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119 リュミフォンセの決断





少し時間を遡る。


わたしは、精霊付きの子シノンとともに、巨狼姿のバウに乗って、王都の夜空をかけていた。


明るい月夜の晩だ。王城から離れ、空中を移動するわたしの姿は下から見えるらしく、王都の街の人からから驚きの声があがる。その声を後方ヘ押しやるように前に向かって風を切り、西へと向かう。


ついに城門まで来たが、結界の穴が大きいので、このまま通れそうだ。こんなに粗くていざというときに役に立つのだろうか。他人事ながら心配になる。


とりあえず、わたしの敵意が無いことを示すために、城壁のすぐ上をバウに飛んでもらう。このぐらいの高さだと、篝火のなか、警備に立つ兵士の顔も見える。


驚愕の表情を浮かべる兵士たちに向かって、わたしはあえて名乗って通っていく。城壁がある距離は、長い距離じゃない。足止めされなければ、時間にすれば数秒だ。


呆然として上長に報告もせず、わたしの通過を見送る兵士たち。夜番に立つ彼らに手を振ってあげると、なぜだか歓声があがった。うーん、平和ボケしてるなー。


そして、郊外にある村、ひとけの無い場所を選んでわたしは降り立った。


とにかく、精霊付きの子シノンをちゃんとしたところで休ませてあげたい。一緒にいる(フコン)も同様だ。休ませたあと、詳しい話を聞いて・・・家に返してあげないといけないだろう。


まったく土地勘の無い場所だったけれど、道行く人に聞いたら、良さそうな宿を取ることができた。男女のカップルだったけれど、最初にわたしを見て顔を赤らめて、次にバウ(大きな犬くらいにまで小さくした)を見て顔を青くして、でも結局親切に教えてくれた。


都会の人は、珍しいものにちょっとやそっとじゃ驚かない習慣があると思う。肚が太いというか、鈍感というか・・・。でもそのおかげで大変助かった。


宿屋では、ふた続きの部屋を取ると、わたしはシノンを寝台に寝かせた。鷹はシノンの寝台の縁に止まって、礼でも言うように、猛禽類独特のぎょろっとした目で、こちらをじっと見つめてきた。わたしは微笑みを返して、「おやすみなさい」と言って、次の間へと入る。



ぱたんと背中で扉を閉めて。ふぅと小さく息をこぼした。


そうして、今まで堰き止めていた感情が後悔が、溢れてくる。


(やっちゃったー! やっちゃったわー、わたし!)


わたしは頭を抱えて首を振り。耐えきれずにその場にかがみ込む。


王子様と仲良くなる。軽率なことをしない、とあれだけ言っていたのに。約束したのに。王子様と仲良くなるどころか、いさかいを起こして出てきてしまった。


でも、あの夜会の場で、余興として『運命の精霊』などと名付けられたシノンを助けないという選択肢はあそこであったかといえば、ノーだ。ならば、第一王子の言う通りにして、そのなかでシノンが助かる道を模索するべきだったか? それもノーだ。じゃあ仕方なかったのかと言えば、もっと上手いやり方があったのだろうと思うのだけれど、わたしには思いつかなかった。いまだってわからない。


とはいえ、こんな結果になってしまって。お祖父様と伯母様に、どんな顔をして会えばいいのか。チェセたちにもいろいろお膳立てを手伝ってもらったのに・・・。当のわたしが、台無しにしてしまった。


「・・・・・・」


感情も頭もぐちゃぐちゃだけど、何が一番強いかと言われれば、お祖父様と伯母様、それに家臣のみんなに申し訳ないという思いが一番強い。


時間を巻き戻せたら。やり直しできたら。でも、やり直したとしても、どうしたら正解なのか、わからない。自分が馬鹿すぎて嫌になる。


わたしはため息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。


わかってる。やり直しなんてできないのだ。やってしまったものは仕方ない。


ふらふらと絨毯敷きの部屋のなかを歩き、わたしは自分の寝台に向かう。その傍らには、黒狼のバウが居る。いまは中型犬サイズになっている。ちょっとずつ小さくなっているのは、周囲のひとの違和感を少しでも減らしながら、邪魔になりにくいサイズに移行しているのだろう。芸が細かい。


『あるじ。宿のものが、言った通りのものを持ってきているぞ』


バウの言う通り、そこには、頼んでおいた水がなみなみと入った木製(たらい)があった。


ありがとうとお礼を言って、わたしは寝台のふちに腰掛けた。そこでもう一度ため息をつく。覚悟は決まらないし気は進まないけれど、やるべきことは進めなければ。


魂力(エテルナ)篭めてぐっとこぶしを握り、そしてゆっくりと開いた。そこには円いレンズのような水面がある。こう見えて、水精霊専用の魔道具だ。『とーみぃ』と呼ばれるそれは、前世日本のスマホのようなもの・・・だとわたしは理解している。


といっても、わたしが使いこなせるわけじゃない。表示される水精霊の言語も読めないし。唯一使えるのは、事前に教えてもらった緊急呼出のみ。しかも限られた相手だけに伝わるそれだ。


画面を操作して、緊急呼出の画面を移し、そしてボタンのマークを強く指先で叩く。強く叩いても弱く叩いても効果は同じだけれど、さざなみだつわたしの心情が動きに出てしまった。


水精霊語の大きな文字が『とーみぃ』に表示されて点滅する。おそらく呼出中・・・みたいな感じなんだろうな。わたしはしばらく待った。待っている時間は、できる限り心を落ち着けるために使った。


精神を落ち着けるには、深い呼吸に集中すればいいという話を、レーゼだったか、侍女が最近教えてくれたのを思い出す。


すぅぅー。はぁー。すぅぅー。はぁー。すぅぅー。はぁー。


すぅぅー。はぁー。すぅぅー。はぁー。すぅぅー。はぁー。


横隔膜を広げて深く息を吸い込む呼吸法を実践するわたし。その脇でバウはきちんとおすわりをして、じっと成り行きを見守っている。


やがて、待っていたものが来た。部屋のエテルナが乱れ、床に置いた木盥に湛えられたたっぷりの水が、複雑な、模様のような波紋を水面に作る。


そして、水が逆巻き、水竜巻となって立ち上り。


水竜巻のなかから生まれる眠りの女神のように、銀髪のメイド服の美少女が現れる。


かっと水色の目を見開いたそのメイド服の美少女は。


「わーっはっは! あるじさまのお呼びにより、わらわ、見参! さあさ、ものども覚悟せよ! 清き激流で押し流してやろうぞ・・・っ?」


緊急呼出に応じたサフィリアは、『水渡り』によってリンゲンからこの王都郊外の宿まで来てくれた。


「やろうぞー・・・」


その彼女は、平凡な宿の一室、わたしとバウしかいない部屋を見回して。不思議そうな顔をして、もう一度見回す。そして、ばつの悪そうな顔で、ゆっくりと床に降り立った。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


わたしとサフィ、お互いに沈黙する。サフィが何か言いたそうだったので、言葉を先に譲る。


「あるじさまが緊急呼出するくらいじゃから・・・てっきり悪者どもに囲まれておると思っておった・・・。そこでわらわが登場、ばったばったと・・・悪漢どもをなぎ倒して大活躍するものじゃとばかり思っておったわ・・・」


どうしてそんな考えに至ったのか不明だけど、しゅんと肩を落とすサフィが可哀想だったので、慰めておく。


「いまは、どういう状況なのじゃ? あるじさまも、おめかししておるではないか」


そう。今のわたしは、夜会用のドレスのままなのだ。二の腕を出し、背中が大きく開いたドレスは、正直なところ肌寒さもある。


まあそんなことより、今の状況だ。わたしはサフィリアに、夜会で起きたこと、そしていま『運命の精霊』憑きと呼ばれていた、シノンと鷹を保護していることを話す。


『闇市場』のくだりではサフィリアは過敏に反応し、そしてシノンを保護したことを絶賛してくれた。シノンの境遇を、まるで自分ごとのようにサフィリアは考えているようだった。


それはそれとして、わたしは今後の方針をサフィリアと話しているなかで、頭の中でまとめていた。


そしてそれはするりと言葉に出た。


「リンゲンに、このまま戻ろうと思うの」


「ふむ、そうか」


サフィリアはその政治的な意味合いはわかっていないだろうけれど、同意してくれた。


王家の夜会で、王太子候補と対立して、そのまま領地に帰るのだ。社交界の生命は絶たれたも同然だろう。それはつまり今回の縁談をまとめるのは絶望的ということだし、王家からのロンファーレンス家の風当たりも変わってくるだろうということ。


わたしが王家に許しを乞いに出向くのも何か筋が違う。謝る方針だとしても、わたしではなく、ロンファーレンス家の他の人がやったほうがいいだろう。謝らないなら、あの夜会の場でお互いの主張は済んでいるし、くだんの子はわたしが預かっているのだから、それで話は終わりだ。王都にとどまる意味もない。


あの夜会の一件は、中央貴族からのわたしへの支持を大きく落としただろう。それはつまり、「王位を狙うための駒」としての、わたしの価値が、無くなったことを意味する。自分で言うのもなんだけれど、こんな反抗的な娘を嫁にして、一緒に王を目指そうという人もいないだろう。


そういうわけで。チェセたち侍女たちとの合流地点をウドナ河中流域の入り口の街、ヴィエナに指定して、3日後にそこで落ち合うことにする。サフィリアには、チェセたちへのその伝言と、わたしの3日分の旅の荷物を持ってきてもらうように頼む。


むろんサフィリアは快く了解してくれたが、元気がない。


「見せ場と思いきや、おつかいか・・・。うむ、無論、わらわが勝手に想像していたことじゃから、文句はないぞ。ないのじゃが・・・はあ。チェセ師匠は、ごちそうを食べさせてくれるかのう」


うん、なんかごめんね。








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