233 『そうですよ』
わたしは、緑の離宮の一室で、それを知った。
黒狼の放った魔法で創り出した黒鴉。この魔法生物は、自身の見聞きした記憶を、相手に見せることができた。
魔法の黒鴉が王都で集めてきた記憶を見終わり、わたしは、閉じていた目をうすく開ける。
離宮は、これまで精霊に襲われてはいない。
部屋には、目立たぬように、最小限に落とした灯り。暖炉には火を入れたので、部屋はぬくもりつつあり、もう凍えるような寒気はない。
けれど、鴉の記憶を見終わって、わたしは底しれぬ悪意に怖気をおぼえ。身の震えを押さえるために、おもわず自分で自分の体を抱きしめた。
雪降る夜の王都は、数十体という精霊に襲われていた。
そして、
『精霊たちの王都襲撃は、リュミフォンセによるものだ』
という流言が、ながされていたのだ。
その場には、わたしの家臣ーーレーゼ、マーリナ、モルシェの3人と、護衛騎士の副隊長ともうひとりの騎士、合計5名が詰めていた。
「リュミフォンセ様?」
拝礼する姿勢で呼び掛けてきたのは、マーリナだ。彼女は外の情報を取り、分析し、策を立てるのが役目。だから、いまわたしが魔法の鴉から得た情報を欲しているのだと察した。
わたしは、魔法の鴉が見せてくれた記憶のことを、隠さず率直に伝える。
「まさか、そんな」
その声を発したのはレーゼだったと思うけれど、その声はいまの場にいる皆の想いでもあるのだろう。しばらくは誰もそれ以上の言葉を発しなかった。
けれど、予想外の悪い状況でも、現状を分析して、策をひねり出すのが情報官の役割だ。
なので、わたしはマーリナをじっと見る。小柄な彼女も自分の役割を良く理解しているので、しばらく考えたあとに、ゆっくりと話し出した。
「現状は、リュミフォンセ様を陥れようとする策のなかにあると、考えますです」
丸眼鏡の奥の薄茶色の目が、思わしげに瞬く。
「精霊の暴走によって、王都には大きな被害が出ておりますです。ことが収まれば、当然、誰のしわざであるかの追及があるでしょう。王都の民の感情を考えれば、当然ですです。そのとき、リュミフォンセ様の仕業であるという噂は、相当な説得力を持つでしょうです」
「しかし、完全ないいがかりではないですか?! 事実は違うでしょう!」
反論するのは侍女頭のレーゼだ。いっけん厳格な性格に見えるけれど、熱い感情と誠実な忠誠を持ってくれている。
マーリナは。そんなレーゼをみやり、そして、わたしをその視線でとらえる。
「事実は違いますでしょうかです?」
わたしに一瞬注目が集まり、レーゼは逆に発言したマーリナをにらみつけるように視線を向ける。
「当然」わたしは明確に否定する。「事実ではありません」
わかりましたです、とマーリナは頷く。
わたしにしてみれば、こうして身内にまで疑われるのは、気持ち良いものではない。けれど、すべてを疑うのが情報官の仕事だ。たとえ、主君のことであっても。基礎情報が違えば、将来の策を立てても意味をなさない。
なので、彼女の不敬を、わたしは、あえて受け入れる。
そして、マーリナに話の続きを促した。
「話は飛びますが、この策を仕掛けた者は、リュミフォンセ様を貶めることが目的ではないと思いますです。最終的には、婚約者であられるオーギュ殿下のことを、追い落とそうとしていると推察しますです」
それはわたしも思っていた。わたしだけのへの嫌がらせにしては、手がこんでいるし、規模も大きすぎる。
「王都の被害は小さくないですが、数十体の精霊であれば、王軍が出れば収まりますです。いまは出動準備をしているところと思いますです。もしくは、東部と合同訓練に出ている親衛隊が取って返してくれば、この騒動は収められるはずですです」
思考が乗ってきたのか、顎に指を当てて話すマーリナの薄茶の瞳がうすく細められる。
「騒動が収まったあとに、犯人追及が始まりますです。いえ、もしくは精霊鎮圧のその足で、王軍がこの離宮に乗り込んで来る可能性もーー? そちらのほうが有り得そうです。いずれにしろ、王軍か親衛隊、いずれかが動いたときが、私達の勝負どころです」
「ですが。先程も言いましたが、完全ないいがかりです! 事実ではないことで、王軍が公爵家の方を捕縛するとでも? 完全な冤罪ではないですか? ああ、これは、誰に反論を持っていけばいいのかーー」
耐えきれない、というように、叫ぶのはレーゼだ。マーリナの説明に、明らかに気を昂ぶらせている。
しかし、マーリナは、対称的に水を打ったように冷静に肯定する。ええ。
「ええ。本来であれば、許されることではないですです。しかし、相手がその段取りを準備してやってくると想定しておいたほうが良いですです」
最悪まで想定し備えてておくべきです、とマーリナは言って呼吸をおく。
ぐぐっと歯をくいしばるレーゼ。必死に感情を抑えようとしている。
それに構うことなく、マーリナは言葉を続ける。
「なにより、事が終われば王都の民の感情は、憎しみを向けるべき首謀者を探さずにはおられぬでしょう。政治上の必要性が、でっちあげでも、とりあえずの首謀者を求めるのですよ・・・です」
部屋に重苦しい空気が落ちる。
いま起こっている惨状が、今後自分ごととして降り掛かってくる悲劇が予見されたら、誰でもこのようになるのではないか。
そんな空気のなか、わたしは口を開く。
「では、将来の悲劇を避けるために、どうしたらいいかしら? マーリナ?」
策を示しなさい、とわたしは言う。
「今のうちに、日頃親しい有力者と連絡をつけ、無実を訴え、できる限り味方を増やしておくことですです。あわせて、離宮に護衛の兵を回してもらうことも要請すべきですです」
特に、出張に出られている公爵様と連絡を取り合い、可能な限り早く動いていただくのは必須です、とマーリナは付け加えた。
わたしは少し考える。マーリナの言うことは道理だけれど、それだけではこの事態を打開できるとは思えない。けれど、多少の効果はあるだろう。打っておいたほうが良い手のひとつ、だというぐらいには思える。
わたしは首肯する。わかりました。
「その策を採用します。マーリナ、貴女と貴女の手の者に任せます。離宮に残るひとたちに、いかなる危害も及ばないように取り計らいなさい」
御意に。と、マーリナは胸に手を当てる礼を取る。
しかし、いつも先回りをする彼女らしくもなく、返答をしたあとに、質問をしてきた。
「あの、リュミフォンセ様。私の気にし過ぎかも知れないのですが」
マーリナは、私に向けて少し身を乗り出すようにして、続ける。
「そのおっしゃりかただと、リュミフォンセ様は、別の動きをされるかのように聞こえるのです・・・?」
見上げた丸眼鏡の奥の瞳を、わたしは見返してあげる。
こういう察しが良いところはいいな、と思ったからだ。
冤罪をこうむること前提で迎え撃つよりも、もっと良い手がある。
それは、冤罪の原因を、いまのうちに解消してしまえばいいのだ。
あと付け加えるなら、こんなことをした犯人を、できれば見つけ出して、報いを受けさせたい。
「そうですよ」
わたしは言う。
なにより、いままさに被害を受けている王都の人を、放っておけない。
「わたしは、これから精霊鎮圧に出向きます」
■□■
「はぁっ!? いったい何をおっしゃっているのですか! あなたは、公爵家のご令嬢ではありませんか! 護られるべき存在、御身が第一! そのために護衛騎士の方々がついているのではありませんか! それが自ら精霊と戦うとか、いったいぜんたい、どぉーいうご了見ですかっ!」
・・・とまあ縮めていうとこんな感じのレーゼの大反対を説き伏せて。
わたしは、いま、離宮の小さな前庭に出ていた。実際には、きちんと説き伏せることはできず、振り切るように逃げ出してきたわけだけれど。
わたしの白羽騎走鳥獣であるクルルには、何かあっても大丈夫なように、ということだろう、手回しの良いことに鞍とあぶみが乗せられ、いつでも出発できるようになっていた。この白羽を厩舎から引き出してきて、いまいつものように乗っているところだ。
ちらつく雪のなか、遠目に見れば、王都の真っ暗な空が、赤くほのかに照らされている。内壁のなかで火が起こっているのだろう。もちろんその熱波は離宮までは及ばず、いまは夜気と白い雪の冷たさのほうが勝っている。
「リュミフォンセ様。お待たせいたしました!」
前庭で待つわたしに、声をかけてきたのは、モルシェである。
今回、作戦の必要上、護衛騎士の方にも参加いただいている。その指揮を副隊長さんに取ってもらいたかったのだけれど、その本人にもわたしの出陣を反対されたので、仕方なくモルシェに指揮をお願いせざるを得なかったのだ。
いまのモルシェは、霞姫騎士団の軍外衣に外套をまとい、騎士団員の冬服の格好だ。わたしも同様の格好だけれど、特別仕様なので少しデザインが違うぐらいだ。
付き従う護衛騎士は、他に4名。副隊長を説き伏せられなかったので、個人の自由意志というかたちで、参加をしてもらっている。離宮の守りも必要なので、割ける最低限の人数だ。若い人だけでなく、熟練者の方もいるので、心強い。
そんな彼ら彼女らに向けて、わたしは、白い息を吐きながら、今回の作戦を、説明した。
「・・・・・・。・・・・・・」
説明を終えて、護衛騎士たちは不審げな表情だったけれど、モルシェだけは疑いのない目で頷いてくれた。
「では、支援魔法をかけるわね」
仕上げとばかりに、わたしは言い、魔法の詠唱紋を浮かべる。
わたしとモルシェを含め、6名と6鳥に、わたしは支援魔法をかける。魔法防御向上、敏捷向上、物理防御向上、移動力向上、筋力増強・・・。
もりもりと支援魔法を上乗せするに従って、モルシェを含む騎士の顔が、喜びにあふれる。支援魔法はその者のちからを、魔法という外的な力によって支援し高める。これがあるとないとでは、生存率がまったく違うだろう。
そんな彼ら彼女らの表情が、しかし、喜びであったものから、驚きへとかわり。さらに驚きからなにか恐れめいたものにかわり、最終的には、
「あの、ちょっともう、結構ですので・・・」
などと言われてしまった。なんでだろう。解せないわ。
わたしは不承不承、支援魔法を打ち切る。そして。
こほん、と咳払いをして、わたしは場を仕切り直す。これまでのあいだにも、ちらちらと雪が舞い続けている。
「先程説明したことですが、この作戦には、目的がいくつかあります。ですが、最優先は王都の民の保護。もし判断に迷ったら、民の命を優先してください」
わたしの最後の言葉に、皆が頷くのを見て。わたしは命じる。
ではモルシェ、号令を。
騎上のモルシェはひとつ頷き、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「・・・出陣!」
闇に響くその彼女の声とともに。わたしたちはそれぞれ騎走鳥獣に拍車を入れて、手綱を操る。
わたしたちは、路面を覆う雪を蹴って、離宮をはなれ、進発した。




