104 狩り シノンとの出会い①
ほんの数日の間に、3人もの男性から、結婚を申し込まれる。
こんなことってあるだろうか。いや、無い。普通はないよ。
だから、わたしが多少ふらふらしていても仕方ないと思う。立て続けに求婚されるって、こんなに気づかれするものだったのだ。
わたしは、第三王子との面会が終わって、お色直しーーではないけれど、個人用の幔幕を立ててもらった。すっかり疲れてしまったわたしは、そこで休息することにした。
その短い時間で、チェセとレーゼが冷たい飲み物を準備してくれ、そして少し乱れたわたしの髪と衣装の崩れを直してくれる。薄く施した化粧も、直してもらう。騎走鳥獣に乗って駈けて、さらに簡単な舞踊曲を踊ったんだから、身だしなみも直さないとね。
「・・・・・・」「・・・・・・」
チェセもレーゼも、なにかをとても聞きたそうにしているけれど、それをできるだけ表に出さないようにして、黙々と作業をしている。さすがのプロフェッショナルだ。
野次馬根性が強いアセレアですら、何があったかをわたしに直接聞くことはない。護衛である彼女は、幔幕の外、出入り口の前に立ち、見張りを勤めてくれている。けれど、彼女がさっきバウに何があったのかをこっそり聞こうとして、見事に無視されていたのを、わたしは見てしまっている。
ヴィクト様とフェル様と何を話したかは、わたしから話すべきなのだろうけれど、この場では誰が聞いているかもわからない。求婚の件は、政治案件でもある。帰りの馬車で話す時間もあるだろうし、いまは何も話さないのがいいのだ。
わたしはそう判断して、冷たい飲み物をストローで口に含む。
・・・それにしても、異性からちやほやされるというのは不思議な感じだ。考えてみれば、ロンファでもリンゲンでも、これまで近い身分で、同年代の異性というのが周りにぜんぜん居なかったのだ。同性の家臣に囲まれてすごしていれば、そりゃあ恋愛にも疎くなるよ。うん、わたし、わるくない。
ーーそういえば、わたしの前世日本での恋愛事情はどうだったっけ?
これまで、その記憶を探ろうとしていなかったことに、改めて気づく。そして記憶を辿ろうとしてーーぜんぜん、恋愛っぽい記憶にたどり着けなくて逆に驚いた。あれっ? 前世のわたし、恋愛に縁がなかった?
前世のこととは言え、それは寂しいな。なにか無いかと努めて思い出そうとする。
けれど、崖に続く線路のように、その先はすっぱりとまっしろな空白で、記憶をたどることができなかった。
「ーーーー?」
なにかおかしい。なにがおかしいのかわからないけれど、おかしい。
「終わりました。ーーリュミフォンセ様?」
わたしが独り首を捻っていると、チェセがいぶかしんで声をかけてくれた。
「あ、ありがとう、チェセ」
わたしは、なんでもないと答えながら、さっきの違和感はなんだったのだろうと思う。
けれど、考えても答えが出ないので、気持ちを切り替えることにした。狩りの行事も大詰めだ。あとは男性陣が獲物を獲って戻ってきたときに、その成果を見届けて、お喋りする。そのお喋りのなかでも、何事かがきっとあるだろう。
ふぅと息を小さく吐いて覚悟を決め、これを飲んだら席に戻ろうと冷たい飲み物に改めて口をつける、とーー。
なにもない空間で、侍女のひとりのレーゼが、突然、きょろきょろとあたりを見回し、ぽそぽそと何かを呟いている。
さすがにわたしも気になって聞いた。
「どうかしたかしら? レーゼ」
「あ、リュミフォンセ様。これは申し訳ありません。・・・風の亜精霊が騒ぎ始めたのです。なにごとかと聞いているところです」
これだけ聞くと怪しい人の言葉に聞こえるが、風の精霊の血を引くのレーゼは、風の亜精霊の声を聞き、情報を得ることができるのだ。ちなみに、わたしにはぜんぜんわからない。
風の亜精霊は実体を伴っていないエテルナの流れに近く、感知することも難しい。小さすぎるのだ。さらには、亜精霊は、意識が理性にまで至っていないため、まとな情報を得るには苦労するらしい。
わたしもじっとレーゼのいるほうをやぶ睨みにして見ると、ちらちらとしたエテルナの粒のようなものが見えるかな・・・? というくらいである。亜精霊の出力が弱すぎて感知できないのである。声などとても聞こえない。
精霊通である水の大精霊であるサフィリアいわく、『同じ精霊でも、位階や系統や出身地の違いで、意思疎通ができないことがある』といっていた。亜精霊は、動物型を取るほどの知性もない上にちからも弱く、そもそも感知できなかったり、ある程度力のある精霊同士でも、言葉や文化が違うと意思疎通が困難なのだという。サフィリア自身も、前述の事情で、たとえば風の亜精霊とは交信できないらしい。
なので、レーゼの亜精霊と交信できる能力は、希少な能力だといえる。漠然としているが、『虫の知らせ』のようなものを知らせてくれる。
「なにか、遠くのほうで、危ないものが動いているようです。はっきりとはわからないのですが・・・。風の亜精霊たちが怖がっています。御身にご注意くださいませ」
レーゼは申し訳なさそうに伝えてくれる。わたしはわかったわと頷く。
遠くのほうで、危ないものが動いている、か・・・。何か推察するにも情報が足りないし、対策をするには情報が曖昧だ。レーゼに言われた通り、気持ちを引き締めておくぐらいしかない。
そう思ったとき、幔幕の外で、アセレアの誰何の声がした。
「何者だ! その藪から出てこい。この一帯は、貴人のおわす場だ。無礼があれば、その首が飛ぶと心得よ」
なんだろう? わたしはレーゼの顔を見る。けれど彼女は首をかしげた。いまレーゼの言った『危険』は遠くのほうだと言っていた。それとは別件だろうか。
幔幕の外の出来事に耳を澄ませていると、「ご・・・ごめんなさい・・・」という蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
かぼそい、子供のような高い声。音からすると、ひそんでいた藪のなかから出てきたようだ。その声は続ける。
「こ、ここに、ひ・・・『ひめさま』って・・・ひと・・・いますか・・・? あたし・・・っていうか、『いーちゃん』が、会いたいって言ってて・・・」
「・・・ん? もっとわかるように話せ。それに、ここにいるのは貴人ばかりだ。『ひめさま』に該当する方は、たくさんいらっしゃる」
幔幕の外にいるアセレアは、護衛らしく強い声で話す。けれど、子供の声はすがるように答える。
「あのう、その・・・『ひめさま』は『灰色のひとみのひめさま』で・・・その、人間の、うんめいに関わることを、伝えにきて、そのぅ・・・とても大事なことなんです! 会わせて欲しいんですぅ!」
「何を言っているかわからん。此処は通せない。もう去りなさい。それか話のわかる大人を連れてくるか・・・。いずれにしろ、そんなことを高貴な方が多くいるこの場で言って回ったら、子供とはいえ、怪しい者としてどんな目に会うかわからんぞ。諦めて帰りなさい」
「でも・・・でも・・・」
幔幕の中にいるわたしは、外の声を聞いて、左右のチェセとレーゼを見る。するとレーゼが、
「おそらく狩りを手伝う勢子、狩人の子が、会場に紛れ込んだのでしょう。お気になさる必要はないかと。先程お話した危ないものとは、無関係だと思います」
そしてわたしは、バウを見る。バウは、相変わらず伏せの姿勢だったか、ピンと耳と顔を立てて、外ーー幔幕の入り口のほうを注視している。何か感じるところがあるのだろうか。
ふむ。
わたしは座っていた椅子から立ち上がると、わたしを止めようとしていた侍女ふたりを後ろにおいてまっすぐに進み、出入り口に垂れ下がる布に手をかけた。わずかに開く。
「なにごとかしら?」
「あ、これは・・・。子供が『ひめさま』に会いたいと言っているのですが、その姫の名前も言えないので、通せずに居たところです」
わたしの声に、アセレアが軽く一礼して言った。幔幕は声を丸通しなので、状況はわかっているけれど、礼儀として説明してくれる。
わたしの位置から、その子供が見えた。背丈からすると、10歳くらいだろうか。珍しい灰色の髪に、緑色の瞳。麻の粗末な上下に、毛皮の短外套を巻いている。背中には矢筒と弓。そして・・・肩に立派な鷹を乗せていた。いかにも狩人らしく、レーゼの言うように勢子の子みたいだ。勢子とは、狩りのときに大声や鳴り物で獲物を追い立てる役のことで、今回の狩りでも多くの勢子が動員されている。
「あのっ・・・『ひめさま』ですね?! はじめまして、あたしはシノン! この子は『いーちゃん』と言います! 精霊・・・みたいなので、この子からの伝言があります!」
そのシノンと名乗った子は、わたしに向かうと、肩の鷹を指して、そう叫んだ。シノンは、声と名前からして、女の子だろうか。
「『私達は互いの道標となる』、『世界を渡るものに気をつけよ、この世界を奪われないために!』」
世界を渡るもの・・・その言葉に、わたしは心当たりがあった。2年前に戦った、天を衝くような巨人兵士ーー黄昏の楽園の兵士。そして・・・調律者。わたしたちをぼこぼこにしてくれた『星影の仮面』と、助けてくれた『月詠さま』。
「こらっ、勝手にそんな妄言を!」
騎士アセレアが、少女シノンを捕まえるために手を伸ばせば、そこは狩人らしく、さっと身を引いて、捕縛の手をかわした。そして一言。
「あたしたちの言うことが信じられないなら・・・『この森にモンスターを人間が持ち込んだ』から、注意してください! もし『モンスターが襲ってきた』、あたしのーーあたしたちの言葉を、信じてください! 運命を、変えるために!」
それだけ言うと、少女シノンは身を翻して、森の藪に飛び込む。その緑に潜るように溶け込み、あっという間に見えなくなってしまった。
シノンを名乗る少女と鷹に逃げられたアセレア、下品な言葉で小さく毒づいた。
「どうしますか、リュミフォンセ様? 捕らえられますが」
見れば、騎士アセレアは赤髪の上に半分に割れた仮面を浮かべていた。特殊能力『鷹の千里眼』を起動したのだ。彼女からは、森の藪を伝う少女シノンの動きが見えるのかも知れない。けれど、彼女が続けて投擲用の短剣を取り出すのを見て、わたしは首を横に振った。
「気になるけれどーー。あの少女を無傷で捕らえるのが難しいようなら、やめておきましょう」
「そう仰っていただけると、助かります。森の中の追っかけっこで、狩人にかなうものはいませんからね」
言いながら、アセレアが投擲用の短剣を懐にしまい直す。
そのとき、高い悲鳴と騒ぐ声が響いてきた。
あの方向は、女性陣がお茶会をしている幔幕のほうだ。




