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240 黒の兵士







ハァーッ・・・ ハ−ッ・・・。


男の息が荒くなっているのは、極度の緊張から解放されたからか。


短くなんども白い息を吐き、男は跳ねる鼓動を抑えるかのように黒衣の上から胸を押さえる。


男の視線の先には、白羽騎走鳥獣と、そして。


その傍らにうつ伏せに伏す、少女と大人の中間にある、ごく若い貴族の女。


彼女のまとう深緑色の外套が、街路に積もった雪のうえに広がっている。


リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲン。


たったいま、白羽から落鳥して、身じろぎもしない。


男ーー倒れ伏す標的の女に、ソノムと呼ばれた男ーーは、腰から短刀をゆっくりと引き抜いた。


けれど、凶器を引き抜いただけで、彼は、その場から容易には動かない。


彼は、相手を観察をしている。手に強く握っている闇に光らぬように黒く塗られた刃は、暁闇の薄闇のなか、存在感なく浮かんでいる。


(血は・・・流れ出てこないか)


倒れ伏す深緑色の外套の周囲は、白い雪のままだ。ちっ、とソノムは舌打ちして、周囲を警戒する。


(思えば、あの娘のまわりでは、奇妙なことばかり起こる)


油断せずに観察しながら、ソノムはいまあったことを振り返る。






「実に。珍しいものですよ」


言いながら、ソノムは一歩、標的に向けて歩みを進める。


むろん、話していることはまったくの嘘だ。見せるものなどありはしない。


標的とソノムは、数歩の距離を置いて、にらみ合うように、向かい合っていた。


標的ーーリュミフォンセと呼ばれる貴族の女は、彼が属する地下組織のなかで、暗殺案件としては取り下げられていたが、いまだ捕殺すれば賞金が出る対象だった。


しかし、その金銭的な利害と、ソノムの心情は関係していなかった。


標的は、ソノムの転落のきっかけを作った相手だ。そして、相手からすれば、ソノムは、暗殺未遂事件の共犯者だ。


これだけ条件そろえば、ふたりが出会ったときに、お互いがお互いを捕縛しようとしたり殺し合っても、不思議ではない。むしろそれが自然だと、ソノムは覚悟を決めていた。


彼には切り札があった。地下組織の人間は、暗器と呼ばれる暗殺用の特殊武器をそれぞれに持っている。今日の彼も、万が一に備えて、左袖に、袖箭(しゅうせん)と呼ばれる暗器を仕込んでいた。


思い切り腕を伸ばせば、3重の撥条(ばね)仕掛けが、太矢を射出ことができる。


威力はあるが、狙いの精度が悪い武器だ。相手の急所に当てるには、なるべく近づく必要があった。


しかし、ソノムが近づけば、相手にも好機を与えることになる。


ぎりぎりの遊戯。


そのとき、かきん、と、ソノムの袖に仕込んだ暗器が、意図せず音を立てた。


ぎくりとしたが、標的のリュミフォンセはまだ動かない。一方のソノムは、限界だった。


彼は、反射的に左腕を振り上げ、それを思い切り前に突き出すように伸ばす。


どぐっーー


撥条ではじき出された太矢は、刹那を飛び。リュミフォンセの左胸へと突き刺さった。


身体を大きく揺らしたあとに、リュミフォンセは落鳥し。


どさりと音を立てて地面に落ち、倒れ伏した。





(太矢は、薄鋼の板も余裕で貫通できる威力。小娘の身体なら問題なく貫けるはずだ)


ソノムの見たところでは、太矢はリュミフォンセの左胸へと当たった。いまはうつ伏せに倒れているからはっきりと確認できないが、心臓に当たっていれば、出血で下の雪が血に染まるはずだった。


だがなおしばらく待っても、リュミフォンセのまわりの雪の色は変わらない。


鼻息を吐き、ソノムは考え直す。衣服が出血を吸い取ったりせき止めたりすることがある。防寒着を重ね着をしていればなおさらだ。


だとすると、直接にとどめを刺すのが確実だと、彼は考えた。ソノムがリュミフォンセに駆け寄り、いま持っている短刀で、喉笛を掻き切る。さほどの時間もかけずにできるはずだった。


「・・・! クワーッ! クワーッ!」


何かを感じ取ったのか。リュミフォンセが乗っていた白羽騎走鳥獣が、ソノムに向けて威嚇の声を放つ。ソノムはなんの感慨も無い瞳で、それを見返した。


忠誠心が高く賢く、良い白羽だ、とソノムは思う。良い拾いものになるかも知れないが、連れるにも売るにも、目立ち過ぎる。欲をかけば、彼自身のためにならないだろう。勿体ないが、邪魔になるならこの白羽も排除せざるを得ない。


短刀を握り直し、彼が心を決めて、リュミフォンセに近づこうとしたとき。


彼の目に、奇妙な人影が写った。


地面に倒れるリュミフォンセの背の上に、()()()()が、陽炎のごとく立ちのぼっているように、彼には見えた。


「んっ・・・?」


見間違いかと思い、彼は目を瞬かせる。


その一瞬あとに、黒い人影は、リュミフォンセの背の上から消えていた。


「見間違いか?」


けれど、その次の瞬間ーー。


突然、ソノムは、背筋にぞくりとしたものを感じた。


その感覚は知っていた。


生命の危険があるときに感じる、悪寒だ。


ふと、何かに導かれるように彼は横を見る。


黒い人影が、まるでソノムの体に()()()()()()()()()()()、真横に立っていた。


(なんっーー?!)


人影は、やがて少しずつ輪郭をはっきりとさせた。


光沢のない金属のような質感。真っ黒な全身鎧の兵士。


その兵士は、いびつな刃の長剣を、いままさに片手に振り上げているーー


「おわぁっ!?」


ソノムが横っ飛びに体を放り出すのと、黒い兵士が長剣を振り下ろすのは、ほぼ同時だった。


だが一瞬だけソノムのほうが動きが早く、黒の兵士の長剣は、がつんと地面を叩いた。すぐ前までソノムが立っていた地面だ。


ごろごろと地面を転がって、ソノムは起き上がろうとしてーー、背後に殺気を感じる。危機感そのままに、闇雲に体を投げ出した。また長剣が地面を叩いたのを、音だけでソノムは確認した。


(なんだなんだなんだ、急にいったいなんなんだ! くそっ!)


心の中で悪態をついて、ソノムは動きを止めない。というより、止められないのだ。黒の兵士はソノムが回避したその先に、瞬時に追いついてくる。


ソノムは身のこなしには自信があったが、初見の相手に、これほど簡単についてこられたのは初めてだった。


この黒の兵士こそが、リュミフォンセの準備していた『万が一の保険』なのだが、そのことを、ソノムが知るよしもない。


だが、同じような回避の動きを何度もしているうちに、ソノムのほうも気がついてきた。


黒の兵士は移動の動きはおそろしく早いが、一方で、たいした剣の技量を持っていない。一本調子の動きで、長剣を大ぶりに振りかぶって、振り下ろすことしかしていない。


単調な動きであれば、付け入る隙がある。そうソノムが気がついたときには、リュミフォンセが倒れている位置から、かなり引き離されていることにも気がついた。


(そろそろ・・・反撃する!)


単調な振り下ろしを、半身をずらすことでかわし。ソノムは、黒の兵士に向けて、手に持っていた刃を振り上げる。


首元から顔かけては、だいたいの兵士の装備が薄くなる部分だ。そこをめがけて刃を走らせた。


が、ががっーー


しかし、刃が立つ手応えがない。ただ弾かれ流れた刃に、崩れた体勢を立て直さざるをえない。


さらに、相手の黒の兵士は怯みもしない。再び振り上げられた剣を、ソノムは、今度は大きくかわして距離を取る。


(なんだ、こいつ、怯みもーー)


しない。ソノムは気づいて、ぞっとする。


その黒の兵士に、なんら感情のようなものが見えなかったからだ。なんとなく相手を精霊のようなものだと想定していたけれど、こいつには、いや()()にはーー。生身の生き物のような気配がしない。


まるで底なしの闇を、相手にしているようなーー


そんな思いを抱いたとき、またソノムは恐怖を抱いた。


目の前の黒の兵士が構えを変えた。それだけなのに、肌があわ立つ悪い予感を止められない。


「ーーッ!!」


たんっ、たんっと慌てて後方へと彼は跳ねる。


だが、長剣を正面に向け両手で腰に引きつけるように構え、黒の兵士は、宙を滑るように飛んで、彼に追いついてきた。


あの娘にかかわる案件は、予想だにしないことばかり起こる。この前も、今回も。彼は胸中で思い、怒声を放つ。


「この、いいかげんにーー!!」


怒りながらも、ソノムは冷静だった。体勢を低くしぎりぎりまで敵の長剣を引きつけると、直前で地面に身を放り出すようにして転がり、黒の兵士の突進を回避した。


そして、体勢を崩した黒の兵士が突き出した刃が、通りの地面に触れたとき。


ごうん。


彼の視界は、魂力の黒い輝きに塗りつぶされた。


魂力による大爆発が巻き起こり、街に黒い火柱が立つ。


(なんだってんだーー!)


反射的に身を丸めたソノムは、意識のなかだけでは毒づきながら。爆風の直撃を受け、吹き飛んだ。









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