145 水の華での作戦会議②
水の華の外側に出戻ったけど、そこはやはり内側とは別世界であった。
水の華の中は、危険はあれど、見た目は水面の下にたゆたうような幻想的な世界。外界とは水の花弁によって隔絶され、音も空気も緩和されて、ある程度の快適さとうるおいとが存在している。あれが戦時の砦の役割をしているなど、現場にいなければわかるまい。
でも、戦場である外は違う。空気の肌触りからして異質だ。
攻撃が届かないところに陣取っても、焼けた匂い、血やいろいろなものが入り混じった生臭い匂い。灰や戦塵、乾いた風が容赦なく吹き付けてくる。
自分が身をおいている場所の異常さを、改めて感じているところだ。公爵令嬢・・・公爵令嬢とはなんだろう? 『この度の戦いでは、観戦の余裕はないでしょう。同行はなりません』とか、『戦場はご婦人方の物見遊山の場ではない!』とか、言われる立場じゃない? 言われてみたいわー。
「未来が見えました。強めの余波が来ます! リュミフォンセ様、もっと高く飛んでください!」
わたしの背後、バウの背中に乗るのは、仕立ての良い服に身を包んだ金髪の貴公子。肩には鷹を乗せ、いつもは青い両瞳は、右の片方だけ白くなっている。
その指示に、了解と応える前に、わたしが駆る巨大黒狼のバウが反応して、空中を一気に駆け上がる。そのすぐあとに、まったく予兆なく、破壊のエテルナが入り混じった衝撃波の奔流が、わたしたちの真下を通り過ぎていく・・・。
その威力は、体験しなくても見るだけでわかる。発生の源から200メートルは離れているのに、致死の威力だ。できれば体験は永遠にご遠慮させていただきたい。
わたしは背筋の寒さをごまかすように、ため息を吐く。指示を出したオーギュ様も、額に浮かべた汗を、さきほどからしきりに袖で拭っている。『能力』による消耗が激しいのかしら。
「オーギュ様、大丈夫ですか? やはり『未来視』の能力は負担が大きいのでしょうか?」
鷹型の時の精霊、イー・ジィ・クァンにより、オーギュ様は一時的に未来が見える未来視の能力を宿している。
わたしたちは、天つ神の魔王と先代勇者リシャルが戦う場に近づこうと、バウに乗って空を移動している。けれど、先代勇者と天つ神の魔王の戦いの次元が上すぎて、流れ弾ですら必死の一撃になるため、流れ弾を未来視で予測しながら、安全そうな場所をおっかなびっくり進んでいるのだ。
ふーと長い呼吸を吐きながら、オーギュ様がわたしの質問に応えてくれた。
「魂力の負担はそれほどでもないですが、集中を必要とする能力なので、精神的な消耗が大きいですね。そんなことを言っていられない状況なのは、そのとおりですが・・・。けれど、間違えることができないので、慎重に進めさせてください」
慎重に進めてもらうことについては、異論がない。けれど消耗が激しいということは、時間制限がつくことになる。『未来視』とは、どの程度集中が必要な能力なのだろう。
「未来は不確定で、確率の世界なのです。『未来視』が宿る私の右目には、いくつもの光景が見えます。その光景には濃淡があって、濃いものは現実になる確率が高く、薄いものはその確率が低いのです。けれど、光景のなかの濃淡は常に変動し、どうやら我々の行動や思考によっても変わるようです。そのなかで、現実になりそうな『濃さ』を見定めるのが、実に難しいと感じています」
わたしはオーギュ様の説明を聞き、たしかにそれは難しそうだと思った。限定された状況ではなく、戦場のように常にアクシデントが起こる場所では、めまぐるしい推測と判断が必要になるだろう。
能力そのものよりも、能力で見えたものを解釈するための力の方が重要だ。
「リュミフォンセ様、下、蟷螂型のモンスターが来ます・・・雷よりも、魔法の槍を使って迎撃されるのが良さそうですね」
バウに右に傾いてもらって下の視界を取ると、地上から巨大な蟷螂型のモンスターが羽根を使って羽ばたき、こちらに遅いかかってくるところだった。
わたしは助言どおり、黒槍の魔法を選び、それを6本、飛ばす。そのモンスターは、飛行能力が低く、かつ腹は柔らかい。槍の攻撃だけで、飛行高度を落とし、墜落して虹色の泡に変わった。
「やりましたね」
「ええ。ありがとうございます」
助言のとおり、良い効果が出た。いま、わたしの魔法の選択に従った未来視が出たということだ。びっくりするぐらいの精度だと思う。
この未来視とともになら、天つ神の魔王になんとか近づけるかしら?
期待を籠めて、わたしは高速移動を続ける、前方の激しい戦いを見据え。
さきほどまでの水の華のなかでの作戦会議を、わたしは思い出す。
「魔王に、『隙』を作らなければなりません」
水の華のなかでの作戦会議で、わたしはそう言った。この場には勇者ルークやオーギュ様、メアリさんを始めとした皆が揃っている。
「『隙』ッスか? あの状態の、魔王の・・・」
「ええ。ふたりの戦いは均衡してしまっている。この均衡を崩すためには、外部から魔王の隙を引き出すのが一番なの」
わたしの説明に、このなかでは一番の戦闘巧者である勇者ルークが、話はよくわかるッスけど、と言いながら、腕を組んでうーんと唸る。もうひとつうーんと唸ったあと、勇者ルークは話を振った。
「メアリ。なんか良い方法、思いつくか?」
問われて、メアリさんは、自分の唇に軽く親指を触れるようにして、しばらく考えたあと、
「さきほど、オーギュ殿下が未来視の能力を授かったというお話でした。その能力と組み合わせて、私が遠距離攻撃を仕掛けるのはどうでしょう?」
そういえば、二周目でメアリさんは翼竜の群れに、初撃として飛行機のミサイルのように、数多の投擲刀を撃ち込んでいた。
「・・・未来視は、最大3秒ほどですが、先になるほど見えた未来が現実になる確率が下がります」
輪に加わり、鷹を肩に乗せたオーギュ様が、重要な情報を提供してくれる。
「3秒でも未来が視えるのは重要な戦力になりそうッスけど・・・、メアリの攻撃だと火力が足りないと思う。いまの状態の魔王は、オレが特攻して全力で剣を撃ち込んで、ひるむかどうかってところだから・・・。逆に攻撃が挑発になって魔王の気を引いて、全滅させられるのがオチだ」
現実主義の勇者ルークが首を横に振る。中途半端な提案を支持しないのは、ありがたい。
「わらわの水で押し流すのはどうじゃ?」
サフィリアが提案してくれるが、これはわたしが否定する。あの大量の触手を思い浮かべながら。
「今の状態の魔王は、エテルナを食べる能力を持っているの。だから、魔法で生み出したものーー大量の水は、効かないわ」
しゅんとうなだれるサフィリア。勇者ルークが口を挟む。
「遠距離攻撃と言ったら、魔法師のリュミフォンセ様になにか手があるかってところッスけど・・・」
そうなのだ。遠距離攻撃は、わたしも最初に考えた。
「中途半端な威力の遠距離攻撃は効きませんし、それなりの威力の遠距離攻撃を仕掛けるには、時間がかかります。エテルナを集めている最中に魔王の攻撃を受ければ、耐えられません。そもそも命中するかどうか、という問題もありますが・・・」
「じゃあ、やっぱりオレが特攻するしかないッスね」
ルークが静かに覚悟を決めつつあるところに、わたしは水を差す。
「いいえ。ルークには、力を奪ったあと、もとに戻った魔王を討ってもらう役割があります。特攻は困ります」
「けれど、他にいい案がないッスよ」
「罠・・・」
勇者と言い合いになりそうなところで、そう発言したのは、ヴィクト様だ。
「あの強化された状態の魔王に、罠を仕掛ける。それが一番だ。皆の切り札を持ち寄れば、罠ができるのではないか?」
彼の言葉に、皆が切り札の情報を持ち寄り始める。結構みんな、切り札を持っているのね。
罠か・・・。わたしも実は考えていたことがあるんだよな・・・。
「実は・・・」
意を決して、わたしは魔王が、天つ神の魔王に変わる前に施した、ちょっとした仕掛けについて皆に話す。ごにょごにょと。
「あの戦いのなか、そんなことをしていたんですか、リュミフォンセ様」
呆れたようにオーギュ様に言われ。他の皆に一斉にうんうんと頷かれる。
「でもまあ、これのほうが、オレが特攻するよりも目がありそうッスよ」
「しかし、リュミフォンセ様本人が魔王に近づかないといけないというのは、難易度が高いな。30歩以内ーー魔王の攻撃は、30どころか1000歩先でも届きそうだというのに」
「そこは、我々がなんとか支援する方法を考えましょう。接近するための目くらましくらいなら、できるのではないでしょうか」
渋面のヴィクト様を、メアリさんが提案でとりなす。
「水も、直接魔王にぶつけるのでなければ、良いのであろう? であれば、わらわの出番もあるじゃろう?」
・・・。
・・・。
・・・。
「うん、良い案が出てきたね。これでなんとかなるんじゃないかな、リュミフォンセ様?」
オーギュ様が明るく振る舞い、意見を整理し場をまとめる。そして、わたしが懸念を伝える。
「ですが、最後は『未来視』の能力・・・オーギュ様頼りになります。王子を危険にさらすのには、実は抵抗があります」
オーギュ様は、それには良い笑顔で応えてくれる。
「一番この場で貢献している、年少の女性にそう言われたら、僕としてはますます体を張らざるを得ないな。なかなか策士ですね、リュミフォンセ様?」
皆がどっと笑う。わたしとしては不本意だったけれど、サフィリアが、あるじさまのそれは生まれつきじゃな、などと言うので、反論するのは控えた。わたしってそんなイメージなの?
「ご心配ありがとうございます。これでも命の張りどころは心得ているつもりですから。『未来視』の能力で、必ず貴女の御身を無事に届けますよ」
オーギュ様が、貴公子の微笑でその場を締めた。




