239 小劇場/とりあえずどつき合う流儀
「これはこれは・・・。このようなむさくるしいところに、お出向きいただき、望外の光栄です。・・・リュミフォンセ様」
憎たらしいほどのいつもの余裕ぶった態度で、身を折り曲げ礼をする、美貌の男性。
かつて、セシルの偽物として、わたしの情報官をやっていた男だ。闇に身を隠すためか、上から下まですっぽりと漆黒の色の服で身を包んでいる。
王都での精霊襲撃のなか、襲撃がわたしによるものだと誰かが流言を流している。わたしは、その下手人を探していたところ、この男を見つけたのだ。高いところから広く探していたのが良かったのだろう。
魔法矢を放って束縛魔法を展開したけれど、回避に長けたこの男を捕らえることはできなかった。
ーーなのでこうして先回りして、進路を塞がせてもらった。
わたしは太めの街路にクルルに乗ったまま陣取り、そして脇の小路から、偽セシルは出てきた。
彼が逃げるとしたら、いま来た道を引き返すしかない。背を向けて逃げるのならば、魔法矢にした拘束魔法を当てるのは簡単だ。今度こそ捕まえることができるだろう。
いまは、そういう状況で、わたしのほうが有利を取っていると思うのだけれど。けれど、相手の偽セシルは、意外にも余裕のある態度で出てきて、それを崩さない。わたしは、逃げると思っていた相手から、話しかけられたことだけで、驚いたというのに。
けれどきっと、そう見せかけることが、彼の交渉テクニックのひとつであるのだろう。たぶん。
わたしと彼の距離は、10歩ほど。完全な一対一、だ。
小劇場でいえば、演劇舞台と客席中央との距離。この場合、どちらが演者で、どちらが観客なのかしら。きっと、立場で変わる。
そんなことを思いながら、わたしは口を開く。あえて相手のペースに乗る。
「久しいですね。まさか、こんなところで会えるとは。思ってもいませんでしたよ」
「ほんとうに。お懐かしく感じます、リュミフォンセ様。あのとき、やむを得ぬ理由があったとは言え、私は、急にーー本当に急いで、リンゲンの館を出なければならなくなりました。そのため、最後のご挨拶もできず、本当に心苦しく思っておりました。ええ、本当に、どうしようもない理由があったのです」
それは、わたしを暗殺しようとして、失敗した・・・という理由だろう。だからこの偽セシルは、リンゲンから出奔したのだ。それを、厚顔にも、バレていないという前提で彼は話をしている。
リンゲンでは、彼に暗殺容疑の指名手配がかかっていることを、この偽セシルも知らないわけがないと思う。
すべてわかっていて。すっとぼけるところから、演技を始めたのだ。
この演技がどこに着地するのか。あるいは、させたいのか。わたしは、少し興味が出てきた。
「そうだったのですか」わたしは驚いたようにみえるよう、目を丸くする。「それは大変な理由があったのでしょう。尋ねても構わなくて? ・・・ところで」
話題を変える。
「わたしは、貴方のことをなんと呼べばいいかしら?」
というと? と、彼は身振りを交えて言う。わたしは続ける。
「だって、夜の潜る貴方の本当の名前を、教えてもらえていないでしょう?」
暗に伝える。
セシルというのが偽の名前だと、こちらはとうに知っていて。
貴方は、地下組織の一員で、身元を偽っていたでしょう? と。
「でも、教えてもらえないでしょうから・・・。そうね」
わたしは困った顔をする。
「貴方の名前は、『ソノム』なんて、どうかしら? そう呼ばせてもらっても構わないかしら?」
一瞬ーー。
凄まじい憎悪のこもった視線を、向けられた気がした。
わたしは、何も知らないお嬢様の表情を続けている。
けれど、目端で彼の表情を改めて確認する前にはすでに。
10歩先にいる名無しの彼は、いつものように、俳優のような機嫌の良さそうな笑みを浮かべていた。
「なるほど・・・。名無し、ですか。悪くない。いや、それどころか。想定外に面白いですよ・・・」
彼は、目のあたりを手で覆い、口元は笑ったまま応じてくる。
「名前を与えられるというのは、こういう気分なのかと。元とはいえ、ご主人様と仰いだ貴方のおっしゃられることだ。有り難く頂戴することにしましょう」
挑発することで、幾分かは、相手の冷静さを奪えたかしら。
「では、ソノム」わたしは続けて呼びかける。確認するようにいま付けた名を呼んで。「では、教えてもらえるかしら? 貴方たちは、ここで何をしているの?」
「言えませんね。残念ながら。何も言えないことになっているのです」
返ってきた答えは短い。
ソノムは、表情は貼り付けたような笑顔のまま、いつの間にか姿勢を変えていた。右手で左腕の肘を持つような姿勢だ。彼が纏う黒い外衣は、袖口が先広のかたちに大きく広がっている。
「貴女の問いには、何も答えられない。しかし」
つぶやくように言うソノムの貼り付けたような笑みの奥の瞳は、わたしを見ているようで、けれど、まったく違うどこかを見ている。
「貴女が探している物を、私は持っている」
「わたしが何を探しているのか・・・貴方は知っているの?」
「おそらく」断言して、ひるがえす。「いや、どうでしょうね。ですが、先程、懐かしい顔に逢いましたよ。騎士団長サマは元気そうでしたね。・・・同じものを、探していらっしゃるのでは?」
「・・・・・・」
このソノムは、王都に来たアセレアに会っている。しかしそれでいて、こうしてソノムが単独で動き回っているということは、ふたりは、実は追いかけっこの途中なのではないかしら。
そんなことを、わたしは思うと同時、一歩、二歩。ソノムがこちらに近づいてきているのに気がついた。
「ちょうど、その奇跡的な邂逅のときに、珍しいものを手に入れたのです。お見せしましょう。きっと、お気に召しますよ」
言いながら、彼は自身の左腕に右手を添えるようにしながら、また一歩。
「それはおもしろそうね」
言いながらも、わたしは逡巡する。
束縛魔法を使うには充分な距離だ。
もう仕掛けるべきだろうか。
けれど、束縛魔法は、魔法の性質上、一瞬の溜めがある。彼ーーソノムの回避能力の高さは、さきほど見させてもらった。正面から束縛魔法を使っても、かわされてしまう可能性が高い。
『万が一の保険』は準備してあるけれど、発動せずにすむなら、それが望ましい。
一瞬でも、何かでソノムの気をそらすことができれば、仕掛けられるのだけれどーー。
「実に。珍しいものですよ」
互いの距離は6歩。ソノムの袖のあたりで、かきん、と音がした気がした。
わたしは、クルルの手綱を引き、相手が突撃してきても良いように、魔法を備えて注意を強める。彼の足の動きに注目する。
そして、刹那、雪交じりの風が巻いた。
どぐっ。
音が、消える。
鋭く強い衝撃を、胸に感じ。そして、わたしの視界は暗転する。
■□■
「いまくぐった門は、どこの門なのじゃ?」
「王都の、外壁西門。俺たちが目指している東門の、ちょうど反対側だな」
どどどっ・・・
暁闇のなか、王都の街路を進むのは、黒鎧の騎士を先頭にする、騎乗の一団。100騎に満たない数だが、毛皮を身にまとった筋骨隆々とした武装の男たちは、一見して精鋭の戦士たちだとわかる。
白羽騎走鳥獣にまたがり、先頭をゆく黒鎧の騎士。その飾り篭手の腕の間、鞍の前の方にすっぽりと収まって、銀髪の少女にしか見えない者が座っている。
銀の髪色に合わせた毛皮の帽子と外衣に身を包み。唯一外気にさらされる顔は美しく整って、水色の瞳がらんらんと印象的に輝いている。
「警戒体勢だったオーギュとラディア次公の速報では、街が精霊に襲われて大混乱・・・という話だったが。街は、意外に静かだな」
黒鎧の騎士がつぶやくと、その腕のあいだに挟まる銀髪の美少女は、
「みな、寝とる時間じゃからな。じゃが、戦いがないわけではないようじゃぞ。奥のほうで、いくつかの魂力がぶつかってるのを感じる。ひょっとしたら、既に誰かが、精霊たちを鎮圧しているのかもしれんの」
「サフィが言うなら、そうなのだろうな」
「で、あれば」銀髪の少女ーーサフィリアは、少し身体を動かして、首を後ろ上へ向ける。「どうする? 旦那どの」
サフィリアの帽子の毛が旦那どのの顎にあたり、くすぐったかったのか。旦那どのーーヴィクトは少し顎を浮かせて。そして考えを巡らせるように、薄闇に沈む街を見た。
「助けるべき民がいないなら、すみやかに最初の目的地に向かおう。ーー『外壁東門』へ向かう!」
旦那どのと呼ばれた、黒鎧の騎士ーー北部辺境伯子のヴィクトは、続く戦士たちに指示を出す。
一行は、王都の東西を貫通している大通りを選ぶと、二列縦隊となり、速駆けの速度で進行する。星明かりのなか、松明の光の輪が同じ速度で進んでいく。
王都近くの平原で、西部騎士団と北部の戦士団とで行っている合同軍事訓練。ヴィクトは自領の戦士団を引き連れ、配偶者のサフィリアも同伴でその訓練に参加していた。
そして今夜、夜も更けて叩きおこされていたところに、オーギュの使者から、王都救援要請が届いたのだ。王都が精霊たちに襲撃されていると。
その情報は、先着していた西部のラディア次公爵の情報とも一致した。
王都で何かことが起こりそうだ、という情報は前々からあった。特にラディア次公爵は、それが近々ではないかと予言していたので、厳重な警戒連絡網を敷いていたのだ。
そんな状況下で、連れてきた戦士団に昼夜交代の警戒体制を取らせていたヴィクトは、報を受け取ってから、混乱なく戦士を選抜し、王都へ急行することができた。
騎走鳥獣で街道を走って、ヴィクトたちが王都にたどり着いたときも、まだ夜は明けていない時刻だった。迅速な動きと言っていい。
「何故だか、王軍が出ている気配はないな・・・。これは遅すぎる。東で行われている親衛隊と東部との合同軍事訓練で、王軍指揮官たちが王都外に出ているのか?」
「ふむ。軍でなくとも、王都には、冒険者や傭兵が数多くいると聞く。そうした者たちが、精霊たちを相手に、踏ん張ったのかも知れぬの」
同じ騎走鳥獣に乗るヴィクトとサフィリアで会話をする。夫婦ふたりは、道中ずっとこうだった。
「・・・義姉さまも、戦っておるやも知れぬのう」サフィリアは行きがかりとはいえ、西部公爵家の養女になったため、リュミフォンセのことを義姉さまと呼ぶ。
「リュミフォンセ様が?」少し驚いたようにヴィクトが言う。「王族に嫁ぐために備えている身だ。さすがに戦闘は自重なされているのでは?」
「どうかのう。冷静に見えて、意外に血の気が多い方だと、わらわは思うがのう・・・」
「もしそうであれば、助けに向かったほうが良いか?」
「それもどうかのう」サフィリアは話題を出したわりに、否定的に首をかしげた。「義姉さまは、なんでも一人で何とかしてしまう方じゃからのう。助けに行っても、無駄足になるかも知れぬ。わらわたちはわらわたちで、自分のことをやっていたほうが、結局は良い結果になる気がするのう・・・」
最後はぼやくように、サフィリアはつぶやいて。
「あっ! これは本人に言ってはいかんぞ。しー、じゃからな。しー」
自分の口に人差し指を当てる仕草をする嫁。彼女の帽子に、ヴィクトは顎を乗せて、わかっているよと応える。
「・・・それよりも。前方に、居る」
「ん。わかっておる」
ヴィクトたちが走らせる騎走鳥獣の、規則正しく揃った蹴爪の音が大通りに響く。
その音の先、進行方向に、ゆらりと浮かぶように現れたのは、半透明の翡翠色の巨大な蛇だった。
巨大な蛇の開いたあぎとは大きく、乗騎ごとのひとのみにできそうなほどだった。胴は太く短いが、動きは俊敏だった。
状況から言って、精霊に違いない。
その巨大な蛇が、威嚇のために、鳴き声をあげ・・・。
「キシャ・・・・・・ゴガハッ!」
しかし、その威嚇の叫びの間もなく、サフィリアの放った魔法の水弾が、翡翠大蛇の顔面をしたたかに叩き。翡翠大蛇は、後ろにひっくり返った。
北部辺境伯子ヴィクトの配偶者である、サフィリア。彼女は、ロンファーレンス家の養女であるとともに、水の大精霊でもある。水魔法はお手の物だ。
「ん?」
手綱を持つ旦那の腕に収まったままで、魔法を行使したサフィリア。彼女は何か違和感を感じたかのように、眉根を寄せた。けれど、それも一瞬のことだった。
「そういうことかの。なるほどのぅ。ほいっ」
了解したとばかりのサフィリアの軽い声。続けて、彼女の毛皮の手袋の動きと同時。
地面から水流がばぁんと吹き上がり、地面に仰向けになっていた翡翠大蛇を空へと打ち上げる。
翡翠大蛇はひゅるひゅると縦方向に3回転半し、そして、鈍い音を立てて、大通りの地面へと落下して、目を回した。
「総員停止!」
進行方向を、翡翠大蛇ーー精霊の体躯が塞いでしまったので、ヴィクトが手をあげて、部隊に命じる。
そして、およそ100騎は、よく訓練されているらしいきびきびとした動きで停止した。
だが一瞬の戦いに血がたぎったのか、サフィリアに向けて、100騎に足りぬ戦士たちが、称賛の声をあげる。
「さぁすが御内儀さま! こうも敵をあっさりとぉ!」
「うぉぉおお! 御内儀さまぁぁ! 御内儀さまぁぁあ!」
「ふふん。当然じゃ・・・。・・・・・・。うむ。もう良いぞ。ご近所迷惑じゃ」
サフィリアがすっと手をあげると、良くしつけられた何かのごとく、戦士たちはぴたりと黙った。
そして、戦意をなくし、大通りに横たわる翡翠大蛇と。サフィリアは何事かを話し合い、やがて、サフィリアは深く頷いて、ヴィクトに顔を向ける。
「さて、旦那どの。これなる蛇は、これより我らに味方してくれるそうじゃ」
「そ、そんな簡単に」
「うむ。もともとおとなしい気象のようじゃの。人間に無理やりかどかわされて、さらに凶暴になる魔法毒を打たれていたので、暴れておったのじゃ。・・・さきほど、わらわの解毒魔法で毒は消しさった。ゆえに安全じゃ」
「解毒魔法・・・さっきの二撃目のことか?」
「ん、そうじゃ。よく見ておるの。さすがわらわの旦那どのじゃ」
言われて、ヴィクトは青い瞳をまたたかせた。兜をかぶっていなければ、照れ隠しに黒髪を撫で付けてもいたかもしれない。
「まあ、サフィのやることなら、だいたいわかるさ・・・。一撃目で毒の解析までして、二撃目で解毒したんだな?」
にむふふ、とサフィリアは嬉しそうに口元をにやつかせる。
「おおむね合っとるぞ。毒の細かい種類まではわからんかったので、解毒魔法は適当じゃがな」
「けれど、サフィ。解毒なら、あれほど強い魔法は必要なかったんじゃないか?」
さきほど地面から打ち上がった水流の勢いを思い出しながら、旦那殿が尋ねる。
もっともな指摘のようではあったが、銀髪の御内儀は、まったく意に介しなかった。
「何を言う。水魔法で殴りつつ、ついでに解毒したのじゃ」
ふふん、と得意そうに鼻息を吐く彼女。
「出会ったら、とりあえずどつき合うのが、精霊の流儀じゃからな。まあ、もっともーー」
言いながら、サフィリアは空を見上げる。
紫色の空には、虹色の粒がなごり雪のように漂いはじめていた。
「その機会も、すでにもうあまり無いのかも知れんがの」
1/8 21:05 ラストの台詞を少し変えました。




