212 王妃と寵姫
「じゃあ、そろそろ自分は外の様子を見張ってくるっす」
歓談の終わりに、そう言って、ルークは、御座船の低い天井に頭をぶつけぬよう身を少しかがめて、船室の外へと出ていく。
わたしの乗る御座船は、王都のある西方向へと流れに沿って一定の速度で進んでいる。川風は涼気をはらんでいるけれど、天気は快晴だ。いまのところ異変はないし、船旅は順調と言えそうだった。
「リュミフォンセ様。少々お時間よろしいでしょうか? 王都の状況について、確認をしたいです?」
レーゼが温かな湯気を立てるお茶を準備してくれたとき、そう申し出てきたのは情報官のマーリナだ。
「・・・私はルーク殿にも、お茶をご準備させていただきますので」
侍女頭のレーゼは一礼して席を外す。気を使ってくれたみたい。
わたしは、わたしの隣にある藤編みの軽椅子をマーリナに勧め、小卓にあるお茶の入った白磁器を両手で持ちあげた。マーリナは勧めた通りに腰を下ろし、同じく彼女の分の白磁器を持ち上げてお茶をひと啜りすると、おもむろに話を始めた。
「さて・・・まず、いまリュミフォンセ様を取り巻く問題は、大きく整理すると、2つです。ひとつは、王太子指名戦。そしてもうひとつは、王家の急な敵対姿勢」
わたしはうなづく。最初のひとつは、第2王子であるオーギュ様との婚約をしたときからわかっていたこと。その認識はマーリナも同じだった。けれど、次のもうひとつは・・・。
「これまで、王家はリュミフォンセ様に対して丁重な姿勢を見せてきました。財務的なリュミフォンセ様の貢献に対して、古例にもあまりない一代公の爵位をもってしたのも、その一例だといえるでしょう。けれど、直近の王家の敵対姿勢--迫害姿勢、と言っても過言ではない態度。この急変、これは不可解ですです」
わたしは首肯する。まったくその通りだと思ったからだ。
「さて、王の周辺には、多くの高貴な貴族がはべっておりますですが--そのうち、王の意思決定にかかわるほど強い影響力のある方は、表向きには、3人いるとされているです」
「3人--」わたしは呟く。「ひとりは、枢機卿よね?」
フルーリー=エルキュ枢機卿。いうまでもなく、この国の政治実務を担う実力者のひとりだ。
「そうですです」マーリナは肯定する。「そして、残りのふたりは、王妃と、寵姫です」
「王妃と、寵姫・・・」
王妃、第二王子の実母。アントワーネット=ド=アクウィ。
寵姫、第一王子の実母。レシカ=パドール
ふむ、とわたしは認識する。
王が居て、さらにそこに、枢機卿と王妃と寵姫。なんとなく、豪華だけれども薄暗い部屋にその4人が並ぶ会議の場を、想像する。いえ、それとも、王が3人と個別に話をするのかしら。そちらのほうが自然そうだけれど、むろん、想像でしかない。
「もちろん、すべての政策、課題について全員が関わるわけではないです。それぞれに得意分野があって、課題の性質によって、王が相談相手を変える、というのがあり得そうですです」
「そうね」わたしは同意する。マーリナの言に、特に異論はない。
「今回の王家の態度の急変は、もちろん王の命令によるものですが、この3人の動きからも推察できるのではと考えてみたです。リュミフォンセ様を排除する理由があるかどうかを、それぞれ検証したです」
ふむふむ。
「考察の結果を先にいうとです? 寵姫と王妃に、理由と動機が考えられたです」
マーリナの説明によれば。
寵姫は、王城の王の私室近くに一室を与えられて、多くの時間を王とともに過ごしているのだという。彼女自身も民政に関わる知識があり、結構な頻度で王に意見をしたり、逆に求められているらしい。
そういうことが知られているからか、寵姫はめったに公の場には出てこないけれど、中央の貴族たちからも、敬意をもって遇されている。つまりは、王城には彼女の隠然とした権勢があるのだそうだ。
寵姫と枢機卿との関係も良好で、噂ではお互い同僚であるかのような振る舞いをするらしい。政策決定のために、王と寵姫と枢機卿、この3者の会議が開かれることもしばしばなのだとか。
しかし、寵姫がそのように深く政治に口を出すことができるとはいえ、それは王の寵愛があってのこと。寵姫に正式な役職を与えられているわけではない。あくまでも今の立場は非公式だ。
けれど、実子である第一王子のセブール様が王太子となれば、寵姫はその実母として、引き続き、政治に関わることができるということだ。周囲の中央の貴族の態度も、そういう先々への予想があってのことなのだろう。
一方で、第二王子のオーギュ様からすれば、この寵姫はまったくの他人だ。
どんなかたちかはわからないけれど、政治の場からは遠ざけられると見るのが自然だし、寵姫本人もそれがわかっている。だから、彼女は第二王子派による排除を恐れているのだという。
「第一王子が王太子になれなかったときに、もっとも被害を受けるのは寵姫です。そして第二王子派を飛躍させ、王太子の席に近づけたのは、西部のロンファーレンス家の取り込み・・・つまり、リュミフォンセ様との婚約ですです。ですから、寵姫がリュミフォンセ様を害す動機は充分にあると思われるです」
「でも、寵姫には実際の役職、つまり実権は無いわけでしょう? いま、積極的に王城の事務方や軍属が動いている状況と、矛盾していないかしら?」
わたしが指摘すると、マーリナはわかっていますというように応える。
「ですので、彼女の意見に枢機卿が同調し、ふたりが協力しあっている、とも考えられるです」
たしかに、それなら状況に矛盾はない。けれどもしそれが正しければ、現在の王国のナンバー2とナンバー3が結びついている、ということになる。わたしの勝ち目が無くなったということにならないか。それにーー。
「でも、枢機卿は公正を重んじて、情に流されない人柄だと噂に聞いたわ」
だから中立なのではないかーーと、わたしが聞きかじりの知識で遠回しに言うと、マーリナは、一度は頷いたけれど、しかし、とつなげた。
「その評判は枢機卿の一面ですです。彼のあり方は、非情な合理主義者で、徹底的な現実主義者と言われるです。だからこその政治的な手腕で、この国を切り盛りしているのです」
「・・・・・・」
「彼と寵姫が結びついていると、決まったわけではないですが。最悪のことまで想定はしておくべきですです」
奇妙な口調のこのマーリナ、言うことが厳しい。でもだからこそ、聞く価値があると思えてしまうのは不思議だ。
「そして、王妃ですです」
「それよ」
マーリナの言葉に、わたしは反応する。
「さっき話を聞いたときに、不思議だと思っていたのよ。王妃はオーギュ様のご生母でしょう? その方がなぜわたしを害しようとするの? オーギュ様から何も言われたことがないし」
「王妃様は、血統主義者です。しかも王族の純血の血統を重視する、熱狂的な純血主義者ですです」
「おぉぅ・・・」
マーリナの明確な回答を聞いて、息ととともに妙な音もわたしの口から漏れ出た。
血統はわたしの泣きどころでもある。
当たり前だが、まず、西部公爵家の血統であるわたしは王族の血を引いていない。さらに、公式な親はお祖父様になっているけれど、当然ながら実父でない。
生母はれっきとした公爵家の令嬢ーールーナリィだけれど、すでにその人は出奔しており、実の父親は、前代勇者のリシェルなのだが、この情報は公式には知られていない。一般的にはーー実父は不明、ということになっている。
王族の血筋でなく、そして大公家の純血でもない。
そんなわたしを、ガチガチの純血主義者が見たらどう思うだろう。良からぬ感情を持つだろうことは容易に推測できる。
むろん、そういう欠点を補うために、お祖父様も伯母様も充分にわたしを後ろ支えしてくれているし、手前味噌ながら、事業創設やリンゲンの統治で個人の実績だってあげてきた。
ーーでも、そういう実績を見たり評価したりしないのが、血統主義者なんだよね。
まさか義理の母親になる人が、そういう要素を持っているとは・・・。急なことだけれど、めちゃくちゃ不安になってきた。
「逆にリュミフォンセ様にうかがいたいのですが、オーギュ殿下より、王妃様について何かうかがわれてはいないのです?」
内心おろおろし出したわたしに、マーリナは小憎たらしいくらい冷静に尋ねてくる。
そうだ。情報はあくまで周囲の噂などを統合したもので、事実そのままとして捉えてはいけないのだ。わたしのほうが現実の人物に近いのだから、わたしの情報のほうが精度高いはず・・・なのだけれど。
「そういえば、オーギュ様は、王妃様について話題に出さないわね・・・」
オーギュ様とは手紙のやり取りで近況を交換しあっているけれど、言われてみれば話題にならない。相手のご両親にご挨拶をしなければいけないと思いつつも、相手が王と王妃。加えて複雑な政治的な事情がからみあっているから、こういうものだと勝手に思っていた。
「殿下には、何か考えがあられるのかも知れませんですね」
「そうなのかしら・・・」
マーリナに言われても、わたしの不安は拭えない。なんといっても、当事者ど真ん中だ。
「利害が直接対立しますから、尊き血筋の家族同士が、仲が良いほうが珍しいですです。いま、王子同士が王太子の席をめぐって、陰に陽に争っていますです、いまさら親子同士に隔意があっても不思議でもないですです」
「他人事だと思って、軽く言ってくれるものね・・・」
言わないようにしたけれど、ついついうらみ言が漏れる。
けれど、うらみ言が向かった先の情報官は、丸眼鏡をかけ直しただけで、まったく平気な顔だった。肝が太い。
咳払いをして、彼女は仕切り直すように言う。ーーとはいえ。
「いま、王城の事務方を取り仕切っているのは、王妃や寵姫ではなく、事実として、フルーリー枢機卿です。この方の思考をつかむことが第一ですが、どうも情報がつかめないのですです」
がくっ。
--と、なりそうなのを令嬢力で必死に耐える。
令嬢力、久しぶりに使った気がする。いままでの王妃と寵姫の話はなんだったのか。
直接の筋に関係がなくとも、いつかある高度な判断のために、背景はつかんでおいていただきたかったのです。
と、丸眼鏡のマーリナはしれっと語る。




