112 王城夜会 中央の規則①
『そう、『運命の精霊』ーー火でも水でも風でも土でもない、実に珍しい精霊です』
ついでに言えば、光でも闇でもない、つまりは属性外の精霊ということだろうか。
黒と始原の間で行われる夜会。拡声魔法の中年貴族の声が響く。余興として始まった見世物は、ふたりの王子の諍いの矛先をそらすに、わたしとしてはとても助かった。
加えて、『運命の精霊』? そんな存在があるとは初耳だ。会場の皆も興味を惹かれているようであるし、なにかと精霊に縁があるわたしもそれは気になります。
「最新の精霊学の研究でも、運命の精霊などというものはありません。何かの精霊の亜種をそう名乗らせているだけでしょう。この手のものは、迷惑にも王宮に多く持ち込まれるのですよ」
眉を潜めて、オーギュ様がわたしに耳打ちするように言う。
「それなりに皆の娯楽になるからね」
わたしの反対の耳に、セブール様が語りかける。
あの、ふたりとも、ちょっと距離が近いのですが・・・。
『運命の精霊は、その名の通り運命を司る精霊。そのちからは未知数』
会場に響く声に、皆が引き込まれている。
『人々を幸福にし、栄光を導く力を持つ奇異の精霊。この御姿を目の当たりにすることで、皆様にも繁栄が訪れることでしょうーー』
どよどよと会場の人たちが囁き合う声が波のように渡っていく。中年貴族の言っていることが本当かどうかなどわからないけれど、本当であれば嬉しい。それはわたしだってそうだ。
壇上の中年貴族は、絢爛な布がかけられた巨大な紡錘型の天幕のようなものに近づき、目隠しの布の端を握る。
『それでは、ご覧にいれましょうーー皆様、心のご準備はよろしいですかな? それっ、ご刮目あれーー』
もったいぶった口上のあとに、中年貴族が強く布を引くと、ばさりと目隠しの布が落とされた。
布が落ちて、現れたのは真鍮のような金属でできた、巨大な鳥籠。
その鳥籠の底に横たわるのは、灰色の髪の子供。毛皮の短外套の背中だけが見えていた。そしてその子供をいたわるように、立派な鷹がかばうように翼をかけている・・・。
その姿には、見覚えがあった。顔までは見えないが、あれは先日の狩りのときに会った、狩人の子供ではないだろうか。名はたしか・・・シノン、と名乗ったと思う。
鳥籠のなかに鷹が立ち子供が横たわるという様子に、会場の貴族たちは眉を潜める者もいたが、見世物が進行していくうちにかたちばかりの非難の声はやんだ。
両脇を見れば、オーギュ様は軽く眉を潜めてはいるが次を急かすように壇上を見つめており、セブール様はまさに余興を見るようにして、楽しげに壇上を眺めている。
『一見するとただの子供と鷹ですが、驚くなかれ、この子供と鷹は『精霊憑き』! いま皆様がご覧になっているのは仮のすがた、いまより真の姿をお見せしましょう!』
ぱちーん。と中年貴族の鳴らした指音が、たかだかと会場に響く。するとぞろぞろと黒い覆付外套をかぶった人たちが壇上にあがってきた。数は4人。すごく怪しげな儀式のようだ。
彼らはシノンが横たわる巨大な鳥籠を取り囲むと、エテルナを籠めて、合成魔法を使った。
なんの魔法だろう。見た感じは、攻撃系の魔法ではない。封印解除・・・? のたぐいだろうか。
4つの詠唱紋が重なってひとつになり、魔法が発動する。鳥籠の底に横たわるシノンの周りを、虹色に輝くエテルナ文字が覆う。球形の積層魔法陣だ。
「うぁっ!」
小さく、鳥籠の中央でシノンが呻き、背を反らせた。寄り添う鷹も苦しげに目をつむっている。
わたしは見ていられなくなり、顔を伏せた瞬間に、それは起こった。
虹色のエテルナ文字による球形の積層魔法陣から、光り輝く巨大な翼が浮かび上がったのだ。それは半実体だが、大きな鳥籠を内側から圧するほどの大きさ。シノンとその光る翼が合わさり、あれはまるでーー。
「天使の見た目かーー」
壇上の翼の白い光が、会場に満ちている。その白い光の中で、第一王子のセブール様が瞳を見開いて呟いた。
「まるで伝承のようじゃないかーー」
手で口を覆い、信じられないものを見ている、というふうにオーギュ様。
伝承。その言葉を意味するものがなんなのか、わたしには心あたりがあった。黒と始原の間にかけられた、一枚の大画。それは王国草創の物語が描かれており、ひとりの翼を持つ天使が、のちに国王となる剣を持つ若者を助けている。
中年貴族が披露する、『運命の精霊』。その存在を、王国起源の『天使』になぞらえて、このふたりの王子は捉えている。
この会場の貴族の多くも、そのように理解しているのだろう。声もない。ただ光の翼の神々しさにうたれている。
だがその影で、鳥籠の中の小さな命の炎が、魂力が、どんどんと弱くなっていくのが感じられた。もはや風前の灯火だ。
どういう原理なのかはわからない。精霊憑きという言葉が正しいのなら、憑いている精霊の力が過剰で、封印を一時的に解除することでその力がシノンの体を蝕んでいるのか。それとも、なんらかの封印を解除したことで、シノンから生命力を吸い取るかたちで精霊が顕現しているのか。
フードの人たちが魔法を止めれば終わるのか、それとも鳥籠に仕掛けがあるのか。
でも検証している時間はない。どのみち、このままでは、シノンが死んでしまう!
「やめて! それ以上は、その子が死んでしまいます!」
たまらず、わたしは叫んだ。けれど、皆はこの場に顕現する白く輝く翼の熱に浮かされて、誰も気にしない。耳を貸さない。素晴らしいと囁きあい、鳥籠の中の輝く翼を見つめている。壇上の中年貴族は皆の反応に満足し、得意の絶頂だ。
ここからでは、届かない。声も想いも。
わたしは気持ちを決めて、窓辺から壇上へ早足で向かう。後ろからわたしを止める声があった気がしたが、それを振り切って前へ。壇を囲む人垣をかき分けて、くぐり抜けて、隙間を縫うようにして。そしてようやく壇の前に出る。
「もうやめてください。この見世物を。その子を解放してくださいませ」
「その御姿、灰色の瞳・・・これはこれは、『深森の淑女』のリュミフォンセ一代公様ではありませんか。お初にお目にかかります」
胸に手を当て、慇懃に手を当てる壇上の中年貴族。けれどその間もシノンの生命力は減り続けている。
「どうも。・・・その子を解放してくださいませ。もうその子の体は限界です」
「ふむ。皆様は私の見世物を喜んでくれており、これから佳境なのです。せっかくの一代公のお言葉で、御意に沿いたくありますが・・・できかねますな」
もじゃもじゃの髭をねじりながら、中年貴族が壇上からわたしを見下ろして応じる。
「その子は、闇市場から得たものでしょう。闇市場での取引は違法なはずです」
「さて。私は出入りの商人からこの精霊憑きを手に入れたのです・・・その出入りの商人がどこから手に入れたのかまでは、関知するところではありませんな」
「・・・・・・!」
見え透いたことを!
「もうよろしいでしょうかな。私はこの場にいる貴族の皆様に『運命の精霊』の素晴らしさを伝えなければいけないのですよ」
ですよね? と中年貴族は会場に訴えかける。会場からは、見世物を続けることに否定的な雰囲気はない。
わたしは焦り、言葉を重ねる。
「これ以上に、その子に何かさせる気ですか? その子はもう限界だと言っているでしょう!」
「失礼ですが、この精霊憑きは私が取引で手にいれたもの。どう扱おうと、リュミフォンセ様には無関係なのではありませんかな?」
だめだ。どう言ったら伝わる? わたしが頭を回転させていると、耳元でささやく声があった。人混みをかきわけて前に出てきたオーギュ様だ。
「リュミフォンセ様。この場では彼の言うことが正しい。正当な取引による彼の所有物だ。趣味の良い見世物じゃない、貴女の気持ちはわかるが・・・引き下がるべきだ」
わたしはいつの間にか隣にいたオーギュ様の顔を見る。碧い瞳はわたしを気遣う心情が映っている。
そして反対側から、また声がする。これはセブール様だ。
「『運命の精霊』・・・確かに言葉どおりなら珍しいが、実際は光の精霊の亜種あたりが関の山だろう。たまにああいう出物がある。今回は無理そうだが、貴女が望むなら、次の機会に手に入れてあげるよ。約束しよう」
わたしは再び振り向き、セブール様の綺麗な顔を見上げる。何かを請け負うように、笑顔で頷いてくれる。わたしは信じられないものを見る目をしていたはずだ。
壇上の見世物ではなく、わたしがおかしいの?
三度振り向く。夜会の参加者である貴族たちは、わたしを奇妙な生き物を見る目で見ていた。あるいは可哀想なものを見る目。ーー中央の規則を知らぬ、蔑むべき田舎者。
黙ってしまったわたしを置いて、中年貴族は、見世物を進行するために声をあげる。場は再び熱をあげていく。
わたしはひとり歯を食いしばる。そして思考が走る。いまあそこにいる子ーーシノンは、それほど知っているわけじゃない。ただひととき偶然に顔を合わせただけだ。それだけの関係。
でもあの子がもし、レーゼの祖母の風精霊だったら? サフィリアだったら? バウだったら? そう思えば、居ても立ってもいられない。けれど、わたしがやってしまったら。きっと元に戻ることはできないだろう。
わたしは鳥籠の底で、光の翼を背に生やし、うずくまるその子を見る。
苦しげなシノンが微かに顔をあげ、虚ろな瞳でこちらを見た。唇が微かに動く。
唇の動きで言葉を読む。
・・・・・・・・・『たすけて』
そのとき、わたしの頭のなかに、お祖父様の言葉が閃く。
ーー超然と振る舞え。正しきことを為せ。
それが西部の貴族のーーロンファーレンスの在り方。
わたしは、覚悟を決めた。




