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176 リンゲンの新規事業







あの方が招待されていることは知っていた。そして、こういう場でないと、会うことができない人でもある。けれど、その方が実際にこの北都ベルンまで足を運ぶかどうかは、こうしてこの場に来てみるまでわからなかった。


儀礼上のお誘いだという解釈をしたり、多忙であったり、また政敵であるからと参加を流される場合もある。事実、東部公爵と南部公爵はこの婚礼の場に足を運んでいない。まあこれは、招待を送るほうも、送らなければ送らないで、それはまた別の問題になるから・・・面倒なことね。


ともかく。その方にご挨拶したいからと、わたしはサフィリアたちの場を離れてきた。サフィリアだけでなく、ヴィクト様やオーギュ様まで、なぜかほっとしたような表情をしたのが気になったけれど・・・。


わたしがか弱いと、そんなに変かしら。傷ついちゃうわ。


まったく。と声に出さずに呟きながら、わたしは背にまわしていた、ショールを整える。若草色の柔らかなものだ。


そして、わたしは自然開いた人混みを渡りーー目当ての方に声をかけた。


見開かれた紅色の瞳が、わたしを映す。


けれど次の刹那には、その方ーーディアヌ=ポタジュネット様は、婉然と微笑んで、わたしを迎えてくれた。







「お久しぶりね」

「覚えていらっしゃいますか? 初めてお会いしたときのことを」

「もちろん。貴女のことは、忘れようとしても忘れられないわ。印象深くて」



ディアヌ=ポタジュネットーーロンファーレンス家と対をなす、東部公爵家の第一の姫にして、第一王子セブール様の妻でもある人だ。今回の結婚式では、東部公爵も第一王子も欠席しているので、両方の代理という重い立場でもある。


そんな彼女に出会ったのはもう2年も前のことだ。わたしが夜会に参加するために、初めて王城に参内したときに、王城の内部や王家にまつわるあれこれを指南してくれた人。


まあそのときは、別の事情もあってお互い複雑な立ち位置だったのだけれど・・・。それはさておき、彼女は次の王位という視点がからんだときに、わたしがーーわたしたちが、貴族のなかでどんな立場にあるのかを教えてくれたひとだ。振り返ってみれば、わたしは、そのときに初めて、自分の置かれている状況について、理解し始めたのだ。


ただ、彼女を手放しで味方と言えるわけではない。当時はまだ立場が未確定な部分があったけれど、その後、わたしがオーギュ第二王子の婚約者となった。


いまは、お互いの利害は、対立することのほうが多いだろう。


わたしは、ディアヌ様から見れば、すでに二重の意味で敵として認定されていてもおかしくない。


東部公爵家と仲の悪い西部公爵家の一員であり、さらに第一王子と王位継承権を争う第二王子の婚約者。


けれど、ディアヌ様はその重要な立場にふさわしく、美しく優雅で、しかも理知的で洞察が深く、公平な精神を持っている。


ーー彼女の優れた人格、人品。それが、今回わたしが彼女と話をしたかった理由だ。


そんな彼女は、わたしが挨拶をし対話を求めても、邪険にすることではなく、むしろ人払いをして受け入れてくれた。器が大きいのだ。


そういうわけで、宴会場の端ーー野外なのでどこまでもが会場だけれどーーまで来て、わたしたちふたりは会話をしている。持ち物は、お互いの飲み物が入った杯だけだ。


喧騒が少しだけ遠ざかり、気持ち良い風がわたり、草がそよぐ。けれど、わたしには鋭い視線が突き刺さっているのを感じる。


目端で確認すると、軍服に無理やりいかつい体を押し込んだような男性が、何人か。彼らがそれとなくわたしを見ているのだ。おそらく、ディアヌ様の護衛だろう。


わたしの護衛も、それとなく位置取りをしている。近づいてこないように目線だけで私の護衛のアセレアに示し、そしてディアヌ様に向き直る。彼女は、余裕をもった微笑みでわたしを迎えてくれる。


彼女の微笑みは、とても優美で、魅力的だ。


「大黒狼に乗って、深森の淑女が、王都の空を駆ける。あのときは、ずいぶんと話題にのぼったものですよ。もう2年前ですか」

「お恥ずかしいかぎりです。若気のいたりということにしていただけませんか」

わたしは、自分の頬に手を当て、血が差していないか確かめながら、言葉を続ける。

「あの頃は13歳でした。この春に、15歳になりました」


「若気のいたり」

くすっと、ディアヌ様は笑った。

「いまでも十分に若い、それもまだいとけないぐらいにーーと思いますけれど。でも、貴女がおっしゃるのなら、そういうことにしましょう。でも、時が流れるのは早いですね。ーーたしか、あと1年でしたか?」


ディアヌ様に聞かれて、わたしは頷いた。


「はい、そうです。来年の春、16歳です。何事もなければ」


言葉はいくつか省略されているけれど、16歳になったとき、わたしはオーギュ様と結婚することになっている。そういう約束なのだ。


そして身分ある者同士の約束は、ただの婚約である以上に、一種の事業契約なので、貴族社会のなかにきちんと通達されていて、知れ渡っている。だから、ディアヌ様がその事情を知っていてもおかしくはない。むしろ当然だ。


つまり、将来、わたしは第二王子の介添になり、第一王子の妻である彼女と、確定的に真っ向から利害が対立することになる。その期限があと1年なのだ。その前提条件を、お互いに確認した。


「ディアヌ様も、あの頃とお変わりないですね。とても素敵です」

「ありがとう。貴女もね。・・・その若草色のショールも」


目配せだけでわたしのまとうショールを示してみせる。


「とても綺麗ね。うっすら輝いているように見えて・・・魂力(エテルナ)を帯びているのかしら? 花嫁とおそろいのように見えるけれど、ひょっして、リンゲンの特産品かしら?」


ディアヌ様の問いに対して、わたしは微笑む。


なんでもないように見えて、さすがの指摘だ。


このショールは、リンゲンの新規事業によって興された、特産品。名付けて『精霊布』という。


直近の2年の間で、リンゲンで新規事業を興し、調査と検討と実験の末、魔王領で発見した自然素材「魔綿」を、人の手により育成することに成功したのだ。


素材となる特殊な綿花「魔綿」。それは、肥沃な土地にしか生えない、魂力を帯びた淡く輝く綿花だ。摘花・採取して、ろう質の洗い・真水さらしの工程を経て糸にする。それを機織りによって加工しやすい反物、布『精霊布』に仕上げる。そして『精霊布』をつかった特殊な衣服や防具の最終製品にまでリンゲンで一貫して仕上げるのだ。


原料から最終製品までの一貫生産であるため、利益も大きいけれど、事業としても巨大だ。


リンゲンで増える一方の人口に対応するために企画した新事業だけれど、素材が特殊なために工程も特殊にせざるをえず、結局すべて自前で開発せざるをえなかったのでそうなったのだけれど・・・結果として、「リンゲンがまた新事業を興し富裕になる」と周辺領主から警戒されることになっているのだ。


独自技術も多いので、技術者や職人の仕事を守るために領外へは秘匿している情報も多い。何を作っているかも、まだ積極的に情報公開はしていない。


今回の婚礼では、最終試作品のさりげないお披露目の場として考えていたのだけれど・・・。


こちらから説明するまでもなく、さらりと指摘したディアヌ様はやはり鋭い。


それに・・・目がつくってことは、商品として魅力的だってことよね。


売れそう・・・いえ、事業が成功しそうで喜ばしいわ。


この『精霊布』は、素材自体に魂力(エテルナ)を帯びているのが特徴だ。


淡く発光して美しいだけでなく、魔法抵抗があるので防具としても高性能である。


これまで、魔王領にしか育たない魔綿を使った衣服は、精霊が気まぐれに織物にして、それを特殊な職人が、例えば魔法使いのローブなどの防具に転用したものしかなかった。偶然が重なってできる奇跡の一品。歴代の勇者一行が身につけるようなもので、それこそ伝説級の値段がついた。


今回は、その伝説の防具の量産化に成功したということになるのだ。


美しく、軽く、高性能な布を使った衣服や防具は、近い将来リンゲンから出荷を始め、王国内に流通させる計画だ。


売れに売れるだろうというのが、リンゲンの事業全般を担うレオンの予測だ。


そもそも、普通の綿花でも、それを育て、それを使った製糸・織物の産業にも人手が必要なものだが、精霊布の製造には、特殊な素材であることとそれに伴う諸般の事情から、普通の綿織物よりもさらに人手がかかる。設備も技術も特殊だし、結果的にお金もかかる。


いやほんと、ものすごくかかった。他の事業で稼いだ貯金を吐き出すくらいだ。


こんなに精霊布のお金をかけるのであれば、直接、民にお金を渡したほうが早いんじゃないの・・・と思い、政務官であるレオンに言ったことがある。けれど、彼は相変わらずにべもなかった。


『民草に直接お金を渡してどうなるのです? 使って終わりです。1ヶ月も持たないでしょう。しかし、新たな事業を興せば、さらにお金が増えて救える民が増えるだけでなく、彼らに働き口も提供できるのです。それも事業が続く限りの期間です。施策の優劣を議論する価値があるでしょうか?』


そう言われて、頭の可哀相な子を見る目で見られたものだ。わたしはいまや正式に領主となっているはずなのだけれど、扱いはこんなものである。


精霊布に話を戻せば、量産準備の段階に入っている。必要な設備を揃え、職人や技術者、労働者も集まりつつある。さらに、魔綿の畑はモンスターを呼び寄せるという特性があるため、護衛のために冒険者たちも雇った。


もう本当に大変なのだけれど、領主という立場から見れば、必要な人手が多いということは、悪いことばかりではない。事業が大きければ大きいほど、失業者の受け皿になれるという側面があるから。特に精霊布事業は、魔綿の畑の護衛という仕事があるため、荒事しかできない不器用なタイプの冒険者にも仕事を与えることができた。


『精霊布』の事業は、これまでの魂結晶、農産物、森林資源、石材の販売に加え、リンゲンブランドの中心商品を担うことになるだろう。


リンゲンの人口増加によって必要になる、新たな財源確保と、魔王討伐後の冒険者失業問題を、一挙に解決する重要な殖産施策なのだ。わたしの2年の多くは、この新産業の育成に割かれていたりする。それがようやく実るということで、感慨深い。


そんな新規事業の立ち上げの動きは、さきほども言ったけれど、諸侯からも注目を浴びている。ストレートに質問してくる人もいるけれど、陰に陽に諜者を放ってくる諸侯もいる。そちらのほうがむしろ多い。


なぜそれを知っているかといえば、リンゲンの官僚たちのレベルがあがって、他領の諜報活動を察知できるようになったからだ。わたしのところにも、しょっちゅう報告もあがってきている。でもいまは実害もないので、取り締まってはいない。


でも、精霊布事業での機密管理は、意図していなかったけれど、結果的に、かなりしっかりしたものになっていたので、事業の詳細までは諸侯に知られていないはずだ。


なぜ機密管理がしっかりしていたかと言えば、これは事業の特性上の都合だ。魔綿畑がモンスターを呼び寄せるため人工的な危険地帯が発生する。そしてモンスターから畑を守るために、厳な護衛体制を築く。それでも人里への被害を減らすため、かつて辺境と呼ばれていたリンゲンのさらに辺境に事業拠点を置いたのだ。


そういうわけで、精霊布の事業開発拠点は、周辺から隔離され、自然と外部の人が近づけない状況になってしまっていたのだ。


意図的にそうしたわけじゃないのだけれど、結果的には、水も漏らさぬ情報管理体制になってしまったのだった。


ふと思ったのだけれど、周囲からみたら、何をしているかまったくわからない部分があるって不気味よね・・・。


説明がめっちゃ長くなってしまったけれど、背景はそんな感じだ。


わたしはディアヌ様の「リンゲンの特産品かしら?」という問いに、自然な笑顔で答える。


「ええ。お目が高いですね。これは、リンゲンで新しく開発生産した最新の素材、『精霊布』のショールです」


隠していると思われるのもいやなので、惜しげもなく情報をさらす。


ディアヌ様にとっては、このショールよりも、この情報のほうが、価値が高いと思うはずだ。


まあ!


と、ディアヌ様は、さも驚いたように瞳を輝かせた。









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