248 墜撃
黄金色の朝陽が輝く、夜明け。
その白紫の空を切り裂くように、真っ赤に焼けた隕石が、わたしに向けて落ちてくる。
大いなる破壊が。
なにかの夢かと思うけれど、残念ながらこれは現実だ。敵対している精霊王が、いつの間にか、隕石の落下確率を、魔法でいじったと思われる。
あの大きさの隕石が落ちれば、この一帯はわたしも含めて蒸発してしまうだろうけれど、精霊王自身はーー、どうするのかしら?
ああ、そうか。
一瞬考えて、わたしは自分で納得する。精霊王には、空間魔法がある。それで次元の隙間なりなんなりに避難することで、隕石の衝撃すら避けることができるはず。
でも。もちろんそれは、わたしの危機回避に役立つわけじゃない。
空間魔法でわたしも一緒に回避させてくれるくらいなら、精霊王が隕石をわたしに向けて落とすわけもないものね!
成長したシノンと思しき姿、長く美しい虹色の髪を身体に巻き付けて、精霊王はこちらに油断なく視線を向けて、しかし不敵な笑みを浮かべている。
彼女の足元がふらついているのは、大魔法を立て続けに使ったためだろう。
精霊王を名乗るだけあって膨大な魂力を持っているけれど、時魔法やら大魔法を連発したあとだ。むろんこの隕石を落とす魔法も、大量の魂力を消費するのだと思う。というかそうであってほしい。気軽に隕石をほいほい落とされたら、こちらはたまらない。
(隕石を、破壊するしかないーー)
中天で隕石を破壊すれば、細かい破片が地上に落ちて、破壊の範囲は広がるけれど、致命的な破壊は免れるはず。
でも、この案には問題がある。
そもそも、わたしの魔法で破壊できるかどうかもわからない。
さらに、中途半端にしか破壊できないと、わたしたちには命の危険がある・・・。
けれどそれでも。
あの巨大な隕石をこのまま地表に落として、この一帯に大破壊をもたらすよりも、多少はマシな未来があるはずだわ。
黒大狼のバウの背中に乗るわたしは、そっと黒い毛皮を撫でる。
それだけで、この賢い大狼はわたしの意図を理解してくれたらしい。
(なるべく高く駆け上がろう。あの巨岩を壊すなら、上空のほうがいい)
「ええ。あの隕石はわたしに向けて落ちてくるように調整されているらしいから、なるべく人里から遠い北のほうへ」
わたしたちの覚悟は、一瞬で決まった。というよりも、いまさらだ。
バウは自身の魔法で足場を作りながら、宙を駆け上がる。ペースがとても速い。
高度がぐんぐんあがり、世界がどんどん小さくなる。
眼下に広がる朝日に照らされる黄金色の世界が、切ないほどに美しく感じられた。
その世界のなかで、地面に立ち、こちらを見上げる精霊王に、動きはない。
わたしたちがどう動くのか、試しているというところかしら? もしくは、もう何をしても無駄なあがきだと思っている余裕なのか・・・。とにかく、動かないというのならありがたい。
さきほどまで雪が降っていた空。上空に行くほど寒さがきつくなる。着ていた外套では耐えきれなくなったわたしは、バウの背で魔法の防護膜を張った。
そして、隕石を破壊する魔法のために、魂力を集め、流れを整え始める。
使う魔法は、隕石の重さに負けないように、全色属性を選ぶ。さらに、大質量の一点を強力に貫くものを構成する。
周囲に展開する魔法の詠唱紋が次々とまわる。魔法が発動されるごとに、空に浮かぶ魔法の構造物ができていく。イメージし、構築する魔法は、攻城兵器級の魔法の巨大弓。そして、それにつがえられた、円柱のような魔法の攻城矢。
詠唱紋がまわるごとに、攻城矢に魔法の色が上乗せされる。赤、青、黄、緑、黒、白、紺、紫ーー。
最後の色を乗せたときに、全属性のあかしとして、攻城矢は七色に輝き出す。とはいえ、わたしの得意な闇ーー黒色が、ちょっと強いかもしれない。
ここからは、巨大弓を魔法操作で、強く、強く引き絞る。
攻城弓は、わたしたちのちょうど真下に構築した。魔法の弦だというのに、引き絞るたびに、ぎりりぃぃという音がする。
攻城矢の先は、ぴたりと赤く燃える隕石へと定まっている。
わたしの全力を乗せた、多重複合魔法。
発射の準備は完了した。
その完了とほぼ同時、隕石は加速を増しながら、わたしの魔法の射程に突入してきている。
ーーこの全力の魔法で、射砕く!
わたしは呼吸を整え。両手を正面に突き出す。
最後の魔法の構成、銃でいえば引き金をひくことにあたる、魔法の発動。
呪文によって、そのイメージはより詳細に、明確になる!
「発射ーー!」
大弓の弦が弾かれ、最大威力の魔法の攻城矢が撃ち出される!
ーーはずだった。
しかし。
発動と同時、断たれた麻糸のように、魔法の攻城矢が魂力の粒子にほどけ。
空撃ちした大弓も、反動で魔法が解ける。
「えっーーーー?」
思わず、声が出る。思えば、魔法を失敗したことなんて、近時なかった。
それだけに、気がまわらなかった。自分が魔法に失敗するなんて。
精霊王のーーわかりやすい直接の妨害がなかったから、気が付かなかった。
(やられたわーー)
そう、わかりやすく魔法の構成をいじったり、詠唱紋に干渉したのではない。
けれど、わずかに、わたしの周囲に、自分のものでははない、魂力の動きを感じ。
わたしは魔法干渉の中身を推察する。
周囲に漂う、わずかな透明な魂力。無属性魔法の残滓。
(魔法の発動の確率を、操られた!)
直感する。
操られたのは、わたしの魔法が成功する確率だ。
眼下を見下ろすと、地表の精霊王が、ガッツポーズのようなものをしているのが見えた。ひょっとしたら、わたしが魔法を失敗する確率は、それほど高くなかったのかも知れない。精霊王にとっても、これが賭けだったのかもしれない。
賭けで喩えるのならば、彼女が勝ち、わたしが負けた。
であれば、その損得の結果は、どうなるのーー?
わたしは、慌てて発動に失敗した魔法の魂力を回収する。全力を籠めた魔法だった。けれど、回収できたのは、使った魂力の3割ほどでしかない。
『あるじーー』
混合発話まで使って、バウの警告。迫る危険とともに、気忙しさのある、バウの感情が伝わる。
これまでの思考は、ほんの刹那だったと思う。けれど、気づけば、空気が振動している。
ごおおおおおーー
激しい音とともに、隕石が間近に迫っていた。視界いっぱいに、燃える炎の壁。
『退避する!!』
バウが、空中で踵を返し、緊急回避を試みる。
しかし、わかった。
距離があったから、隕石はゆっくり動いているように見えただけなのだ。実際は、とてつもない速度で飛来してきている。
精霊も含めて、生き物が出せる速度はゆうに超えているのだ。バウが全速で逃げているのに、引き離せないどころか、燃える岩丸はどんどん間近に迫ってくる。
「ーーー!!!」
試みに、残った魂力を使って、魔法の黒槍を何本か放ったけれど、隕石の表面をわずかに傷つけるだけ。
さっきまで寒さを断っていた防護膜は、いまは隕石の熱を遮る、最後の一枚になっていた。
もう、熱の壁が。隕石の熱が、防護膜を貫いて、伝わってくる!
空気を震わす、激しい振動。
みるみるうちに灼熱の壁が、高速で近づいて。
次の衝撃を感じる間もなく
わたしは
燃えて 蒸発して
わたしは、不可避の死を覚悟した。けれど。
「ーーーーーーえっ???」
そのとき、墜落するように全力で退避を続けてくれたバウの背のうえで。
わたしが目撃したものを説明しきることは、少しむずかしい。
まず、いきなり虚空から、半透明の巨大な腕が現れた。
巨大な腕! 身体はついていない。腕だけだ。
まるで物語に出てくる魔神のもののように、力強く気品があるように思えたけれど、根拠はない。
もうここで、わたしの理解は超えた。
巨大な腕は、お城の塔ほどの太さと長さのある。最初は二本一対だったけれど、続いてまた同じような腕が、にょきにょきにょきと虚空から飛び出てて、それが20本ほどになったとき。
腕たちは、五指の鋭い爪を虚空に突き立て。虚空に次元の隙間をひらいた。
獲物を噛みちぎるように、傷口を開くように、次元の隙間を押し広げ。そして。
すぽんっ
と。間近に迫っていた、灼熱の隕石を。
ーー広げた次元の隙間に、入れてしまったのだ。
そして、次元の隙間は閉じ。腕たちもまた脈絡なく虚空へと消えた。
あとに残された、わたしとバウ。
飛来する隕石の音が、振動が、焼き尽くす熱が、急になくなった。
風の巻く荒れ地の上空では、耳が痛くなるほどの静寂。
荘厳なほどの朝焼けの空。
そして、地表に精霊王。
「えーーーっと・・・?」
わたしはなんとかつぶやいた。つぶやいて、いま起こったこと、そしていまあることに対応しようと、頭を回した。
誰かが助けてくれた? でも誰が?
なにもわからない。考えても、すぐにはきっと答えがでない。
それよりも、大事なのは、いま。この状況。
見下ろせば、精霊王も、事態についていけずに、動きを止めている。大魔法を立て続けに使って、体力も魂力も使ったあとの空白でもあるはず。
わたしはといえば、さっき全力の魔法を失敗したものの、解けた魔法から、多少なりとも魂力は回収している。
なら、撃つのなら、今!
わたしは。反射的に魔法を構成し、すばやく詠唱紋を一回転させる。
いまバウに乗るわたしは、隕石から逃げて地表に向けて降りてきたので、建物で言えば7階建てくらいの高さにいる。地上の精霊王との間には、それくらいの距離があり。それを考慮して、わたしは魔法を選択する。
ーー高速で墜ちる魔法を!
「白色魔法ーー『襲鷹墜光』!」
光の破壊のちからが、鷹のかたちを取り。
真っ逆さまに加速落下し。
流星のように、一筋の光になった。
精霊王はその光の鷹に気づき、防御行動を取ろうとしてーー。しかし、その場にとどまった。
「・・・・・・?!」
その意味を、わたしが推測する間もなく。
がぁん!
わたしの放った墜撃の光の鷹は。
容赦なく、精霊王を直撃した。
そして、精霊王たる彼女は。
長い手足を投げ出して、地面に仰向けに倒れたのだった。




