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198 ぷしゅー。






モンスターと戦うのはそう怖くない。モンスターとは脅威だけれど、もともと相容れない敵だとわかっているから。モンスターよりも自分が強いとわかっていれば、なおさらだ。


人間と戦うのは、モンスターと戦うことと一緒であるようで違う。でも、自分が戦う理由さえあれば、戦いへの恐怖は和らぐ。あとは覚悟の強さが問われる。


けれど、日常のなかに潜む害意は、またさらに、ことさらに、違う。


命をかけて普段の生活を過ごすひとはいないだろう。誰にとっても日常はありふれたもので、安全が保証され、たいがいの場合、周囲に守られている。


でも、自分のことを『殺したいほど憎んでいる人がいる』とわかって、実際に命の危険にさらされて、なお普段と変わらない生活ができるひとは、そうそういないと思う。




「ん・・・」


わたしが目を覚ましたのは、自室の寝台の上だった。


「お目覚めになられましたか。ご気分はいかがですか?」


頭を倒して横を見ると、隣についていてくれたらしいチェセが声をかけてくれた。


窓を見れば、まだ外を明るいけれど、陽は弱まっているように見える。


「いまは・・・?」


「商談をしていた会議室で、リュミフォンセは意識を失われたのです。御身をお部屋にお運びしてから、鐘半分くらいの時間、眠られていらっしゃいました」


わたしの曖昧な言葉に対し、チェセは的確にわたしの知りたいこと答えてくれた。


そして彼女はやはり傍らに控えていた侍女長のレーゼに、気付けの温かい飲み物を準備するように頼む。侍女長は優雅に一礼してそつなく部屋の隅にある腰高台車へと向かった。


そうして準備された香り高いお茶を寝台の上で受け取ったわたしは、口の中に広がる爽やかな香りが意識を覚醒させるのを感じながら、現在の状況を聞いた。


「フェーン商会のふたりは、その場で逮捕する運びになりました。貴人暗殺未遂の現行犯です。護衛長の指示のもと館の地下牢に抑留し、現在は動機など状況を確認中です」


護衛長とはアセレアのことだ。リンゲンみたいに小さな組織では、いくつもの役職を兼務する。


報告にわたしは頷く。あの場面から、そう時間が経っていないということだ。ふと視線をめぐらすと、バウはわたしの影から出て、部屋の扉のあたりで仔狼姿で丸くなって眠っていた。


「そう・・・。わかったわ。ご苦労さま。大事な場面で意識を失ってしまって、みんなには心配をかけてしまって、ごめんなさいね」


「とんでもございません。このようなことは、振り返ってみれば、これまで得られていた情報から予測できたものです。わたくしどもの想像が足りなかったこと、誠に申し訳ありません。再発がないように、真相の究明と今後の対策に活かして参ります」


そうチェセが深く頭を下げるのを制しながら、わたしは言う。


「でも、こうして無事であるのだから、それほど気に病む必要はないわ。バウはお手柄だったわね。あとで美味しいものを食べさせてあげて頂戴な」


眠っているようにしか見えない黒狼が、ぴくんと片耳を立てたのを、わたしは見逃さなかった。


そうして、その事件は収まったように思えたけれど。


まだ終わってはいなかった。






その翌日。地下牢に抑留していた、暗殺未遂犯のシーウェンが脱獄、行方不明。


同日、当領情報官のセシル=ランパートが失踪、同じく行方不明に。


さらにその翌日。リンゲンの街外れで発見された、行き倒れと見られた男性の遺体。


これが、失踪した暗殺未遂犯シーウェンのものであるとの報告があった。






■□■






「では、セシルは、事件の前日に、『自分は間諜(スパイ)だ』と貴女に告白していたということ?」


暗殺未遂犯のシーウェンが遺体で発見されたという情報があった翌日。わたしは、アセレアから報告を受けていた。その場にともにいるのは、やはり家宰のチェセだ。


わたしの確認に、アセレアは頷く。そしてそのときの状況を説明してくれる。


「そう告白した理由は、リンゲン側に寝返り、より高い報酬を得たいため・・・。しかし、であるのに、セシルは失踪した。・・・そういうこと?」


確認すると、再びアセレアは肯定をする。


彼女は事実を話しているのだろう。けれど、よくわからない。セシルの行動に矛盾があるように思える。リンゲン側に寝返りたいと話しながら、逃げるものだろうか? 付け加えれば、アセレアの話によれば、セシルは彼女に宿酔いの薬を渡してきたのだという。効果はあまりなかったみたいだけれど・・・。


セシルを最後の目撃情報があるのは、暗殺事件があった日の深夜ともいえる早朝だ。門番を務める衛兵に、特殊任務を命じられたので街外に出てしばらく帰らない、と言い残していったらしい。


けれど、わたしも上司のアセレアも、彼に特殊任務を命じたりはしていない。彼の独断なのかしら? いまは何もわからない。


そして朝あけてお昼近い時刻になって、地下牢にいたシーウェンがいなくなっていることが確認された。差し入れた朝食を食べていないことを不審に思った衛兵が、牢の鍵を開けて牢の中に入り、粗末な寝台の毛布をめくったときには、もぬけの殻だったそうだ。


牢には抜け穴などは見つからなかった。ではどうやってシーウェンは脱獄したのか。



牢の前には不寝番がいたけれど、屋敷の地下牢は常に動かしている施設ではない。むしろ初めての入牢者ということで、不寝番を含めた見張り役を既存の衛兵から割り振ったのだけれど、初めての仕事で誰が何をするのか混乱があったとも聞いている。


不寝番の目が常にシーウェンの牢に届いていたのか、またそもそも不寝番が居眠りなどしていなかったのかーーというところも慣れない不寝番役の衛兵の証言に頼るしかない。当然、不寝番は居眠りなどしていなかったというけどーー。


セシルの失踪と、シーウェンの脱獄は近い時刻であったことは想像できる。けれど、結びつけて考えて良いかどうかはわからない。そのアセレアの報告に、わたしも何かを指摘したかったけれど、何を指摘すべきかがわからなかった。


仮に、セシルがシーウェンの脱獄に関係があったとしたのだとしても。しかし、その当のシーウェンは死体で見つかっている。


せっかく脱獄をしたシーウェンが、なぜ死んだのか? バウが砕いた彼の腕は、地下牢に入れる際に、魔法で治癒をしていた。重傷であるのを応急手当しただけだから、完治には至っていないとは言え、あとで命を落とすほどずさんな処置でもなかったという。


であれば、シーウェンは何者かに殺害されたということになるけれど、誰が、どうしてそれをしたのか?


単に運悪く、物盗り強盗に出会ったのかも知れない。なぜなら、発見されたときシーウェンは身ぐるみを剥がされ、ほぼ半裸であったというからだ。


死体の周囲には、争ったような痕跡、目撃情報はなかったそうだ。もしシーウェンを誰かが助けていれば、その助けた人はシーウェンが殺害されるのを黙って見ていたことになる。そんなことはあるだろうか?


わけがわからない。


こうなれば、残る手がかりはフェーン翁だけ。


けれど、翁は協力的に話をしてはくれているものの、いまのところ有力な情報は何もない。


フェーン翁とシーウェンの出会いは、行き倒れていた旅のシーウェンを翁が助け、糊が好きで頭の回転が早いシーウェンを見どころがあると見た翁が、彼を雇って商売のやり方を仕込んで育て、そして今回のわたしとの商談に同行させた・・・ということらしい。


シーウェンの動機や目的は、翁にはなにひとつわからない。見当もつかないという。


こうして捜査はあっという間に行き詰まった。


謎1。シーウェンはどうやって牢を出たのか?

謎2。シーウェンの脱獄と、セシルの失踪は関係があるのか?

謎3。シーウェンは何故、誰に殺されたのか?


加えれば、シーウェンはどこの誰なのか、誰の差し金でやってきたのかというそもそもの疑問はあるけれど、その謎までたどりつけそうにない。


アセレアの報告で、事実はわかった。


けれど、因果関係がつながらない。


アセレアが嘘をついているのではなく、アセレア自身、何が起こったのかがわかっていないということだろう。


とは言っても、今回のわたしの暗殺未遂事件には、なんらかの沙汰を下さなければいけない。それが統治というものだから。でも、こうも何もわからない状況では、判断をくだしようもない。


その場にいるチェセにも聞いてみたが、彼女もわからないという。彼女が担当するのは家政のことと、商務それに政務なので、今回のような謀略への対応は門外漢だ。


うーん・・・。困ったわ・・・。


議論もわたしの思考も行き詰まった、そのときだった。


こんこん、と部屋の扉を叩く音。


「どうぞ」


声をかけてみれば、入ってきたのは、侍女長のレーゼ。


彼女が言うには、街外にモンスター討伐の手伝いで遠征に出ていた、護衛のシノンとクローディアが戻ってきたと。


「無事に戻ってきたのね。ご苦労さまと伝えてあげて」


「かしこまりました。それでーー」


レーゼは言葉を続ける。その先が、用件だった。戻ってきた彼女たちが、わたしにすぐに会いたいので許可を求めているとのこと。


「なんでも。私もよく理解できていないのですが、シノンたちが申しますには、遠征先で『本物のセシル=ランパートを助けた』ということでして・・・」


はあっ? 『本物の』セシルですって?


謎に次ぐ謎。


未解決のまま積み重なっていく謎。



・・・。


ぷしゅー。



わたしの脳細胞の容量は、限界を超えた。








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