217 肯定されても不安しかない
まさか、マーリナから、ルーナリィのことについて聞かれるとは思わなかった。
わたしはこれまで、臣下から母親のことについて聞かれた記憶はない。皆、きっといろいろと気を使ってくれていたということだろうか。
うん、そういうこともあるだろうけれど、政務や商務と、わたしの母親は無関係だからだと思う。
ん? となると、なんでマーリナは、ルーナリィのことについて聞いてくるわけ?
そんなことを思ったので、逆質問になってしまうけれど、わたしはマーリナに聞いてみた。
「それは、フルーリー枢機卿のことに関係しているのです」
こともなげに、目の前で報告をする丸眼鏡の情報官は応えてくれた。
安楽椅子で報告を聞くのは落ち着かないため、わたしたちは、部屋にあった膝丈の小卓のところへと移る。小卓をさし挟んで、天鵞絨布張りの椅子に座る。
「・・・。フルーリー卿と、関係があるの? 『あの方』が?」
わたしはルーナリィを『あの方』と呼んだけれど、マーリナは苦もなく理解し、「はい。そうです」と答えた。
「どんな?」
わたしの短い質問に、マーリナは間髪入れずに答えてくれた。
「昔、フルーリー卿は、ルーナリィ様に求婚を申し込み、それを断られたことがありますです」
えー。
そんな過去があったんだ。王の重要な側近で有り続けたフルーリー卿は、真面目なひとだという思い込みがあったので、意外というかなんというか・・・。うーん、でもそれって・・・。
「あの方にフラれたから、その腹いせに、フルーリー卿は、娘のわたしにつらくあたっているということ・・・?」
「同じ仮説を立てておりますが、かなり昔の話です。それに、ルーナリィ様は、リュミフォンセ様と同じく美貌の姫として有名で、多くの方から求婚されたと聞いておりますです。ですから、腹いせという可能性は低いと思っておりますです。・・・しかし、遺恨を残すような求婚の断り方をされたことも考えられますので」
なるほど。とわたしは了解する。
「・・・だから、あの方の人柄が知りたい、ということね」
はいです、とマーリナが頷く。
わたしは顎に指を添えてふむと考える。
今のルーナリィと手紙のやり取りをしていると言っても、それなりにしか知らないし、昔の彼女のことは間接的に聞いた話しか知らないのだ。
「破天荒なひとであったとは聞いているけれど・・・。詳しくは、わたしもよく知らないわ。求婚された貴族の誰とも結婚するでもなく、家を飛び出した方ですもの」
「わかりましたです」
充分です、とマーリナは言った。さらに言うには、ラディア伯母様のところの情報官にも照会はとっているので、多面的な情報取りのためにわたしにも確認したかったのだという。わたしの臣下は仕事のためには遠慮がない。
「ところで、フルーリー卿は、当時どのような方だったのかしら?」
「早くから王の侍臣でありましたから。当時、西部公爵の姫のお相手として名前があがる程度には、新進気鋭、有力な貴族であったそうです」
なるほど。でも考えてみると、出世する前だろうが後だろうが、もっと言えば、上位の貴族だろうが下位の貴族だろうが、ルーナリィの態度は変わらない気がする。
なんとなくだけど、あのひとは皆さんに等しく失礼だったんじゃないかしら。貴族の常識から外れている人だし、昔もそうだったという評判なので、この想像は外れていない気がする。
マーリナには、意味のない質問をしてしまったわ・・・。
むしろフルーリー卿が根に持つタイプかどうかのほうが、確認しておくべきポイントのような気がしてきた。
そんな意味のことを話すと、マーリナは理解を示してくれて、この話題は終わった。
ところで、とマーリナは話題を転じる。
「王城の動きが、近頃、鈍くなっているように観察されるです。次の手を打ちあぐねていると想像しますです。早々に王命を受け、『緑の離宮』に移ってきたリュミフォンセ様のご判断は、正しかったようですです」
こちらが受け入れる筋もない護衛騎士を送るような、雑な策も、その評価の材料になるです、とマーリナは付け加える。
数日前、また王城からわたしの護衛と称して騎士が何人かやってきたけれど、こちらは西部公爵であるお祖父様に、護衛と一緒に緑の離宮に入っていただいているため、人数が充分であることを理由に、王城の申し出を断っている。
こうした相手に口実を与えない動きで、王城からの雑な策に対し、容易に対抗でき、ことなきを得ている。お祖父様を早々に緑の離宮に招くというのは、マーリナの策。勇者ルークとメアリさんに協力を仰ぐというのもそうだ。
つまりは、ここまでわたしの動きに合わせて提案された、彼女の策はすべてあたっていることになる。
首尾は上々、と評価してもいいと思う。
「そう・・・。それは良かったわ。・・・それで、こちらの次の攻め手はあるのかしら」
わたしは、視線を緑の離宮に選んで連れてきた情報官へと向ける。
ふむ、とマーリナは自分の丸眼鏡に手を添える。
「ここは、やはり、人気取りの施策でしょう」
マーリナは言い切り、そして付け加える。
「王城に直接対抗するより、貴族と民の人気を得ることで、王城を動きにくくすることが上策ですです」
「なるほどね」
わたしは頷く。わたしに好意的な注目が集まれば、王城もわたしに無理押しの策をしかけにくくなるだろう。王城に攻撃を向けて敵意をあおるよりも、より効率的な提案に思える。
「それで、具体的には何をすればいいかしら?」
「はい。それについては、リュミフォンセ様がお考えをすでにお持ちかと」
・・・・・・。
えっ?
聞き間違い・・・じゃないわよね?
質問をしていたつもりが、逆に打ち返されて、わたしは表には出さないけれど、内心うろたえる。
丸眼鏡の奥の瞳に、期待の灯火をともして、マーリナは続ける。
「前に仕えておりましたエルージア家では、社交のことについては、情報官の領分ではなく、主君の領分だと言われていましたです。その言の通り、ラディア様は次々と施策を打たれ、素晴らしい成果をあげておりましたです」
「そう、伯母様は・・・そうですわね」
伯母様は世間で政治巧者で通っている。貴族との社交も民の慰撫も政治の一部。彼ら彼女らの好意を獲得するやり方について、伯母様は一級の手管にすでに精通しており、文官の助言などは必要ないのだろう。
でもわたしは違う。ロンファのお屋敷、リンゲンとどちらかというと領内に引きこもり、社交などは数えるほどしかやったことがない、のだけれど・・・。
丸眼鏡の奥、きらきらとした瞳でマーリナがわたしを見ている。そんな純粋な目で見られると・・・そ、それは・・・。
「マーリナ。貴女の言うとおりだわ」
わたしは見栄で言ってしまった。
「わたしは新たに王都に来たわけだから、ご挨拶のように、王都の皆さんに、簡単な贈り物をするのですわ。えっと、どうかしら・・・? たとえば、おっ・・・お菓子? ・・・リンゲン特産のお菓子を配る・・・とか? どうかしら?」
完全な思いつきである。
どきどきしながら聞くと、マーリナは考える様子を見せる。
「ふむ・・・。私は専門外なのでよくわかりませんです。しかし、リュミフォンセ様がおっしゃられるなら、良いのではないでしょうかです?」
えっ。これ、提案は通ってしまったの?
あー、わたしも自信ないから、どうせならダメ出しして欲しかったのに!
どうやって取り下げようかと考えを巡らし始めたとき、また部屋の扉がノックされた。
扉を開き、侍女役のメアリさんが顔を出す。
「リュミフォンセ様。お客様が参られました」
「お客さま?」
わたしが問い返す。
結果から言うと、彼女が案内してきてくれたのは、なんと、オーギュ様である。
たまたま予定が空いたので、という理由で彼は離宮を訪れてくれたのだという。
通常、貴族の訪問は事前の面会予約が礼儀上必須だ。
でも、お互いの行動範囲が近くなったのと、わたしの予定がいまガラガラであるからできる、ぶらり訪問。新技である。
うん、まあ・・・。あとは、お互いの心の距離が近づいたことも、ある、かな?
ちょうどマーリナとの議論に困っていたわたしは、爽やかな笑みを見せる王子様をいざないながら、これまでの経緯を手短に説明する。
そして、彼にもこの議論と検討に加わってもらうことにした。
わたしの説明に、最初は戸惑っていたオーギュ様だったけれど、事情を話せば了解してくれた。どこか覚悟を決めた感じだったのは気になったけれど・・・。
どうせなら、と、お茶を出してくれたメアリさんにも加わってもらい、4人で議論を再び開始する。
リュミフォンセはずいぶんと気軽に家臣たちを交えるんだね、とオーギュ様が、隣のわたしにしか聞こえないほどの声で、ぼやくように言った。
「はい、なんでしょう?」
聞き返したけれど、なんでもないよ、とオーギュ様には言われた。
「ーーそれで。貴族と民から、人気を集めるための具体策、を検討しているのだったね」
「ええ、そうです」オーギュ様の言葉に、わたしが頷く。「・・・いい具体策がなかなか浮かばなくて困っているのです」
合わせて、向かいのふたりーー天鵞絨布の長椅子に座っているーーマーリナとメアリさんも、頷く。わずかに緊張の面持ちだ。
さすがに王子様を交えての打ち合わせは、突然過ぎたかな、と思うものの。
もう始めてしまったので、あとは成り行きに任せると、腹を決めたわたしである。
わたしの方を向いて、オーギュ様が言う。
「そうだね、僕もそれは困っているよ。本質的には、貴族と民、彼らの利益になる、喜ぶことをすればいいのだけれど・・・。なかなかそれも実現が難しくてね。時間も年単位でかかることが多い。だから、目先ではみんなが楽しめるような、催しごとをすることが多いかな」
「催しごと・・・ですか」
「人が集まることをする、ということだよ。そう、たとえばね。舞踏会、食事会、お茶会、狩り、劇の上演、歌唱会・・・なんかだね。それから、組合の会合に顔を出す、好事家の集まりに行く、冠婚葬祭に参加する・・・そういうことを繰り返してね。それらを通して、相手に自分の魅力を知ってもらって、支援を増やしていく。地道な活動だよ」
なるほど。ただ催しものを企画するだけではなくて、そこで自分の魅力を知ってもらって、好きになってもらわなければいけないってことかしら。随分とハードルが高いわ・・・。
「だから、催しごとはきっかけに過ぎないんだ。だから、リュミフォンセの案・・・お菓子を配ることも、悪くないと思うよ」
まさかだけど、わたしの適当な案が肯定された! けれど、肯定されても不安しかない。思いつきだから。
でもそんなことは言えないので、とにかく、「そうなのですね」と相槌をうつわたし。
「あ、あの」遠慮がちに、提案してくれたのは侍女服姿のメアリさんである。「催しごとでしたら、闘技会はどうでしょう? 腕に自信のある武芸者が集まって、一番を決めるというような」
ふむ、と自身の顎に手を添えるオーギュ様。
「良いのではないでしょうか。武芸ごとは、民に特に人気もありますし」
そうですか、と提案を肯定されて嬉しそうなメアリさん。でも、この提案、メアリさんはもうすっかり武闘派なのね。
そして、またあれこれ催しごとの提案がしばらく続き。
活発な案がたくさん出たけれど。鋭い指摘をしたのは、丸眼鏡のマーリナだった。
「なるほど。よくわかりましたです。それで、それらの催しごとは、どのように実行するのです?」
「・・・・・・」
そこからは議論とも呼べない曖昧な話、思いつきのような具体性のない話が続き。あまり生産性のある話にならなかった。そして、最終的には。
「・・・リンゲンにいる、チェセに聞いてみましょう」
と、わたしが結び。
その日の議論は終わりになった。




