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今日は、何処か騒がしい。灰色のままの空を見上げ、息を吐く。右から左へ飛ぶ小型無人機の腹に記された三重円に、アキは息を吐いて首を横に振った。
あの無人機は、誰が操作しているのだろう? おもむろに、不毛の地を見回す。だが、ゲストハウスの平らな屋上から見えるのは、不毛の地と、左手に僅かに浮かぶあの荒んだ町のシルエットだけ。時間のラグはあるにせよ、宇宙に散らばる惑星にある無人機をこの地球で遠隔操作できるのだから、あの無人機も、おそらくここからは見えない、ずっと遠くからの操作で動いているのだろう。小さく頷くと、アキは金属の右手に掴んだ太い鉛筆を真っ白いスケッチブックの上に置いた。
不思議なことに、アキがスケッチブックを開くと、ダンの視線がアキの方へと移る回数が多くなる、気がする。ダンの気が散らないよう、ダン自身の職務に集中させるために、右腕のリハビリを兼ねたスケッチブックへのメモやデッサンは、外で行った方が良いだろう。それが、アキの判断。この場所からでも、ゲストハウスへの出入り口である表門と裏門の両方を見張ることができる。『護衛』という任務に関してはこれで十分。
荒んだ町で手に入れたにしては、良い紙だ。引っかかることなく動く鉛筆に、頷く。しかしこのサイズのスケッチブックはもう在庫が無いと店主は言っていたから、スケッチブックを手に入れる手段については改めて考えなければならない。文庫本より一回り大きいスケッチブックを常に入れているせいか少したるみが出ている上着のポケットを、アキはスケッチブックを持った左手で小さく整えた。
そう言えば。左側の町のシルエットをちらりと見、首を傾げる。あの日、ダンは何故、あの町に来ていたのだろう? 多分、食料庫に無かった好みのチョコレートバーを手に入れようとしたのだろう。今も地下室で機器を操っているダンの、大人のように振る舞おうとしている小さな背を思い出し、アキは頬の引き攣れに構わず口の端を大きく上げた。
あの惑星を描いたスケッチブックは、ダンが気に入ったらしくずっと、ダンが埋もれているクッションの上にある。取り上げても良かったのだろうが、アキはそれを躊躇っていた。
あの惑星について、ダンは本当に「有用なものは無い」と、上司であるジョーンズ隊長に報告したようだ。今は別の惑星を調査していると、昨日、ダンは、ゴーグルに映っているのと同じ、アキが初めて見る画面をスクリーンに映してくれた。そのダンの楽しそうな顔を見ていると、あのスケッチブックに拘ることが馬鹿らしくなってくる。置いてある場所は分かっているのだ。ダンが飽きたら、返してもらえばいい。そんなことを考えながら、アキは、砂しか無い大地を新しいスケッチブックに描き記した。
風が無い所為か、砂の動きは殆ど無い。調整してもらった義手の滑らかな動きに、アキは小さく微笑んだ。
その時。
断続的な振動と、左手の空に上がった煙に、はっとする間も無く屋上から滑り降りる。あの町で、何かあった? 町の方に向かい、そして去っていく小型無人機を目の端に捉えながら、アキはスケッチブック鉛筆を上着のポケットに乱暴に突っ込みながらゲストハウスに飛び込んだ。何があったかは不明だが、ダンを守ることが、アキの職務。
「ダン!」
地下室に響く呻き声に、一瞬だけ硬直する。もしかして、ここでも、何か? 床に投げ捨てられたヘッドセットとゴーグルを横目に、目を押さえてクッションにうずくまるダンをアキは傍らのスケッチブックと一緒に半ば乱暴に抱き上げた。
「遠隔操作、システムに、お、追い出せ、た、けど、侵入、者、が……」
ダンが操作する遠隔操作システムには、ウイルスや悪意ある侵入者を徹底的に拒むプログラムが組み込まれていると、ジョーンズ隊長の説明に無かったか? しかしそのことを思い出す前に、アキは震える小さな背を生身の左手で支えながら、金属の右手で壁のスクリーンを跳ね上げた。ダンの寝室の下に、核攻撃を受けても平気な避難部屋があると、アキとダンの上司であるジョーンズ隊長は言っていた。とりあえず、そこにダンを隠してから、情報を集める。
避難部屋の真ん中に置いてあった小さなクッションにダンを座らせ、部屋の壁に設えられた棚にあったペットボトルの水を飲ませる。時間が経ち、小さな背中の震えが落ち着いたことを生身の左手で確認してから、アキはダンの頭を金属の右手で軽く撫でて立ち上がった。
「大丈夫」
とにかく、何が起きたのか、情報が必要だ。ジョーンズ隊長に報告する必要も、ある。しかしこの地下室までは電波が届かないのか、アキが無理矢理持たされている携帯端末を操作しても、外には繋がらなかった。一旦、この部屋の外に出る必要がある。
「ここに居て」
未だにぼうっとした瞳で、それでも小さく頷いたダンを確かめてから、アキは再び、ダンが脱ぎ投げたヘッドセットとゴーグルが転がる地下室に歩を進めた。
次の瞬間。飛びかかってきた大柄な影から、身を躱す。
「やはりここで、あの無人機を……」
まだ動作しているゴーグルの裏に映る、既視感のある幾何図形を見下ろした影の声に、アキは唇を噛みしめて臨戦態勢を取った。一対一でも、相手は自分より2フィート以上背が高い。肩幅もあるし腕も太い。そのルークに、銃を扱えない腕で勝つ方法は。一瞬で腰を落とし、アキはルークの足を狙って突進した。だが、ルークの方が一瞬だけ速い。長く太い腕に襟を掴まれ、アキの身体は爪先立ちになってしまった。これは、まずい。締まる首の痛さと息苦しさの中、何とか素早く思考を練る。結論が出ると同時に、アキは襟を掴むルークの腕を両手で掴み、身体を持ち上げて急所を蹴った。
「うぐっ……!」
呻くルークの、アキの襟を掴む腕の力が緩くなる。その太い腕を掴んだまま、アキは習い覚えた技と金属の右腕の力でルークをコンクリート壁に向かって投げ飛ばした。
次の瞬間。右肩から全身に走った痛みに、身体中の力が抜ける。頽れたアキの目の端に映ったのは、顔をしかめながら立ち上がったルークの巨体と、その影が投げた、アキの義手。
無くした腕を探すかのように右肩から脳内へと送られ続ける神経信号が、目眩を引き起こす。それでも、ダンは、……守らねば。スクリーン後ろの、ダンの寝室へと続くドアに手を掛けたルークに飛び掛かるために、アキはどうにか立ち上がった。
その時。ルークの広い背中に、一点だけ、赤黒い染みが広がる。
「なっ……」
白目を剥いたルークの視線を追うと、地下室の頑丈な扉の向こうに、銃を構えたジョーンズ隊長が見えた。
「やはり、あんたか……」
その隊長の方へと伸ばしたルークの手が、力無く床に落ちる。
「おまえらは、あの町にいる奴らを落伍者だと思っているんだろうが、多様性を失えば、この星の奴ら、も……」
血の泡を吹くルークが動かなくなる様を、アキは呆然と見つめた。
そのアキの右頬が、鋭い風に煽られる。自分の方へと向けられた銃口に、アキの思考は停止し、そして十倍速で動き出した。まさか。
「あのガキは、避難部屋だな」
右腕をもぎ取られた所為だろうか、神経が混乱して身体が全く動かない。そのアキを一瞥したジョーンズ隊長がスクリーンの方へと動く前に、アキと隊長との間に小さな影が割って入った。
「あの町を破壊するために、遠隔操作システムに侵入したのは、あなたですね、ジョーンズ隊長」
震えるダンの声が、殊更はっきりと響く。
「表示された識別番号で分かりました」
「それで?」
アキとダンに銃口を向けたままの、冷たい言葉に、背筋が凍る。ダンを、守らねば。その思いのまま、アキは、目線の下の小さな背中を、残っていた左腕の力で横に投げ飛ばした。次の瞬間、腹に、続いて胸に、熱いものが広がる。完全に力を失ったアキの身体は、冷たい床に仰向けに倒れた。
「アキ!」
ダンの声が、遠い。
最後に、アキの瞳に映ったのは、美しいとずっと思い続けていたあの惑星の光景と、瞳を灼く大量の、柔らかな光。




