156 ヴィエナへ①
ヴィエナは、王国を貫く大河ウドナ河畔の内陸貿易の中継地として栄えた古都だ。
昔からの大商人が多く、大廟所が有名な街。灰色の方形の城壁を抜けると、一面が石灰岩の石畳が敷かれており、瀟洒で大きな建物が立ち並ぶ。建物には繊細な模様彫刻が施されているけれど、飾られた青銅の塑像に貼られた黄金の箔はすこし剥げている。
かつては国中の物資がここに集められたものだというけれど、王都が集積地としての役割をより強く果たすようになってから、相対的にヴィエナの役割は小さくなっていき、いまは西部の中心都市であるロンファの河の玄関口の役割を果たすに過ぎない。
けれど昔の栄華は都市に文化をもたらし、音楽などの芸術が今もなお盛んだ。
さらには重厚な格式を都市に残していて、その気風はまだ残っているーー門兵にもだ。
「門兵よ、役儀苦労。私はヴィクト=アブスブール、いっときの騎士として付き従う者! この御方は『深森の淑女』と名高いリュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲン様。そなたらの主家のご令嬢だ! さあ、わかったら門を通すのだ!」
従者もつけず、戦闘後で戦塵と旅塵にまみれたわたしたちは、貴族だとすぐに信じてもらえなかった。居丈高な門兵によって足止めをされたところを、ヴィクト様の一喝で通してもらったのだ。
そして、わたしたち一行はヴィエナの市壁のなかに無事に入ることができた。
いまわたしと行動をともにしているのは、ヴィクト様、シノン、サフィリア、バウだ。
「ロンファーレンス公爵と待ち合わせの場所というのは、フジャス商会の渉外館でよろしかったですか?」
ヴィクト様の問いに、わたしは「はい、そうです」と頷く。
「わかりました。借りている騎乗鳥獣を厩舎に返し、それからウドナ河畔の渡しに向かいましょう。そこに商館が集まる区画があります。途中で辻鳥車が拾えるようなら拾います」
てきぱきと段取りを決めてくれるヴィクト様に従い、人通りのわりに広い街路には、馬車専用道路がある。わたしたちは鉄軌条が敷かれたその道路を、騎乗鳥獣を軽く駆け足させ、わたしは昨日のことを思いながら進む。
昨日、ルーナリィと魔法戦ーーリシャルによれば親子ゲンカーーを交え、長い親子の会話のあとに、わたしは気を失うように眠ってしまった。
気がつけばわたしは元いた近隣の宿の寝床のなかにいた。あとでサフィリアに聞いたところ、リシャルが運んでくれたらしい。そのときにはリシャルもルーナリィも立ち去ったあとだった。
『元気で。また会おう』という、枕元に置かれていた短い一文の走り書きの手紙が、あったことが夢でないことを伝えてくれていた。
そして、わたしもよほど疲れていたので、目を覚ましたのはもう昼過ぎのことだったけれど、そのときには驚くことになっていた。
勇者ルークが魔王を倒したということがたった一晩で村中に知れ渡り、祝いを述べようとする村人たちで、宿がすっかり取り囲まれていたのだ。
「魔王を討伐したという情報は、この騒ぎとともに王宮にもすぐに伝わるでしょう。しかし噂ではなく、すみやかに王に直接報告すべきだ」
と王子のオーギュ様は、その立場からも実にもっともなことを言った。宿の1階のロビーで、皆が集まって今後どうしようかと行動方針を話し合っていたときのことだ。
けれど、わたしには一緒に王都に同行したくない理由がいくつかあった。まず、わたしはお祖父様とのヴィエナでの待ち合わせの約束の期限が迫っていた。日程的にはすぐに出立しなければ間に合わない。そして、ルーナリィの記憶修正の魔法に抵抗したわたしだけ皆と記憶が違うから、王様への魔王討伐の報告のときに、齟齬が出かねない。そしてそもそも、魔王討伐者になんて名を連ねて目立ちたくない。
「報告に参加されない? なにを仰るのですか。リュミフォンセ様は魔王討伐に大きな功績を果たしたではありませんか。魔王を倒すために助っ人の勇者を・・・あれ?」
わたしを説得しようとしたオーギュ様だったけれど、言いながら首をひねった。
「助っ人に来てくれたのは勇者ルーク殿でしたが、ルーク殿はもともと枯れ谷までついてきてくれていて・・・はて?」
記憶修正の魔法により、皆にとってのリシャルの存在がルークと置き換わっている。けれどルークは同時に存在していたわけだから、このように流れに齟齬が出てしまう。
「ものすごく忙しい戦いだったっすからね。オレもどうも記憶が飛び飛びなところがあるッス。まあもう魔王は倒せたのだから、なんでもいいっスけど・・・」
おおらかにルークが言う。勇者という人種は、器が大きくなくてはいけないから、おおらかでなくては務まらないのかも知れない。
「激戦下の兵士の記憶と判断をあてにするな、というぞ。命を極度に脅かされた強迫的な状態では、熟練の兵士でも前後の記憶は怪しいものだ」とヴィクト様。
「戦いの記憶が、いくつか曖昧なのですよね。サフィリア殿の水の華の結界のなかで作戦会議をしたとき、ルーク殿と話をした記憶があるのですが、そのあいだ、防御結界の外で魔王と剣を交えていたのもルーク殿だったような・・・?」
腕を組んで、オーギュ様が首をかしげる。
「枯れ谷の一面に巨大モンスターがひしめく極限状態での戦いだったのだ、ある程度の記憶の混乱は仕方ないだろう。気がついていないだけで、我々の認識を操る魔法を使われていなかったとも限らないのだからな」
このなかでは一番大規模戦闘の豊富なヴィクト様がそう言うと、みなそんなものか、みたいな顔をして話題を打ち切り、オーギュ様が話題を転じた。
「けれどリュミフォンセ様。ヴィエナまでお一人で行かれるつもりですか? 高貴な年若い女性だけでの旅は、身の回りのことだけではなく、宿や大型鳥獣の手配やらでも、何かと不便なのでは? 地理は大丈夫ですか?」
わたしはうっと言葉につまる。そのとおり、公爵令嬢のわたしは、言ってはなんだが、それなりに世間知らずだという自信がある。あと地理はだいたいの方角しかわからない。
メアリさんがわたしに付いていきましょうか、と申し出てくれたが、それはルークが困ると却下された。報告が不得手なルークは、詰まったときのためにメアリさんの助け舟が必要なのだという。
困った。わたしが我が儘を言っているみたいになってしまった。ここは折れざるを得ないのかと考え出したそのとき、意外な提案をしてくれたのは、ヴィクト様だ。
「ならば、私がリュミフォンセ様の騎士として同行しよう。王都周りの地理は把握しているし、それならば問題ないだろう。オーギュ、魔王討伐については、自分の分も君が併せて王の御前に報告してくれれば良い」
「ヴィクト。君は・・・」軽く眉をひそめるオーギュ様。
「案ずるな、オーギュ。君の友として振る舞いたいのだ。婚約者の機嫌を損ねるのは困るのだろう?」
その言葉を聞いて、はっとしたのはわたしだ。オーギュ様の婚約を受け入れたのだから、わたしはヴィクト様をフったかたちになっているのでは? あれ? わたし、実はけっこう気まずい場面に居るの?
自分の鈍さにわたしは愕然としながら、オーギュ様とヴィクト様のやり取りを見守る。
「そうだね。君とは友人の誓いをしたばかりだったね。その誓いを疑うわけじゃないけれど、下心が無いところを見せてもらいたいね」
「そう心配せずとも、二心はないさ。・・・そうだな、リュミフォンセ様に君との婚約の言祝ぎを申し上げても?」
ヴィクト様の提案に、オーギュ様は頷いた。逆に気圧されたように見えたのは、気の所為だろうか。そう思っているあいだに、ヴィクト様はわたしの前に立った。
「リュミフォンセ様。オーギュ殿下の求婚を受け入れられたそうですね。ご婚約、おめでとうございます。」
「えっ。ええ・・・」
ヴィクト様のほうからそれを言われたことに驚いた。ちゃんとした返事をする前に、彼が話を進めてくれた。口よりもわたしの泳ぐ目のほうがものを言ったかも知れない。
「婚約の話は、さきほどオーギュ殿下より皆が聞きました。求婚をしていた私としては残念ですが、すでに決まったことですから、これからはお二人を祝福する気持ちでおります。私のことはお気遣い無用とお心得ください」
おっ・・・おぅ・・・としか言葉が浮かんで来ない。残念ながらこの事態に令嬢らしい言葉が出てこないわたしだ。小さな声で、「ご要望に沿えず申し訳ありません」とだけ言った。
気まずい。けれどわたしの気まずさを慮って、ヴィクト様はこうして自分から申し出てくれたわけだ。なんて良い人だろう・・・!
「ヴィクト様の真摯なお言葉に、わたしも救われます。お気遣いいただいて、本当にどう感謝の言葉を述べたらいいのかわからないほどです。」
「いいえ・・・。礼などご無用ですよ」
静かな調子でヴィクト様はただ苦笑する。
わたしも、口端をつりあげて、笑顔のかたちをつくる。こんなに素晴らしい人なのに、申し出を受け入れることができなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
そして、そのあともさまざまな情報と意見を交わし。
オーギュ様、勇者ルーク、メアリさんは魔王討伐の報告のため王都へ出立することになり。わたし、ヴィクト様、シノンと精霊たちで、古都ヴィエナへ向かうことになったのだった。
【すごくざっくりとした登場人物紹介】
リュミフォンセ・・・主人公。わたし。
バウ・・・黒狼。
シノン・・・相棒を失って気落ちしている
ヴィクト・・・辺境伯子
サフィリア・・・水の大精霊で黙っていれば美少女
チェセ・・・優秀な侍女。
お祖父様・・・西部公爵。
ラディア伯母様・・・次期西部公爵内定。
オーギュ・・・第二王子。婚約戦で勝利。




