181 花嫁方の勝ちで御座います
「ええ。思いっきりよ」
御意のままに。
とわたしの言葉に、シノンは短く答えた。
彼女は軽く身を翻すと、『旗取り』の場へ素早く駆けていく。移動はふわりと音もなく、列席者とぶつかることもなく、元狩人の、森の小動物のような敏捷さが伺える。
華麗さすら感じるその背中。わたしが満足して眺めていると、声をかけられた。辺境伯が現れたことで少し距離をおいていた、マイゼン氏だ。
「りゅ・・・リュミフォンセ様。ひょっとして、いまの娘御が、リュミフォンセ様の護衛ですか? 失礼ながら、子供ではありませんか」
シノンはわたしのひとつ下の年齢なので、14歳。まあ、子供といえばこどもかも知れない。
そうですね、と答えると、マイゼン氏は言い募る。
「『旗取り』は儀式とは言いますが、実際にはいくさの訓練にもなる殴り合いです。まして参加しているのは、北部が誇る氷壁の戦士たちなのですよ。あのような子供が参加するのはーーたいへん危険です」
まあとわたしは自分の頬に手をあて、なんと答えようかと迷ったところに、また別の方向から声があがる。辺境伯様だ。
辺境伯は、むむぅと唸った。確かに、手練れとの手合わせを望んでおりますがーー。
「幼くとも武才に優れていることはままある。麒麟児というやつですな。しかし、一対一では技量卓越の達人も、多対多の混沌とした戦場ではまた働き方は別なのです。豪傑剣豪が、つまらぬ戦で不覚を取ることも多くありましてな。
むろん、北部のあらくれたちも、普段は子供に手荒いことはせんが、場がいくさとなれば別。立ち向かうものには容赦せんのが戦場のならい。
他領の武辺との手合わせを望みはしましたが、若芽を摘むのは気が進みませんな。一代公、いまから引戻させても、当方に問題はありませんぞ」
そんな会話をしているうち、遠目に見れば、シノンは無事に花婿方ーー青軍に加われたようだ。
身軽に跳ね上がり、障害物として砦代わりに積み上げられた木材の山の上に彼女は立つ。屈強な男性陣のなか、不釣り合いに小柄な子が居るので、たしかに目立って見える。
微風に吹かれるままに立つその姿には、余裕が感じられた。
わたしは、ふたりにむけて微笑して答える。
「本人はやる気のようですしーー、それに、彼女はとても頼りになるので、大丈夫だと思います」
その答えがよほど意外だったのか、マイゼン氏はあっけに取られた表情のあと、思い切り顔をしかめた。言葉ではなく、表情だけで反対の意志表示をすることにしたらしい。
一方で、辺境伯はまた違った反応だ。大きな手で自身のひげを何度かなでつけると、ふぁっははと大きく笑声を放った。
「一代公は豪胆ですな! ならばもう言いますまい。あとは天上の戦士霊たちと武運の導き次第ですな!
・・・・・・まあ、あいつらも適当にいなすだろう」
最後は自分に言い聞かせるように、小声になったけれど、わたしはそこは聞こえないふりをしておく。
そして、『旗取り』の場では、本物のいくさよろしく、角笛が高らかに吹き上げられた。
ぷあぁぁぁ・・・という音があたりに響き渡るにつれて、宴席のざわめきが小さくなる。
続けて戦太鼓の連打。轟く響きに、びりびりと大気が震える。
結婚式の余興とは思えないような、緊迫した雰囲気だ。
いよいよ『旗取り』が始まるのね。
ふと見ると、隣のオーギュ様が、なにか言いたげにわたしのほうを見ていたので、わたしはにっこりと微笑みを向けて、
「大丈夫ですよ。見守っていてあげてください」
その答えは予期していたのか、オーギュ様は微妙な表情のまま頷いた。
「うむ」
その一声のあとは、なにか苦いものを飲み下し終えたのだというように、彼は平静な面持ちになった。そして、彼もまた、わたしとともに眼前で展開される『旗取り』の儀式のほうを向いた。
ジャーンジャーンジャーン・・・
大きく金銅羅が三度鳴らされ、嫁奪り方である赤軍、花婿方である青軍双方から、ひときわ立派な武装をした戦士が独りずつ歩み出て、高らかに口上を述べる。
その声は、拡声魔法によって宴席にも伝わってくる。こういうところは余興的だ。
『我ら、花嫁を欲する者。思うところありて、花嫁を娶らん者の不義不当を指弾せん』
『我ら、花嫁を守る者。花婿と花嫁は正当な合意の上の契約。これを破ることまかりならん』
『双方の主張、あい合わず』
『しかし双方引けぬ想念あり』
『『ならばここに至りて、力によって決するのみ!』』
再び戦太鼓が鳴り響き、双軍が戦舞を始めた。
装備はばらばらなのに、全員のぴたりと合った動きが、戦士たちの高い練度を教えてくれる。
どんどんと戦士たちが足を踏み鳴らすと、大地が震える。
合いの手のように入る金銅羅の音に合わせて、戦士たちがびたり、びたりと体を動かす。
舞いの静と動が、とても見応えがある。
やがて戦舞が終わると、赤青両軍はにらみ合い。
どちらともなく、天を揺らすように喚き、狙う旗めがけ、双方が雪崩のように突進を始めた。
■□■
ーーそなた、魂力の保有量がとんでもないな。・・・じゃが、得意そうな色がわからんのう・・・。
2年前、水の大精霊であるサフィリアが、シノンのことをこう評した。
得意そうな色というのは、ひらたく言えば、火とか水とか、適性のある魔法の系統のことだ。
人は魂力を持っていても、適性が無いとその系統の魔法を使えない。だから、適性のある系統が無い場合は、大量の魂力を自身に蓄えることができても、まったく無意味・・・宝の持ち腐れになる。
シノンはまさにその典型だった。
魔王の戦いにおいても、時の精霊イー・ジー・クァンの時魔法の燃料タンクのような役割を果たしただけだった。
膨大な魂力を蓄えられる稀な才能を持ちながら、そのちからを魔法にーー具体的な力に変えることができないことが、シノンの大きな課題だったのだ。
けれど、その課題を解決したのが、ーー命の精霊クローディアとの出会いだ。
わたしは空を見上げる。
『旗取り』の戦場の上空に、戦いの様子が拡大された蜃気楼が浮かび上がっている。風と光の複合魔法、映像魔法だ。
青軍から、矢のように鋭く一番に突出した小柄な影。緑色の軍の外套、灰色の髪。シノンだ。
素手の戦いだ。飛び道具による矢合わせはない。
赤青の両軍がただ力のかぎりに激突する。
一番槍同士、戦端の幕があがる。
シノンに対する赤軍の先頭は、全身に古傷のある巨大な大男。上背だけでもシノンの倍以上ある。
体勢を限りなく低くして、加速したシノン。映像魔法もロングの映像に切り替わるが、それでも追いきれない。
小柄な体格を活かして、股抜けをするつもりだろうか。
だが、先頭の大男はそれを読んで備えたようだ。彼は強く地面を踏み込んで春の地面をえぐりつつ急制動、迎え撃つように腰を落とす。そして、固く握った右拳ーー子供の頭くらいありそうなそれを、一瞬で振り上げ、そして渾身で地面を割ろうとするがごとくに振り下ろす!
その時宜は完璧だった。振り下ろされた鉄槌のような拳は、体勢を低くし最高速で駆けるシノンを、真上から見事に捉え。
どがんっーーと魔法抜きでもこちらまで届くような衝撃音が響く。そして地面が砕け、土煙があがる。
宴席の観客から、悲鳴があがる。
傍目には、小柄な子供が、大男によって、羽虫のように叩き潰されたーーというように見えただろう。
だが、土煙はすぐに晴れる。
そして空中の映像には、交差させた腕で、大男の拳を頭上で見事受け止めた、シノンが映っている。
宴席の観客からあがったのは、歓喜の声というより、驚きのどよめきだ。
「あの子供、無事だぞ?!」
いや、無事ではない。わたしは訂正する。衝撃に舌でも噛んだのか、シノンの口端にかすかに血がにじんでいる。なにより、シノンの足元の地面は砕けてすり鉢状の穴ができている。
赤軍の先頭の大男ーー先陣を切るだけあって、かなりの実力者だわ。
シノンの口がわずかに動くーー。やりますね。次はこちらの番です。
そして、観客のどよめきが、さらに大きくなった。
というのも、大男だけ、次の瞬間には画面から消えていたからだ。
その理由は、画面ではなく実際の戦場を見ればわかる。
「おっ・・・大男が、空を飛んでるぞ?」
「あ、あの先陣の子供! あの子供が、大男を空中へ放り投げたんだ?!」
だが、いま何が起こったのかを観客が把握する前に、青軍の後続が赤軍へとぶつかった。全面激突だ。
乱闘が始まり、もう何がなんだかわからない。空中映像も切り替わり、もはやシノンも映っていない。
ーー精霊クローディアがシノンに教えたのは、命の属性の系統に属する、肉体強化の魔法だった。
命の属性というものは、基本の8色いずれにも該当しない系統だ。
だからこそ、得意な色がないシノンが扱うことができるのだーーというのが、クローディアの説明だった。本当かどうかはわからないが、実物を目の当たりにすれば、黙らざるを得ない。
シノンが使えるのは、いまのところ身体強化の魔法だけらしいけれど、技はともかく、力・頑丈さ・速さの基本性能は、リンゲンの霞姫騎士団の誰も叶わない。わかりやすい肉弾戦なら最強である。
先程大男を空に投げとばしたのも、単純に力で放り投げたのだ。
高い身体能力は、強力な前衛役に相応しい能力だ。彼女がこの魔法の習得したと同時に、わたしはシノンを自警団から護衛に抜擢したのだった。
ちなみに命の精霊クローディアは、シノンから離されると困るし契約違反だと主張したので、ついでに一緒に護衛にすることにした。2年の観察でほぼ無害な精霊だということがわかりつつあるけれど、念の為、目の届くところに置いておくのも悪くない判断も働いている。しかし、どのみち、シノンが主で、実はおまけはクローディアのほうなのだ。
ぽーい。ぽーい。ぽーい。
旗取りの激しい乱闘のなか、紙吹雪かなにかのように屈強な男たちが放物線を描いて宙を舞う。シノンがそこを進んでいるのだろう。
旗を狙って直線の動きではなく、回り込むように弧を描く動きをしているようだ。それなりに強者を避けているからに違いない。正面から戦っても勝つけれど、なるべく勝つ確率の高い戦い方をするーー彼女には、そういう戦術眼がある。
ぽーい。ぽーい。ぽーい。
放り投げられて落ちた戦士は、大怪我をするわけではないが、起こった出来事を理解できず、すぐに戦線に復帰できないようだ。変な夢でも見ているような、騙されているような、そんな顔をしている。
やがて、相手を空中に放り投げていくのも時間がかかると判断したのだろう。シノンは、今度はあろうことか赤軍の戦士たちの頭を足場にし、乱闘を続ける軍の上を跳び始めた。
古代の有名な武将が、身軽にも何艘もの船を跳んで渡って戦ったという伝説があるけれど、いまのシノンはちょうどそんな感じだ。屈強な戦士の肩を首を頭を足場にして、鞠のようにシノンが戦場を飛び跳ねる。
映像魔法もシノンを完全に見失ったので、わたしは遠視の魔法を起動させ、その様子を追いかける。けれどーーわたしから見ても早い。視線だけなのに、追いきれないぐらいだ。
戦術を切り替えた、ほんの一瞬あとのことだったけれど、赤軍に隙ができたらしい。シノンは複雑な軌道の移動から、旗を立てた丸太に向かって、たたたんと連続して赤軍の戦士を蹴った。
旗の立つ丸太の根本に到達すると、そしてなんと丸太を垂直に駆け上がる。
肉体強化の魔法は、あんなことまでできるんだ。
わたしが驚いているそのすきにーー、シノンは、丸太のてっぺんにある旗、その赤い旗を、さっと奪う。
北国らしい淡い色の青空の下。両軍の乱闘が続くその場、丸太の上で、彼女は鮮やかにそれを翻す。
映像魔法で映し出されたその光景に、観客たちから、わっと歓声とどよめきが高まった。
「旗をいただきました! この勝負・・・」
皆のどよめきを割る、シノンの大音声。気を利かせた誰かの拡声魔法が使われている。
「花嫁方の、勝ちで御座います!」




