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204 冷たい雨は石畳に跳ね





「はっ!」


気合に続けてどすりと鈍い音。冷たい雨が、屋外訓練場に落ち続けている。


リンゲンの執務館には、小規模であるが屋外訓練場がある。霞姫騎士団にはリンゲンの街の内外に訓練場がいくつかあり、わざわざ執務館で訓練をすることなどはほぼ無いのだけれど、有事の際の騎士団一隊の待機場所に、それなりの空間が確保されている。それが平時では訓練場と呼ばれているだけのものだ。


側庭の一部がそれに割かれていて、石畳が敷かれており、申し訳程度に、訓練人形と木製の武器が置いてある。


滅多に使われないその場所に、軽武装した赤髪の女性ーーアセレアがいる。


「ふっ!」


手に持った木剣を、上段から軌道を変えて右側面へ。腰だめの姿勢から、横に一閃。鋭い斬撃が、十字丸太に布団を巻きつけた訓練人形に突き刺さる。


さらに木剣の軌道を変えつつ撃ち込み、アセレアは荒い息とともに一歩さがる。


こうしている間も、冷雨は降り続けている。訓練人形もアセレアの髪も体も濡れそぼり。しかし彼女の体からは汗が湯気のように立ち上っている。


「はあっ!」


気合とともに、また振りかぶる。


(許せない・・・)


大きな孤円を描いた一撃が人形の脳天を捉える。


(あの男・・・裏切りおったセシル・・・)


下段からすくい上げ。そして手首を返して連撃。


(だが何より! 不甲斐ない自分が許せん!)


めしぃっ!


踏み込んで袈裟斬り。音とともに、木剣の先が折れて弾け飛んだ。


主君の暗殺事件。元情報官のセシルは、裏切り者だった。そしてそのセシルが、あの暗殺事件の直前に宿酔(ふつかよ)いの薬としてアセレアに渡したものは、やはり毒だった。のちに解析に出してわかったことだ。毒と言っても弱性のもので、命の危険はないが、服毒すると一時的に頭痛、めまい、吐き気といったーー宿酔いのような症状に襲われる。


その毒によって体調を崩した護衛のアセレアは、危うく主君を死なせてしまうところだったのだ。


誤謬はたくさんあった。まず、セシルを怪しい人物と睨んでいたにも関わらず、結局は信用していしまったこと。護衛任務の最中に、他人から受け取ったものを口にしたこと。暗殺襲撃犯たちの陰謀をまったく偵知できなかったこと。ことが起こったあとも、道筋さえ捉えられなかったこと・・・。


雨にうたれながら、アセレアは、訓練場の隅にある木箱を開け、新しい木剣を取り出すと、右手に提げて訓練人形の前に戻る。


ーー今回、一番悪かったのは私自身だ。


彼女はそう思っている。しかし、アセレアは断罪されていない。


断罪の機会はあったのだ。元情報官のセシルとシーウェンを結びつける証拠を確認するために、死者を一時的に蘇生させて証言を取る、という離れ業を使ったけれど、ちゃんと物証があった。それが、アセレアが飲んだ毒だ。


暗殺の時宜に合わせて、セシルが護衛のアセレアに毒を盛ったーーということは、セシルと襲撃犯シーウェンのつながりを強く示す。


渡された宿酔いの薬が、実は毒であったこと。


それはつまり、護衛のアセレアが騙され、結果、主君を危険にさらしてしまったことを意味した。


けれど、アセレアから洗いざらい報告をあげたにもかかわらず、それは重要視されなかった。


結果を見れば、主君は怪我はなかった。主君に寄り添い守った黒狼ーー功労者であるバウも、護衛のようなものだから、護衛全体としてはリュミフォンセを護り切ることには成功と捉えられる。だから、護衛の巧拙はあるけれども、アセレアには罪までは無いと判断されたのだ。


けれど、アセレア自身はわかっている。入館時の持ち物検査が十全とは言えなかった。さらに本人も騙されて毒を飲んだことで、自身の体調を崩し、主君を護る行動が十分に取れなかった・・・



ふっ!


裂帛の吐息。アセレアは訓練人形への撃ち込みを再開する。


右、左、右。切っ先が雨粒を砕きながら、訓練人形の布団へぶち当たる。



とはいえ、他の部門から、護衛の責任を追及することは可能。その資格を持つのは、事件を解いたマーリナだが、マーリナ自身はその気はないという。


事件を解いたマーリナも、アセレアが毒を飲んだことについては、報告のなかでほぼ言及しなかった。本来であれば、推測を裏付ける物証として必要な話のはず。けれど、彼女は、蘇った亡骸の証言を、主君がほぼ全面的に受け入れたのを見てそれで十分とし、物証の話はほとんどしなかった。


今回の暗殺事件について、アセレアはマーリナに洗いざらい相談をしていたにもかかわらず、だ。


アセレアは、なぜセシルが前日にアセレアに自身の秘密をーー『自分は間諜(スパイ)だ』と話してきたのか、ずっと疑問だった。


あれほど重要な真実を明かした。なにか意味があるのではないかーー?


アセレアはそう考えていた。


しかし、これについては、マーリナが簡単に解きほぐしてくれた。


『それは、アセレア殿の信用を得るためですよーー毒を飲ませるためにです』


『たったそれだけの信用を得るために、あれほど重要なことをバラすものか?』


『相手の信用を勝ち取る方法は、真実を話すことですです。嘘は、真実にほんの少しだけの嘘を混ぜたものが、一番有効なのです』


『・・・・・・』


『事実、アセレア殿は、それで彼のことを信用したのではないです? ーーそれに、本当のことを話しても彼にとっては問題なかったと考えられますです。おそらく、もともと、数日のうちには、逃亡する予定だったのです』


さらに、アセレアの耳朶に、マーリナとの先程の会話が蘇る。


『アセレア殿の責任については、私から殊更にご主君に申し上げることはありませんです。ご主君もお気になさっていないようでしたですから・・・』




主君がすでに判断をくだしているものに、強いて異を唱えて『自分を罰してください』と訴え出るほど、アセレアは潔癖な人間ではない。けれど、どこに責任の所在があるかわからないほど、愚かな人間でもない。


だからこそ、行き場の無い怒りが燃え盛る。


ぎり。と彼女は歯を食いしばる。


木剣を両手剣で持ち替え、逆袈裟に全力で打ち込んだ。再び、切っ先が宙を舞った。


ぱしゃぱしゃっ。


切っ先が水たまりに落ちるのと、誰かが石畳の水たまりを踏む音がほとんど同時にあった。


「あの・・・アセレア団長? どうされたのです? 風邪をひきます」


木剣を振り抜いた残心の姿勢から戻り、アセレアが振り向いた先には、騎士団の制服をまとった灰色の髪の少女が傘を持って立っていた。


シノンだ。


「おうシノンか」アセレアは、胸中を素早くおさえ、そして表面だけは快活な声をあげた。「気にするな。これは雨中の戦闘訓練だ。いつも万全な状態で戦えるように体を慣らすためのやつだ。なに、最近は事務仕事がばかりで体がなまってしまっていたのでな。たまには体を厳しく躾けてやらねばならん」


アセレアは、激していた胸中を隠し、すらすらと話す。


(こういう取り繕いは、すぐに出てくるな)


自嘲し、雨で額に張り付いた赤髪を、しずくとともに払う。


そしてアセレアは木剣がしまってある木箱に近づき。新たに2本の木剣を提げてもどってきた。


「訓練人形だけでは物足りなかったところだ。ちょうど良かった。手合わせを付き合え」


木剣の一本を、シノンに向けて放る。シノンは戸惑いながらもそれを空中で掴んだ。


「けれど団長。私じゃ、技量が違いすぎて相手になりません」


「なぁに。お前は、得意の身体強化の魔法を使っていい。ただし、木剣を折ったら負けだ」


「・・・うまく強化の魔法を制御してみせろということですか」


「この縛り(ルール)なら、手合わせになるだろう? あと、褒美もいるか? 勝ったらお前の好きなものを奢ってやる」


シノンは持っていた2本の傘を訓練場の隅に置いた。そして団長と同じように雨に打たれながら、相向かう。


ぶん、ぶんと軽く木剣を振り回して、シノンは構える。


「私は、とんでもなく食べますよ」


「知ってるよ・・・さあ来い」


唇に乗る雨雫を舐め、アセレアも木剣を構える。




特に前触れはなかった。


シノンは身体強化の魔法を使うと同時に、身を低くしてアセレアに向けてまっすぐに突っ込んだ。


姿が消えたと見紛う速度。石畳の水たまりが弾けるよりも早い足運び。


命の精霊仕込みの身体強化魔法は、シノンの十八番(おはこ)だ。威力は普通の身体強化と文字通り桁が違うし、発動も実戦投入できるほど早い。


だからシノンは格闘では騎士団最強だし、上位のモンスターだって相手どれる。けれど剣のような武器の扱いには技の熟練が必要だ。シノンだって剣の扱いをもう数年訓練しているが、技量はそこまで急激には伸びてはくれない。


身体強化で移動速度を高め、そのまま一撃で終わらせる・・・それがシノンが描いた勝ち筋であったけれど。


(わわっ!?)


がつっ。


突然死角から現れた、アセレアの木剣を、シノンは受けざるを得なかった。


速度では上回っているはずなのに、なぜ後手に回らないといけないのか。


それが技量、経験値の差だ。


アセレアはシノンの動きを読み、通り道になるだろう場所に、木剣を宙に()()()のだ。


シノンはそこに突っ込んだ。自分の速さで、相手の木剣が飛んでくるのだ。自分が早ければ早いほど、不利になる。


しかも悪いことに、シノンは足を止めてしまった。


その場を離脱して仕切り直すーーという間を、アセレアはシノンに与えない。


上下に撃ちわけ、上半身を無理矢理に起こさせ、動きを制限させたところでーー


ぴたり。


アセレアは、木剣の切っ先を、シノンの鼻先に突きつけていた。


「う・・・ううっ!」


「さて、まずは一本だな。このままでは終わらんだろ? 三本勝負としようか」


だが、今度はフェイントも入れて突進したシノンだったが、二本目も同じような流れで、あっさりとアセレアが取った。


「はぁ・・・はぁ・・・強い・・・。せめて、格闘術で戦えれば・・・」


手合わせをしているのに、シノンのほうは肩で息をしているのに、アセレアの呼吸はむしろ静まってきているほどだ。


シノンのつぶやきを、アセレアは聞き咎める。


「自分の戦い方ができない場面など、いくらでもある。苦手な戦いを挑まれるときでも、勝てるようにしなければならないのだ。そうしなければーー大事なものも、守れない」


それはアセレアにとって、自分自身への自戒の言葉でもあった。


剣の技量が高くても、入念な計画と油断を誘う陰謀には、まったく歯が立たない。あやうく自分の護るべきものを失うところだった。


本当の戦いは、()()()()()()だ。縛りありの模擬試合の強さなんて、人生のほんの一面だ。


剣で死ねればまだいい。暗殺。毒殺。人質。無実の罪で刑に落とされる・・・。


卑怯とも野蛮とも、自分が命を失えば、罵ることすらできない。


負けたくなければ、自分の戦いの幅を広げるしかない。


そう語ったアセレアだったが、シノンはどこか違う受け取りかたをしたようだった。


「大事なものを、守れない・・・。つまり、『失う』。ーー無惨に、永遠に」


言葉が、シノンのどこか琴線に触れたらしい。ぶつぶつと、シノンは呟きだした。


そのうち、雨脚が少し強くなった。


(・・・? こいつ、こんな暗い目をするやつだったか?)


大粒になってきた雨に目を細めながら、アセレアはいぶかる。


シノンと言えば、狩人の小さな村で孤児で奴隷のように扱われていたというから、恵まれた生い立ちではない。けれど、騎士団に配属されてきたときは、逆境を跳ね返すような強さ、明るさがあり、瞳も澄んでいたように思う。


(そういえば、最近になって急に力を伸ばしてきたと聞いたな。上位モンスターを単独で撃破したとか・・・。なにか、きっかけになることがあったのか?)


強くなるには、強い想いがきっかけになることがよくある。ただその強い想いが、明るく前向きなものとは限らない。目を背けたくなるような悲劇から生まれる想いもある。


(・・・・・・)


けれどいまは問答の時間ではない。シノンが構えたので、アセレアも木剣を正眼に構え、握る力をほんの少し強める。


正対するシノンが、小さく息を吸った。


「いきます」


言葉とともに、シノンの姿が消え。そして地面から一斉に水しぶきが立ち上る!


魔法による身体強化の速度で、全力の撹乱。


「ーー!」


アセレアも本気でシノンの動きを目で追う。しぜんアセレアの特殊能力の『鷹の目』が発動し、片目だけを覆う仮面が現れる。


動体視力と観察力が飛躍的に高まり、雨中に飛び回るシノンの動きを視線で追う。


そして、また軌道を予測し、木剣を宙に置く。とーー。


がつんっっ!


激しい衝撃に、アセレアは足を踏ん張る。


シノンが、置かれたアセレアの木剣に向かって、移動の速度を上乗せして、自ら斬撃をぶつけてきたのだ。


アセレアは強い衝撃を受ける分、二の太刀が繰り出せない。その隙にシノンは離脱し、また牽制から攻撃の機会を伺う。


右上。くるりと回って背後。左脇。正面。同じように攻撃を繰り返し。


シノンが右下から切り上げたとき、受けるアセレアの体勢が、わずかに崩れた。


(ここっーー!)


手首を返して振り抜いたシノンの木剣が、アセレアの軽鎧を、したたかに叩いた。





■□■





「すみません。寸止めしようと思ったんですけど、うまくできなくて・・・」


「なぁに。気にするな。もともと、無理に頼んだのはこちらだからな」


執務館の医務室。アセレアとシノンの二人は、濡れた服を着替え、冷えた体を火鉢を出してもらって温めていた。


シノンの一撃は、アセレアの軽鎧をへこませ、肋骨にひびを入れるものだった。が、アセレアは薬草とともに白布を体に巻いて固定し、それで済ませ。いまは磊落に笑っている。


「おかげで、憑き物がようやく落ちた気分だ。これでまた前に進める。礼をいうよ」


お礼だなんて、そんな。謝っていたシノンは、予想外にお礼を言われて、わたわたと手を振る。


その様子を明るく笑い飛ばして、アセレアは思う。


暗殺襲撃事件は、言い訳しようのない、明らかな醜態だった。けれど、大切なものが失われたわけじゃない。ならば、またやり直せるし、汚名を雪ぐ機会だってまたやっていくるはずだ。


体の内を焼く怒りの熱に比べれば、シノンの一撃の痛みなど、むしろ快いほどだった。ずっと淀んでいた心が、晴れやかになっているのを、アセレアは感じていた。



とーーそこに、ばたばたと慌ただしい足音が部屋の外から響く。さらに使用人たちが慌てたように対応をする音が聞こえた。


何事か。


と、アセレアが立ち上がって扉から廊下を覗くと、雨のなかを早駆けしてきたらしい、濡れそぼり泥まみれの使者がいた。


その使者が、出迎えた取次の文官に向かって、叫ぶように言う声が、アセレアたちにも聞こえた。



「王都からの『零番』の早舟の報です! お早く、リュミフォンセ様にお取次ぎを!」











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