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218 ロンファーレンス=リンゲン家の家宰







ロンファーレンス=リンゲン家の家宰である、チェセ=フジャスには、毎朝数多くの手紙が届く。


政務向けの情報の手紙が来るのはもちろんだけれど、ロンファーレンス=リンゲン家では、数多くの事業を興しているため、関連の情報や問い合わせが数多く来る。


もともと主君の実務を含めた補佐をしていたが、少女主君ーーリュミフォンセが、王都に出向いているため、名実ともに、政務、商務上の最高責任者は家宰の彼女である。


補佐のときから、実質的な判断は彼女がすることが多かったとはいえ、最終判断まで担うとなると、精神的重圧は倍以上だ。リンゲンでは多くの人材が育っているため、主少女君の王都行きを契機に、仕事の割り振りを改めて見直し、裁量権も含めて部下へと渡した。


にも関わらず、執務机に積み上げられた手紙が示すように、家宰のチェセの仕事は膨大だ。


しかし、余人を持って代えがたい職務と重責。それは彼女が敬愛する少女主君に信頼されている証だともいえる。


なので、チェセ本人は、現状にだいたい満足している。不満はただ一点、彼女自身が、愛らしい少女主君のそばにいることができないということだろうか。


秋が深まり、リンゲンでは早朝は肌寒いを通り越した寒さがある。朝晩は暖炉に火を入れているほどだ。まだ館が温まり切っていないので、チェセは厚い毛織のケープを肩にかけ、白い息で手紙を読み進める。


現在、チェセは、王都の緑の離宮に行った少女主君と、手紙を介して情報を共有している。


けれど、いまだ情報の安全性が確保できていないため、職務上でも重要事項についてやり取りはしないと、あらかじめ少女主君との取り決めをしている。具体的には、事業の方向性を決める判断、技術情報、予算、月ごとの決算などは、相談や報告はしない。


必然的に、少女主君とのやり取りも、当たり障りのない、ひどく密度の薄いものになる。


だから、少女主君から、チェセのもとに手紙が届いたときも、それほど重要なものだとは考えていなかった。


実際に、手紙もそれほど長くはなかった。


しかし、短い手紙のなかの依頼ごとの重要性を、チェセはその聡明さで読み取った。手紙を読み返すほどに、徐々に彼女の背筋が伸びる。


そして彼女の頭の中では、すでに段取りが組み上がったのか。


次々と指示書を書き上げ、関係者との打ち合わせの段取りを整え、彼女は、その朝の業務を終えた。





■□■





「邪魔するぞ、チェセ」


赤髪の騎士団長が、リンゲンの家宰の執務室を訪れたのは、陽が高く昇った頃だった。


「アセレアさん」


チェセは、ちらと視線だけ入室してきた騎士団長へ向けたが、そのまま書き物を続ける。


「少し待ってくださいね。これを書きあげてしまいたいので」


「ああ、構わない。・・・忙しそうだな」


「ええ・・・。リュミフォンセ様から、面白いお願いもありましたから、その準備で」


話しながらチェセが書き上げたのは手紙ーーいや指示書だろうか。インクを早く乾かすための砂を慎重に撒き、そして彼女は顔をあげて、話す態勢になった。わずかな時間も無駄にしない動作が染み付いている。


「おまたせしました。ご用件は?」


「ああ、ちょっと大事な用事だ」


大事だと口では言いながら、アセレアは気安い様子だ。


「それは、ここで話しても大丈夫ですか?」


チェセは軽く目配せをする。執務室には、彼女を補佐する文官や商人が何人か詰めている。資料も積み重ねられて雑然としており、たびたび会話が飛び交う。


「ああ、問題ない・・・どうせすぐに知れるからな」


言いながら、アセレアは懐から一通の封書を取り出し、チェセの机の上に置いた。


「職を辞したい。許可が欲しい」


アセレアの騎士団長兼護衛長という職は、軍務では最高位だ。


それを辞したいというのはよほどのことだが、さすがに女性ながらに家宰の重職にあるチェセである。彼女は、さほど驚いた様子も見せず、封書をひらいて中身を確認し。


そして改めて、彼女はアセレアを見る。チェセが椅子に座ったままなので、自然に見上げるかたちになった。


「・・・一身上の都合ですか」


「ああ。飽きたーーとは書けんからな」


そうですか、とチェセは呟き。少し考えるようにして、再び口を開く。


「辞めてどうなさるので? ーーまさか、王都に行って、自由騎士の身分で、リュミフォンセ様の護衛をしようなどと考えておりませんよね?」


「・・・いかんのか? 職を辞せば、行動を縛られる言われはないはずだ」


そんなことだろうと思っていました、とため息交じりにチェセは言う。


「なんのために、騎士団の出動権限が、文官の私に預けられていると思いますか? それは、今回の件で、騎士団の暴発を押さえるためです。なのに、騎士団長の貴女が暴発して、どうするのです」


「暴発ではない。これは策のうちだ。王都の警戒は、ずいぶん緩いと聞いている」


「それでも、王都立入禁止名簿の筆頭にあがっていた貴女が、リュミフォンセ様のおそばにいることが王城に知れたら、大問題になります」


「しかしだな・・・。王城がリュミフォンセ様に向けて悪意を放っているのは確かだ。何かあってからでは遅い」


しばらく二人は視線をぶつけあっていたが。ふぅ、とため息とともに視線を外したのは、チェセだった。


「まったく・・・。リュミフォンセ様がおっしゃられていた通りになったわね」


「なに?」


「ご領主リュミフォンセ様の名代として」


アセレアの聞き直しに応えることなく、チェセは声を張って告げる。


「家宰チェセ=フジャスが、アセレア=イーズに命じます」


そして、彼女はぱしんと執務机の上に、3枚の身分証を投げ置いた。


「辞職願いを受け入れ、本日を持って、汝の騎士団長ならびに護衛長の職を解く。代わって、馬丁の職に任ずる。また、王都は『緑の離宮』へ、ご領主の騎乗鳥獣(ウリッシュ)を届けることを命じます」


たったいま解任された赤髪の元騎士団長は、あっけにとられていたが、投げ渡された身分証を取り上げ、まじまじと見る。


「・・・名が、似ているが違うな」


「当たり前です。貴女は現職を解任されて、馬丁となったのですから。また、ご領主への目通りも叶いませんし、騎乗鳥獣(ウリッシュ)の引き渡し後は、離宮にとどまることは許可しません。・・・まあ、事情があって、王都で足止めを食うことまでは、咎めることはできませんが」


「それは・・・つまり」


アセレアは目を見開き。驚きと喜びが入り混じった表情で、渡された身分証をじっと見る。


「『予想できない方向に暴発されるぐらいなら、予め進む道を決めておいたほうが良い』との、リュミフォンセ様のお言葉です。・・・王都に居ることができれば、有事にご領主のお役に立つことぐらいはできるでしょう。しかしくれぐれも、王城に貴女の存在を知られることのないように隠密行動をとってください」


「・・・3枚あるのは?」


「シノンとクローディアも一緒に連れていってください。貴女がいなくなれば、おそらくあの二人は暴走するでしょうから・・・。それとも、すでに一緒に行く相談が済んでいますか?」


うむ、とアセレアは彼女にしては珍しく、言葉を口のなかでもごもごと転がす。


「それから、ハンスさん、ブゥランさんにきちんと引き継ぎを済ませてから行ってくださいよ」


「引き継ぎなら問題ない。書類仕事は普段から任せているからな」


自慢になりません、とチェセはむすっとした顔をする。いつものやりとりだ。


「しかし、そうか・・・リュミフォンセ様が、あらかじめ、これを指示してくれていたのか・・・」


感慨深げに偽名の身分証を見るアセレア。


「ええ。本当に、臣下のことをよく見られている方です。一人ひとりのことがわかっていなければ、できないことです。そして、貴女にも、これほど心を砕かれている」


「・・・チェセ。ひょっとして、妬いているのか?」


「何を言っているんですか、一体」


半眼で見るチェセの視線を、アセレアは爽やかな笑顔でいなすと、身を翻した。


「世話をかける。また礼はさせてもらう」


そう言って去る赤髪の元騎士団長の背中に、栗色の髪の家宰は言葉を投げる。


ーーそれから。


「『セシルのことは、気に病む必要はない』・・・とのお言葉です。私もそう思います。けっして、無理はなさらぬように」


アセレアは、立ち去ろうとする足取りを止めた。だが、振り返らずに、言葉だけを発する。


「ああ・・・。ありがとう。だが」


わずかに、肩が震える。


「まるで熾火のように、怒りがくすぶりつづけているーー。自分が、自分自身を、許せんのだ」


「アセレアさん・・・」


「なんでもない。詮無いことを言ってしまったな」


突然なほどの明るい声。だが、アセレアは振り返ろうとはしない。


「ーー話は聞いた。期待を裏切らぬように励むとしよう、か」









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