230 後ろ姿を見送る
メアリさんとバウを、王都救援に向ける判断をしたことで、護衛騎士たちから反対の声があがった。
その配分では、離宮の戦力が減りすぎるという理由だ。
しかしわたしは、その反対を押し切った。
いまのところ、離宮は精霊たちに襲われていない。それに、襲われたとしても、バウは魔法による移動で、迅速に離宮の守りにつかせることができる。
さらに、いまの離宮には、ディアヌ様からいただいた、封霊環という優秀な対精霊用の兵器があるのだ。過剰に恐れるのは、栄えあるロンファーレンス騎士団の在り方ではない。
最後の理由は、実際に封霊環の実験を見て、その効力を知っている護衛騎士たちを、なだめるのに充分に役に立った。
そして護衛騎士たちを2手に分け、1隊は離宮の使用人たちを、もう1隊はわたしと臣下を守ることにした。宝物として厳重に保管していた封霊環も供出し、護衛騎士たちに分けた。メアリさんにも数本渡し、発ってもらう。
手早く準備を終え、バルコニーで牛ほどの大きさに巨大化した黒大狼のバウ。その背中に乗り込んだメアリさんと、わたしは言葉を交わす。
「リュミフォンセ様。私のわがままをご理解いただいて、そのうえこれほどの支援を・・・。本当にありがとうございます。この感謝を、どう表したらいいか、正直わからないほどです」
「いいえ。お礼を言わなければいけないのは、わたしよ。いまの状況では、貴女にお願いするしかないもの・・・。それから」
「はい」
「精霊たちに、殺させないで。そして、なるべくなら、彼らも殺さないで」
「リュミフォンセ様・・・」メアリさんに、わたしの言う意図が伝わったらしい。複雑な表情を一瞬したあとに、振り切ったような澄んだ表情を見せてくれた。「御心わかりました。最善を尽くしましょう」
そしてわたしは、バウの黒毛の顔を撫でてやる。
「バウも気をつけて。封霊環を持った敵が潜んでいるかも知れないから。それから、状況はこまめに伝えてちょうだい」
『承知した。都のなかの距離なら、あるじとは念話も使えるだろう・・・。では、進発する』
音もなく、離宮のバルコニーから、黒狼と侍女服姿の戦士が飛び立つ。
わたしはその後ろ姿を見送る。
闇のなか舞う雪が、乱れる風に巻き取られて輪を作った。
けれど、それもほんのわずかな時間だった。
遠くから破壊音が響いてくるにもかかわらず、離宮の周囲は、穏やかとしか言いようのない静けさが降りた。
周囲を探っても、近くでは魂力の乱れは感じられない。精霊は離宮には来ていないようだ。
ーーこのあたりはまだ安全だわ。
わたしは使用人たちを安心させるために、次は皆が集まる玻璃温室へと向かうことにした。戦いがなくても不安に揺れる人々はいる。そのひとたちをなだめて安心させることだ。
直接戦わずとも、わたしには役割がある。
■□■
リュミフォンセが、メアリたちを進発させたときより、少し時間を遡る。
王都の比較的廉価な宿が集まる区域。雑魚寝、立寝の木賃宿ーーというほど粗末ではなく、最低限、自分用の寝台が確保できるというぐらいの宿。
しんしんと雪が降る夜の寒気は、3人部屋の粗末な石壁を容易に貫いてくる。
寝藁を身に巻きつけるようにしながら、赤髪の女が、手持ちの瓢箪から、ちびりちびりと酒をなめている。
「おい、シノン。いい加減に窓戸を閉めろ。寒くてかなわん」
「今夜ひとばん、雪、降り続きそうですね。通りがもう真っ白」
そんなことを答えて、シノンと呼ばれた灰色髪の少女が、通りに面した樒戸を下ろす。最近物騒な王都は、夜になれば、誰も外出しようとしないから、通りににも人通りもない。ゆるい掛けがねをはめて、シノンは振り返る。
明かり用のろうそくも火鉢も、別料金のこの宿だ。本当ならば、冬の夜を過ごすにはとても快適とは言えない部屋だったけれど、彼女たちは少し特別だった。なんとなれば、世にもめずらしい、命の精霊が同行者にいたからだ。
「ほら、クロすけ。頼んだぞ」
「く、クロすけ・・・そんな名前は、不満だな・・・! だ、第一、響きがよくない。ダンチョーは、センスが悪すぎだ」
綿布を張った藁の寝台に頭からもぐりこんで、こんもりと小山を作っているのは、命の精霊クローディアだ。しかし形の良い鼻先を出し、文句を言いながら律儀に魔法を使う。
次の瞬間には、寒々とした部屋は、緑の繁る葉に包まれる。壁と天上に蔦葉が走り、床にはふかふかの分厚い苔がしかれ。まるで穏やかな森林のような風景へと一変した。しかもなぜだかどの植物もほんのり温かく脈づき、寒気を完全に吹き飛ばしてくれる。さらには灯り代わりに、ぼんやりと光るきのこが部屋の四隅にぽぽんと生えた。
「ううう、寒かった・・・。もういやだぁ・・・おうち帰りたい・・・」
仮に万人の魔法師が居たとしても、その誰もできないような奇跡のような魔法。そんなすごいものを顕現させても、命の精霊は誇るどころか、布団に潜り込み直して、めそめそと一瞬の寒さを嘆く。感覚が世間一般とずれているのは、精霊だからなのか、それとも個性なのか、区別がつかない。
そして、またなにかしようもないことを思いついたらしく、もそもそと、クローディアは顔だけを藁布団から出した。
「そ、そうだ・・・。アセレア団長のことは、今日から、セレさんと呼んであげよう。ふふふ・・・どうだい、この呼ばれかたが嫌なら、僕のことをクロさんと呼ぶのはやめるんだ・・・」
ふふふと勝ち誇ったように笑うクロすけ。一方の赤髪の団長は、ぱちくりと目をまたたかせ。
「セレさん。おう。いいぞ。いまは団長じゃないし、都合がいい。たまには良いことを言うじゃないか、クロすけ」
「きーーっ!! ちーがーうー!」
はははと愉快そうに笑い、アセレアは手持ちのひょうたんから酒をまたなめるようにあおる。寝台の上に座り、布団を素肌に巻きつけている。
「アセレアさん、今夜はご機嫌ですね。騎乗鳥獣を届け終えて、ほっとなさっているんですか?」
「ふん・・・そう見えるか? シノシノよ」
わざと不機嫌そうな渋面を作り、アセレアはまた手持ちの酒に口をつける。
「私まで、変な呼び方の遊びに巻き込むのは、やめてください」
シノシノと呼ばれたシノンは、本当にいやそうな渋面を作る。
アセレアは軽く笑声を放ってその場を流し、また酒を口にした。
心地よい酔いが湧き上がってくるのを感じながら、彼女は思い出している。
少女主君が、緑の離宮の尖塔で、あかあかと篝火と焚き、白い魔法の光を漂わせるなか、その姿を見せつけるように凛々しく立っていたことを。
深森の都リンゲンから公都ロンファを経て、騎乗鳥獣を届け終えたアセレア一行。ひとめ、主君の無事な姿を見ることができばとアセレアは思っていたが、少女主君は面会中とのことで、それも叶わなかった。
元団長ではあるが、便宜上とはいえ、いまは馬丁となり、お目見えの資格がない。したがって離宮の使用人に無理も通せず、仕方なく離宮からはなれることになった。そうして、すでに陽が落ち、暗くなった帰路を行く途中。
遠く見える離宮に、灯りがともった。
ひょっとしたらとアセレアは思い、遠くも見渡せる特殊技能である鷹の目を起動。そして遠く見える離宮の一角にある尖塔、そこに、少女主君のーーリュミフォンセの姿を見たのだ。
最初、少女主君の姿は見たものの、何をしているのかわからなかった。しかし、寒風のなかただ立つだけの少女主君の様子をみて、アセレアは、思い至った。
あれは、自分に向けて、リュミフォンセが、元気な姿を見せるただそれだけのために、していることなのだと。
それを知ったとき、アセレアは、思わず自分の胴がうち震えるほどの感動を覚えた。
王の遺命により王都より排除されている自分は、主君の危機に駆けつけることもできない。
そんな不甲斐ない境遇にあっても、主君は自分のことを忘れていない。仕えている主君は、自分のようなものでも、忠誠を注げば、それに応えてくれる方なのだとーーそういうことを思い知ったのだ。
主君が屋内へと消えたあともしばらく、寒がるシノンたちをそのままに、アセレアは、王都の郊外の道で、黒雲と星空を背にした緑の離宮の方向を眺めていた。
ーー酔いが、細かい泡のようになって、心地よくアセレアの身体を巡っている。
本来、快適とは言えない安宿だが、クローディアの魔法で不思議な草木で部屋の覆っているために、環境は快適だ。隙間風ひとつ感じることがない。
あるのは手持ちのひょうたん水筒に詰めた安酒だけだが、それがぐいぐいと進む。
「シノシノ、お前もどうだ?」
水筒を掲げ、アセレアはそんな声をかけようとした。
けれど、呼び掛けようとした相手のシノンは、真剣な表情で、虚空を睨んでいる。虚空になにかがあるというわけではなく、外の気配に、じっと耳を澄ませているというような様子だ。
「ーーディア。これが聞こえる?」
そうシノンは、クローディアが入っている布団に向けて、表情を変えずに言う。
「聞こえる・・・し、部屋の植物を、魂力の波動を受信しやすいやつに変えた」
「ありがとう」
シノンは寝台から跳ねるように降り、そして窓へと向かうと、そこが魔法の草で埋まっているのを無視して、バンと上へ押し開け、首を突き出し、外の様子を見る。
とたんに外の雪降る外気が部屋に飛び込んでくる。室内との温度差でうすい微風が吹き、その風に削られるように、クローディアの魔法で生えた草が縮む。生命の精霊の創った草たちは、寒さに弱いのだ。
その様子を眺めていたアセレアは、酒の入った水筒に蓋をすると、何もまとっていなかった素肌に、素早く下着と内衣を身に着け始めた。
アセレアには、なにが起こっているか、なんの異変があるのか、状況がわからない。しかし、危機を感知するかんには自信があった。
シノンとクローディアの様子から、なにか重大なことが起こっていると。彼女は、その一級品の鋭い直感で、感得したのだ。




