216 とりあえず話が噛み合わない
「ーーバウ。出てきて」
緑の離宮の一室、くつろいでいた部屋で、わたしは黒狼を呼んだ。もうわたしの影の中が定位置になったこの黒狼は、闇の精霊の眷属で、魔法にも長けている。
ずるり、と影から出てきた黒狼は、今回の体の大きさは、普通の狼程度だ。たくましく、立ち上がればわたしよりも背丈は高いだろう。
部屋の薄縁の上にすっとおすわりの姿勢を取り、黒い瞳でわたしをじっと見る。
なんのようだ、と言葉にする代わりか、黒いしっぽをぱたりと振った。
わたしも無駄話はせずに、用件に入る。
「バウ。これを見て。何かわかる?」
わたしは、金箔押しの飾りのついた上等な白い封筒を、掲げてみせた。
さきほどレーゼが、認識できなかった手紙だ。
バウは、わたしの質問の意図を把握しようとしているのか、軽く首をかしげ、またしっぽをぱたりとふる。
暫く待つと、黒狼の魂力が少し強くなる。そして、そこで、ようやくバウが得心したように言った。
(ああ。手紙か。なんらかの魔法がかかっているな)
そしてバウは、鼻先を近づけて、スンスンと手紙の匂いを嗅いだ。
(この手紙から、危険な匂いはしない。それと、どこかで嗅いだ覚えのある匂いだ)
「・・・バウが集中しないと認識できないなんて、よほど強力な認識阻害の魔法になっているのね」
バウに安全を確認してもらったことで、わたしはペーパーナイフを手に取りつつ、封筒の裏表を確認する。
ここまでこの手紙が届いたということは、送り先のわたし、そして手紙の配送人には認識できるようにし、それ以外の人には、強力な認識阻害魔法が働くようにしてあるということだ。
手元を離れても魔法の効果が持続させることは難しい技術だし、加えて高い出力を維持し、さらに複雑な条件付けをしているということになる。しかも、付与されている魂力は微弱。省エネでもある。
気の遠くなるような困難な魔法技術を、なにげなく実現している。これをしたのは、おそらくルーナリィーーわたしの母親ーーなのだろう。まさに魔法バカーーいえ、悔しいけれど、魔法の天才という評価はあたっているのだろう。
(これ以上は、我にはわからん。魔法については、あるじのほうが詳しいのではないか?)
「そんなことないわよ・・・。この認識阻害の魔法、どうやっているのか、まるで想像がつかないわ」
まったく、と呟きながら、わたしはペーパーナイフの鈍ら刃を入れて、封を切る。
王城への情報漏えい、機密保持に神経を尖らせているときに、こんなとんでもなく高度な魔法が使われた手紙が届く。
こんなことがあれば、より神経を使わなければならない。しかし、その差出人は、わたしの実親たちだと思われる。
なんともはや、まぎらわしいことね。
ほんとにまったく。と、再び呟きながら、わたしの意識は、むしろ、手紙の内容に移っている。
これまでルーナリィから何度か手紙を受け取っているけれど、これほど厳重に秘匿措置がつけられた手紙というのも、初めてだったからだ。
わたしの実親たちは、調律者という世界を守る仕事をしている。
一体、どんな重要ごと、厄介事が書いてあるのか。
封のなかから、折りたたまれた数枚の便箋。末尾の署名を先に確認すれば、差し出し人は、やはりルーナリィと、リシャルーー実親たちだーーになっている。
わたしは早速、一枚目の便箋を披見する。すると、大きく書かれた文字列が目に飛び込んできた。
『 僕たち&私たち 結婚しました 』
えっ? はっ? えっ?
結婚? 結婚したっていうのは、つまり、わたしの父母のことで?
いまさら? え、つまり?
「ーーー。なんでやねん!」
思わず、やや大きめのつっこむ声が、お腹から出た。
すると、隣室から足音。素早いノックの上、慌てたように部屋の扉が開き。
金髪の侍女の顔が覗く。メアリさんだ。
「リュミフォンセさま。いかがされましたか?」
彼女は護衛役も兼ねてくれているのだけれど、わたしが休むために、今まで室外で待機していてくれていた。わたしが大声を出したので、様子を見に来てくれたのだ。
「な、なんでもないわ。いま、バウとお話をしていただけよ」
つい、ついね。興奮して大きな声が出てしまったわ。ごめんなさい。
そう言うと、メアリさんはそうですかと応えながら、注意深く部屋を見回した。異常がないと判断したのだろう、そこで表情を緩め、安堵の顔になった。かしこまりました、何かあればお呼びください、と言いながら。
「ところで、ナンデヤネンってなんですか?」
「さ、さあーーなんでしょうね? 聞き間違いではないかしら? とにかく、大丈夫だからーー」
苦しい言い訳をして。メアリさんも納得したわけではないようだけれど、しつこく聞くようなことでもないと思ったのだろう。彼女は優雅に一礼して、部屋の扉を閉めて出ていった。
わたしはふうとため息をつき、なんとなくバウを一瞥する。
意味もなく関西弁で突っ込んでしまった。もう輪郭もぼやけた前世の記憶だけど、ときどき表にでてきてしまうのだ。
ルーナリィの手紙に戻る。
手紙によれば、リシャルとルーナリィは、調律者として戦いの渦中に身を置いていたため、まだ結婚をしていなかったのだそうだ。しかし、このたび楽園との戦いが大きなヤマを超えたため、ずっと先送りにしていた結婚を、改めて正式にすることにしたのだそうだ。
ささやかながら調律者仲間で式も挙げ、盛大な祝福を受けたらしい。
「まさか、自分の親が、結婚していなかったとはついに思わなかったわ・・・。でも、びっくりはしたけれど、式も挙げたみたいだし、これはおめでたいと言うべきなのかしら?」
呟きながら便箋をめくっていく。
『これで貴女も父親がリシャルだとおおっぴらに言える』ーーと書いてあるけれど、そうだろうか? わたしの実父がリシャルだということは、単純に事実がわからないから知られていないだけだ。
公式には実父不明(未公表)、法的にはお祖父様が父親ーーであるわたしの微妙な家族関係は、腫れ物扱いだ。そこに実父がわかったからといって公表に持っていくのは、貴族の社交界的には、なかなか判断が難しいところだと思う。
とりあえず、ルーナリィとは話が噛み合わなそうだ。
手紙に戻る。二人で書いた手紙らしい。筆跡がところどころ違う。
リシャルはあまり読み書きが得意ではないのか、文章が少なく、短い。けれど、わたしの心と身体の健康をいたわってくれて、温かい心遣いが感じられる。
あとは、前に質問した魔法のことに対するルーナリィからの回答がいくつか書かれていた。研究者モードで書いたのだろう、文章は長かったり短かったり、文字はぐちゃぐちゃで論理は飛躍する。
読みにくいそれをなんとか読み解きながら、ルーナリィたちが、いまだにお祖父様たちの前に姿を現すことに言及がないのを残念に思う。
ルーナリィは失踪し行方不明、リシャルは前代魔王戦のときに行方不明、つまり死亡ーーというのが、公式の情報になる。
ルーナリィとリシャル、ふたりが言うには、公式の情報と違ったことをすると、いたずらに世の中を混乱させるだけだから、いまさら生きていることを名乗り出る必要はない。さらに言えば、二人がしている調律者の活動は、極秘のものなので、その構成員は世に出てはいけないという規律があるらしい。
しかし、わたしが主張しているのはーーたとえふたりの言う通りだとしても、肉親など限られた人でもいいから、せめて生きていることを知らせたほうがいい、ということだ。心配をかけたままではいけないと思う。
お祖父様だって、言葉には出したことはないけれど、実娘のルーナリィのことを心配していないわけがないのだ。
そしてわたしは手紙を一通り読み終えた。手紙の末尾にあった、『P.S.貴女は、弟と妹、どちらがいいかしら? きゃっ☆』という浮かれた実母の筆から感じる、どうしようもない不快感を、念入りに心の奥底に押し込めながら・・・、わたしは読み終えた手紙を片付ける。
バウを見ると、もはや興味を失ったらしく、わたしの足元でまるくなって眠る姿勢をとっていた。
わたしも無理に黒狼には話しかけず、残りの手紙を処理しながら、ルーナリィたちの手紙についての評価を考える。
まあ・・・。おめでたい知らせだから、良かったのかな?
いろいろと言いたいことはあるけれど、あまり深く考えないことにして。手紙の返事を書き始めようかと思ったそのとき、またわたしの部屋の扉を叩く音がした。
いざなってみると、背が低めな丸眼鏡の情報官。
マーリナが、報告書らしき紙束を胸に抱いて部屋へと入ってきた。
報告があるとのことなので、時間を割く許可を出す。リンゲンの頃は事前にアポをとってからの報告だったけれど、いまはわたしの空き時間が多いので、こんな形式だ。
枢機卿の件などの中間報告だと前置きしたマーリナだけど、第一声は意外なものだった。
「リュミフォンセ様。リュミフォンセ様は、御母上のルーナリィ様のことについて、お詳しいでしょうかです?」
えっ。またルーナリィの話題なの?




