116 残された者たちの②
「リュミフォンセ様の行き先について、心当たりと申すほどのものではないのですが・・・推測がございます」
第二王子のオーギュと、辺境伯子のヴィクト。ふたりの貴公子を前に、侍女頭のチェセは、思わしげな表情を浮かべながら話す。
「けれど、それをお話するよりも先に、ヴィクト様が、主人であるリュミフォンセ様にいまお会いになりたい理由をお聞かせいただけませんか? 私の主人にお引き合わせすべきか判断しなくてはなりませんので・・・」
「むっ・・・理由か・・・そうだな、それは必要だな」
唇を引き締め、ヴィクトは頷いて了承したものの、彼はそれからしばらく沈黙してから口を開いた。
「・・・リュミフォンセ様が心配だからだ」
「心配、でございますか・・・」チェセはかすかに首をかしげた。その言葉では弱いとでも言うように。
少しの目配せと仕草で、その評価は伝わったのだろう。ヴィクトは軍人らしく背を伸ばし、明瞭な言葉で告げた。
「リュミフォンセ様は、リンゲンから出てきて慣れない中央貴族の社交に付き合って、夜会で第一王子といさかい、さらに精霊を駆ってまでして、王城から出ていかれた。これを心配に思わぬはずがない」
「けれど、それは他の皆様も同じかと・・・ヴィクト様にとって、リュミフォンセ様は特別な女性でいらっしゃるのですか?」
チェセは微笑みながらそう問うと、ヴィクトは顔を赤らめながら、しかしまっすぐに答えた。
「無論だ。特別な女性でなくては、求婚などしない」
チェセの笑みは、ほんのかすかに深まった。彼女はいまとても上機嫌であったが、彼女は職務の場で、感情を顕にしたりなどしない。
「よくわかりました。お二人をリュミフォンセ様と引き合わせられるように、手を尽くしましょう」
そう言って淑女の礼をする横で、オーギュ第二王子が、ヴィクト辺境伯子に食ってかかる。
「ヴィクト。君は、いつの間にリュミフォンセ様に近づいた? しかも求婚をしただと? 彼女とは面識はないはず、会って間もないだろうに・・・兄上のごとき破廉恥さだな!」
オーギュは指をさして詰め寄るが、ヴィクトのほうがちょうど頭ひとつ分は背が高い。ぷいとそっぽを向けば視線は合わない。
「知らんな。戦況に合わせて動いているだけだ」
「戦況? 意味がわからん、君は昔からそうだ! なんでも戦に喩えようとする癖を直せ!」
「自分の話し方など、些末なこと。それよりも殿下はなぜリュミフォンセ様に関わろうとするので? この夜会の主催者としての謝罪であれば、手紙でも良いだろう」
「そ、それは・・・」
貴公子ふたりのその言い争いを、侍女たちは耳をそばだてて聞いていた。
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「さきほども申し上げましたが、心当たりと申すほどのものでもないのです」
貴公子ふたりの言い争いが終わったあと。侍女頭のチェセは、居住まいを正して言う。
「我らが主人リュミフォンセ様は、護衛のアセレアに『無事に帰れるように侍女を護衛する』ようにとご指示をいただいたのです。この王都で帰る場所とはまずロンファーレンス家の別邸ですし、また主君が我々を置いてどこかに行かれるはずがありません。ですので、リュミフォンセ様は、ロンファーレンス家の別邸に戻るおつもりだと考えております」
「なるほど。それは間違いないな」
ヴィクト辺境伯子が頷けば、オーギュ王子は自分の顎を触りながら言う。
「考えてみれば当然か。ことが終われば、自分の家に帰るものだからな」
「ええ」チェセが栗色の髪を揺らす。「ですから、これからお二人にはロンファーレンス別邸までお越しいただくことになります。もちろんご無理にとは申し上げられませんが・・・」
「是非もないな」「構わない。すぐに出立の準備をしよう」
辺境伯子、第二王子はともに是として頷いた。
辺境伯子と第二王子はそれぞれに移動手段を確保して、チェセたちを始めとした侍女たちと護衛のアセレアは、行きと同じ、6人乗りの鱗馬車で王城を出た。
移動中の鱗馬車の車内で、チェセ、レーゼ、モルシェ、アセレアが会話をしていた。第二王子と辺境伯子は、それぞれ鱗馬車と騎走鳥獣に乗ってついてきているため、話し声を聞かれる心配はない環境だ。
「リュミフォンセ様が、夜会でいさかいを起こしたときは、肝を冷やした。しかし、あの場は切り抜けたし、心強い味方もついたようだし、それは安心材料だな」
ふうと息をつき、アセレアは葡萄酒の入った小杯をあおって、視線は窓の外に向ける。
その方向には、オーギュ第二王子と、ヴィクト辺境伯子とがついてきているはずだった。街路を蹴爪が叩く音がする。
「こんなときに、お酒はおやめなさいな」
「これくらいは気付けだよ、レーゼ殿」アセレアは空になった小杯を背後にある棚に返す。
「あれは切り抜けたうちに入るんですか・・・?」モルシェがアセレアの言に首を傾げて聞いた。
「斬り合いにならなかっただろ? 護衛の私としては、荒事にならなかったら及第点さ。ギリギリだがな」
もし第一王子の護衛たちと剣を合わせていたら、アセレアはなます斬りになっていてもおかしくなかった。何しろ多勢に無勢だったのだから。アセレアはそれなりに名の知れた騎士ではあるが、第一王子が従えている護衛も王国最強の一角が名を連ねている。それらを敵に回して無事にいられると思うほど、アセレアは楽観的ではない。むしろ自分の実力を正確にわきまえている部類だと思っていた。
それをわかっていたのか、彼女の主君のリュミフォンセは、その場を荒事にはしなかった。
しかし、にもかかわらず、主君は自分の我は通して見せた。巨大狼を背後に控えさせながら、形式的には『お願い』で押し通してしまったのだ。まったく見事なものだとアセレアは思っていた。
けれどそれはそれとして、命の危機を感じた緊張感は、寒気としてアセレアの背中に残っていた。それは葡萄酒一杯ぐらいでは解けそうにもないと彼女は胸中で嘆息する。
「でも、第二王子のオーギュ様も、辺境伯子のヴィクト様も、リュミフォンセ様を心配されて、お会いになりたいだなんて・・・それは、そういうことですよね?」モルシェが上気する頬を押さえながら言う。
「そういうことって何? はっきりとおっしゃいな」レーゼが先を促す。
「それは・・・やっぱり、愛ゆえ、ですよ! リュミフォンセ様への愛です!」
きゃあ、と自分で言って自分で盛り上がるモルシェは、顔を両手で覆って思い切り背もたれに寄りかかってもじもじと体をくねらせる。上品な振る舞いとは言えないが、こんなときに注意する役のレーゼは、何も言わず、にやついて口をもにょもにょさせている。モルシェと同じ想いを抱いているのだ。
だがレーゼは、無理やり真面目な顔を作ってみせると、情報分析官のような態度で語り出した。
「第二王子と辺境伯子のお二人はご学友で、それほど仲が良いという情報なかったのですが。さきほどの会話を聞く限り、『好敵手』のようなご関係だったようですね。お互いが意識し合っているがゆえに、関係の接点をあまり持たず、そのため情報にあがって来なかったのでしょう」
「本来なら、辺境伯子がこれほど長く王都に居るのも、異例のことなんじゃないか?」とアセレア。
貴族情報担当のレーゼは、そうですねと頷く。
「辺境伯子が王都に来る目的は、北部と中央を中心とした貴族との関係づくり。特に、若い層とのつながりを強化することです。ヴィクト様はいずれ辺境伯となられる身、将来の地盤固めも兼ねていると聞き及んでいます」
「その関係づくりのなかに、我らが姫との婚約話も含まれているというわけか」
アセレアが納得したように頷くと、
「きっとそれが本当の目的なんですよ! そうだといいなぁ・・・」とモルシェが夢見る表情。
レーゼは、頭の中の情報を読み上げるように、淡々と話を続けた。彼女は、貴族の情報担当の侍女として王都に来てからも情報収拾をして、婚約者候補の男性陣の情報もそれなりに得ていたが、肝心の主君のリュミフォンセがそうした情報に興味を持たないために、まとまった報告の出番が無いのをちょっと不満に思っていた。その情報が、いまこの場で漏れ出ているというわけだ。
「辺境伯子ヴィクト様にも、リュミフォンセ様の他にも婚約者候補が居ますが、特別に親しいという人はいないようです。ただ北部のなかではわかりません。そもそも北部の情報があまり外に出ないので、ヴィクト様に関する情報自体も少ないのですよ。
けれどヴィクト様は北部の若き英雄と評判ですから、王都でも女性の人気も高いですね。地元では兵士や臣下たちからの評判も高く、4人兄妹で兄妹同士も仲がいいとか」
「つまり、男女とわずモテる男、というわけか」アセレアが真面目な顔でまとめる。
「ええ。モテモテです」かっと細い目を見開いて、レーゼが真面目な声で答える。
一拍、車内に不思議な空白が降りる。
彼女たちが乗る鱗馬車が、辻を曲がるために減速したが、直進になってまた速度をあげた。
そしてレーゼは、頭の中の報告書を読み上げるような報告を続ける。
「第二王子オーギュ様は、いま王立学院に在籍されています。容姿端麗にして文武両道な上に、生徒会長なる職を勤めて人望が厚い。非の打ち所のない王子っぷりです。しかしいずれ王になることを見据えると、第一王子と比べ、ご自分の支持基盤が弱いことを気にしていらっしゃいます。なので、オーギュ様は、まず若い世代との関係づくりに励まれているそうです」
「ヴィクト辺境伯子と同じ路線ですね。けれど、実権はあるが固まってしまった上の世代よりも、自分と同じ若い世代に働きかけるというのは、未来を見据えた良いやり方です。その筋道で考えれば、今夜の夜会も、その一環なのですね」とチェセ。
そうです、とレーゼは頷く。
「オーギュ様の婚約者候補となる女性は5名。そのうちリュミフォンセ様以外はご学友とのこと。当然オーギュ様に近付こうとする女性は多いです。なんなら婚約者候補以外の方もです。玉の輿を夢見て近づく方は数え切れません。学院という閉鎖環境ならば、身分差があってもお近づきになれますからね・・・。
これについては、面白い話がありまして。いっときオーギュ様の好みが黒髪の女性だという噂が学院に流れたことがありました。そのとき、学院の女生徒の半分以上が髪を染めて、黒髪になったそうです」
ほほぅ・・・とその場の一同が唸る。
「そういう環境ですが、噂はいくつもあれど、オーギュ様と特別な関係になった女性はいないということです」
「なるほど。モテ男だが潔癖、ということだな」アセレアはやはり真面目な顔でまとめた。
「モテモテのモテなのは間違いありませんが、この場合は誠実ということにしましょう」
真面目にーー真面目なのかどうか不明だが、少なくとも真剣な表情で、レーゼは頷いた。
また車内の彼女たちの間に、一拍の不思議な空白が降りる。
いまもたらされた情報を、侍女たちそれぞれが、さまざまに評価する。
「でも・・・そんなモテモテな人たちが、リュミフォンセ様を追いかけているって。すごいことですよね!」
わずかな沈黙を破るようにモルシェがそう言って、胸の前で両手を組んで握りしめる。
「当然でしょう。『私の』主君は、素晴らしい方なのですから」
もはや古参と言える侍女頭のチェセは、応えて、くっと胸を張った。




