250 次の魔王は、貴女できっと決まりよ?
離宮に戻る前に、寄りたいところがあるの。
精霊王を倒して、シノンと別れたあと。朝陽を左側に荒野の空を行きながら、わたしは黒大狼のバウに伝えた。
(承知した。・・・しかし、あるじ。それらしき魂力の気配が感じられぬのだが・・・)
「うまく隠しているのよ。それがあの人たちの仕事だから・・・。でも、魂力の隠し方に、特徴があるから」
(うむ・・・。我にはさっぱりだが)
ここからもう少し南ね。
わたしがバウに伝えて進むと、荒野の端、雪に染まる森が始まる疎林で、果たして目標の人物が見つかった。
平面的な周囲に対しては視覚遮断の魔法を使っているのに、上空からは見えるようにしているのは、きっと意図的にそうしているのだろうと思う。
そこに居たのは、巨大な白い虎。たまたまなのだろうけれど、雪の保護色になってとても見えにくい。ただ、その白毛の巨体の上に、漆黒の髪と黒いドレスの女性が、三角座りしていた。
わたしたちが降下して近づくと、黒ドレスの女性は、わたしに黒曜石の視線を向けて、言った。
「きたわね。この問題児め〜」
「やっぱり、貴女だったのね。・・・ひとを指差すのは、やめてくださらない?」
わたしはそう応えて、一応の礼儀として、バウから降りて、雪を踏む。さくっという音を立てて、ブーツの足首までが雪に埋まった。森のあたりは昨晩多く雪が降ったらしい。
その黒いドレスの女は、言われた通りにわたしに向けていた指をおろしたけれど、雪の冷気を嫌っているのか、白い虎の分厚い毛皮の上から降りてこない。足を毛皮に埋めるように女座りの姿勢になって、わたしを迎える。
「でもねぇ、あれだけ派手にドンパチされてたら、来るわよぅ。あなた、私のいまのおしごと、知ってるぅ?」
「・・・調律者。世界の秩序を影から保つもの。秩序のために、大きな魂力同士の戦いを、常に監視している・・・」
「まあ、なんてお利口さん」
黒いドレスの女ーールーナリィは。ぱちぱちと拍手をして、わたしを褒めた。この女は、わたしの実母なのだけれど、大きな戦いのあとにこんな対応をされると、正直いらっとする。
けれど、いまのやり取りでわかったこともある。ルーナリィは、調律者の仕事として、わたしと精霊王の戦いを監視していたのだ。
「ついでに教えてあげると、『楽園』へと魂力が溢れ届かないように、周囲に結界も張ってあげていたのよぅ。気がついていて?」
「ええ・・・なんとなくは」
わたしは答える。実のところ、精霊王との戦いが始まってから、いつの間にか魂力隠蔽の結界が張られているのには気がついていた。
でも、それよりも本題がある。わたしは、たったいまいらいらさせられた心を、令嬢力で鎮め。そして、姿勢を正して、言うべきことを告げる。その結界のことだけじゃなくて。
「それと・・・隕石のこと」
精霊王との戦いで、彼女が召喚した隕石を砕くのを失敗したときは、わたしは死んだと思ったものだ。
「貴女なんでしょう? 落ちてくる隕石を、別の次元に飛ばして助けてくれたのは。・・・ありがとう。お礼を言うわ」
「あらぁ。・・・気がついてたのね」
そりゃあね。隕石をまるごと飲み込めるほどの大きさの、空間の裂け目を生み出すなんて、できる存在は限られる。魔法の天才で、調律者という超越した実力を持つ存在。該当するのは、ルーナリィぐらいしか、わたしには思い当たらない。
「でも良かったの? 調律者は、『この世界の戦い』には関与しないのが規律だったのでは?」
「星降り・・・隕石ねぇ。あれはぁ、『この世界の戦い』の範疇を超えていたかしら・・・それに」
だから関与に問題ない、と言い添えたあとに、ぺろ、とルーナリィは小娘のように舌を出す。
「自分の娘にぃ、少しくらい肩入れをしても。きっと許されるでしょう?」
わたしは、少し、面食らう。なんとなれば、実の娘だからという理由で、ルーナリィに負担をかけられたことは数多いけれど、何かをしてもらったという記憶は無かったからだ。
「・・・どうかしらね。わたしはそれを判断できる立場にないけれど・・・。とにかく、お礼は言ったから」
お堅いのねぇ、とルーナリィ。
あなたが柔らかすぎるから、こういう対応になるのよ。と、わたしは心のなかでだけでぼやく。
「ところでぇ。あなたに、ひとつ、大事なお話があるわ」
「え? ・・・貴女から大事なお話ですって?」
もう用は済んだので身をひるがえそうとしていたわたしは、ルーナリィの言葉に動きを止める。
「あの、精霊王だったコ。私の見るかぎり、魔王トーナメントで、かなりの上位だったのよぉ。そのコをリュミフォンセ、あなたが倒したということはーー」
ーー次の魔王は、貴女できっと決まりよ?
ばっきゅーん。みたいな魔法で撃ち抜くジェスチャーをつけて、ルーナリィはわたしに告げた。
内容は衝撃的だったけれど、彼女のふざけた動きが、わたしを逆にひどく冷静にさせた。ふぅん。
「それは、秋ごろにリンゲンの執務室で会ったときにのお話と、同じお話かしら?」
「うぅん? ああ・・・、そういえば、そうね」
そんなこともあったわねぇ。ルーナリィは、自分の頬に指を当てながらつぶやいた。
あのときも、ルーナリィは指摘したのだ。魔王トーナメントが進行していて、他の候補者の状況から、わたしが魔王になる可能性が高い、と。
あのときはまだトーナメントが進行中だったから、誰かが勝ち上がってくれれば、その誰かが魔王だったはずだけれど。でも、シノンが魔王トーナメントを勝ち上がっていたのならーーわたし、ひょっとしたら、今回の精霊王との戦いで、優勝しちゃったのかも知れない。
つまりーー、ルーナリィの言う通り、わたし、本当に魔王になっちゃう?!
頭のなかで出された、とんでもない結論。わたしは、大きく息を吸って、吐いて。まず気を落ち着ける。
そして、言うべきことを先に言う。
「でも、それはともかく」ぐっとルーナリィに厳しい視線を向ける。「あのときの凝乳マシマシの焼蕎麦菓子を勝手に食べられたことは、忘れていませんからね! あのとき、とっても楽しみにしてたんだから!」
わたしがびしっと言うと、ルーナリィは黒曜石の瞳をぱちくりさせて。
「あっ。あれのことね・・・。意外と、根に持ってたのねぇ・・・」
ふんっ。とわたしは鼻を鳴らす。
「あのお返しは、いつかしていただきますから」
「隕石の件で助けてあげたけど・・・」
ルーナリィの発言は一理あると思ったけれど、わたしの感情はそれを許さなかった。
「あれはもうお礼を言ったでしょ。焼蕎麦菓子の件は、別にしていただきます」
まあ、良いけどぉ・・・、とルーナリィ。
「じゃあ、他になにか、聞きたいことがあるかしらぁ?」
「・・・・・・」わたしは考え、話を本筋に戻す。「他に、有力候補はいないのかしら? 次の魔王の。いるはずよね? いないわけがないと思うのだけれど」
「残念だけれど、めぼしいのは、いないわねぇ。私の仕事は、世界で起こっている大きな魂力の激突の監視よぉ? 残念だけどぉ」
「・・・・・・」
他に有力な候補がもしいるなら、派手に戦っているはずだから、当然知っているわぁ。付け足されるルーナリィの言葉。
それは道理だとわたしは口をつぐみ。次の質問をする。
「じゃあ、期限は? 次の魔王が決まるのは、いつ頃になりそうなのかしら?」
「魔王と勇者が生まれるのは、魂力の『大いなる流れ』の淀みが相当程度溜まったとき。観察をしている、いまの具合からするとぉ、そうねぇ・・・。特別なことが無い限り、最低でも、あと月が3つ巡るくらいの猶予はあるんじゃないかしらぁ」
ルーナリィの語り口から言えば、次の魔王が決まるまで、最短であと3ヶ月。
なるほどとわたしは頷く。それまでになにか手を考えて打たなければならない。まだすこし、猶予はあるかしら。
けれど、ルーナリィは、そんなわたしを見て、白い大虎の毛皮のうえ、不思議そうな表情で首を傾けた。豪奢な黒髪が流れ、認めたくはないけれど、絵になる仕草だった。
「・・・なんだか、思っていたよりもぉ、なんていうの? 悲壮感・・・ってものが無いのねぇ? もっと、『うわー』とか『ええええ?!』とか叫ぶのかと思ってたけど。魔王になる覚悟ができたっていうこと? でも、そういう感じでもないわねぇ・・・」
「そうね・・・」
言われてみると、わたし自身、いまの感情の平静さは、少し不思議だった。
「きっと、やるべきことが山積みになっているから。どこか麻痺しちゃってるのかも、知れないわね」
そう、精霊襲撃の戦いが終わっても、決着をつけるべき問題はまだ他にも残っている。それに、考えてみれば、わたし、昨晩遅くから今朝まで、夜通し戦っているのだったわ・・・。身体が疲れて、思考が正常に動いていないのもあるかも知れないわね。
ところで、とわたしは話をつなげる。まったく別の話なのだけれど。
「ルーナリィ。貴女、フルーリー卿を覚えていて?」
「フルーリー卿・・・」ルーナリィは、白い額にぐりぐりと指を押し付けている。「ふるーりー、ふるーりー? うーん、どこかで聞いたような・・・。なんとなくおいしそうな名前・・・。もう少しで、思い出せそうなんだけれどぉ」
これはダメそうだ、と思いながらも、わたしは説明を付け加える。
「枢機卿という王国の要職にあるかたで、王不在のいま、実質、王国を取り仕切っているというはなしよ」
「あぁ!」ぱん、とルーナリィは両の手を胸の前で打ち合わせる。ゆさりと胸がゆれる。「そうね、枢機卿! すうききょうね、知っているわよ!」
「そのフルーリー卿。昔、貴女に求婚をしたことがあるらしいのだけれど。どんな方だったか、覚えていて? 知っていることがあれば、教えてもらいたいのだけれど」
「えーー・・・?」
とたんにルーナリィは苦い顔をする。これは覚えてない顔だ。それでも、彼女はなんとか口を開く。
「えっとねぇ、でもねぇ。一時期、お父様がぁ。あ、リュミフォンセちゃんから見ればお祖父様ね。とにかく、たくさんお見合い話を持って来たときがあってぇ。たぶん、そのときのひとりなんだと思うけれどね、私は、そのときからリシャル・・・旦那さま一筋だったからぁ・・・。まあ、なんにも覚えていないっていうか。うん。悪いけど、ちからになれないわ」
話をしているうちに思考が整理されたのか、ルーナリィは、最後にはわたしの目を見て言い切った。本当に何も覚えていないらしい。まあ、ルーナリィは公爵家のご令嬢で、魔法の天才ではあるけれど、社会生活はてんでダメだし、興味があること以外は視界に入れようともしない社交性ゼロの人物だ。だからこの結果は、想定もできたものだ。
けれど、想定通りであったことが確認できただけでも、価値がある。そう考えて、気を取り直す。そして。もうひとつの質問よ、ルーナリィ。
「貴女が魔王であったとき。貴女は、モンスターたちのために王であったのかしら?」
「えっ、なあにぃ?」
ルーナリィは、巨大白虎の腹のうえで、のけぞった。
「なんの質問なのぉ? これも貴女のやるべきこととやらに、関係があるのぉ? ねぇリュミフォンセちゃん、内容はさっぱりわからないけれど、なにか難しいことを考えていそうで、ママちょっと怖いわぁ」
ルーナリィにとって、苦手な領域の質問が続いたらしい。これが魔法に関することであったりすれば、マッド研究者モードになって、聞いていないことすらもぺらぺらと話してくれるのだろうけれど。
でも、問答をする時間も惜しくなってきた。夜通し戦っていたわたしの体力が限界に近い。
「あまり時間がないから、早く答えてもらえると助かるわ。答えられないなら、別に良いし」
「ええーっ」
そして、ルーナリィは腕を組んでうんうんとしばらく唸り、答えをくれた。
「私が魔王になったのは、リシャルに出会いたかっただけだから・・・。モンスターはあまり暴れないように、抑えていたわ。それがモンスターのためだったのかどうかは、正直わからない」
「そう・・・じゃあ、ルーナリィ。貴女は。人間の側に立って『魔王』をしていたのね」
ーーそれは、モンスターたちの・・・、魔の、『王』だと、いえるのかしら。
重ねて質問をすると、ルーナリィは少し不快そうに、その柳眉を寄せた。
「・・・それはぁ、解釈次第でなんとでも言えるのではなくて? 言葉遊びは、私は嫌いよ」
「ーーそうね。その意見にはわたしも同意するわ。でも、こんなやり取りが、大事になることもあるのよ」
それを最後の言葉にして。
わたしは、助けてくれた調律者ルーナリィとの会話を終えて、バウとともに離宮へ向けて、この場所を去った。
だから、このあとのルーナリィの独り言は、わたしの知らないことだ。
「もう〜〜。リュミフォンセちゃん、成長したのは良いんだけれどぉ。ちょっと生意気〜〜」
あなたのお母様なのよ私は、とぷりぷり怒るルーナリィ。
ねぇ聞いている? と敷物代わりに座っている巨大白虎の毛皮をばふばふと叩くが、巨大白虎は反応しない。まるでこういうときの主の扱いかたを熟知しているかのように。
ふぅと息を吐き、ルーナリィは顔をあげる。
視界のさきには雪に白く染まった疎林、そして赤く輝く朝焼け。今日の王都は晴れ模様のようだ。
「それに・・・。自分が魔王になりそうなことは、どうするつもりかしら?。『世界の意志』に抗うのは、この私にも難しくてよ。リュミフォンセちゃん」