120 爽やかな朝、再会と冒険①
昨晩、サフィリアはお願いした通りに王都の別邸に行き、チェセたちに伝言をつたえ、必要な荷物を持ってきてくれた。サフィリアが宿に戻ってきたのは深夜近くだった。持ってくるものの準備にわりあいと時間がかかったらしい。
自身の体よりも大きい木製の衣装行李を背負って、サフィリアが部屋に入ってきたときには驚いたが、彼女は力持ちなので、必要そうなものをあれもこれもと準備しているうちに、まあそうなってしまったのだろう。
ちゃぷり、と盥に入ったお湯が音をたてる。少しお湯がぬるくなってきたかな・・・。
朝、部屋で湯浴みをしていたわたしは、魔法を使い、盥の水の温度をあげる。
この宿は屋敷のように浴槽がついていないので、盥の水やお湯を使って体を清める必要がある。お湯が出てくるのでこの宿は結構高級なほうなのだが、水の精霊たるサフィリアがいるので、魔法を使えば水もお湯も個人で簡単に準備ができる。
海綿に石鹸を使って体を洗い、目のつまった櫛で丁寧に自分の髪をくしけずる。
お屋敷では、チェセがサフィリアに軽食を準備してくれたそうだけれど、さすがにご馳走は出なかったのだそうだ。可哀想に。今朝の朝食を、部屋でなく食堂で一緒に取るのはどうだろう。シノンも一緒にだ。
泊まった宿の三階の屋上の気持ちの良さそうなオープンテラスがあった。今朝は天気も良さそうだし、そこで食べるのもいいだろう。
「あるじさま、手伝うことはあるかや?」
衝立の向こうからサフィリアの声がする。侍女役を勤めてくれているのだ。
「最後の散湯をお願い」
おう、という声とともに、わたしの頭のうえに、水の塊が浮かび、そこからお湯が水滴となって落ちて流れる。立ち上がったわたしの頭から、肩、胸、腰、脚へ、お湯が流れる。
お湯の心地よさを感じながら、わたしは目を閉じる。昨夜、戻ってきたサフィリアから妙なことも聞いた。『男たちは、なかなか頑張ったが、荷物を持ったわらわの片手のほうが圧倒的に強かった』とか、『ウリッシュよりもわらわは脚が早くて役に立つ』とかどうとか・・・。
そのあとに、チェセからの手紙を見たわたしは、それどころではなくなってしまって、疑問は吹き飛んでしまって深く突っ込まなかったのだけれど。冷静に思い返してみれば、サフィリアは一人で行動しているはずだからかなり奇妙な発言だ。朝食のときに聞いてみよう・・・。
お湯の勢いが徐々に弱まってきたので、わたしは閉じていた目を開ける。
サフィリアの魔法のすごいところは、水滴が盥の外には飛び出ていないところだ。盥からあふれるはずのお湯ですら、盥の縁を越えても、落ちることなく空中にとどまっている。些細なことのようだが、水の魔法を得意とするサフィリアのさすがの制御力だ。水滴のひとつぶひとつぶにも神経が通っているかのようだ。
やがてシャワーが止まったので、礼を言って盥から出ると、体を拭くための大布をサフィリアが渡してくれた。体を拭いて、柔らかい綿のローブに袖を通し。そうやって体を乾かしながら、サフィリアに手伝ってもらって髪を乾かして整える。
今日は髪は編み込んで、まとめてくるくると巻きつけて、ネットで固定してお団子にする。夜会スタイルと印象がかなり違うが、これで動きやすい。
旅装は、霞姫騎士団の団員向けの制服をわたし用にアレンジしたものだ。開襟シャツにベスト、スカートと半長靴、そして薄手の外套。緑色を基調にした服装だ。
湯浴みをして、ぱりっとした服に袖を通して、時刻はまだ朝。
いくぶんかさっぱりした気持ちになりがら、泊まっている部屋のカーテンを開けると、綺麗な陽光が飛び込んできた。
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「あ・・・あの・・・ひめさま、私を助けてくれて、どうもありがとうございましたっ!」
宿の屋上で、朝食を摂ることにしたわたしたち。わたしとサフィリアとバウ、そしてシノンと鷹の3人と1匹と1羽が、ひとつの円卓についていた。
日よけのために帆布が頭上に張られ、席同士の間には、低木が植わった鉢が置かれているので、宿泊客同士の過密感はないし、ゆったりと座れる。ちょうどよく屋外の空気が楽しめるつくりだ。
目が覚めてから、シノンはずっと恐縮しきりだった。サフィリアにもこの子のことを見てもらったけど、衰弱があったけれどもいまは体に異常はなさそうだということだ。サフィリアに癒やしをかけ直してもらったので、できることはすべてしたつもりだ。
「困っている子を助けるのは当たり前のことだから、気にしないで。それより、体はもう平気かしら?」
「はい・・・おかげさまで、もうすっかり元気です。いーちゃんも、もう元気だって言ってます」
いーちゃんと言うのは、一緒にいる鷹のことらしい。声を発していないということは、念話をしているのだ。けれど、鷹は言葉が特殊だった。さきほどわたしもバウも鷹に念話を飛ばしてみたが、意味のわかる音は聞こえて来なかった。つまりこの鷹とやり取りができるのは、シノンしか居ないということになる。
そこへ、朝食の皿が運ばれてきたので、会話が止まる。ふわっふわのパンケーキに糖蜜をかけたもの、そして薄焼きの赤肉と卵、それに野菜だ。搾りたての果実水と果物もあった。バウとサフィリアの目がきらきらと輝いていて可愛い。
「それで・・・もぐもぐ・・・ふぉぬしらは、何者なのじゃ?」
カトラリーを上手に使って、品よくけれど口いっぱいにパンケーキを頬張りながら、サフィリアが問う。
そう、それがわからない。『運命を司る精霊』だと夜会では紹介されていたけれど・・・そんな種類の精霊は聞いたことがない。
「それは・・・私にもよくわからないんです」
しゅんと肩を落としてシノンが言う。ナイフで切った薄肉を、鷹のいーちゃんが、シノンの手づから食べている。
「いーちゃんが言うには、『分岐の枝を視る』んだと言うんですけど・・・私にはさっぱりです」
うーん・・・。ほんとにさっぱりわからない。
「シノンは何か特別な力を持っているの?」わたしが聞くと、
「私は・・・いいえ。魔法だって、使えないですし・・・。ただ、いーちゃんの言葉がわかるだけです」
なるほど。シノンに特殊な力はないということなら、鷹のいーちゃんのほうが特殊な力を持っているということになる。ただ・・・。
「シノンとやら。そなた、魂力の保有量がとんでもないぞ。魔法を学べば、いっぱしの魔法師になるのではないか」
サフィリアが口の中のものを飲み込んで言った。
そう。それはわたしも思っていた。けれど、その先に問題がある。
「じゃが、得意そうな色がわからんのう・・・」とサフィリアが首をかしげる。
「色・・・いろとは、なんでしょう」
卵を口に運びながら、シノンが聞くと、サフィリアはさらりと答えた。
「青・赤・緑・黄・紺・紫・白・黒の8つの色のことじゃ。色には属性が対応しておる。青には水、赤には火、のようにな。魔法の適性がある人間には、得意な色があるものじゃし、それはじかに接すればだいたいわかるものなのじゃが、それがそなたの場合はわからんのじゃ」
「うーん。得意な色が無い場合は、どうなるんでしょう?」
「すごい量のエテルナで、苦労して基礎魔法だけを使う魔法師が誕生するじゃろうな」
あっさりとサフィリアは言った。
「なんか、ものすごく無駄なことになるんですね」
シノンが眉を八の字にして、肩を落とした。がっかりしたときが一番感情表現が豊かだわ、この子。おもしろい子。
そして、わたしは果実水のグラスを傾け、香りを楽しみながら、ふと気づく。
ーー人間はともかく、得意な色がない『精霊』がいるとして。その場合どうなるのかしら?
わたしは、シノンの手から肉を行儀よく食べる鷹をじっと見る。鷹ーーいーちゃんはわたしの視線に気づいても、特段の反応を見せることはなかった。
と、そこへ背中から近づいてくる影があった。その影に、わたしは声をかけられた。控えめに。
「失礼致しますーーリュミフォンセ様・・・で、いらっしゃいますか?」
聞き覚えのある懐かしい声に、わたしは振り向き。そして、よく知った顔に、椅子から立ち上がる。
どうしてこんなところに。これが与えられた偶然だとしたら、わたしはこの偶然を与えてくれた誰かに、感謝をしなければ。
「ああ、メアリ! うそでしょう? どうしてここに?」
「あら、泣き虫はなおっておりませんか? おなつかしゅうございます、リュミィ様」
そこにいたのは、勇者とともに旅立ったはずの、わたしのメイドを務めていた、メアリさんだった。




