアリに向き直ったーー勇者一行の一員で、現在の最高水準の戦力である彼女に。
「ーー今回の王都への精霊襲撃には、黒幕がいる。そしてその人物は、それだけでは飽き足らず、王都を戦場にしようとしている」
「黒幕、ですか」
メアリの相槌に、オーギュは、ああ、と応える。
「兄上ーー。セブール第一王子が、王都精霊襲撃の、黒幕なのだ」




