表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
200/305

199 『本物のセシル』






「お初におめもじ致します。(わたくし)()()()()()()()()()と申しますです」


ちょっと奇妙な語尾で、そう名乗ったのは、小柄な丸眼鏡の女性だった。


「・・・・・・」


本物だというのだから当たり前だけど、やはり同じセシルーーここで情報官として働いていた男性のセシルと同じ名前だ。


セシルというのは男性にも女性にもある名前だ。初めて名前を聞いたとき、男性か女性かわからない・・・という話をしたことが思い起こされる。


ひょっとしたら、偽の・・・まだこの言葉を抵抗があるけれど、男性の偽セシルは、最初女性として侵入しようとしたけれど、セシルという名前が男性にも使える名前だから、自分の性である男性を押し通すことにしたのかしら。


彼が最初に出会ったときに女装していたのは、万が一、本物のセシルは女性だということを知っている者を警戒してーーということなのかしら。


わたしは執務室の自分の机で彼女と面会している。両脇には、チェセとアセレアが控えている。いつもの体制だ。


さて。わたしは目の前の丸眼鏡の女性を不躾にならない程度に観察する。


まず、この世界では眼鏡は貴重品だ。だから、この『本物のセシル』を名乗る女性が、眼鏡をしているだけでまあまあの地位か収入があることがわかる。中流以上の平民か、あるいは貴族か。


けれど、彼女の茶色の瞳は、きょどきょどと落ち着かなく、浮かべている愛想笑いには締まりがない。茶色の前髪の一房がぺったりとした黄色に染められているのも、おしゃれなのだろうけれど、第一印象としてはマイナスに感じた。


「この方が、暴漢に追われているところに、私達が遠征帰りにたまたま出くわして、助けてきました。話を聞けば、リンゲン郊外にある廃屋に閉じ込められていたそうでして・・・」


そう脇からたどたどしく説明を付け加えてくれるのは、遠征帰りのシノンだ。


彼女の灰色の髪は肩の上で切りそろえられ、霞姫騎士団の制服をきっちりと着こなしている。かつての少女は、まだ可愛らしさが前に立つ外貌に反して、中身はいまや謹厳実直な戦士だ。今回の遠征では、大斧を振るう巨大牛型のモンスターの突撃を、正面から拳で迎え撃って仕留めたのだそうだ。


シノンのその後ろに立つ長身は、命の精霊クローディアである。シノンとクローディアはコンビのような関係なのだけれど、シノンが必死に得意ではない説明をする一方で、クローディアは我関せずというように窓の外を眺めている。・・・時期外れの蝶々でも見つけたのだろうか。相変わらずの浮き世離れっぷりだ。


まとめると、本物を名乗る丸眼鏡のセシルと、シノンと、クローディアが報告のためにわたしの前にいることになる。


で、話を聞くに。


この丸眼鏡のセシルは、情報官の職を求めて、エルージア伯爵夫人であるラディア伯母様からの紹介状を持ち、リンゲンに近づいたところで暴漢に襲われた。財布や身分証などを奪われ、廃屋に幽閉されていたらしい。犯人の目的はわからないものの、食事などは届けられ、命をつなぐことはできた。


とはいえこのままではいられないので、隙を見て火事を起こし(眼鏡のレンズを使って日光を集めたらしい)、そして廃屋から逃げ出したのだという。見張りが追ってきたところで、たまたまシノンたち遠征隊に出くわしたというわけだ。暴漢たちは遠征隊の姿を見るや踵を返して逃げ去ったという。


話が本当なら、この数ヶ月一緒に情報官として仕事をしてきた男性のセシルが、間諜(スパイ)としてリンゲンに入り込んでいたことが確定する。


いまさらながらだけど、ショックだわ・・・。


わたしは半分うわの空で話を聞きつつ、思考を続ける。


男性のセシルは、本物をセシルを幽閉し、入れ替わってリンゲンの情報官に就任した。ほんの数ヶ月だけど、このあいだに、彼はリンゲンの情報を存分に手に入れただろう。


そして、櫛目の黒髪のシーウェンによる暗殺未遂事件が発生。元居た情報官のセシルは同時期に失踪した。


これらの事件は関係があると考えるのが自然かしら・・・。


・・・わたしは、最初から騙されていた、あるいは裏切られていたのだ・・・。


「しかしですね。ものものしい雰囲気でございますですねえ」


声に、はっとする。丸眼鏡のセシルが正面にいる。


いけない、つい長々と物思いにふけってしまったわ。


・・・。丸眼鏡のセシルの用件はいわずともだいたいわかる。


本来の目的通り、情報官として雇ってもらいたいというところだろう。貴重な真実の情報をくれたことには感謝するけれど、偽物が居た職に、本物のセシルだからといって急に雇い入れてつけることなんて考えられない。それに、いまは暗殺未遂事件があり、その対応で頭がいっぱいだ。とりあえず、今日のところをお引取り願おうーー


そんなことを考えていた矢先だった。


「まるで、貴人が襲撃されたあとのようですね」


丸眼鏡の小柄な女性は軽く言ったが、わたしはわずかに表情を固くする。まさにそのとおりだからだ。


わたしの暗殺未遂事件は、秘匿事項となっている。


邸内の者には賊が出たとしか情報を出していないし、丸眼鏡の彼女だけでなく、周囲にいるシノンやクローディアにも語っていない。


にもかかわらず、彼女はそれをたやすく言い当てた。


正答(ベンフェポン)! そのご表情から察するに、あたりのようでございます」


丸眼鏡の彼女が手を前に差し出すと同時に、アセレアが腰の剣の鯉口を切る音がした。


「貴様。貴人の前だ。行動と言動には細心の注意を払え」

「・・・心得ておりますですよ。武人の方はおっかないですねー」


すり足で移動したアセレアは、いつの間にか丸眼鏡の女性を剣の射程におさめている。対する丸眼鏡さんは、不敵な表情のまま両手を肩の位置にあげ、降参の意を示している。


けれど、言葉はまったく淀まず続く。分厚い眼鏡の奥の茶色の瞳が、わたしを見る。


「そして、これで確信が持てました。狙われたのはリュミフォンセ様だったのですね?」


「!。 ーーどうして、そう思うの?」わたしが聞く。


「簡単なことデス」丸眼鏡さんは一本指を上に向け、頭のあたりでくるくる回す。「ここに来るまでに、街の商人さんや衛兵さんから少し情報を集めました。リュミフォンセ様はいま商談予約をすべて取り消ししていること。館に衛兵が増えていること。そしてさらに、この場に立ってみれば、隣に立つおっかない凄腕の護衛の方が、いつでも私を斬り捨てられるように、呼吸を図っていることーー」


ちらと苦々しい表情のアセレアに視線を遣って、丸眼鏡さんは言葉を続ける。


「これらは、貴人襲撃があったあとの対策行動に合致しますです。しかも護衛の方の緊張感を見るに、間一髪だったのですね? でもしばらく面会謝絶するのが普通ですから、シノンさんに面通しを事前にお願いしたのは、これも正解でしたです。きっと、面通しをお願いしなければ、こうしてお会いすることも無理だったです」


「ーーそうね。貴女が言う通りだわ」


わたしは丸眼鏡さんの言葉を吟味し、正しいと評価する。


「先程お見せしたのは私の能力の一端です。もうお気づきかと思いますですが、私は情報官の職務を希望していますです。細部から真実(ベリテ)を。きっとお役に立てますです! どうかお仕えすることをお許しくださいませです!」


「暴漢に捕まった弱虫を雇えと?」


脇からの発言。これはアセレアだ。理由はわからないけれど、少し気が立っているように思う。


けっこうきつい指摘だと思うけれど、指摘を受けた丸眼鏡さんは涼しい顔だ。


「情報官に要求されるのは情報収集と分析能力。荒事が苦手でも欠点でないと思いますです。誰にでも弱点はありますです。貴女もそうなのでは? 『アセレア殿』」


今度は名乗ってもいないアセレアの名前を言い当てたわ・・・。聞けば「有名人ですです」と丸眼鏡さんは答える。昔、ロンファで遠くから顔を見たことがあるのだそうだ。


うーん。


わたしは心中で唸る。


この本物のセシルを名乗る、丸眼鏡の女性。


優秀・・・というよりは、ずばずば言い当てすぎている気がする。


逆に怪しいわ。何もかも狂言なんじゃないかと思えてくる。


この場合。このひとは、とびきり優秀な人か、詐欺師か、どちらかな気がする。


さて、この場をどうやって収めようかしら。


過去に似たことがなかったかとわたしは記憶を探る。


ーーそうだ。むかし、レオンの採用面接をしたことがあったわね。


たしかレオンのときは、当時の困りごとを、課題としてやらせてみたんだったわ。


では、今回も、とりあえず同じようにしてみようかしら。


起こったばかりのことであれば、下調べもできない、初めての情報のはずだ。


限定された情報を渡して、どれだけできるかで、能力がはかれる。問題解決の過程で、人物もみれるし、怪しい動きが見えれば、それを指摘すればいい。


「セシル。お話はわかりました。しかし条件があります」


こう前置きして、わたしはいまの状況ーー襲撃犯であるシーウェンが脱獄・逃亡のうえ、殺害されたことを、話すことにした。


調査をさせて問題を上手に解決できればよし。できないようであれば、雇用の話はなし、ということだ。


今回のケースは、男性のセシルの関与を除いて考えれば、主要な謎は2点に集約される。


逃亡した襲撃犯・・・つまりはシーウェンだけど、どうやって牢を出たのか? そして、彼は何故、誰に殺されたのか?


「それから。先に話をしておくけれどーー。貴女と同じ名前のセシルという男性が情報官としてここでしばらく働いていたわ。貴女の偽物ということで間違いないのかしら?」


そうわたしが聞くと、丸眼鏡さんはしぱしぱと茶色の目を瞬かせた。


「その話は、シノン殿から伺っているのです。話を聞く限り、私の偽物で間違いなさそうです。私は推薦状を持って情報官の職を求め、その途中で入れ替わったーー。リュミフォンセ様に近づくために、私の名前と経歴を使ったのでしょうです。動機の推察も容易いです。けれど事実の確認はまだ必要ですです」


そう話をしたあと、丸眼鏡さんは、シーウェンの問題について改めて取り組み、考え込む素振りを見せた。


しばらくぶつぶつと呟き、そして顔をあげる。


「ふむむーー。筋は幾通りか考えました。次は現場を確認したいですです」


屋敷の構造と、地下牢の現場が見たいと、彼女は言い出した。


「言っておくけれど、地下牢には抜け穴のたぐいは見つからなかったわ」


そう言いながらも、わたしは丸眼鏡さんの申し出を許可し、シノンに彼女を案内することを命じた。


さらに、戻ってきたクローディアと護衛役を交代して、アセレアにも同行するように命じる。彼女に怪しい動きが無いかを確認するようにそっと言い含めた。


「承知」


なんだかずっと機嫌が悪そうなアセレアの瞳に、剣呑な光がともる。




■□■




彼女たちはそろって執務室を出ていきーー。


そして、鐘がひとつ鳴るころには戻ってきた。


ぞろぞろと入ってくる丸眼鏡さんと、わたしの護衛たち。


集団の空気は悪そうなのだけれど、その空気を完全に無視するように、丸眼鏡さんはへらへらと笑っている。


いくらなんでも戻ってくる早すぎない? わからなくて諦めたということかしら?


わたしは傍らに居るチェセ、そして護衛として残っていたクローディアにそれぞれ視線を走らせる。


チェセはアイコンタクトを返してくれたけれど、クローディアのほうは休めの姿勢のまま、美しいけれどぼんやりとした翡翠色の瞳は、どこを見ているかもわからない。・・・立って目を開けたまま、眠っている可能性を否定できないことがおそろしい。


まあ、クローディアはシノンのおまけみたいなものだ。もともとさして期待はしていない。


意識を切り替え、わたしは、待っている間に処理をしていた、読みさしの書類を机に置いた。


「早かったのね。・・・もうわかったのかしら?」


そう問うと、丸眼鏡さんは、はい、と事も無げに言った。


「起こったことは、簡単ですです」


あっけらかんと、独特な口調で言った。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ