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小さな物語(仮

作者: よしかわ こう



 ゴブリンが被っていた粗雑な鉄兜を川で丁寧にゆすぎ、即席の鍋としたユーゴは慣れた手つきで火を熾し、石を囲んで即席のかまどを作った。

 鍋を据えて水が沸騰する間に小川の周辺に自生する野草を摘んだ。柔らかく大振りな葉だけを選別して小川で洗い、沸騰した鍋に投入する。

 革袋から取り出した塩漬けの肉、チーズの塊をナイフで切り出し鍋に入れる。

 交易の要衝である街道で悪さをするゴブリンの群れの討伐という依頼書を手に来てみれば、当のゴブリンはたったの二体、ゴブリンよりも格上のナックルベアーがなぜか暴れていた。

 ギルドが嘘の依頼書を寄こすわけもないが、狩りの対象はあくまでもゴブリンだ。関係のない魔物を倒しても賞金は発生しない。とはいえだ、予定と違うからと回れ右して帰ったところで、新たな手配書が刷られるまでの間、戦いに不得手な商人や旅人がナックルベアーに襲われたとあっては寝覚めも悪い。

 狩人の本分にも(もと)るなどと、もっともらしい講釈を垂れる気はさらさらない。

 ゴブリンの掃討なら数時間ほどの簡単な仕事だったが、ナックルベアーは優に三メートルは超す巨体と剛腕から繰り出される鉤爪、巨体をものともしない俊敏な動きが相当に厄介な相手だ。

 狩人としての盛りを過ぎた年齢に差しかかり、太刀筋が鈍ったなと思うことも多くなってきた。何度かヒヤリとした場面もあったが、そこは長年にわたって培ってきた経験というやつでナックルベアーを地に伏した。

 採取用のナイフでナックルベアーの牙や爪、毛皮を次々にアイテム化させていく。ナックルベアーの素材は多岐にわたるので、それなりの価格で買い取ってくれるだろう。

 採取を終えたユーゴはさらに森へと分け入り、ゴブリンの巣くう洞窟に押し入った。街道近くで旅人たちを困らせていたゴブリンとは全く関係のないゴブリンを倒してようやく、先の生活費を確保したのだった。

 日が暮れてしまったので街に帰ることは断念したが、不測の野宿にも動じないほどには旅慣れている身の上だ。

 野営場所の背後は深い森が拡がっているからか、山の稜線の向こうに太陽が沈むと辺りは急速に闇が増し、今宵は月の明かりも望めないようだった。

 ぼんやりと火を眺めていたユーゴは辺りが完全に闇に包まれたところで、腰に吊るした魔石を軽く握った。子供の握り拳ほどの魔石は網の中に収められている。

 徐々に明かりを湛えた魔石は夕闇にも確かな光量があり、その用途は携帯用のランタンだ。

 ぐつぐつと煮込まれたスープはそれなりに旨そうな匂いを漂わせ、匙でかき混ぜ、味見をしてみる。

 うん、塩漬け肉とチーズを煮込んだ味だ。味は二の次で腹が満たされればそれでいい。

 黙然とスープをかき込んでいたユーゴはふと気配を感じて背後の森を振り返った。

 ナックルベアーの出現によって街道近くの森に生息している魔物はなりを潜める結果となり、さらに数だけは多いゴブリンをユーゴがあらかた狩ってしまった後ではあったが――。

 この気配は人か。賊の類いは街道を往来する人々の財布を狙う厄介者だ。

 ユーゴは手の届く範囲に置いてあった剣の柄を手繰り寄せた。

 暗い木々の間から現れたのは小さな影だった。

 長年、切った張ったの世界に身を置いているユーゴの知覚は察した。殺気などは感じられない。

 それでも予断なく見つめるユーゴの脇を、小さな影は臆することなく焚き木の火の前に座った。

 身に着けている服はボロ同然で、布っ切れを体に巻いていると形容したほうがいい。丸められた背中は明らかに薄く、剥き出しの手足は骨が浮くほど細い。もちろん素足のままだ。四方に跳ねて伸び放題の髪の毛は油染み、所々が絡まって束になっている。男なのか女なのか、乱れた髪から覗く横顔は判然としない。

 曲げた両足をしっかりと抱え込んだ両手首には鋼鉄の枷がはまったまま――足首に枷ははめられてはいなかったが、擦れて爛れた痕をはっきりと残している。

 少し首を伸ばして子供の左の甲をのぞき込む。奴隷の焼き印が痛々しかった。

 森からやってきた?

 輸送途中にでも逃げ出したのか。見るからに体力はなさそうだが、森の中を跋扈する魔物に出会わずに済んだのはとんだ僥倖だ。

 ユーゴはとりあえずの疑問と詮索を止め、膝を抱えて微動だにしない子供を横目にみやった。焚き木が爆ぜる音に交じって、いかにも間抜けな腹の虫が鳴っている。

 革袋を漁ったユーゴは皮をなめして成型したマグカップにスープを注ぎ、子供の鼻先に突き出した。

 黙って受け取った子供は小さな鼻腔を引くつかせて匂いを嗅いでいた。慎重に一口を啜り、有り合わせの保存食を煮込んだだけの代物だが、美食家のごとくじっくりと吟味している。

 黙々とスープを腹に収める子供に、ひとつ頷いたユーゴは自身も干し肉の欠片を咀嚼した。

 見るからに食事事情はよろしくない子供は黙然とスープを飲み干し、両手に包み込んだままのカップの底を凝視している。

 こちらが勝手に斟酌するしかないのだが、ユーゴはマグカップにスープを満たして子供に与えた。

 子供は二杯目のスープも飲み干し、結局はマグカップ四杯分を胃に流し込んだところで鍋の中身が尽きた。

 贅沢とはいい難い夕食は静かに終わり、手早く片付けたユーゴは素材の採取と合わせて集めていた枝木を火の中に投入した。火を絶やさなければ秋の夜でも十分に暖かい。

 高くなった火柱を眺めながら、ユーゴは腰袋から取り出した大小取り合わせた黒い魔石を火に投げ入れ、火掻き棒代わりの小枝で並べてやる。

 火の中に並べた魔石は火を蓄える特性を持ち、性能の高いものであれば炎を自在に操ることができる。といっても、魔石を任意に扱うためにはそれなりの魔力も求められるので、剣を振るうしか能のないユーゴには蓄えた火の熱を火種として、あるいは夜露に濡れる野宿をしのぐカイロとして使用するのが関の山だ。

 純度や大きさによって値段も変わるが、安価な魔石は日常生活には欠かせない必需品でもある。

 ひとりの夜は慣れたものだが、正体不明の子供と共に一夜を過ごすのは不慣れなユーゴは剣の手入れを始めた。

 砥石で刃を研いでいると無心になる。仕事終わりに必ず行う儀式のようなものだ。一研ぎごとに余計な感情が剥がれ、澄やかな気持ちになると同時に、自分の命を預けている愛剣を奇麗にしてやることで今日も生きられたと実感を得る。

 切れ味を指の腹で確認していたユーゴは、ひとつ嘆息した。

 子供の細腕にはいかにも不釣り合いな分厚い鋼鉄の錠を手にしたユーゴは、内心舌打ちした。潰された鍵穴には悪意しか感じられない。

 人身売買はどこの国においても禁止されている。そう、表向きは。その事実が発覚すれば関わった人間の命をもって(あがな)わせるほどの厳罰化は当然、しかし、抜け道はいくらでもある。

 闇に乗じて人さらいや人身売買を生業とする商人は後を絶たない。どこかの国で毎月開催される闇市の目玉は、いつの時代でも人なのだ。

 手枷の表面には禁呪が彫り込まれており、そう易々と開錠させない念の入れようだ。元より力押ししか持ち合わせていないユーゴは呪いなど頓着しないのだが。

 ユーゴは投げナイフの刃先を枷のつなぎ目にねじ込み、一気に返した。刃はこぼれ、枷のひとつをこじ開けるだけで刃先が折れてしまった。三本の投げナイフを駄目にしてようやく、子供の手首は身軽になったのだった。

 放っておけばいいものを、なにをやってるんだ。

 ユーゴのお節介はここまでだ。

 どれほどの幸運にあやかってここまで逃げてきたのか、火の明かりに導かれて腹は満たしたものの、子供は立ち去る素振りを見せない。ユーゴも無理から追い払いはしないが、手を引いて連れ帰る気もさらさらない。

 まんじりともしない夜の帳に聞こえてくるのは焚き木の燃える音だけ。

 いっそ彫刻だといわれたほうが納得できるな……などと内心を吐露するユーゴは、子供の肩が唐突に揺れたことに機敏に目を向けた。

 火掻き棒代わりの小枝を手にした子供が、火中に投じている魔石をつつき始めたのだ。

 食べる以外に興味を示さなかったことを思えば、単に呆けているわけではなさそうだ。

 魔石をいじりつつも横顔に表情の変化は見られない。無を張り付けたまま、しかし雑多に並べられた魔石を等間隔に並べ直すほどには真剣に興じている。

 火にあぶられた魔石の表面が、火のように赤く染まっていくさまを見つめる子供がほんの少しだけ身を乗り出し、色むらのある魔石を火に寄せ、あるいは器用にひっくり返した。

 魔石の道理は理解しているようだ。

 子供の手遊びを中断するのは忍びないが、ユーゴは均一に並べ置かれた魔石を遠慮なく掻き出し、元の革袋に収めていった。ただの鉱石でないので不意に触っても熱くはない。

 静かな遊びを中断された子供の横顔は不服そうでもあり、持っていた小枝が用済みとなって空をさまよった。

 



 東に向かって街道を進むと、ユーゴが根城を構えている古都レムルへと続いている。連綿と続く山脈を抱いた極北の主要都市として、レムルを中心に縦横に敷設された街道は古都と周辺地域の交易の生命線だ。

 人と物の往来を妨げる魔物や賊が出ればギルドに依頼書が撒かれ、それらの害を排することを生業にしているユーゴを含めた「狩人」たちもまた、街道がもたらす恩恵を手にしているわけだ。

 飯の種を得るために仕事をこなしただけのユーゴは、未だ黙して語らないお荷物の子供を抱えたまま朝日が昇る前に出立した。

 ユーゴは子供の足に合わせて歩いてやるほど親切でもなかったが、子供はぴたりと追いすがる。吹けば折れそうな足の割には健脚だ。

 このままユーゴの後をついてきたところでレムルに入ることは叶わない。奴隷として身をやつしていた子供が自身の身元を保証する通行手形を持ち合わせているはずもなく、門番に誰何(すいか)されて終わりだ。

 身の証しがない者は隣町にも行けない。

 元居た場所に戻してやるのが一番の解決法だが、どうだろう。一方的にさらわれるのも不幸だが、口減らしのために親自らが僅かばかりの金と引きかえに売ることもままある。

 奴隷として人生を奪われた者は、どうやっても救われない。

 太陽が高くなってきた頃に小休憩を挟む。手頃な岩に腰を下ろし、首筋に滲んだ汗を拭う。

 街道脇には所々開けた場所がある。この空間は商人や旅人が体を休めるために自然とできた場所だ。

 一方の子供も足を止め、ユーゴに倣って一回り小さな岩にペタンと座り込んだ。

 どうやってもついてくるらしい。

 ちんまりと岩の上に収まっている子供は行儀よく膝を揃え、両手をきちんと添えている。

 何の気なしに視線を送ったユーゴは、赤く腫れあがっていたはずの左手の甲がすっかりと奇麗になっていることに愕然とした。

 ユーゴは乱暴に子供の腕を取って手の甲を凝視した。確かに焼き印の跡は認められた。しかしカサブタを捲るようにして薄っすらとしか残されてはないかった。足首の傷もすっかりと癒え、手首の傷もほぼ治っていた。

 改めて子供を見ても、栄養失調で痩せている以外にこれといった特異は認められない。いや、自身の体で証明している。驚異的な回復。

 この世には加護を持ち合わせた人が存在する。その能力は多種にわたるが、この子供に関していえば、自身はいうに及ばず、他人にも恩恵を分け与える特殊な能力だろう。どんな怪我でもそれは病気であってもたちどころに癒してしまう。

 世には回復薬が五万と溢れている。加護持ちを当てにするまでもないと思うのだが、手っ取り早い奇跡を生む加護持ちは、とかく珍重される。

 この世に生を受けて生まれてくる者の中には天より加護を授かる者がいる。加護を持って生れ出てくるときに、瑞兆(ずいちょう)とやらが現れるとか。人の世界においての良し悪しはその特性が開花するまで分からないとしても、本来ならば大切に庇護されるべき存在には違いない。

 なにをどう間違って奴隷に身を落としているのか。

 ユーゴの思考は腹の鳴る音で中断された。

 慌ただしい朝食は一杯のお茶と堅パン一切れだったことを思えば、午前中を歩き通した小さな体では空腹には耐えられないだろう。

 ユーゴは頭上を振り仰いだ。

 子供の腹具合を心配してやる必要は全くないのだが、薄く切った堅パンにチーズ、煮詰めて固めたハチミツを乗せたものを子供に与えた。

 煮詰めたハチミツは手っ取り早い疲労回復だ。甘ったるい匂いを一頻り肺に満たした子供は堅パンにかぶりついた。

 有り合わせを乗せただけの昼食を終えた子供は、指先についたハチミツをいみじくも舐っている。ユーゴは油紙に包まれた残りのハチミツを投げて寄こした。

 恐る恐る油紙を捲って出てきたものがハチミツと知るや、一かけらを口に含んだ子供はほんの少しだけ笑った。

「お前、加護持ちだったのか」

 かけらで頬を膨らませた子供はまじまじとユーゴを見つめた。思いのほか大きな目は鮮やかな緑を湛えている。

 子供はふいと目を伏せ、以外にも長く豊かなまつ毛が緑の目に影を差した。手元に視線を落としたまま、油紙をきちんと畳み直した子供はユーゴに差し出した。

「好きなだけ食えばいい」

 ユーゴの表情を上目遣いに見つめる子供が笑った。

「さすがに一日も経たずに傷が治れば、そうだと悟られてしまいますね」

 年相応の少女の(いとけな)い声音と、聡明な言葉使いがいかにもチグハグだった。

「認めるのか?」

 少女は頷いた。

「なのに奴隷なのか」

「色々と思うところがありまして」

「そして売られた?」

 半分は皮肉だった。ユーゴの言葉に子供は意に返すことなく肩を竦めた。

「あの枷は私自身を縛るものです。焼き印を押し、鍵穴の潰れた枷をはめたのも私の意思です」

 特別な加護を持つ者の思考をユーゴが理解できるはずもない。

 禁呪の力によって自分の能力を削いでいたとしても、内在する力がたちどころに癒すだろう。しかし――

「もちろん、痛みは伴います。でも治りますから。酔狂ですか? そこまでする理由があったと察してください」

 気が知れない。

 逃れようのない烙印を押して、わざわざ重い枷をはめて自ら奴隷を騙るなど、狂気でしかない。

「狩人のあなたならお判りでしょう? 社会の仕組みから逸脱した者の存在がどういうものかを」

 嫌な聞き方をする。しかもその解をユーゴの口から語らせようとしている。

 自分にとって不都合な事実は見て見ぬ振りをするのが世の常だとしても、沈黙を選んだユーゴは我ながら姑息だとちょっとだけ恥じた。

「人であっても人としての扱いを受けない。道義的な問題を提議しようとは思いませんが、関心を払われない姿であればそれでよかったのです。一顧だにされない存在となった私に無関心でありながらも、あなたはいかにも重そうな手枷を解いてくれた」

 ユーゴは渋面を作った。

「なるほど。詮索することもなく食事を与え、野天の宿を提供したお人よしだな」

 枷を外すことを許したのは子供のお眼鏡に適ったというべきか、事実を知ってもなお、ユーゴが悪意を抱かないと判じたのだろう。

「随分と善良に見られたものだ」

 少女の双眸には理知的な光が宿っている。昨夜の呆けた姿は演技だったのか、だとすれば空恐ろしい限りだ。 

「私は世間知らずではありますが――狩人としての(さが)と呼ぶべきでしょうか。私という異物が入り込んできても興味を示さず、かといって邪険にも扱わなかった。その剣を振るう理由がなければ、誰であっても変わらないのであろうと感じましたが」

「思うのは勝手だ。人並みの欲は持ち合わせている。随分とありがたい力だろう、高く売れそうだ」

 愁いを帯びた少女は嘆息した。

「私の力は有能ではありますが、空腹を癒すことはできません。当たり前ですが。先の町で空腹で動けなくなっていたところを本物の奴隷商の目に留まってしまいました。紛らわしい恰好をしているのですから、推して知るべきですね。

 ですが商隊は魔物に襲われ、大きな、熊のような魔物で……あっという間でした。一時とはいえ、同じ境遇にあった方を助けられなかったのが残念でなりません」

「熊……」

 妙に気が立っていたナックルベアーを相手にした覚えがあるユーゴとしては、世の中に数え切れないほどある小さな悪の終焉に、図らずも立ち会ってしまったようだ、と皮肉な因果に笑えた。

 少女の独白は魔物の巣窟である森での逃走劇まで及んだ。しばらくは放っておいたが、一向に話が尽きない。

「お前さんの話には興味がないし、これ以上聞きたいとも思わない。魔物に襲われたのは不測の事態だったわけだ。何事もなければただの奴隷としてレムルに入国できたろうに。身の証しを放棄するための奴隷の振りなんだろう」

 垢じみた衣服から覗く血色の悪いくすんだ手足はきちんと揃えられ、伸ばされた背中に、なぜだか麗姿をうかがわせる。汚れを洗い流し、きちんとした衣装を身に包んだ姿を容易に思い浮かべることができるから不思議だ。

 どんなに薄汚れていても出自は偽れないということか。

「やはり狩人は耳目に聡い方が多いというのは本当ですね。ですからあなたを頼っています」

 いっそのこと清々しい。奴隷を選んだ理由は手形や、あるいは国が発行している旅券を持たない存在になることだ。身元がばれなければ、それこそ奴隷として売り払っていいと暗に告げている。

 少女の言葉を借りるならば、そこまでせざるを得ない少女の力を推して知ることができる。

 ユーゴは革袋から手枷を取り出した。その場に捨てておくのはよくないと、狩人の勘が告げていたからだ。

「街道の脇に転がっていれば、出来心を起こした商人がお前を拾ってくれるかもしれんぞ」

「枷の呪は私の力を縛るものであると同時に、()()()()()()()()()()()()()呪いもかけていましたが、あなたは難なく解いてしまいましたね」

 ユーゴは聞こえないふりをした。少女はユーゴの猿芝居にも柔和な笑みを返しただけだった。

 しばらくは沈黙の中に身を置いていたユーゴは、山脈方面からレムルに向かうと思われる商隊に目を向けた。数人の商人と護衛、幌馬車三台だけの小規模の一行だ。

「ユーゴの旦那ー!」

 先で休憩していたユーゴを目ざとく見つけた商人風情のひとりが、手を振りながらこちらに駆けてくる。

 知らずユーゴは舌打ちした。面倒なところに面倒な輩が走ってくる。

 一行から離れてこちらに向かってくる商人の顔が知れたユーゴは、再び舌打ちした。商人の名はテオ。年は若いが中々にやり手の商人だ。

「仕事っすか? 面倒な魔物でも出たんすか? なんか面白い話耳にしてないすか」

 矢継ぎ早に質問を浴びせるテオはユーゴと少女を交互に見定め、最後に「誰っすか、この子」と締めくくった。

 テオはユーゴの返事を待つまでもなく、商人の目でもってして少女を査定し始めた。

「烙印はないみたいだけど、見るからにって格好だし。もしかして旦那の――冗談っす。あの噂は本当だったのかな? トーナンの商隊が魔物に襲われたんですよね。表向きは家畜の運搬って話だけど、俺らの間じゃ人だったんじゃないかって言われてるっす。生き残りもないし、襲われた奴らも魔物の腹ん中ですからね」

 テオは勢いのままに少女からあれこれ聞き出そうと頑張ってはみたが、口の回るテオをもってしても、少女の牙城を崩すことはできなかった。

 一晩とはいえ、ユーゴを騙せたのは伊達ではない。

 根負けしたテオはユーゴに助けを求めようとして、早々に諦めたようだった。ユーゴも普段から口が重いことで有名だ。

 商人としての鼻はよく利くが、若さという経験不足は否めない。テオの父親いわく、人の機微を見抜き、あしらいを上手くこなせないようじゃ未だ半人前と(そし)られるのも頷ける。

 のんびりと歩を進めてきた残りの商人は、テオの父親ノーマンと母親のファロウだ。大きな商会に籍を置かない個々の商人は家族単位での商いを行うのが常だ。

 最後に付き従う壮年の護衛の顔に見覚えはなかったが、馬車の木枠に体を預けて休憩しながらも無関心を装ってくれている。

 ノーマンはユーゴに目礼し、少女に関しては静かに眺めるに留めた。一方のファロウは挨拶もそこそこに、少女の元に跪いた。

 ファロウは少女の細い肩を抱いてさするように労わると、自身の外套を少女に被せた。

 可笑しなことになってきたな。ユーゴは事の成り行き見守ることにした。

 濡らした手拭いで少女の顔や手足の汚れを落とし、水筒の水で髪の毛を洗ってやりながら、ファロウは甲斐甲斐しく世話を始めた。

 まるで着せ替え人形のようにされるがままの少女は、丁寧に髪を梳かれて随分こざっぱりとした。

「女の子は奇麗にしておかないとね」

 女同士のあれやこれやを遠目に、ノーマンはユーゴに向き直った。語らずとも「どうするつもりなんだ」と目が告げている。

 ユーゴは肩を竦めた。

 ノーマンを一言で表すなら豪放磊落(ごうほうらいらく)。そのくせ商売は堅実で実直。おまけに気っ風(きっぷ)のよさから同業者からも一目置かれているテオの父親は、商人として一体どういう判断を下すだろうか。

「さ、あんたたち、荷物をまとめて。出発するわよ」

 三人の男は三様の驚きを浮かべ、少女の手をしっかりと握っているファロウはなおも急かした。

「その子をどうするつもりなんだい」

 ノーマンは冷静に問うた。

「放ってはおけないだろう? 連れて帰るに決まってるじゃないの。行くわよ」

 呆気にとられる男衆を尻目にファロウは荷台の隙間に少女を座らせ、待機している護衛と馬車を引き連れてさっさと行ってしまった。

「連れて帰るって……」

 テオは父親を縋り、当人のユーゴに助けを求めた。

「そうかぁ」

 嫁の勝手を咎めるでもなく、ノーマンは飄々と後に続いた。ユーゴにしてみれば厄介事が去ってくれたのだ、ここに留まる理由もないので一行の後を追った。

 ノーマンは歩調を緩めてユーゴの横に並んだ。別になにを語るでもない。商人と密接な関係にある狩人とも長い付き合いのノーマンは、癖の強いユーゴの扱いにも長けている。干渉することなく、詮索もしない。

 前を行くファロウは屈託のない笑顔を浮かべ、見上げる少女の横顔も笑顔だった。

 そんな二人を眺めるノーマンは悠然と口を開いた。

「三日後に商品を買い付けに行く。場所はザインだ」

 狩人にとっては護衛も大事な仕事のひとつだ。近場であれば実入りも比較的いいのだが、場所が遠くなるほど拘束される日数が増えるので断る狩人は多い。腕に自信があるならば数に任せて魔物を狩ったほうが金になるのだ。

 手間のかかる護衛を引き受けるならば今日の一件は不問に付してやろうと、ノーマンは商人らしい交渉を持ちかけている。

 ノーマンの真摯な目交いを正面から受け止めたユーゴは、了承の意を込めて頷いた。

 一転して闊達に笑ったノーマンは、笑みの端に商人の打算を遠慮なく覗かせた。

「うん。あんたほどの護衛を安く雇えたんだ。取引としては上々だ。それにしても――慈母には敵わんな」

 ファロウも商人の端くれだ。損得を計る前にあえて少女の保護を優先させた。

 二人は信頼に足る商人に違いないし、どちらにせよ、レムルの商人でも顔役に近いノーマン一家に庇護された少女の願いは果たされる。

 身元を隠したままでどこを目指しているのか。少女の思惑を知ろうとは思わないが、結果的に護衛の料金を買い叩かれたユーゴは溜め息の中に沈んだ。



おわり




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