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206 3か条の遺命







それは秋雨が朝から降る、肌寒い日だった。雨は止みそうになったかと思えば、少しあとには雨脚がしげくなり。


まるでリンゲンの街を弄ぶような空の下、その報は執務館にいたわたしのもとに届けられた。


執務をしていたわたしと、家宰のチェセ。そして新任の情報官マーリナと侍女長のレーゼ。


その顔ぶれに加えて、たまたま居合わせたという護衛長アセレアとシノンが合流して。


零番の早舟の使者による、その報告を聞くことになった。


「王が・・・お倒れになられた?」


それは誰の発言だったか。わたし自身の独り言だったかもしれない。


ただ覚えているのが、王都番からの使者が、はっきりと「はい」と応えたことだ。


賢いとも愚かとも、なんと言われていおうと、王は国の(かなめ)


その要が抜ければ、国は少なからず動揺する。


まして、後継者である正式な王太子が決まっておらず、これからそれを決めようという大切な時期に、決める権利を持つ王が倒れた。


これを二王子はどう捉えるのか。諸侯はどう解釈するのか。ひとつ間違えばとんでもない方向に動くかも知れない。


「王のご容態は?」


また誰かが聞いた。使者がそれに応える。


王は執務中に倒れ、それきり、もうまる3日意識が戻っていないという。


そのため、王の補佐として国政をつかどる役目の枢機卿フルーリーが、王自身が残していた遺命書簡を開封。


これは万が一のことがあったときのためのいわば遺書にあたる。王はまだ存命ではあるけれど、急死時に準じた事態にあたると枢機卿は判断したということだ。


その書簡ーー王の遺命ーーには、3か条が書かれていた。


『1、 後継者たる王太子は、既令に従って決めること』


『2、 後継者が決まるまでは、烈公会議にて大事を決め、枢機卿がこれを補佐し執行すること』


1条目は、後継者決定は、すでに出されている指示の手続きによって決めよ、と書かれている。わたしにはわからないけれど、王に親しい誰かが、手続きを進めていることを推察させる。


これは逆に言えば、王子それぞれが勝手に王としての名乗りをあげることを封じたことになる。おそらく、それがこの第1条の目的だろう。


2条目も特に違和感はない。王が不在の間、烈公会議が王の代わりを務めるということだ。


ちなみに、烈公会議とは、東西南の大公、北の辺境伯、そして中央のしかるべき地位の貴族で構成される会議体のことだと勉強したことがある。常設の会議体ではないけれども、国の行く末にかかわることの検討や、王の不在時に国政が止まらないようにしたもので、開催の古例もあったはず。前例があれば、そう混乱は起きないだろう。


そういうわけで、2条目までは良い。


問題は、第3条だ。


『3、一代公は、居をリンゲンより王都に移し、第二王子との結婚まで『緑の離宮』を居とすること。なお騎士将兵をリンゲンより連れること厳に禁ず。護衛のたぐいは本人が望めば王兵よりこれを提供すること』


・・・・・・。


息を飲んだのは誰だったか。場に重い沈黙が降りる。


一代公とはむろん、わたしーーリュミフォンセのことだ。


驚くべきことに、名指しである。


わたしに、いますぐ王都に移り住めと命じているのだ。しかも、移住には護衛を連れてはならないという。


3か条しかない遺命にわざわざ書かれるほど、王はわたしの存在を気にしていたことになる。


けれどーーこれをどういう意図だと解釈するべきものなのかしら。


一読して、あまり良い意味ではなさそうに思えた。


わたしが意見を求めるように周りを見回すと、まず最初に口を開いたのは、侍女長のレーゼだ。彼女は貴族の慣習に詳しい。


「『緑の離宮』は、これから王族になろうという方の住居として選ばれる場所です。リュミフォンセ様はこれから第二王子に嫁がれる方ですから、好意的に見れば、結婚の準備を進めるように指示を残しておいてくれたとも思えます」


「ですが」レーゼの言葉につなげたのは、家宰のチェセだ。「後半の『騎士将兵をリンゲンより連れることを厳に禁ず』という項目が気になります。なにか不穏なものを感じずにはいられません」


その家宰のチェセの言葉に、騎士団長兼護衛長のアセレアが同意だというように強く頷く。


「護衛は、自家の家臣から、特に武勇と忠誠に優れたものを選ぶもの。それなのに、わざわざ他家の王家から貸し出す、という指示は解せん」


「・・・・・・」


なんだか、難しい議論になりそうな予感がした。わたしは、ふぅと一息つくと、


「まずは」


声を発する。


「早舟の報告、ご苦労さまでした。下がって休んでください・・・レーゼ、彼が休息できるよう取り計らってください」


報告の使者をねぎらい、下がってもらった。


零番の早舟の使者は、夜通し休みなく移動する規則になっている。王都からリンゲンまで駆け続ければ、疲労は相当なものだろうと思う。


恐縮し礼の姿勢を取った使者が去ったあとには、薄縁に濡れた痕が残っていた。雨の中をおしてやってきてくれたということ。


彼の努力に感謝しながら、わたしは、欲しい答えをくれそうな相手に視線を向けた。


つまり、情報官のマーリナ・・・情報の分析の専門家だ。


「恐れながら申し上げますです」


心得ている、というように、マーリナは神妙な表情で言った。


「王のご指示どおりに王都に出向けば、おそらくリュミフォンセ様の御身に、非常な危険があること存じますです」




■□■




早舟の一報から、一夜が明けた。


「・・・お祖父様と伯母様から、早手紙が来たわ。マーリナ、貴女の見立て通りね」


わたしの執務室。机の左右に立つのは、マーリナとチェセだ。


『王命といえどもすぐに従う必要はない、軽挙は慎むように』・・・とお祖父様と伯母様の見解は一致している。


お祖父様はリンゲンに向かう支度を始めたとのこと。伯母様からは、病気を理由にしてでもリンゲンから出ないようと助言があった。


それぞれ言葉は違うけれども、要するに、わたしを王都の『緑の離宮』に入れようとするのは、王家がわたしを害する意図を持っているからだーーという結論で、それはマーリナが昨日語ってくれたことと同じだった。


わたしの身柄を王都に移すことで、リンゲンの騎士団と切り離すことができる。これで軍隊が王家の邪魔をすることがない。そして、王家から貸し出されるという護衛は、容易に暗殺者になり替わる。死因すら自由自在だろう。


かくして、護衛対象、つまりわたしは暗殺されーー。対外的には、緑の離宮で『変死』を遂げることになるーーというわけだ。


王とその周辺はーー何故かはわからないけれど、よほどわたしを危険視しているらしい。


だったら、第二王子のオーギュ様との結婚など認めなければ良さそうだけれど。・・・いまになって、王の周りで、なにか変化があったのかしら。いまは何もわからない。


「ですがリュミフォンセ様? 本当に、昨日のお話の通りでよろしいのですか? 私の知略をもってすれば、王家をしばらく煙に巻いて、ときを稼ぐことなど、簡単なことです?」


・・・それに。


「もし王兵がリンゲンに寄せて来て、内戦になったとしても、兵を損なわずに戦う方法もありますです? 私はこう見えて、情報分析だけでなく、軍略も得意とするところです?」


そう語るのは、マーリナだ。ひょうひょうとした印象の彼女には珍しい、心配そうな気遣う表情だ。


横目で見れば、心配のなかに厳しさが宿っている。


マーリナを情報官に任官して、そう期間が経っているわけでもないけれど、どうやら本気で心配してくれているみたい。


「マーリナの言う通りです」


隣のチェセが、同意を示す。


「王家の使者がこれから来ると予想されますが、マーリナの策で時間を稼げると思います。その間に、公爵様に王家と調整いたただければ、きっと活路は開けます。リュミフォンセ様が、単身、危ない橋を渡る必要がありません」


「・・・そうかも知れないわね」


わたしは肩をすくめる。


「であれば、今からでも遅くはありません。ぜひご翻意を・・・」


「それは難しいわ。マーリナの言う通りに、もう『お手紙』も書いちゃったし。チェセ、貴女にも望まない役回りを引き受けさせてしまったし」


チェセの懇請を、わたしは退ける。


微笑みながらーー余裕を持っていたずらっぽく。そう見えるかしらね?


そう見えて欲しいと願いながら、言葉を続ける。


「それに、昨日もお話したように、こういうが政治の『戦い』なら・・・逃げるわけにはいかないの。そして、相手の想定していない手を打つことが大事・・・そうでしょう?」


「リュミフォンセ様・・・」


チェセがつぶやいて。それきり押し黙ってしまった。


そして、マーリナがわたしに問いかける。


「リュミフォンセ様。ご主君の最終目標をお話いただけませんでしょうかです?


最終目標? と聞き返すと、はい、と彼女は答えた。


「すぐにそれを使うことはありませんですけれど、高度は判断をするときにそれが必要になりますです。目標を共有しておかなければ、今後、献策を誤ってしまいますです。・・・リュミフォンセ様の目標は、従来の予定どおり、第二王子殿下と結婚されて、ーー王妃になることですか?」


言われて、わたしは自分の心を吟味する。


なんとなく思っていたことを、はっきりと言葉にされると、また違う感触がある。


「そう・・・なるかしらね」


「では、ご主君が、王妃の座を望まれる理由はなんでしょうかです? 失礼ながら、これまでお側にはべらせていただいて、権威や権力を求める方には見えませんです?」


「正面からあらためて聞かれると、むずかしいわね」


言って、わたしは考える。


王妃になりたい理由・・・きっかけはただの婚活の選択肢にそれがあったのと、伯母様たちから望まれたこと。王妃になれば自分の望むとおりのことができると思ったけれど・・・。


いまにしてみれば、うしろ暗い陰謀がうずまくのが王都における政治だとわかってきた。一方で、いまリンゲンで、わたしはかなり自由に振る舞うことができて、人材もそろえて、リンゲンという街を発展させることに成功している。


現状でもやりがいも楽しみもある。だから、これから強いて王妃になるためのはっきりとした理由が、なくなってきたのも確か。でも・・・。


「理由は、自分でもまだぼんやりとしている。でも・・・ただ乗りかかった船だもの。途中で降りるわけにもいかないでしょう?」


ここまで諸侯の注目を浴びながら、「やーめた」と何もかも放り出せないのが実際だろう。放り出したら、巡り巡って、強力なしっぺ返しがありそうな気がする。無責任に振る舞って、何事もなく逃げ切れるように世の中ができていると思うほど、わたしは子供ではないつもりだ。


思い巡らせて、ひらめいたことがあったので、ぽつり。わたしは付け加える。


「そうね・・・付け加えるなら、王妃に至るのだとしても、そこまで、できるだけ誰も傷つかない道が良いわ」


その言葉を聞いて、マーリナは目を一瞬大きく見開きーーそして得心した表情で、承知致しましたと、腰を折り曲げる礼をした。


聡いマーリナは、あの一言だけで得ることがあったみたいだけれど、わたしは、まだ物思いから抜け出せない。


ーーあるいは、その道をたどることが、わたしのこの世界での、地位と役割(ステイタス)を果たすことに繋がるのかしら。


そんなことを思いながら、改めて、左右のチェセとマーリナを見まわし、そして宣言する。昨日の結論のとおりにーー


「わたしは、王命を慎んでお受けして、『緑の離宮』へ出向きます」









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