173 大宴会①
新郎新婦が屋外の草原に誂えた式場で愛を誓い合ったあと、やはり屋外に備え付けられた宴会場へと移動する。これが北部風。大宴会の始まりだ。
雪が溶けたばかりの北部の春はまだ少し肌ざむいが、これでもかと昼間にもかかわらず暖を取るための篝火が惜しげもなく焚かれているので、立ち位置によっては暑いくらいでもある。
巨木を縦に割った重厚な長卓にはご馳走が並べられ、脇のほうでは、臨時の調理場で料理人たちが、高級食材を使って、続く皿をいままさに調理している。
わたしたちが案内されて席につくとほぼ同じ時宜に、お色直しをした新郎新婦が、上座に現れた。
新郎のヴィクト様は黒を基調とした軍服のような服に、勇猛さを示す熊の毛皮を両肩にかけ、サフィリアは瞳の色に似た青色の清楚なドレスに、真っ白な雪のようなショールを羽織っている。そして本人の希望で追加されたという、蒼い花飾が髪に揺れている。
(見立て通り。やはり流行の蒼色は、サフィリアさんの綺麗な銀髪によく映えてます)
(花婿も本当に凛々しくて、おふたりともよくお似合いで・・・。いやだ。つい涙が)
満足そうに呟き合っているのは、侍女のチェセとレーゼだ。
彼女たちがサフィリアのドレスを見立て準備したのだ。苦労した分、喜びもひとしおだろう。
(ねぇ。本当に僕らはご馳走を食べられないのかい。それって差別ってやつじゃないのかな?)
(だめよクローディア、『待て』よ!)
(僕は犬じゃないよ)
(だったら犬みたいなこと言わないのよ)
(護衛は、主人の宴会中に飲み食いしない。運が良ければ、終わったあとに下げ渡しがーー)
(本当かい? それはちゃんと約束かい?)
(約束じゃない。とにかくもう黙れ)
これはわたしの護衛である、アセレア、クローディア、そしてシノンの会話だ。
シノンは霞姫騎士団の制服を身にまとい、灰色の髪を整髪油で固めて、いっぱしの護衛の格好だ。2年前に比べて、少しだけ背が伸びたらしいけれど、見た目にはそんなにわからない。けれど、表情はずいぶんと変わった。精悍な顔をするようになったと思う。クローディアはもともと長身なので、制服がよく似合う。
アセレアはともかく、このふたりがどうして護衛としてついてきているかは、またあとでお話することがあると思うので、まあ後回しだ。
それよりも、挨拶が始まる。主役の新郎と新婦が、ともに緊張をしながら、上座の長卓から挨拶を述べ始めた。
その花婿花嫁を挟むように左右の次の卓に座るのは、ヴィクト様の両親である北部辺境伯夫妻と、サフィリアの養親を勤めるお祖父様と、その相方として伯母様が座っている。
少し離れた別の準上座に、王族の席がある。王族として、かつ新郎友人の立場として、第二王子であるオーギュ様とそのご友人たちもこの式に参加している。わたしの席からは少し距離があるけれど、彼はわたしの婚約者だけど、まだまったく言葉を交わせていない。あとでお話にいかなくては。
それから、この祝いの席には王族だけでなく、有力諸侯がこの場に集まっている。普段会えない人との顔つなぎの場所だ。この場で新しく持ち込まれる案件もあるだろう。政治の視点でみれば、大切なお仕事の場所だ。わたしはふんむと心のなかで気合を入れる。
新郎新婦の挨拶は初々しいが、歯切れのよい明瞭な言葉で途切れなく紡がれ、安定感があった。若い二人の前途を祝うため、皆が、美酒が注がれた銀杯を掲げる。
「ではーー乾杯」
乾杯! という言葉がそこここで交わされて。
がががんががんと杯が打ち合わされる。
今度こそ、大宴会の始まりである。
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お酒が入ったあとには、鳴り物と歌と踊りと笑いと野次と酔っぱらいが転がる。ときに力比べと度胸試しと喧嘩と流血沙汰のーー尚武の気風を示す、荒々しい無礼講の場。それが一般的な北部の大宴会らしい。
なかには、大宴会のただなかに、『花嫁攫い』と呼ばれる儀式も行われることもあるのだそうだ。
『花嫁攫い』の儀式とはーー花嫁の夫となることを自分たちも求めたが、残念ながらあぶれてしまう男たちが、新婚夫婦の初夜を奪いに、徒党を組んでやってくる。花婿は、自分の仲間を率いてその男たちを打ち倒し追い返すか、花嫁を守り逃げ切らなければならない。
制限時間があるのと素手で行うこと・・・というのが絶対の掟らしいけれど、毎年結婚式で大怪我人も出ているらしいので、ただの習慣だと笑っても居られない。花婿が負けた場合、とりあえず花婿は本当にぼこぼこにされるらしい。花嫁がどうなるのかは聞いていないけれど、結婚自体が流れることは無いとのこと。これもまた掟なのだそうだ。
まあ、この度の婚礼は、風俗を異にする中央はじめ他の地域から高貴な立場の方々が列席されている。大宴会も北部の慣習を無理に当てはめず、穏やかなものにする予定ーーと聞いている。
けれど、貴族の結婚式は、政治の場。益荒男同士の花嫁の奪い合いの戦いはなくとも、別の戦いがある。
「おお、おお、フランツ殿。よくいらっしゃった! 北部へようこそ。歓迎するぞ」
「ハインリッヒ! 久しいな。我が娘が、世話になる」
大きな声で久闊を叙し合い。がつん! と形が変わるほどに、花嫁花婿の前で銀杯を打ち鳴らしているのは、西部公爵たるお祖父様と、北部のハインリッヒ=アブズブール辺境伯だ。
ふたりとも髪もひげも真っ白なお年だが、筋骨隆々とした立派な体格だ。年齢はといえば、たしか辺境伯がお祖父様より一回りほど年下のはずだ。
だがふたりとも戦場で出会い、ともに戦った仲だと聞いている。辺境伯は自領からあまり出ないと聞くけれど、戦友同士で通じ合うものがあるのだろう。先程の乾杯は、ふたりの友情が、血縁の結婚によって、家同士の同盟に変わった瞬間でもある。
「ハインリッヒ猊下」
「おお・・・。その豊かな髪、深き瞳・・・。ラディア殿か」
一瞬で並々と強い酒が入った杯を干した辺境伯に近づいたのは、美しく着飾ったラディア伯母様である。
「はい。覚えていらっしゃいますか」
「もちろん。それに、最近は大活躍だと噂に聞いている。この度の結婚も骨折りいただいたとも。貴女にはいくら感謝しても足りぬ」
言いながら、ふたりはかんと杯を合わせる。
「西の公爵家の次代を担うのが女子であると聞き、か弱くないかと心配していたが・・・。ラディア殿の瞳を見ればわかる。聡明さ、手腕。なんの心配もいらなそうじゃな。跡継ぎに恵まれて楽隠居をするフランツが羨ましいわい」
そう言って高笑いする辺境伯。その合間に、伯母様から目顔で呼ばれたので、わたしも辺境伯に近づき、挨拶をする。
「おはつにおめもじ致します、猊下。フランツが娘、リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲンに御座います」
「おう、これはこれは! 世に名高き一代公か!」
辺境伯は地声も大きいけれど、動きも大きい。どすどすと足音をさせて、わたしに近づいて、挨拶を返してくれた。わたしは微笑し、言葉を続ける。
「この度の良縁、まことに祝着に御座います。これからもますますの両家の発展と繁栄を心より願っております」
「おう、アブズブールとロンファーレンス。この二家が手を組めば、恐れる敵などあろうはずもない。ご安心めされよ、公爵家の英雄姫よ」
わたしは恐縮して微笑んで見せる。そのわたしの顔を、辺境伯はまじまじと覗き込むようにして見る。辺境伯は上背があるので、自然、上から押さえつけられるような感じになった。
「それにしても美しい。夢見るようなけぶる瞳に、濡れ羽のようなきらめく髪・・・。街の小物屋で売られている姿絵よりも美しいのではないか? 年若くして一代公の爵位を賜るなど言われるから、実物はどんな男勝りかと想像していたが・・・求めて追えばはかなく消えてしまいそうな、か弱く美しき姫ではないか。いやいや果たして、王国一の美姫の噂どおり、いや噂以上じゃな!」
正面から見据えられて大声で褒められるというのは結構な辱めだけれど、わたしは令嬢力を発揮して、おっとりと微笑んで見せる。これで受け流せるといいけれど。
でも短いやり取りで、辺境伯は、豪気で思ったことをすぐに口に出す裏表のない性格だとわかる。好ましいと思うけれど、政治をする上では不利かも知れない。
それにしても、か弱い姫か・・・。わたしが、か弱い姫・・・。
うん。この人、間違いなく良い人だわ。うん。
わたしのなかで、辺境伯を良い人認定する。と。
「私の婚約者をそのように褒めていただき、光栄ですな」
背後から声がして、わたしは不意にそっと肩を抱かれた。
「おおっ、これは・・・! オーギュ王子殿下ではないですか!」
愉快そうに、辺境伯が言う。よく出来た給仕が、突き出された辺境伯の杯を酒で満たして去った。わたしは首だけで後ろを振り向き、それでは顔が見えないので、仰ぎ見る。
すっきりとした顎のライン、きらめくような金の髪、すずやかで自信に満ちた瞳。確かにオーギュ様だ。
わたしもこの2年で背が伸びたけれど、オーギュ様も背が伸びたらしい。わたしの頭は、彼の胸あたりの高さだ。
彼は、ひさしぶり、というようにわたしに向けて片眼をつむる。わたしはただ頷いてみせる。
「うーむ。これは美男美女、悔しいがお似合いじゃな」
うんうんと感じ入るように頷く辺境伯と、オーギュ様は杯を合わせる。がつんと力強い音が響くけれど、オーギュ様は押し負けることはなかった。
「これはどうも。それから、ご成婚おめでとうございます。両家の発展を願うとともに、私もまたその発展とともに歩ませていただきたいと考えております」
そのオーギュ様の言葉に、辺境伯は、突然ぎろりと鬼気のこもった睨みをくれる。だが、オーギュ様はたじろぎもせず、涼しい顔をして返答をも待っている。
やがて辺境伯は鬼気を解き、また笑声をあげた。
「かっかっか! ずいぶんと器をあげましたな! 前に見た時は頼りなさが先に立ちましたが、いまは違う! 婚約で変わりましたかな?」
先程のは、武人の睨みというものだろう。度胸試しの一種で、オーギュ様は辺境伯のめがねに適ったらしい。
辺境伯から見れば、いずれはオーギュ様は息子の嫁の姉の夫、婚族となる者だ。そして貴族の婚姻の連なりは、そのまま同盟につながる。
オーギュ様は苦笑して、杯を取り上げる。彼の腕は、まだわたしの肩にまわっている。
「それはあながち間違いとは言えない。私は婚約者殿との成り行きで、なんどか死線をくぐりましたから」
かあんっ。オーギュ様は再び杯を辺境伯を合わせ、不敵に笑い合う。
これはこれで、第二王子と辺境伯家の同盟の誓いになるのだろう。
・・・ん? わたしとの成り行きで、死線をくぐったって、魔王との戦いのことかしら? もう2年も前のことなのに。オーギュ様、あの戦いに巻き込んでしまったこと、ひょっとしてまだ根に持ってたりするのかしら・・・?