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228 暖炉の前で





室内には、早くも洋燈の明かりが灯っていた。


今日は、太陽が鉛色の雲に阻まれて、一日中顔を見せることがなかった。時間としてはまだ夕方の感覚だったけれど、さいきん、陽が落ちるのが早くなったから、すでに陽は沈んでしまっているのかも知れない。


離宮の部屋の暖炉の前に置かれた、2脚の椅子。寒くなると、人は暖を恋しがるし、それはわたしたちも例外じゃない。


熾火のように静かな暖炉の火を見るともなしに、わたしは、離宮を訪ねてきたオーギュ様とふたりきりで、談笑していた。


「北部へと嫁いだ、サフィリアを覚えていらっしゃいますか? 彼女がちかぢか、西部のロンファの近くまで来るのだそうです。そう手紙がありました」


「ああ。それは私も知っている。私が手紙をもらったのは、彼女の夫のヴィクトからだがね・・・。西部と北部の軍事合同訓練に参加するヴィクトに付き添ってくるのだとか。彼女も訓練に一緒に参加するとあったから、かの(ひと)も相変わらずというか、さもありなんというか。勇敢だね」


もっとも、水の大精霊である彼女にとっては、人間の騎士など、武装していても脅威でもなんでも無いのだろうけれど。


オーギュ様がつぶやく。何かを思い出しているのか、自身の左肩をなにかいたわるようにして撫でている。


わたしは、見た目ははかなげな銀髪の美少女でしかない水精霊が、素手で自分の何倍も大きいモンスターを殴り飛ばしている姿を思い出して、苦く笑う。


そして、少し違うことを話す。


「ヴィクト様と、お親しいのですね」


オーギュ様と、北部辺境伯の長子であるヴィクト様は、あまり親しい友人というわけではないと思っていた。だから、ふたりで手紙のやり取りがあるのが、わたしには少し意外だった。


今度は、オーギュ様が苦く笑う番だった。文字通り苦いものでも含んだように、綺麗なかたちの金色の眉根を寄せ、口端を釣り上げる。


「親しいとというのとは、少し違うかな・・・。もともと仲は良くはないんだよ。けれど、リュミフォンセ、君とのことがあってから、彼とはやり取りをするようになったんだ」


そうなのですか、とわたしは言う。かつてあった婚約者レースの件だ。もはや懐かしく感じる、昔の話だ。


「ヴィクトとは、幼いときから互いに面識はあったけれど、きちんと人となりを知って、知り合ったと言えるのは、学院のときだった。そのときに、ちゃんと向かい合うべきだったんだけどね」


わたしは視線だけで相槌をうち、オーギュ様に話の続きを促す。


「でも私も未熟だったから、張り合ってしまった。敵対的とまでは言えないけれど、少なくとも、協力的な関係は築くことができなかった。・・・遠回りをしてしまったよ。けれど、彼とのつながりを持つことができたのは、リュミフォンセ、間違いなく君のおかげだ」


暖炉の明かりに照らされる、オーギュ様の昔を思い出すような横顔を、わたしは見る。


外はすでに暗く、部屋の洋燈は光量があまり充分ではない。かすかに外で風の音がした。


「・・・サフィリアには、封霊環という新しい対精霊用の武器が開発されたことについて、注意を手紙で伝えたのです。油断しないようにと」


「ああ、それは。よく気がついてくれたね」


話題を転じると、オーギュ様は頷いてくれた。


「ええ。ディアヌ様にいただいた封霊環です。そして、その性能も試しました」


「試した?」オーギュ様はわたしへと顔を向ける。「リュミフォンセが義姉(あね)上から封霊環を贈られ、それを遠からず返すことは聞いていたけれど・・・」


試すとは、さすがだね。そうオーギュ様に言われて、わたしは少し心外だった。


新武器、しかも精霊を封じるのに特化した兵器だと言われれば、その効果のほどは良く知っておきたいと思うのは、普通のことだと思う。


けれど、一般的には試さないものなのかしら。でもそれでも、ディアヌ様の真意を汲み取ろうとすれば、わたしの行動は間違っていないと思う。


とにかく、オーギュ様はわたしの意見の側に立ってくれそうなのは感じたので、わたしはそのまま会話を続けることにした。封霊環の効果についてだ。


「封霊環は、上位精霊にも通用する?」


「ええ。バウにも通用しましたから。あの仔は眷属ではありますが、上位精霊に匹敵する力を持っています」


オーギュ様が考え込むような表情をする。わたしは話を続ける。


「封霊環の能力はそれだけでなく、魔法をかき消す機能があります。多少の攻撃魔法であれば、防ぐこととができるでしょう。それに加えて」


「加えて?  まだあるのかい?」


わたしはもうひとつの実験結果を伝える。


「人間の魔法師の魔法行使を封じることができます。・・・身を以って体験しました」


わたしは実験の記憶を語る。


緑色の鎖を、わたし自身の首にかけるだけで、わたしの力が抜け足腰が立たなくなり、さらには魂力の操作が困難になってしまったのだ。相当気合を入れた場合は別として、とても魔法が使える状態ではないと思った。


一方で魔法師でない人も選んで封霊環を試したところ、鎖をかけられたことで、多少の弱体化ーーどんな生物にも魂力はあるからーーはするけれど、行動不能にまでなることはなかった。


そして鎖を振り切ってさえしまえば、どのような者も、すぐに症状は改善することは共通していた。


「すると、封霊環によって、精霊と魔法兵をほぼ無効化できるということになるね」


おっしゃられるとおりですわ、とわたしは応じる。


そして、報告があったマーリナの見解を追加で述べる。


封霊環を投石紐で振り回して投射武器としたり、鎖を網にあんで盾として使ったり、投網のようにして魔法兵にかけて魔法を封じたりと。実戦の場ではそのような使い方が想定される。そして、それらの兵器は充分な効果をあげることが予測できるのだそうだ。


「いま、話をしてくれたその内容は、君のお祖父様ーー西部公爵はすでにご存知なのかい? 騎士団の陣容に深く影響することに思える」


「はい。お祖父様と伯母様には伝えてありますわ。参考になったとのお返事もいただいています」


「そうか・・・」オーギュ様は自身の額を覆うように、長い指で押さえた。「ならば、良かった」


「なにか、ご懸念が?」


あるのですか。という言葉は省略して、わたしは尋ねる。


あえてこう聞いたけれど、いまのオーギュ様には、実際は懸念だらけだろう。しかもわたしにも言えないことも数多いはずだ。


聞いてもどうにもならないけれど、でも、少しでも吐き出したほうが楽になる。だからこうして、水を向けてみる。


少しでも、オーギュ様の負担が減ればいい。減らすことができたならいい・・・。最近のわたしは、そんなことを思い始めている。


「封霊環については、特にこれ以上はないよ。ただ・・・」


オーギュ様は、しばらく考えるようにしたあと、ぽつぽつと漏らすように語りはじめた。


「兵を持たぬ王子というのは、無力なものだと思ってね。今の私が持つのは、すべて借り物だ。いや、私の場合、借り物ですらなくて・・」


わたしは黙って聞いている。


「昔から一緒にいて、腹心だと信頼していた臣下すら・・・。この手で掌握できているものは、なにひとつ、ない。なかったんだ」


「・・・・・・」


「しかし、おかげで、目が覚めた。いかに今の自分が至らなくても、その自分を土台にして、それでも歩みを進めることが大切なのだと、知ることができた。それに」


・・・王の道には、ときに非情が要求される。


最後の一句をつぶやいたとき、オーギュ様の瞳に、漆黒が宿ったように見えた。重く、強い意志。


なにがあったかはわからない。けれど、この方も、少しずつ変わっているのだと思った。わたしもそうであるように。


「しかし、より差し迫った事態が起きている。知っているかい?」


今度はオーギュ様が話題を転じる。


「そうなのですか?」


わたしは首をかしげつつ、相槌をうつ。


「これは、ごく一部でうわさされていることなのだけどね」


オーギュ様は、誰かがあたりにいないかを確認するようにあたりを見回したあと、声をひそめた。


「兄上が・・・セブール王子が、軍を率いて王城を占領することを画策しているらしい」


「えっ・・・」


それが本当なら、なかなか衝撃的だ。けれど、言われて、わたしは少し考える。


「けれど、兵力で一時的に玉座についたとしても、諸侯が納得しなければ、すぐに王の座を返上しなければいけなくなるのではないでしょうか?」


「そうだ」オーギュ様は、わたしの考えを肯定した。「玉座につくのだとしても、正しい手続きでないと意味がない・・・。それがわからない兄上だとは思えない。ーーだが、何もなく、こうした噂が出てくるとは思わない。その先の、何かがあるように思えてね。もちろんまったくの杞憂かも知れない。むしろそうであって欲しいものだと思っているよ」


「・・・・・・」


王城の親衛隊と東部の軍事合同演習に合わせて、伯母様が、急に西部と北部で合同訓練と称して軍を集めた理由は、わかった気がした。


けれど、オーギュ様に具体的なアドバイスをするような知見は、わたしにはない。だから、一般的な心構えのようなことを話す。


「相手が考えていること、完全に知ることはできません。いくら当て推量をしても、しょせんは、無理なのです。ーーだから、そのようなときは、自分が正しいと思われる道を、お進みなさいませ」


「リュミフォンセ・・・」


「オーギュ様が正しい道を進まれるのであれば、わたしはーー、いえ、わたしだけでなく、皆が。オーギュ様を支援し助けることでしょう」


「・・・・・・」


「その道を進まれる限り、相手が何を企んでいるかなんてーー考える必要が無いことですわ。支援する皆で、その道を進むのですから。貴方()の歩む道を」


「正しい道を進め。そういうことだね・・・」


「むろん、誰でも進める道ではありません。強ければ進める道でもありません。これ、という選ばれた人でなくては」


「リュミフォンセ、君は、私が()()だというのかい?」


「はい」


わたしは真っ直ぐにオーギュ様を見る。暖炉の赤い光が、彼の金の髪を、紅黄金に輝かせている。


「ですから、進む背中を見せてくださいませ。わたしたちに、貴方様のその(せな)を」


オーギュ様も、碧い目で真っ直ぐにわたしを見た。真っ直ぐな視線が交わされあう。


おそらく、今のわたしの姿は、オーギュ様の視覚に刻まれているのだと、そう思えた。


この時間は、振り返ったときに思い出す、ふたりの時間として刻まれた。


やがて、ふっとオーギュ様は笑った。何かを振り払ったように。


「我が()となる方は、実に厳しいことを望まれる」




■□■





オーギュ様は、星が輝き出す前に、緑の離宮から帰っていった。


そのあと、夕食の前に、わたしにひとつ報告があった。


リンゲンから、30余羽の騎乗鳥獣(ウリッシュ)が届けられたという報だ。そのなかには、わたしの愛鳥である、白色鳥のクルルもいるという。


わたしは騎乗鳥獣を見るのも乗るのも好きなので、これは嬉しい。リンゲンから王都までの距離を曳いて連れてくるのは大変だったろうと思う。


騎乗鳥獣自体は今日の夕方に離宮に届いたが、ちょうどわたしが面会をしていたので、報告が後回しになったのだ。離宮で騎乗鳥獣を受けとった者も、急ぎだとは思わなかっただろう。


けれど、この騎乗鳥獣を連れてきたのは、いまは元騎士団長であるアセレアであったはずだ。リンゲンに居るチェセから、事前に手紙でそう報告があった。


手紙には珍しくチェセの私見が付け加えられていた。わたしの暗殺未遂事件を防げず、そして緑の離宮でも護衛を禁じられたアセレアは、いまだに、いろいろと思うところを抱えているらしい。


だから、可能であるならば、アセレアに一声くらいかけてあげたいと思っていたけれど。


外を見る。すでにとっぷりと暗い。アセレアもすでに離宮を離れているとは思うし、いまから騎乗鳥獣で追いかけたところで、出会えるとも思えない。


わたしは少し思案し、傍らに控えていた侍女長のレーゼに、こう聞いた。


「離宮の中で、遠くからも見える出窓はどこかしら?」




離宮の北西に配されたひとつの塔、そこにある3階のバルコニーまで、わたしは登る。吐く息は白いし、寒いし、あたりは暗いし、周りに見えるのは寒々とした草原か湿地だ。


暖房も兼ねて、あかあかと篝火を焚いてもらったけれど、それでは光量が足りないだろう。


「『白灯』」


わたしは、魔法で白々と輝く光球を出現させる。10個も出したら、北西の塔の周りは、まるで昼のような明るさになった。


そのなかで、わたしは尖塔のバルコニーの手すりに沿って立つ。


わたしの周囲は眩しいくらいに明るくしているけれど、光が届く距離には限界がある。


結果として、わたしの目の前に広がるのは闇だ。


わたしからは、アセレアの姿は見ることはできない。けれど、アセレアならば、視力を高める特殊技能で、わたしの姿を見ることができるかも知れない。みれば、わたしが元気であることは、伝わるだろう。


ずいぶんと冷え込んできた。吐く息は白い。白い息の先、広がる闇を見ながら、わたしは思う。


・・・臣下たちはそれぞれにわたしを想い、それぞれのかたちで忠誠を捧げてくれている。


わたしはそれらに対して、応えられているかしら。


もちろん至らないことも多い。先行きだって見えていない。


けれど、せめて、家臣たちが下を向くことが無いような道を、わたしは選ばなければならない。


わたしは、しばらくの間、バルコニーに立ち。


冷気に凍えた身体を自分で抱きながら、塔のなかへと戻った。











【ざっくりとした登場人物紹介】



<王都「緑の離宮」>


リュミフォンセ: 主人公。寒さは気合で乗り切るタイプ。

レーゼ:     侍女頭。周囲にいい加減な人が多いので、自然と口うるさくなった。実は本人も気にしているらしい。

メアリ:     パートタイムの侍女兼護衛役。1児の母。主人公の古馴染み。

マーリナ:    してはいけない相手にセクハラする、危険な情報官。

モルシェ:    セクハラ現場に居合わせて怯える自警団団長。まあまあ常識人。

バウ:      大きさ自在の黒狼。性格がまるくなった。



<王都滞在>


アセレア:    元リンゲンの騎士団長でいまは馬丁。ウリッシュを連れてきた。視力をめっちゃ良くできる。

シノン:     身体強化の魔法が超得意な馬丁。

クローディア:  働くのが嫌いな命の精霊っぽい馬丁。


セシル:     元リンゲンの情報官だったが裏切った。裏社会の組織の一成員。



<第二王子派>


オーギュ:    第二王子。主人公の婚約者。

マイゼン:    ご学友側近①

クジカ:     ご学友側近②


お祖父様:    西部公爵。

ラディア伯母様: 次期西部公爵(内定)


ヴィクト:    北部のアブズブール辺境伯長子。

サフィリア:   ↑の嫁。水の大精霊。昔主人公に仕えていた。ロンファーレンス家養女。



<第一王子派>


セブール:   第一王子。王太子選で対立。

ディアヌ:   セブールの妻。リュミフォンセと交流。

東部公爵:   ディアヌの実父。伝統的に西部と仲が悪い。保守派。



<派閥不明>


フルーリー枢機卿:王城の実質的な支配者

寵姫:      第一王子セブールの実母。

王:       倒れて昏睡が続いている


<その他>


ルーナリィ:   主人公の実母。

リシャル:    主人公の実父。






次話より物語が大きく動きます。

ロングスパートになるので、作者の息が続くか不安です。

がんばりたいです。



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