210 桟橋騒動
どれほど望まずとも。秋の夜がいくら長くても、けれど朝は来る。
シノンとの外出から一夜明けて、わたしが王都の『緑の離宮』へと出発する日がやってきた。
王都からの使者とは、昼前にウドナ河の桟橋で落ち合うことになっている。
なので、リンゲンの執務館ーーわたしの住居を兼ねているーーは、朝から大騒ぎだ。今回連れて行くのはわたしの侍女たちと、そして料理番や身辺の雑務を担ってくれているいわゆる下働きさんたちだ。
最小限の人数なのだけれど、それでもなんだかんだで10人を超える。そして離宮での逗留期間ーーこれがわからないのだけれど、結婚を予定している春まで、おおよそ半年くらいの期間を見込んで、荷物を準備する。
離宮にも最低限の調度類はあるだろうけれど、向こうでの不便がないよう、こちらから多くの物品を運び出す。衣装類や身の回りのもの、直近の食材なども持っていく。
これだけ物を運ぶとなると、ちょっとした引っ越しになってしまうのは、おわかりいただけるかしら。
「緑の離宮にも、王家付きの者が勤めているはずです。先方がどこまで準備されているかわかりませんが、いざ滞在するとなったときに、こちらの準備に手抜かりがあっては、家人の名折れですから」
侍女頭のレーゼに言わせると、こうなるらしい。
準備の良し悪しはロンファーレンス=リンゲン家の『格』に関わるらしいのだけれど、わたしには細かいことまでわからなかったりする。
とまれ、一昨日から準備をして、今日もやはりばたばたと慌ただしく。準備は王都に発つ正午の船の直前まで続けられた。それでも結局終わらなかったらしく、送りきれないものは、あとから順次、送るような段取りになった。
リンゲンの船着き場は、木材をたっぷりと使った、階段状の桟橋広場になっている。歌劇の舞台のような構造で、実際にそういう催しをすることもある。
普段は乗降客と荷積み荷降ろしの人がごったがえし、さらにそれらの人を相手に出店を出す商人でたいへんな活況を呈している場所だ。
けれど、今日のこの時間は、領主であるわたしが船に乗り込む時間ということで、桟橋広場は入場が制限がかけられていて、人影はまばらだった。
桟橋広場の上段からはたっぷりと水をたたえたウドナと、細長い川船が並んでいる。
青い空に水面が輝き、鳥が鳴く声が空を横切っていく。
わたしが船着き場に入ったときには、護衛の面々を先頭に、チェセ、レーゼ、マーリナと言った侍女陣と文官を後ろに従え、ちょうど真ん中に位置しながら、領主の乗る御座船へ向かう。
ここで王家の使者と落ち合い。王都に行く面々を選んで、その人数だけで舟に乗り込み、王都へ下る段取りだった。
だから王家の使者は、随行員と合わせて2人だと聞いていたけれどーー。
わたしは歩きながら振り返り、後ろをちらと見る。わたしの髪が風に流れる。
目的の人物ーー情報官のマーリナは、わたしの視線に気づいて。自身の胸に手を当て、軽く頭をさげる。
それを見たわたしはそして、視線を改めてめぐらせる。桟橋の最下段、舟に続くところには、王家の使者と思しき人物と、軽武装した人員が並んでいた。
その人数は10人。2小隊はいる。
「ごきげんよう、一代公。お出迎えにあがりました。お待ち申し上げておりました」
桟橋の最下段に降りると、そう言って王家の使者が頭を下げた。白髪の中年男性だ。
わたしは、護衛ーーシノンとクローディアを前に立て、その二人越しに会話をする。
「出迎えご苦労です。今日はよく晴れた気持ちの良い日ですね。ーーところで」
わたしはずばりと本題に切り込む。
「後ろの方々はモンスター対策の護衛でしょうか? ずいぶんとものものしいのですね。そのように警戒されなくとも、リンゲンの市街は充分に守られておりますのに」
これはーーと言いかけた使者を制して、武装したひとりが前に歩み出てきた。騎士鎧と騎士剣で身を固めた壮年男性。風格からして、おそらくこの部隊の隊長なのだろう。
さっと前髪をはらう気障なしぐさのあと、隊長っぽい人は語りだした。
「我々は、貴女を護衛するために王城より罷り越しました。緑の離宮までの道中、またその後も、一代公、貴方様を守るよう仰せつかっております」
さっとわたしたちに緊張が走る。
いま、王家のなかがどうなっているのか、何を考えているのかわからない。
今日初めて出会った新顔の護衛役など、信用できたものではない。
といって、王家の使者相手に、直接それを言えるわけでもない。どう答えようか悩むうちに、すっとひとりの人影がわたしの前に出る。情報官のマーリナだ。
彼女は自己紹介ののち、この隊長っぽい男性と、話を始めた。
「そうですか。ご苦労さまです。しかし、どなたからの命令でです?」
「むろん、王家より、です」
「王は倒れられ、ご命令できないのでは?」
「しかし王城の事務方は機能しております。寡聞ながら、王の遺命には、護衛であろうと、リンゲンから将兵を連れることあいならぬとあったと聞いております。それでは一代公が難渋されているだろうという話がありましてな。それで、私が派遣されたわけです」
「王の遺命には、王家から将兵を貸し出すことができる、とあったはずです?」
「左様。さすが世に聞く一代公、深森の淑女の侍臣。ものわかりが良くていらっしゃる」
「けれど、遺命には、一代公ーーつまり我々のあるじが、望む場合・・・という一文もあったとも思うですが?」
「それもそのとおり。しかし、王家からのご厚意でありますぞ? そして正式な命令手続きのもと、私もこの場に来ている。ーーまさか、無下にされるとはおっしゃられますまい」
隊長っぽい男性は、わたしに向けて、押し付けがましくにやりと笑う。
「・・・・・・」
わたしは考えるそぶりを見せる。マーリナは、わたしに判断が移ったと見たのか、一歩引く姿勢を見せた。
おそらくこれが筋書きなのだ。
わたしが受け入れれば、道中でわたしを害する機会を伺う。
受け入れなければ、わたしの王都行きが物理的に不可能になり。筋書きはいくつかに分岐するけれど、それはそれで内戦の可能性を含む、悪い事態であるはずだ。
しかし、いまここで起こっている事態は、実は情報官のマーリナが事前に予測し、すでに対策を協議していることなのだ。王家の使者が事前連絡とは異なる武官を連れてくる可能性も、マーリナは王家が打ってくる手のひとつにあげていた。
では、この場をどうすればいいか。
その答えも実はすでに準備してあるのだけれど、いまはまだ、その答えがまだ到着していない。
で、どう時間を稼ごうかと思っているうちに、また別の騒ぎが始まってしまった。
「しかし・・・風に聞くリンゲンの霞姫騎士団というのも、ウワサほどではないのですかね」
前髪を払いながら、隊長っぽい男性が言う。
位置関係から、一番近くに立つ、護衛のシノンに対して。彼女を見下ろしながら、また前髪を払った。
「なにせ、年端のいかない少年(・・)を護衛にしているわけだから・・・酔狂な。いや、この子はただの装飾用かな?」
ことが起こったのは、次の刹那だった。
いやまったく、わたしが止める間なんてまったくない。実になめらかな身体強化の魔法だった。
「はうぁっ!」隊長っぽい男性が、間の抜けた声をあげる。
その瞬間には、その隊長っぽい男性に向けて、シノンが騎士剣の鋭い切っ先を、突きつけている。
慌てて隊長は自分の腰間に手をやるが、手は宙を泳ぐ。当たり前だ。あるべきものが、そこにないのだから。
ほんの一瞬のあいだに、シノンは、斜め正面にいた団長っぽい男性の騎士剣を鞘から抜き取り。
そして、その剣を相手に突きつけたのだ。
起こったことをようやく理解したのだろう。隊長っぽい男性の顔色が、屈辱と憤怒からか、赤黒く染まる。古今東西、武人が自分の武器を正面から奪われるなど、最大級の屈辱だ。
「ぶっ、無礼な・・・!」
もともと傲慢な性格なのか、それとも怒りで一時的に気が強くなっているのか、刃物をつきつけられているにも関わらず、隊長っぽい男性は強気に言う。
しかし、むろん、怯むシノンではない。彼女は、もともとわたしの王都行きに反対なのだ。
「無礼はお前だ! 先程から我が主君を愚弄して、許せん! ・・・リュミフォンセ様! ご指示をください! ご命令あらば、このようなやつら、私ひとりで全員畳んでみせます!」
その勇ましい懇請に反応したのは、むしろ王家方のほうだった。武装した騎士たちが、がちゃがちゃと鎧音をさせてそれぞれの得物の柄に手をかける。
「動くな! 動けばこの男から仕留める!」
突きつけた剣をわずかに前進させるシノン。鋭い刃が、隊長っぽい男性の喉元をわずかに押す。その場は、一触即発の空気になった。
「隊長、お気をつけてください。その子の姿かたち、『氷壁砕き』です!」
王家方の人数のうち、誰かが叫ぶ。そして、あの隊長っぽい男性は、やはり隊長だったらしい。
ちなみに、氷壁とは、北部アブズブール家が抱える、氷壁戦士団のことだろう。水の大精霊で、いまはロンファーレンス家の養女となってかの家に嫁いだサフィリアの結婚式の余興の『旗取り』で、シノンは氷壁戦士団を圧倒した。
氷壁砕きとは、そのときにシノンにつけられたあだ名なのだろう。むろん、彼女にそんなあだ名がついているなんて、わたしはいま初めて知ったのだけれど・・・。
それより、いまさらに複雑になったこの事態を、どう収めるかが問題だ。
王都からの護衛の人員をみな叩きのめして追い返す。その筋書きもあったけれど、いまはその事態に該当するのかしら・・・。
わたしは、横にならぶ、マーリナを見る。
すると彼女は無言で首を横に振り。そして、じっとわたしを見た。貴女がなんとかしてください、というように。
む。
この場は、わたしが抑えろってことね・・・。
マーリナの仕草をそう理解したわたしは、視線の先を、隊長っぽい男性あらため隊長へと向ける。
憤怒で顔を赤黒くしていた隊長だけれど、しかし、無腰でさらに刃をつきつけられてはさすがに動けない。
そして、彼はわたしの視線に気づくと、彼もまたわたしに、なんとかしてくれというように視線を向けてきた。
分別は残っている。説得できるとわたしは踏んだ。
そして、わたしは、やれやれといった感じで、一度軽く腕を組み、そして右手を払うように振った。
「これは、おあいこですね」
「・・・なんですと?」
赤黒い顔のまま、隊長は聞き返してくる。刃を突きつけられて、背を反らせているからか、息が荒い。背筋力が試されているのだろう。
「いまの一部始終をわたしは見ておりました。貴方はわたしの騎士を侮辱し、わたしの騎士はそれに応じた。つまりおあいこです。そうでしょう?」
「・・・一代公。貴女は、この強盗まがいの光景を見て、そう言うのですか」
「ええ。背景を知っていれば、当然の成り行きです。ですので、まずは謝罪ください。そうすれば、彼女は貴方に剣を元の持ち主に返すでしょう。あと、いまいったとおり、彼女は少年ではなく、女性です」
「・・・・・・」
いまいましい、という沈黙のあとに、しかし。
隊長は謝罪の言葉を口にした。
「たしかに聞きました。ーーシノン。この方に剣をお返しして」
わたしが命じると、シノンは承知しましたと言い。一歩下がって微妙に間合いを外しつつ、柄のほうを相手に向けて、騎士剣を軽く放った。
放られた剣を受け取った隊長は、その剣を鞘に収める。それで後ろに控えていた騎士たちは警戒を解いた。
これで一安心はそうだけれど、でも、まだ問題は解決していない。
王家から命じられてきたこのひとたちが、わたしの護衛として船旅についてくるという話を、蹴らなければならない。
とーー、そこに、ちょうどよく声がかかった。
桟橋広場の上段、船着き場の入り口のほうからの男性の声。
「いやあ、申し訳ない。どうも、遅刻してしまったみたいっすね」
ふう、よかった。
ようやく、解決策が、来た。
さすが、ヒーローは、遅れてやってくる。




