241 おかえりなさいませ、我らが王よ
「もう、いい加減におとなしくしてっ・・・! これで・・・どうだっ!」
深緑色の霞姫騎士団の外套を、黎明に翻し。
シノンは、後ろ宙返りを連続で決めて、敵が放った氷波をかわし、最後に大きく後方へと跳躍した。
そして、軽業師のように腕2本で着地した先は、相棒である生命の精霊クローディアの、その肩。
その彼女に、シノンは持てる魂力を思いっきり注ぎ込んだ。
「いいねシノン! これなら・・・、イケるよ!」
歓喜の声で叫び、指先で印を切るクローディア。
中性的な容姿をした彼女の前で、透明な詠唱紋が一回転し、魔法が発動する。
『緑の命よーー』
王都の倉庫街。シノンとクローディアの二人は、いままでずっと、一体の氷の精霊ーー氷波を吐く氷亀獣と、戦っていた。
倒すだけなら、殺すだけならーーシノンたちにも、氷亀獣をすぐに制圧できた。
けれど、氷亀獣を自分たちの同胞とシノンとクローディアは、相手をなんとか傷つけずに、制圧することを選んだ。その結果、戦いは長引き、望まぬことながら、時間を費やさざるを得なかった。
『伸べよ展べよ繁れよ栄えよ!』
めきぃっっ!
氷亀獣の足元から、南国性の樹木が、束になって勢いよく飛び出した。そしてぐんぐんと樹木の幹が枝が、伸びるとともに、建物の小屋ほども大きさがある氷の亀を、天へと押し上げる。
「ゴガアアァァァ!!!」
まるで抗議のようにーー実際そうなのだろう、氷亀獣が叫ぶ。しかし、大きな陸亀の形状をした精霊は、甲羅を下にしてひっくり返った状態で、枝にからめとられ、しかも樹上に押し上げられてしまった。じたばたと太く短い四肢を動かし、口から凍波をあらぬ方向に吐くけれど、こうなれば、もう何もできない。
「はぁ、はぁ・・・。ようやく、うまくいったぁ・・・」
「シノンのひらめきのお陰だね」クローディアが自身の額に指先をあて、つんと顎をあげるポーズを決める。「僕の魔法植物は寒さに弱くて、寒い場所では本来あんなに成長させられない。でも、シノンの余っている魂力を大量に借りたおかげで、樹木が寒さに負けるよりも早く、一気に樹木を成長させることができた」
「でも、ここだけで、だいぶ時間を使っちゃった」
勝利の喜びもそこそこに、むしろ苦しげにシノンが応じる。
「他のみんなの状況は・・・」
言って、シノンは両耳を澄ますように、両手を自分の耳に添える。
ーーーーーーー。
ーーーーーーー。
ーーーーーーー。
そして、彼女は息を飲む。
(えっ?)
その声は、外で響く仲間たちの悲鳴とは別に、シノンの中から聞こえてきたからだ。
(私の<寄す処>。身体をおくれ。私の仲間たちが苦しんでいる。さあーー。目には目を、命には命を。天秤を逆さに。仕返しの時間だ)
シノンは、自身の知覚が感覚が。突然、無理矢理に解放されたのを感じた。
視覚、聴覚のうような五感。そして、魂力の感知の感覚。
それらが今までの世界と異なると感じるほど、大きく広がる。
空を飛んでいるわけでもないのに、天から街を見下ろしているように、何が起こっているのかを把握できる。街に存在する生命の声がーー人のも、精霊のものもーーすべて聞こえる。シノンに集まってくる。
凱歌と悲鳴、喜びと悲嘆、疑いと称賛。
そしてーー。シノンは、虹色の粒子が、街の空に広がっているのを目の当たりにする。
それは精霊たちの落命の証。
「あっ。ああっ」
膨大な情報が、感情が、シノンの脳を焼き、そして魂を蹂躙する。
見えたその光景が、決定的なくさびになった。
また、内なる声が響く。
(まただ。また。うらぎった。人間は、また。きたなく、うらぎり、私達を、同胞を傷つけた)
そして、存在しないはず記憶の箱の蓋が開く。シノン自身の存在を押し流すように、奔流となって記憶がシノンの中に氾濫する。
これまで、暗いものがシノンの胸の奥に灯ることがしばしばあった。
その<暗いもの>は、何かわからぬまでも、憎しみの感情と結びつく。その一方で、シノンに力をくれた。
シノンは、その暗い記憶が、誰のものなのか、知った。いや思い出したーー? もう認識は混濁している。
それは前世の記憶。人間に裏切られて、殺された、とある過去の精霊ーー。
『精霊王』の記憶だ。
シノンの心の奥に巣食っていた<暗いもの>は、いつものようにほのかに灯り、シノンに力を与えるだけでは終わらなかった。
底知れぬどす黒い感情があふれるほどにシノンの魂を塗りつぶし、溺れさせていく。
黒く燃える煮えたぎる感情が満ちるとともに、シノンと膨大な魂力とをつなぐ、扉が開かれる。
魂力は魂の欠片。その根源は、生命の経験であり、記憶。
「あっ・・・あああああああ!」
どぷん。
そして、袋が裏表で裏返るように。シノンの意識は、深層に沈む。
薄膜に閉じ込められたように、ぼんやりとした曖昧な世界。眠りにおちたかのように緩慢な意識。
そして、クローディアがうやうやしく頭を垂れて言った言葉が、シノンの残った意識に、遠く響いてくる。
「嗚呼ーー。おかえりなさいませ、我らが王よ」
■□■
「うっ・・・」
なにかに包まれるような、ほのかな暖かさを、わたしは感じていた。
けれど、頬は凍るように冷たい。身体が凝り固まったように動かない。でも、指先はかろうじて動いた。握る指が触れているのは・・・薄く積もった雪だ。
腕を伸ばそうと力を入れると、身体が起き上がるのを感じた。目を開けて視界に入ってきたのは、薄闇の中で、雪が白く輝いている景色だった。
「クワァー・・・」
鳴き声が聞こえる。でも意識がぼんやりとして、状況はつかめない。なんとか上半身を起こして、横にあるふわふわとしたものに寄りかかる姿勢だけど、座ることができた。
わたしは、意識を確かめるために、自分の名前を心の中で確認する。リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲン・・・。うん、意識はなんとか大丈夫そうだ。
しばらくそうしていると、わたしは、いま、騎走鳥獣の羽根のしたに、かばわれているのだということに気づいた。だんだんと意識が明瞭になってくる。
と、ずきん、と胸の部分が痛んだ。
「あいたたたっ?」
身動ぎすると、からんと木の枝のようなものが落ちた。
それはよく見ればボウガンで飛ばすような太矢で、ただ、先の尖った矢じりの部分が、圧し潰れているように見えた。
わたしは、痛む箇所に自分で癒やしの魔法を使いながら、一番新しい記憶をたどる。
わたしは、ソノムと一対一で対峙していた。そして、彼を捕縛するために、近づいてくるソノムとの距離を測っていたのだと思い出した。そして、ソノムがわたしに向けて腕を伸ばしてみせたところで、わたしの意識が途絶えている・・・。
(わたしはこの矢で撃たれて、意識を失ったということかしら?)
胸のところを探ると、やはり痛みがある。けれど、血が出るような創傷はなく、打撲のようになっているみたいだった。
まとっていた外套をよく見ると、表面にほつれたような穴ができていた。
どうやらーー。精霊布の裏地が、矢の貫通を防いでくれたらしい。
精霊布は、ちょっとやそっとの物理魔法の攻撃なら弾いてしまう、魂力の通った魔綿で編んだ強力でかつ軽い、布防具だ。これまで伝説級の防具だったけれど、リンゲンで量産に成功し、特産品として売出し中の製品である。
まとめると、わたしはソノムに矢で撃たれた。しかし、防御力バツグンの精霊布の外套が、わたしを守ってくれた。けれど、撃たれた衝撃までは緩和できなかったので、その衝撃でわたしは気を失ったーーということみたいだ。
わたしは魔法師なので身体は弱い。かよわいのです。
そうなると、また疑問が出てくる。わたしはどのくらい気を失っていたのか。気を失ったわたしに対して、ソノムは何もしなかったのか。
わたしは、親鳥の羽根のような、騎走鳥獣ーークルルの羽根のしたから、這うようにして出た。ひんやりとした外気が顔にあたる。
「クウゥゥ・・・?」
心配そうに鳴くクルルの大嘴を撫でてやり、わたしは立ち上がってあたりを見回す。まだ夜が明けぬ薄闇の世界、明るさがさほど変わっていないので、わたしが気を失っていた時間は、数分程度ではないだろうか。
そして、通りにクレーターのような穴が空いている見て、わたしは『万が一の保険』がちゃんと機能したのだと理解した。
わたしが気絶するなどの危機に陥ったとき、魔法兵士が出現するように、条件付きの魔法を発動させておいたのだ。
それが『万が一の保険』だ。
魔法兵士は、破壊魔法を兵士のかたちに具現化したもので、最後には、破壊魔法として爆発する。
魔法兵士とソノムが戦い、そしてソノムを撃退した。
わたしがいま無事であることの経緯を推測するに、そういうことなのだと思う。
そして・・・。白い息が口からこぼれる。
わたしは破壊痕を見る。
そこには、血のあとのような、人の痕跡はない。死体もない。
だから、ソノムは、まだ生きていて、逃げおおせている。
現状を結論づけて、ふぅ、とわたしはひとつ息をつく。
立ちくらみのような疲労を感じるけれど、まだまだ、休むわけにはいかない。
王都での精霊との戦いは、まだ続いている。なにも終わっていないのだ。
それを考えれば、ソノムを改めて追うには手がかりもない。もう別のことをしたほうがいいだろう。
わたしはぱんぱんと自分の服の汚れを叩いて払う。そして振り返ると、わたしを守ってくれたクルルに、視線を向ける。
クゥ? とつぶらな瞳を向けてくるこの白羽の大きな鳥は、とてもいい子だ。
「クルル。もう少し、お願いさせて。まだやるべきことが、残っているの」
建物の屋根で感じる風は、相変わらず冷たいけれど、それでも切りつけるうような厳しさは少しやわらいだような気がする。
空の端が濃紺から薄紫へと代わり、夜明けが近づいていることを教えてくれる。
わたしは、再び王都の建物の屋根の上にのぼり、ゆっくりとクルルを進ませながら、王都の戦況を感じていた。
いま、王都には戦える人が少しずつ増えている。冒険者、傭兵、引退したけれども戦いの心得のある民衆・・・。正規の兵士はまだ出撃していないみたいだけれど、大勢はもう決まったように感じる。
わたしは、あれから精霊の魂力を感知して、何本か束縛魔法の魔法矢を放った。けれど、もはや状況は、支援もいらないところに来ている。
いくつかの場所で、まるで朝の炊煙のように、虹色の粒子が立ちのぼってたなびいている。勇気を振るって立ち上がった王都の誰かが、精霊を倒したということになるだろう。
人間側の勝利ーーという光景としては、歓迎すべきものだ。
けれど、人間も精霊も被害を出さないようにしたかった、わたしにとっては。
敗北感と無力感がにじむのを禁じ得なかった。
どちらかが戦いを仕掛ければ、もうその時点で、どちらも無事では済まない。
両方を無事に守りきりたい、その望みは、ただの無いものねだりに過ぎない。
わかってはいても、わたしはその届かぬ望みを求めた。けれど叶わなかった。
それでも、わたしは無力感を感じるだけで済んでいる。心情的なところでいくら『違う』と主張したとしても、究極的なところでは、わたしは人間の側に立っているのだ。
しかし、当然、この結末を認めない者もいる。
たとえば、わたしの背後の立つ者たちのように。
「・・・ちょっとみないうちに、ずいぶんと感じが変わったのね。・・・シノン、でしょう?」
「・・・・・・」
背後に立つものたちから、答えはない。
屋根から見えるのは薄闇に沈む王都。鋭い冷たさの微風がわたっていく。
わたしは手綱を操り、クルルごと自分をその場で振り向かせた。
見えたのは、建物の屋根の上、一直線に伸びる猫道の先。そこに立つ二人の女性ーー少なくとも外見はそう見えるーーだった。
『ヒトガタだ! 上位精霊が出たぞ! 注意しろ!』『たしかか?』『とんでもない魂力だった。あれは人間じゃない、大精霊級の上位精霊だ!』『このあたりにいるはずだ! 決して油断するなよ! 戦いに自信は無いものは連絡役に徹しろ!』『冒険者は上級だけで当たれ!』
建物の下の通りから、注意を掛け合う声が響いてくる。
あれだけ巨大な魂力を振りまきながら動いていたら、とても目立つ。多くの人が、彼女たちの存在を認識しただろう。
かつて、ある晩に王城の夜会から連れ出した不思議な子は、魔王との戦いに同行し、そしてわたしの護衛になった。
そしていまーー彼女、シノンの姿は、わたしが知っている姿ではなかった。
魂力の匂いはそっくりなのに、姿が違う。一晩にもならぬ時間で、急に大人になったようにしか見えない彼女を見て、さすがにわたしも息を飲む。
そのわずかな時間に、シノンらしき上位精霊は、言葉を投げかけてきた。声も低くなり大人びている。
「敬愛するリュミフォンセさま。これはーー」
ばっと広げた彼女の右腕の背後には、付き従う、命の精霊クローディア。
そして、王都の街並みが広がっている。
虹の粒子がたなびく、黎明に眠る街並みーー。
「いま、起こっていること。これは、貴女がーーやったことですか?」




