243 地面に落ちたときが、始まりの合図
バウと合流し、この黒大狼の魔法で潜った影から抜けると、そこは見覚えのある、一面の岩石荒野だった。
薄明けの青紫色の空は明るく、夜空に瞬いていた星は、もう溶けるように見えなくなってきている。今日の天気は晴れらしい。
王都近郊にある枯れ谷の奥、岩壁に囲まれた広場のような場所がある。外部からの侵入が難しい、地形的な閉鎖空間。本来は外部とは隔絶している場所だけど、かつてわたしたちと魔王との激しい魔法戦で、大地はひっくり返され、荒れたままになっている。
それでもところどころ茂る緑の雑草の影が見えるのは、自然の強さを感じる。
わたしを乗せる黒大狼のバウは、当時を懐かしむというわけではないのだろうけれど、ぐるりと首を巡らせた。
(近くに、明らかに大きな魂力があるな。そちらに向かう)
「ええ。お願い」
黒い毛皮に両手を置きながら、横座りの姿勢でわたしは応え。それを合図として、バウは猛スピードで宙を走った。
精霊王との戦いの要請を受け入れたあと。騎走鳥獣のクルルでは、さすがに精霊王を相手取るには、乗騎として戦力不足だと感じて、わたしはメンバーチェンジを行った。つまり、クルルと黒狼のバウで入れ替わってもらったのだ。
ただ、挑まれたのはわたしだけなので、他の人に助けを求めることはしていない。メアリさんも呼んでいない。でも、バウは、それについて不満であったようで、移動の前に、使い魔としてバウの魔法鴉を、何羽かどこかに飛ばしていた。
(蘇ったばかりの精霊王が、どの程度のものかは知らん。だが、戦力と備えには、余裕があったほうがいい)
一般論としてバウの言うことに、異論はない。
ただ、挑まれたのが今回わたしだけなので、わたしが対応するというだけだ。精霊王を討伐すると決めていれば、違う策があるけれど、中身・・・というか、少なくとも魂の半分はシノンなのだ。討伐前提でことに臨みたくなかっただけだ。
(見えた。あれか)
念話でつぶやいて、バウは力強く宙を蹴って加速した。
まだ視界には点のように小さいけれど、岩陰にふたつの影がある。長い虹色に輝く髪を身体に巻き付けた精霊王と、命の精霊クローディアだ。
たたっ。
空中でバウが立ち止まる音がしたわけではない。けれど、そんな感じで、わたしたちは余裕を持った距離で対峙した。
「お待たせしたかしら?」
「いやーー。今きたところだ、と応じるべきなのだろうな。人間流の礼儀としては」
わたしと精霊王は、友好的な言葉を交わす。けれど、交わす視線は、どこかひりついている。
対話で解決できれば最善だったけれど、わたしのその目論見のひとつは、既に消えていると思わざるを得なかった。
対話をするにも、ひと当てしてからでないと無理そうね。
わたしは、バウに、地上に降りてもらう。降り立ったところは、他の場所と違って、分厚い下草に覆われていた。ふかふかとした感触が、バウの背に乗っているだけでも伝わってくる。
「ふふふ・・・。指定された戦いの舞台が、あまりにも殺風景だったものだからね。美しく飾らせてもらったよ。僕好みにね」
どこかニヒルな笑みとともに言ったのは、精霊王に付き従う命の精霊、クローディアだ。
無意味にポージングをしているあたり、精霊王が復活してから、この命の精霊はずいぶんと元気である。
そういえば、この中性的な外見の命の精霊は、四天王だったか、精霊四皇だったか・・・そんな自称をしていた気がする。精霊王に付き従う有力な側近、みたいな意味合いの自称だったのかしら。
クローディアは、人間で区分するなら間違いなく変人だけど、持っている魂力は大精霊級だ。当然、クローディアを統べる精霊王は、その上のちからを持っていることになる。
「見たまえよ! そこの美しく飾られた巨岩を! 素朴なだけの岩を、美しく彩り飾ったのも、何を隠そうこの僕さ!」
ポーズを変えるクローディアが、顎で指した先にある岩。大人3人が両手を広げたほどの幅、高さはその倍くらいのものだけれど、その巨岩が緑の蔦で覆われ、さらにその蔦は、白い蕾をつけていた。
それを見てのわたしは、ノーコメント。
そして、精霊王のほうへと顔を向けた。
「・・・何度も聞いて悪いけれど。貴方のなかのシノンは、ちゃんと元気なのかしら?」
精霊王は、成長したシノンと思しき綺麗な顔で、ふっと笑う。
「なかなかに、気にするね。私の中で半分眠っている状態だが、私がこうして万全である以上、彼女の魂に支障があるわけもない。元気といえば元気だ」
「そう。それなら結構なことね」
「もし、だが。彼女にーー余の<仮寓>に、これからする戦いを止めてもらいたいと貴女が願っているのなら、それは無駄なことだと言っておこう」
「・・・。それは、シノンが、わたしを害することを望んでいるということかしら?」
「正直に言えば、少し違うな。彼女は、貴女と戦いたいという願いを持っているのだ。ーーだから、何が言いたいのかといえばだ、余らが貴女と戦うことを止めるものはいない。正義は執行される。覚悟することだ」
「仰ることは、わかりましたわ」乗るバウが構えるように動いたため、わたしの上体も少し揺れた。「でも、精霊王に向けては畏れ多いことかもしれませんけれど。ーーふりかかってくる火の粉は、振り払う主義なの」
ふん、と精霊王は鼻で笑い、挑戦的な視線をわたしに向ける。
そして、顎をしゃくるようにして、先程クローディアが説明していた、いくつものつぼみをつけた蔦に巻かれた巨岩を示す。
「岩に巻き付いた花は『黎明白華』と言う。朝陽が出る頃に花開く。その名の通り、白い花弁の美しい花だ。貴女への手向けの花にちょうどいいだろう」
「そうだ! 僕は当然、精霊王にお味方するぞ! 覚悟するんだな、はーっはっは!」クローディアが割り込んできて、高笑いする。
わたしは東の空を見る。紫色の空の端が赤み、白くなってきている。朝陽が出る頃というと、体感だと、あといくらも時間がかからないのではないだろうか。
わたしは、精霊王に向けて微笑む。
「悪くない趣向ね。手早いのは助かるわ。わたしは、このあとも、予定が詰まっているから」
「減らず口を」
精霊王は、右手をゆっくりと顔の高さまで持ち上げると、手首から先を、目に見えないほどの早さで動かした。
ぷつっ
その風圧だけで、岩についた無数のつぼみのうちのひとつを、切り飛ばした。
しろいつぼみがひとつ、くるくると天高く打ち上がる。
「ーー地面に落ちたときが、始まりの合図だ」
なにが、なんの。説明はない。
でも、言われずともわかる。
わたしは短く呼吸を整え、乗る黒大狼のバウに警戒を促す。バウは言わずとも、全身の筋肉を緊張させて、いつでも動ける態勢になっていた。
しろいつぼみが、いま、地面に落ちた。
「バウ!」
戦いの開幕と同時、バウは自分の影から、投石紐についた鎖を引きずり出す。鎖はいわずもがな、『封霊環』だ。
「『白盾』!」
一方で、わたしは魔法を行使。10枚以上の魔法の盾を、精霊王のすぐ目の前に生み出す。視界を塞ぐためだ。
その一瞬で、バウは咥えた投石紐を器用に操り、『封霊環』を投じた。
「ぐぶうふぇっ!?」
ーー命中。
どたーん、と勢いよくひっくり返ったのは、クローディアだ。動けないぃぃと叫んでいる。
(混色魔法『黒炎劫渦』!)
続けざま、容赦なくバウが魔法を行使する。黒炎が渦巻いて走り、クローディアが生やした緑の絨毯を焼き尽くし、精霊王たちに迫る。
けれど。
「ふん・・・」
ぱきぃっ! と拳を無造作に振るって、精霊王は、わたしが展開した盾を砕く。視界を確保して、そのうえで、透明な詠唱紋を一回転。魔法を行使する。
その間にも、バウが放った黒炎は迫っている。
これを防ぐのか、かわすのか。
どう対応するかで、精霊王の戦いかたが、はかれる。そう期待したのだけれどーー。
「『生命転化』」
魔法とともに、精霊王は右腕を一振りすると、黒炎が巻き取られる。そして、巻き取った中心に向けて、吸い込まれるようにバウの黒炎が集まり。
あっという間に、黒炎の人型疑似生命が、精霊王の傍らに出現していた。
ごつごつとした黒炎の人型生命は、大人3人分ほどの高さと幅がある。破壊力がありそうだ。
「冗談でしょ・・・。相手の魔法を材料にして、別の魔法生命を作り出すなんて」
わたしは思わずつぶやいた。しかも、精霊王にかしずくように控えた、人型生命のちょっとした動きがなめらかで複雑だ。簡単な命令しか実行できない、わたしの魔法兵士とは明らかに違う。
あれはきっと、命の魔法を使っている。命の魔法はクローディアの専用魔法だと思っていたけれど、精霊王も使えるらしい。
しかも、魔法行使者の意志が乗った魔法、それを奪って材料にするなんて、さすがに想定できなかった。命魔法の使い手として、精霊王はクローディアを上回るかも知れない。
『ゴォオオオオ!』
黒炎の人造人間は、威嚇の声とともに、わたしたちに向けて跳躍してきた。と、同時に黒炎の拳を巨大化させて、わたしたちへ振り下ろす!
ごぉんと激しい音とともに、地面が割れる。
わたしとバウは、後ろへ跳ねることで、黒炎の拳をかわしていた。
(すまんあるじ。我の魔法を利用された)
「気にすることじゃないわ。相手はどうやら格上よ」
空中でそんな会話をかわしながら、わたしは両手を突き出し、魔法を使う。
「混色魔法ーー『明水輝剣』」
わたしが生み出したのは、光きらめく水の剣。
それを周囲に無数にーー少なくとも300を超える数をーー生み出す。
「嵐風!」
豪風のような魔法斬撃で、人型疑似生命を襲う。反対属性の魔法を浴びた黒炎の人型生命は、溶けるようにかき消える。
そして、輝く水剣の斬撃の嵐は、精霊王へと向かう。
破壊魔法を、剣の形に具現化、凝縮した魔法だ。さすがにこれは乗っ取れないはず。
そして精霊王は、何かの魔法を使いーー。
わたしの放った水剣の嵐は、精霊王を、一瞬で通過した。的を失った水剣の群れは、虚しく大地を微塵に切り刻む。
「えっ?」
想定外。わたしは声をあげる。
斬撃の嵐のあと、精霊王は、その場に無傷で立っていた。その場から体を動かして、かわしたようには見えない。しかし無傷だ。
「どういうーー」
(あるじ! 下だ!)
ひひゅゅっーー
風を切るような音ともに、輝く水剣が、わたしたちの下から撃ち出されてきた。
警戒していたバウは初撃を紙一重でかわしてくれて。続いて飛んできた『水剣』を、わたしの魔法盾でなんとか防ぐ。あぶないところだ。
「・・・・・・!」
はっ、はっ、と短い呼吸をしたあと、わたしはぐっと奥歯を噛みしめる。
輝く水剣は、わたしが魔法で生み出したものだ。
精霊王を攻撃すると、その攻撃が跳ね返ってくる。
どういうからくりの魔法なのか。それがわからないと、勝てない。
宙に浮かぶバウに乗ったわたしは、精霊王を見下ろす。
精霊王は、不敵に笑っていた。




