118 残された者たちの④
「チェセ師匠も、今夜はおめかしじゃな。綺麗なべべが、よく似合うておる」
ロンファーレンス家の王都別邸。チェセたち侍女一行は客人である第二王子と辺境伯子を連れてそこに到達したが、現れたのは、リュミフォンセに仕える水の精霊のメイドだった。薔薇が香るエントランスホールの階段を、メイド姿の美少女が、気軽な調子で降りながら、声を発した。
「聞いておる聞いておる。皆で今夜はあの大きなお城で夜会だったのじゃろ? まあ色々あったらしいが、難儀じゃったの」
にやにやと楽しそうな趣きで、湾曲した階段を降りてくるサフィリア。その彼女へ向けて、チェセが制するように両手をあげる。それでいながら、意識は背後の客人たちに向けている。第二王子と辺境伯子。どちらも失礼があってはならない賓客だ。まして主人が不在のいまは。
「サフィリアさん、いまはお客人が・・・」
「んむ? なんじゃ、糸目の孫娘も、乳デカ娘も、愉快な踊りをしおって。ひょっとして、夜会とはそういうヘンテコ踊りをする会なのか? 楽しそうじゃのう。今度はわらわも連れていってたもれ」
チェセは振り向き、客人たちの後ろに控えていた、レーゼとモルシェを見る。ふたりともが手を伸ばして制止する姿勢で、固まって絶句している。
けれど、その硬直を次の一瞬でなんとか解除して、レーゼが叫ぶように言う。
「ちっ・・・違います! サフィリアさん、お客人がいらっしゃっているのです! 行動を慎んでくださいと、なんとか身振りで伝えようとしていたんです!」
「私も、どうにかサフィリアさんに伝えようと・・・それより、乳デカ娘って・・・ふぇぇ、サフィリアさん、ひどいですよぉ・・・」
半泣きでモルシェが抗議すると、当のサフィリアはまったく悪びれずにスマンスマンと言いながら、階下まで降りてきた。
「サフィリアさん、重要なお客人がいらしているのです、いつものような振る舞いは控えてください!」
もうレーゼは半分ヒステリーを起こしていたが、サフィリアのマイペースは変わらない。
「客? あるじさまにか? ひょっとして、この男性ふたりがそうか?」
「そうですよ! こちらの方はオーギュ=アクウィ第二王子殿下、こちらはヴィクト=アブズブール辺境伯子様。ともに重要なお方ですから、くれぐれも失礼の無いようにお願いします!」
本当は格式を持って紹介すべきだし、サフィリアがただの侍女という立場ならば紹介することもないのだけれど、そうしなければこの場が収まらないという判断なのか、ヤケクソ気味にレーゼがサフィリアに客人たちを紹介する。
そこで普通の侍女ならば「へへー」とかしこまるべきなのだが、サフィリアはそこまで気を回すこともない。
「ほう? なるほどのう?」
ただ興味深げに、自身の顎に拳を当てる。
貴公子たちを前にしてのその不遜な態度に、侍女たちは顔を青くしたがーー。
だが、それよりも予想外の態度を取るものがいた。
辺境伯子のヴィクトが、その場に跪いたのだ。
「こ・・・これは・・・。なぜこのような場所におわすのか、仔細は知らねど、かくれなき大精霊様とお見受けしました。私は北部は辺境伯の子、ヴィクト=アブズブールと申します。以後お見知りおきを」
ヴィクト=アブズブールは精霊使いの家柄、そして本人も精霊使いだ。だから精霊の格は、相手を目の当たりにすれば、ある程度把握できる。
「ほほう。精霊の扱いを心得ているものがおったか。あるじさまのじじ様ぶりじゃの。わらわはサフィリア。司るは水。覚えておくがよい」
尊大にサフィリアが答える。だが、その尊大さがあまりにも板についていて、その場でサフィリアを制止するものは誰もいなかった。跪いたままの姿勢のヴィクトは、光栄です、と返答した。
ここで判断を迫られたのはオーギュ第二王子だ。眼の前にいる少女は、着ているものから見れば侍女に過ぎない。だが、いまの辺境伯子とのやり取りで、大精霊と名乗った。彼は目の前の相手が大精霊か判別できないし、オーギュ自身は、辺境伯子の在り方はどうにも過剰ではないかと思ったが、一応、失礼ではない程度に名乗りをあげることに決めた。
なに、此処を学院だと思えば良いのだ、とオーギュは気持ちを切り替える。彼が普段身を置いている学院内では、身分の格式は簡略化される。身分差を埋めた交流を実現し、活発な関係性を生み出すのが狙いだ。その場では自分を高く置きすぎることは、不利益に働く。自分からへりくだるくらいでちょうどいい。
オーギュ王子は跪きまではしなかったが、胸に手を当て、腰を折って礼をする。
「おはつにお目にかかる。第二王子のオーギュ=アクウィと申します。今宵はお目にかかり光栄ーー今後ともよろしくお願いします」
サフィリアは引き続き尊大に、うむサフィリアじゃ、と頷いてみせた。その対応に侍女たちがはらはらして顔を青くしている。
「ヴィクトにオーギュ・・・むっ、聞き覚えがあるぞ。そなたら、あるじさまの、つがい候補じゃな」
つがい候補という、貴族どころか人間には使わない言葉に侍女たちは一斉に目をつぶって天を仰ぎ見たが、まだこの世の終焉は訪れなかった。貴公子達はサフィリアを精霊だと認識したために、多少の振る舞いのおかしさは許容することにしたのだ。
そのときはすでに立ち上がっていたヴィクトは、ひとつ頷くと、質問をした。
「サフィリア様、さきほどからおっしゃっている『あるじさま』というのは、リュミフォンセ様のことでしょうか?」
「うむ。そうじゃ。わらわとあるじさまは主従契約を結んでおるからな」
「ならば、いまおっしゃられた認識で正しいかと思います」
「ほう。率直じゃな」
「もうひとつ伺いたいのですがよろしいでしょうか?」
んむ、とサフィリアが目を細めて頷くのを確認して、ヴィクトは折り目を正しく、言葉を発した。
「なぜ貴女様ほどの大精霊が、人間との契約を? リュミフォンセ様は、水の大精霊である貴女様から見ても、それほどの方なのですか?」
問いかけられて。サフィリアはだが、なぜかすぐには応えなかった。
片目を眇め、腰に手を当て。なにかを思い出したように、そしてそれに耐えるように。大きく息を吐いた。
「・・・夜会とやらでの、あるじさまの振る舞いは聞いておる。精霊憑きは、亜流とはいえ同胞」
さきほどまでの軽い空気とはまるで違う。ぎち、と音が鳴りそうな重い空気がその場に降りた。
「弱き同胞を身を挺して守る人間をあるじとして、それに不足があると思うかや?」
それと比べて・・・とは、サフィリアは言の葉には乗せなかったが。
ぶわり。
ほんの一瞬。サフィリアが纏う魂力が膨らむ。
大精霊のそれと比べ、人のなんと矮小なことか。
怒気を孕んだそれは、この場にいる全員の背筋を寒からしめるのに充分だった。
一見、少女にしか見えない銀髪の存在が持つ力は、凡百を軽く凌駕している。彼女がその気になれば、凡人の命の灯火など、軽くひねり消されてしまうだろう。
その恐ろしさには、戦いの場に立ったことのあるものほどに敏感だろう。ヴィクトの秀麗な額を一筋の汗が走る。
だが彼は肚に力を入れて踏ん張ると、まっすぐにサフィリアを見返して言った。
「・・・いえ。お言葉のとおりかと」
ふん、と鼻を鳴らすサフィリア。
そして、話が一区切りと見たチェセが、サフィリアに向かって進み出る。
「それで、サフィリアさん。リンゲンにいらっしゃるはずの貴女がここに居るのは、何用のゆえですか? 私の推察ではーーリュミフォンセ様から何かご指示を受けているのでは?」
「ーーーー・・・チェセ師匠にいわれては敵わんな。そのとおりじゃ。わらわはあるじさまに呼び出されたじゃ。そして、ここに来たのは言伝を伝えるためじゃ」
「うかがいましょう」とチェセ。
「あるじさまはこのままリンゲンに帰ることに決めた。ついては、合流場所を指定したので、そこで落ち合おうとのことじゃ」
「合流場所とは?」
「3日後にヴィエナじゃ」
ヴィエナとは、王都の西、ウドナ河の上流域と中流域の狭間にある街だ。リンゲンまでの水路が開かれるまでは、ウドナ河の終点だった。絢爛な大聖堂と音楽が盛んであることで知られている。
「なるほど。・・・リュミフォンセ様はいま、どこに?」チェセは必要なことだけを質問する。
「このでかい街からはずれた、村の宿屋に泊まっておる。精霊憑きの子を家に帰してからヴィエナへ行くつもりじゃそうじゃ。そういうわけで、あるじさまの服やら日用品やら細々したものを準備してくれぬか。わらわはそれを届けねばならぬ」
「わかりました。他に、リュミフォンセ様からご伝言は?」
「・・・。みなに、『迷惑をかけて、ごめんなさい』とことじゃ」
チェセはその伝言を聞き、栗色の瞳を閉じて、一度深く細く呼吸した。
「『承りました』ーーそうお返事をお伝えください。それから、私からも伝えたいがあります。あとで手紙を書きますのでお渡しください・・・すぐに旅支度用の荷物を準備します。軽食も準備しますので、サフィリアさんは何かお腹に入れてください」
そして、侍女頭のチェセは、ここまで来てくれていた貴公子たちに向かって腰を折る。
「今、お聞きになった通り、主はここに戻らぬ仕儀となりました・・・ここまでご足労いただいたのに誠に申し訳ございません。今夜はこれにて、お引取りを・・・」
飾り立てた栗色の髪を垂らして、深々と頭を下げる侍女頭を前に、だが貴公子のひとりーーヴィクト辺境伯子は、まったく意外な反応を見せた。
「せっかく此処まで来たのだ。私も水の大精霊殿に同行して、リュミフォンセ様とお会いすることにしよう」
辺境伯子の言葉に、チェセは頭をあげて、しかしすぐに判断ができない。彼女にとってーーいやここにいる者にとって、それはまったく予想外の言葉だったからだ。
「は? し、しかしそれではーーおもてなしもまったくできませんし」
「構わんさ、もてなされに行くわけではない、助けにいくのだ。リュミフォンセ様が旅をされるなら、男手もあったほうが便利だろう。こう見えて、戦地を転々として、身の回りのことはひとりでできる。気遣いは無用だ」
「なるほど、そういうことなら私も同行することにしよう」
そう名乗りをあげたのは、オーギュ第二王子だった。
片眉を跳ね上げたヴィクトが、オーギュ王子とむむっとにらみ合う。
「殿下は無理をなさらずに。主催者としての感謝の言葉なら、私にご伝言されるとよろしかろう。なに、心配せずとも、一字一句たがえずにリュミフォンセ様にお伝えしますが」とヴィクト辺境伯子。
「心遣いはありがたいが、無用のことだ、辺境伯子。私が直接お会いして伝える」とオーギュ第二王子。
そしてふたりは、にこやかな表情でーーにらみ合う。
その様子を、侍女たちがハラハラワクワクしながら見守っている。そして、サフィリアがさらさらと音が鳴りそうな繊細な銀髪をかきあげながら言う。
「よかろう。ついてこれるならば、ついてきたらよかろう。じゃが先に言うておくがーーわらわの足はとんでもなく速いぞ?」




