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174 大宴会②






結婚式の主役、新郎新婦に声をかけるため、わたしは上座へと向かっている。


楽団が入って手風琴の調べが流れ始めた。


そこかしこで打ち合わされる杯の音と、空に放たれる笑声。


大宴会に参加する数百人の人々の隙間を縫うように進みながら、わたしは花嫁であるサフィリア昨晩の会話を思い出していた。



花嫁とそれに近しい関係者は、結婚式の前日に、北都ベルンに入った。


伯母様が選んだサフィリアについた侍女たちはまだ経験が浅いので、わたしの侍女たちが、サフィリアの結婚式の最終確認をすることになっていたのだ。具体的には美的感覚に優れ、この種の儀礼をたくさんこなして準備に長けたチェセが、式場や花嫁の衣装を事前に確認する。


そして式の前日、花嫁は母親と一晩を過ごし、嫁としての心得をよくよく含められるのが習慣なのだけれどーー、精霊であるサフィリアには、当たり前に母親が居ない。


なので、義姉であり、元あるじであるわたしが、母親役を勤めることになった。


もちろん未婚のわたしが結婚の教訓など言えるはずもない。日中は、サフィリアと思い出話をして、その日は寝台をふたつ並べて、眠ることになった。


花嫁の準備のため取られた宿は、北の寒さを遮るため、絨毯の長い毛足、窓には飾り房のついた厚手のカーテン。その隙間から漏れる星明り。明かりの消えた薄暗い部屋で、春なのに暖炉で熾り火が赤く明滅している。


隣を見れば、サフィリアがいる。梳いた銀髪を広げ、胸が規則正しく上下しているけれど、瞳は開いて天井を見ている。


薄闇のなか、わたしたちはぼそぼそと言葉を交わし。そして、わたしは気になっていたことを聞いた。


「ねぇ・・・サフィリアは、この結婚のことをどう思っているの?」


「・・・とても良いことじゃと思っておる。あるじさま、みんな。感謝しかない」


「けれど良い面ばかりじゃない。サフィリア、貴女もわかっていると思うけれど、これは政略結婚なの。率直に言えば、わたしたちは貴女の結婚を利用している。それについて、本当はどう思っているの? いやじゃない・・・の?」


「・・・」


サフィリアは首をころんと横向け、青い瞳をわたしに向けた。


「利用しているのはお互いさまじゃ。あるじさまたちも、わらわも、望む結果が得られた。交換は成立じゃ。それで良いのではないか? 純粋な気持ちだけでは、望むものは手に入らぬし、気持ちが純粋ならば良いというものでもあるまい。そのくらい、わらわでもわかるわ・・・」


「じゃあ・・・サフィリアは・・・そんなに、好き、なの? ヴィクト様のことが・・・。きっとたくさんの困難があると思う。それでも、一緒にいたいと、そう思っているの・・・?」


「うむ・・・。そうじゃな・・・。精霊としては変なのかも知れぬが、わらわは家族が欲しい。いや・・・欲しくなったのじゃ」


「そう・・・」わたしは少し迷い。けれど、意を決して聞く。「・・・サフィリア。貴女、からだが悪いの・・・?」


「何を。むろん元気じゃ。今日も、たくさんうまいものを食べさせてもらったしのう」


わたしの侍女であったころは、自然みなが食べる量に合わせていたものだが、ロンファーレンス家の養女となったものが食べたい量を食べるのはごく自然なことで、サフィリアの食費は増えたと聞く。けれど彼女に他に奢侈な趣味があるわけではないし、出費としては可愛いもの。それよりも、美味しいものをいくら食べても太らない精霊の体のほうが、うらやましいかも知れない。


けれど、いま聞きたいのはそういうことではない。


「体調については信じるわ。けれど、貴女はちからがまだ・・・戻っていないのでしょう?」


「・・・気づいておったか。さすがにあるじさまじゃな」


2年前の魔王の戦いのあと、サフィリアから感じられる魂力が大きく落ち込んだ。激しい戦いだったし、わたしも実は完全回復までそれなりの時間が必要だった。けれどわたしは回復したのだ。けれどサフィリアは・・・。


「前に比べれば、ちからは、戻るには戻ったが・・・。それでもかつての6、7割といったところかのう。完全に元に戻るかどうかは、わらわ自身にもわからんのう」


薄闇に沈黙が落ちる。


「サフィリア、あなた。ひょっとして、余命を感じたから、今回の結婚を急いだの・・・?」


「それは違うぞ、あるじさま」語気に真情がこもる。「誓っていうが、残りの生命が長いとか短いとか、そういうことでは選んでおらぬ。わらわ自身は、あるじさまよりも、長生きすると思っておるぞ」


「ちからが戻っていないことは、ヴィクト様は知っているの?」


サフィリアは柔らかそうな布団のなかで頷いて返した。


「むろんじゃ。手紙で近況をやり取りしておるからの。言っておくが、このことは、あるじさまにも隠しておいたつもりはないぞ。ただいつちからが戻るかわからんということは、明日突然元通りになっておるかも知れん。そうなったら心配かけるのも馬鹿々々しいからの、言わなかっただけじゃ」


「そうだったの。ーーわかったわ」


サフィリアの気遣いは、真心からのものだと感じた。けれど、これだけは聞いておきたくて、わたしは尋ねる。


「ところで、ヴィクト様は、なんて言っているの?」


「ん・・・。『そんなことは関係ない』そうじゃ。むしろわらわの身を案じてくれたわ。わらわのちからが目的ではない、欲しいのはわらわ・・・」


饒舌に言いかけて、サフィリアは言葉を止めた。


「いや。今のは。無しじゃ。忘れてたもれ」


サフィリアは、恥ずかしそうに白い両手で自分の顔を覆ってしまった。これもわたしが見たことのない反応だ。彼女をこれほど変えたものの正体を知りたくて、わたしは続けて聞くことにした。こんなにいろいろ聞けるのは、この夜以外には、きっと無い。


「サフィリア。貴女にとって、恋って、なに・・・?」


「んむ・・・? それは、よくわからん」


即答。だけど、続きがあった。顔を覆っていた手を少しずつさげながら、サフィリアは言葉を紡ぐ。


「わからんが・・・あやつのことを考えると、こう、な。胸がきゅーっとなるのじゃ。こういうことは、長く生きてきたが、そうそう起こらん。だから、その数少ない機会を、大切にしたくなったのじゃ」


「・・・」


「長い生など、無価値なものよ。ただ生きているのであればな・・・。わらわは、価値のあるといえる、生命が燃える時間が欲しかったのじゃ・・・」


わたしは布団のなかでもぞりと動く。サフィリアも、もぞっと動く。お互い視線を交わす。


「あるじさまにも感謝しておる。あるじさまに出会って、わらわの時間は、毎日が祭りになったのじゃから」


「お祭りに?」


そうじゃ、とサフィリアは答える。わたしにはよくわからないけれど、サフィリアはにとってとても大切なことを言ってくれたのだとはわかる。


「本当に生きる価値のある生は、流れ星のようなもの。わらわはあやつを望み、あやつもまたわらわを望んでくれた。流れ星が交わる時間は、きっと、もう、二度となくて・・・じゃから、この機会を、逃したくないと思ったのじゃ。わらわのわがままで、あるじさまに迷惑をかけていたなら、申し訳ない」


すまぬの、と言葉が青白く照らされる部屋に溶ける。迷惑なんかじゃない。


「迷惑なんかじゃないわ。わがままだとも思わない。そうね、ただ・・・あえて言うなら、いまのサフィリアは、眩しくて、少しうらやましい・・・とわたしは思っているんだと・・・思う」


そうか、と言って、サフィリアは枕の上でにっと笑顔になる。そこに華が咲いたように。


「あるじさま。わらわはいま、幸せじゃ」


夜だというのに、眩しいほどに輝いてみえた。彼女の表情も、言葉も。





■□■





「リュミフォンセ?」


呼びかけられて、意識が引き戻る。大宴会の喧騒。笑い声、手を打つ音、屋外の日差し。


わたしの先を行っていたオーギュ様が、振り返ってわたしを見ている。


「どうしました? 人いきれに当てられましたか?」


一度休みますか、という問いかけに、わたしは首を横にふる。肩に巻いている若草色のショールを、襟元にすこし引き上げた。


「すこし、夢をみていました。気分が悪くなったわけではありません」


「ゆめ・・・」軽く首を傾げる。「こんなにぎやかなところで? 私の婚約者殿は不思議なかただ」


そういって、オーギュ様は愉快そうに笑う。


そして、わたしたちは新郎新婦のところまでやって来た。


「オーギュ殿下!」

「ヴィクト。おめでとう。フェルからも祝いの言伝を預かってきたよ」


ふたりは言葉を交わし、お互いの胸を拳でどんと小突きあっている。ふたりには、なにかと親交があるらしい。


わたしは花嫁のほうに向き合う。花冠を模した金の冠を銀の髪に乗せた花嫁は、薄青の晴れ着に身を包み、薄く輝く純白のショールを肩にかけ、佇んでいる。


「サフィリア。綺麗よ、とても。結婚おめでとう」

「んん・・・義姉さま。ありがとうなのじゃ」


お互いに両手を伸ばし、柔らかく抱きしめ合う。主従関係は終わっているのだけれど、精霊の法があると言って、サフィリアはわたしのことをあるじさまと呼び続けている。とはいえ、人前でそれはけじめがつかないので、義姉さまと呼ぶようにと取り決めた。


呼び慣れていない呼び方で、わたしのことを呼ぶ。これからサフィリアは人の身ですらないのに、他家に嫁ぎ入る。わたしの呼び方に限らず、これからは慣れていないことの連続だろう。それを思うと、抱く腕に知れず力がこもる。


前に困難があることを知っていても、寄り添いたい人と一緒に居ることを選んだ。


その選択が彼女にとっての幸せでありますようにと、わたしは祈った。











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