219 暗がり
薄暗いーーというよりも、暗がりの中。
王都には、顕貴な王侯貴族だけでなく、普通の平民も数多く暮らしている。むしろそのほうが多い。そして平民ではあるが、裕福な成功した商人などとは違い、様々な事情で富を持てない者も数多く存在する。
そういう者たちが、自然と流れるように集まる、いわゆる貧民街というものが、この王都に存在する。呼ばれ方は貧民街とはいえ、財布の中身に応じた、賭場や花街があり、また酒保も当然にある。むろん、治安は保証されないが。
お互いにいつ露のようにいなくなるかわからないという事情は、他人への興味を失わせる。隣人は何をしているかわからない。わからないほうが、かえって身のためだったりする。無造作に危険が道端に転がっている。
そういう場所は、影の仕事をする者が身を隠すのにうってつけだ。
『その男』は、ほぼ灯りのない、闇の底のような酒保で、長身を折り曲げるようにして、湯気のたつ赤色の酒をすすっている。
どかり、と乱暴な音。
『その男』の隣に、頭巾を目深にかぶった男が腰をおろした。
頭巾の男はぐいと歯を見せて笑うように言った。
「つまみは・・・野菜の煮込みと乾酪。これだけか。シケてるねぇ」
「・・・・・・」
その男は無視をしたようだが、頭巾の男は、これみよがしに肉料理と酒精の強い青火酒を注文したあと、相席に居座りながら、再びその男に向き直る。
「しかしひでえ面だ。色男も形無しだな。えーっと、いまはなんて呼べば良いんだ? 『セシル』だったか? それとも『かつては頭目候補』のほうがいいか?」
「・・・うるせぇ」
そうセシルと呼ばれた男が反応したとき。頭巾の男は素早く動き、温葡萄酒をすすり続けるセシルの二の腕を、がっと掴んだ。
「・・・ぐっ」
掴まれた箇所が痛むのか、うめき声をあげるセシル。
「調子に乗んなよ? あれだけ大口叩いて任務失敗。しかも連携先の同業者を死なせたんだ。本来消されるところを、焼印程度の”お仕置き”で済ませてくれてありがとうございます、だろ? 人間っていうのはな、感謝の気持ちを忘れちゃいけねぇ」
「・・・お前は頭目じゃないだろう」
うめくようにセシルが言う。
「いまは、な。だがお前も知っているとおり、組織の頭目に一番近い男だ」
「・・・・・・。その『頭目に一番近い男』様が、オレなんぞにわざわざ、なんの用だ」
腕に焼印があるのか。痛みに耐えるように脂汗を浮かべて、セシルが精一杯の皮肉を返したとき、料理の皿と酒が運ばれてきた。
頭巾の男は、セシルの腕を開放すると、肉を皿から取り上げ。勢いよくかぶりついたそれを噛みちぎり、言う。
「お前が始末しそこねた『あの娘』が、王都に来た。おまけに西部公爵までやってきて、こちらは手が出せなくなった。おかげであの娘はやりたい放題ーーってな話でな。『上のほう』から毎日文句が来てる」
「『青犬』からか?」
「いいや。そのまた『さらに上』だ。お前が頼りにしていた青犬さんは、もうすぐ捨てられるみたいだぜーーいや、もう捨てられてるのかな?」
最近は連絡すらねぇ、と頭巾の男は言う。
「『さらに上』ーー」
セシルと呼ばれている男は、表情を歪ませながら、聞く。
「そりゃ、『東』か? 『先』か? ーーそれとも、『中』か?」
頭巾の男は、鼻で笑うだけで、何も応えなかった。ぐい呑みの中の青火酒を干し、おかわりを頼む。
「お前には、もう関係が無ぇだろう。それより、仕事だーー」
今度は瓶ごと来た青火酒に、頭巾の男は口をつける。匂いだけでも焼けるような酒精の息を吐く。
「・・・『王都で適当に暴れろ』」
あまりにも抽象的な指示。
なんだそれはーーとは、しかし。セシルと呼ばれている男は尋ねない。
ほんの少し前まで、組織のなかでそれなりに情報が入ってくる地位にあった彼には、だいたいの背景がわかる。
これから王都で何が起こっても不自然ではないように、あるいは、その下準備を進めやすいように、王都の治安を適当に悪くしておけ、ということだ。
逆に言えば、何か大きな企みごとが、別にあることになる。
「なに。手が足りなきゃ、食い詰め者や、少数信者を焚きつけるなりして、動かしてやってもいい。ーー奴らは王都の連中から嫌われているから、罪を勝手にかぶってくれる。こちらの隠れ蓑にはもってこいだ」
セシルにとっては聞かずもがなのことを、頭巾の男は言ってくる。そしてセシルの沈黙を肯定と受け取ったのか、頭巾の男は言葉を続けた。
「楽な仕事だろう。だからもうひとつ、仕事をやる」
言って、頭巾の男は、ごとり、と鎖を卓に置いた。薄暗いためにセシルにはよく見ることができないが、それは緑色をした鎖だった。よくよく観察すれば、裏面に魔法文字が彫刻されている・・・。
「『封霊環』だ」
何かを聞く前に、頭巾の男が言った。
フーレーカン、と音を頭のなかで再生し、セシルはそれを記憶した。
「これで、精霊を狩る」
「狩る? 精霊を?」
セシルは頭巾の男の言葉を繰り返した。こんどの話は、彼にはすぐに理解ができなかった。これまでにない新しい種類の依頼だということだ。
「ああ。野良精霊を生け捕りにするんだ。出来高払いだ。もちろん上位のヤツほど高い報酬をつける」
「それは冒険者の仕事だろう。・・・精霊になぞ、とても敵わん」
それはセシルと呼ばれる男の本音だった。中位精霊でも、熟練冒険者の一党、あるいは騎士の中隊規模で相手取る。上位精霊など、普通の人間が戦おうと思うことすら間違いだ。
人間相手に市中劇を演じている、組織成員に向いた仕事だととても思えない。
「そのあたりがお前さんの限界だな」
頭巾の男は遠慮なく言った。そして続ける。
「この封霊環があれば、精霊を捕らえられる。隙を見て、この鎖を精霊にかければ、あら不思議、精霊は動けなくなり魔法も使えない。あとは、そのへんの獣と一緒だ」
「・・・・・・」
「だから、ぴっかぴかの冒険者様や騎士様にお出ましいただく幕はない。隙をみて鎖をかけるだけだ。だから、こそこそと影ばたらきをしているやつのほうが、向いている仕事なのさ」
「・・・。その話、本当だろうな?」
視線を緑の鎖に向けながら、セシルが問う。頭巾の男は、もちろん、と軽く答える。
「実績もある」
「・・・わかった」
セシルと呼ばれる男は了解をした。自分を陥れる策だとしたら、あまりにも大掛かり過ぎると思ったからだ。始末するなら、貧民街の暗がりで刺したほうが早いはずだ。ならば、この話は裏なく仕事なのだろう。
頭巾の男は、封霊環はあとで追加で届けさせると言った。高価なものだから無くすなともくどいほどに重ねて言った。
「やる気を見せるのは結構なことだ。ひょっとしたら、お前のこれまでの地位も、働き次第で挽回できるかも知れんからな?」
そんなつもりはないだろうにーー。
軽薄なことを言う頭巾の男に、一瞬の軽蔑の一瞥をくれて、セシルは冷え切った温葡萄酒をまた口に運んだ。
「それより」木杯を卓に置きながら、セシルと呼ばれる男は言う。「精霊狩りなんてして、何をするつもりだ?」
精霊の権利などを掲げる、第二王子やあの娘への面当てだろうか。だとしても、大掛かりで金がかかりすぎる作業だ。面当てや嫌がらせなら、もっと効率の良いやり方がある。
そんな意味のことをセシルと呼ばれる男が説明すると、頭巾の男はへらへらと軽薄にーーあえてだろう、挑発するように笑ってみせた。
「そんなことはわかっているさ。だが、お前に仕事の意図を話して、なんになる?」
「・・・・・・」
「お前は頭ではない。そして、もはや手足ですらないんだよ。ーーただの、石ころだ」
「石ころ・・・だと?」
「ああ。投げられて、飛んでいってぶつかるだけの存在だ。何故、なんの目的で投げるのか、知っているのは石を投げるやつだけだ。石ころ自身は、何も知る必要はない・・・」
なにも、だ。
言いおいて。用が済んだ頭巾の男は、席を立つ。そして、闇に溶けるようにして、いなくなる。
また独りに戻ったその男は、暗がりに向かって盛大に舌打ちを放つ。




