179 ご学友たち
「そういうわけで、学院の卒業同士の繋がりというのは、侮るべきものではありませんね。同じ卒業生同士というだけで、仕事の話が突然すんなりといくことがある」
そうですか、とわたしはオーギュ様の話に相槌をうつ。
北部、サフィリアたちの結婚式の大宴会。そこはまたとない貴族同士の交流の機会ではあるが、わたしとオーギュ様にとっては、婚約者同士で直接お話をする稀な機会でもある。
本当はどちらかが都合を作らなければいけないのだけれど、オーギュ様は政治活動をしている王子様だし、わたしはこれでも一応成長領地の領主だし、仕方ないよね・・・。仕方がないのよ。
と、心の中で見えない誰かに向かって言い訳をしながら、オーギュ様のお話に一生懸命に相槌を打っているわたしである。
オーギュ様のお話は、当たり前だけど、自らが住む王都での生活のお話が中心だ。
そのなかで、『王立学院』というものがよく話題にあがる。もう卒業しているのだけれど、それだけオーギュ様にとって、重要な役割を果たした場所みたい。
「これまで貴族の子弟の教育は、各家庭に任されていました。それが多様な人材の排出元になっていた事実は否定しませんが、しかし、教育水準のばらつき、貴族同士の繋がりの弱さの原因になっていました」
そう語るオーギュ様。王立学院の設立は、王国の貴族教育の改革の目玉だった。はじめは細々と始まった学院だったけれど、第二王子のオーギュ様が入学することで、子弟を学院に通わせる貴族が一挙に増えた。だから、オーギュ様は、王立学院の実質的な一期生だとも言える。
「学院の一番の功績は、貴族のひとつの世代をまとめたことでしょうね。旧いものを変えていくときに、一番大事なことは、熱を持った若い世代の団結です。リュミフォンセ、貴女が提唱した精霊の地位向上も、そう遠くない未来に実現できるでしょう」
まあ、素晴らしいことですわ。そう相槌を打ったとき。
わたしたちのところへ近づいてくる、ふたつの影を認めた。
警戒感のないや遠慮のない足運び。知らない顔だったけれど、オーギュ様の知り合いかと見当をつけたら、まさにそのとおりだった。
「お楽しみのところ、失礼します」「ご機嫌麗しゅう、オーギュ殿下」
言葉は丁寧だけれど、態度はざっかけない。ひとりは猫っ毛の黒髪に痩身、背は普通くらいだろうか。柔和そうな目が油断なく相手を観察をしている。いかにも文官にいそうなタイプだ。もうひとりは、背が高いけれどひょろりとして、視線がまっすぐ、口もまっすぐに引き結んでいる。鋼色の髪を短く刈って、新兵みたいな印象。謹直そうな男性だ。
「やあ。マイゼン、クジカ。必要な方々への挨拶は済んだのかい?」
オーギュ様は、くだけた口調で返事をした。同時に、わたしたちは少しお互いの距離をあける。
「あらかたは。殿下。王国一の美姫と名高い婚約者様に、我々のことをご紹介いただけないかな? と思い、まかりこした次第です」
如才なく答えたのは、猫っ毛の黒髪のほう。優雅に身振りを加えてオーギュ様に話かけながら、前髪の奥の目から、わずかにわたしに視線を送る。背が高いほうは、唇を引き結んで、こくこくと頷いている。無愛想だけれど、仕草にどこか愛嬌がある。
「ああ・・・。もちろん」オーギュ様は鷹揚にうなづく。「リュミフォンセ様。こちらは中央に領地を持つダウー伯爵家の子息マイゼンと、同じくノール子爵家の子息クジカです。ふたりとも学院の同窓生で、生徒会で一緒に仕事をした仲なのです。マイゼンは会計、クジカは副会長の役割を担ってもらっていました」
ふぅん・・・。身分の高低と役割が一致するわけじゃないのね。それに、王子様にこんなに気さくに話しかけてくるなんて。王立学院というのは、案外と自由で居心地のいい場所だったのかも。
学校かあ・・・。前世日本ではわたしも通っていたはずだけど、個別の体験的な記憶は、残念ながらもうわたしから抜け落ちている。公爵家の家庭教師で学んだわたしには、学友と呼べる友達もいない。そういう意味では、オーギュ様がうらやましい。
わたしは、軽く淑女の礼をして、自己紹介をして、ふたりと挨拶を交わす。とはいえ、喋り役となったのは、もっぱらマイゼンという元会計だった。そつがなくて社交にも長けていると感じた。
「いやしかし、噂に違わぬとはまさにこのこと。実にお美しいのですね、リュミフォンセ様というお方は。お言葉を交わせて大変光栄です。そして、貴女のような方を婚約者とできる我が友人が、正直なところ、大変に羨ましく感じられます」
胸に手を当て、流れるように賛辞を述べていくマイゼン氏。わたしもオーギュ様も、言葉を挟む間もなく聞いている。そして彼は、オーギュ様の方を向き、声を少し落とし。
「これでようやくわかったよ。ポーリーヌ女史が、この場に来たがらないわけだね」
「・・・彼女のことは関係ない」
低く、そして少し怖い声で応じるオーギュ様。けれどマイゼン氏はまったく動じずに、肩を小さくすくめるだけで、話題を変えた。
「ところで、リュミフォンセ様。今日は、巨大黒狼をお連れではないのでしょうか?」
巨大黒狼・・・バウのことかしら?
とはいえ、突然すぎる話題の変わりに、わたしは微笑みながらも首を少しかしげてみせる。戸惑いの意志表示。
対するマイゼン氏は、わたしの反応が、さも理解できるというように、笑顔を深めて頷いて見せる。
「空を駆ける黒狼の背に乗り、王都の夜を往く深森の淑女・・・。王都ではこのように民の口に謳われているのです。ご存知ですか?」
「昔のおてんばです。いまでは、お恥ずかしいことですわ」
マイゼン氏には邪気のない笑顔で言ってくれるけれど、昔のことを語られるのは本当に恥ずかしい。わたしは気恥ずかしさに唇を軽く噛む。
「そんなことはおっしゃらずに。王都であれば子供すら知る、生ける御伽話ーー。私もそれに憧れる一人です。こうして実際に貴女にお会い出来て、光栄の限り。憧れる者たちにもいろいろ好みがありまして、私は黒狼が好きなのですよーー。我が家の家紋も、狼なので、勝手に共感を抱いているのです」
そう言って、マイゼン氏は襟についているカフスボタンを見せてくれる。そこには月を眺める青い狼がかたどられていた。
「そうだったのですか。ですか、残念ながら、今回は黒狼は連れてきておりませんの。リンゲンでお留守番をお願いしています。その代わりに騎士団から護衛を連れてきています」
「騎士団・・・名高い霞姫騎士団ですね。全員ですか?」
彼の顔は笑顔のままだけれど、少し瞳が大きくなった気がする。騎士団に興味があるのだろうか。
「まさか」わたしは笑う。「ほんの一部の、護衛任務につく騎士だけです。騎士団の通常任務は、領地における外敵への警戒です。リンゲンはモンスターも多いですから・・・そうですねぇ、増減しますが、現在の人数は2千名弱、というところです」
わたしの言葉に、話し手のマイゼン氏と、隣のクジカ氏も驚いたような表情をする。オーギュ様も大きく息をする。
「2千!」声を発したのは続けてマイゼン氏だ。「2千もの騎士を、常抱えされているのですか? 三公と変わらぬ兵力ではないですか」
「わたくしも、一代位とはいえ、公爵位をいただいておりますから」わたしは言う。「ですが、先ほど申し上げたように、人員は普段は対モンスターの領地警戒にあたっておりますから」
「ですが、2千の騎士といえば、維持するための費えも尋常ではないのでは? 公爵家による支出ですか? ロンファーレンスの公爵様は、その費用をお認めに?」
ああ・・・費用的な意味での驚きね。
たしかに、騎士団に限らず、軍事組織にはとてもとてもお金がかかり、維持が大変なのだ。
でも民の安全をお金で買っていると考え方も確かにある。安全がお金で買えるならば、それに越したことはない。
けれど、このマイゼンという人、よく知っているなあ。元会計だからかしら?
「いえ、霞姫騎士団の費用は、リンゲンの収入でまかなっております」答えて、わたしは声をひそめる。「ですが、たしかに・・・、ここだけのお話にしていただきたいのですけれど、なかなか負担が大変で。税をあげることも難しいので、事業を興して、その利潤でまかなっているのですよ。いまはなんとか安心ですが、事業が軌道に乗るまでは大変でした」
「それでは、リュミフォンセ様が、彼らを養っていらっしゃるということでは? まだ、15歳でいらっしゃいますよね?」
「それでも領主でおりますから。仕方がありません。領民を守る武力を維持するのも、わたくしの責任のうちと心得ております。残念なことですが、貴族の責任は、年齢を問題としてくれません」
マイゼン氏は一瞬だけ目を見開いて、だがすぐに元の笑顔に戻った。
「素晴らしい覚悟でいらっしゃいますね。リンゲンの民はみな、深森の淑女に心服していることでしょう。・・・ですが、現在の護衛は、いささか少なすぎるのでは?」
彼は後ろを振り返って言う。誰が護衛だと言ったわけではないけれど、仕草などから判断したのだろうか。
確かに、いまこの場にいるわたしの護衛は、アセレア、シノン、クローディアの3人。クローディアはやる気が疑わしいので、実質前者の2人、ということになる。
「この地では、護衛の必要を感じませんし、万が一何かあっても、彼女たちはとても頼りになりますから」
「なるほど。魔王と対峙した英雄姫は、何かあっても切り抜けられると・・・豪気な姫君でいらっしゃいますね」
「えっ?」
わたしは驚く。北の辺境伯家に守ってもらうから、護衛は必要ないということだよ? それがどうしてそんな結論に・・・。
この結婚式の主人役は辺境伯たるアブズブール家。賓客の安全を守るのも主人役の務めだ。そこに護衛を大量に連れ歩いたら、主人役を信用していないと言っているようなものではないか。それでは信用を築けない。だから護衛は最小限だ。
ここはひとつ、がつんと主張しておかねばなるまいて。
わたしは困ったふうな表情をつくり、頬に手を当て、少し首をかしげる。これで上品なお嬢様風に見えるはずだ。
「そんな。わたくし、か弱いのですよ?」
ひくっ。と、隣で話を聞いていたオーギュ様が表情をひきつらせたような気がしたけれど、わたしは構わず言葉をつなげる。
「ここは我々の義妹が嫁ぐ先ですもの。本拠地同然です。そんなところに護衛をぞろぞろ引き連れて歩くわけには参りませんもの」




