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「よう、アキじゃないか」
喧噪の中に響いた聞き覚えのある濁声に、振り向く。
「久しぶりだな」
背後に見えた、大柄でがさつな影に、アキは思わず声を上げた。
「ルーク!」
同じ隊になったことはないが、地球外の惑星や衛星を探索する同じ仲間として、このルーク・ヤングという男とは何度か顔を合わせている。見かけのがさつさとは異なり、この男は、部下の面倒見の良さに関しては定評があったから、ルークの方がアキを覚えているのは当然といえるだろう。そして、アキの方は。
「買い物か?」
アキが左肩に掛けている大きめのトートバッグを覗き込み、ルークが肩を竦める。
「おまえ、丘の上にある将校用ゲストルームの管理人やってんだろ? 食料なんかは、結構良いもの届けてくれるんじゃ」
「私に必要なものは持って来てくれないから」
そのルークの、好奇に満ちた視線を、アキはあくまで自然に、外した。
任命される将校の数自体が少なくなっている所為だろう、あのゲストルームを使う者は既に居ない。かなりの期間放置されていた建物だから遠隔操作機器の試運転用に転用した。確かそう、アキの上司であるジョーンズ隊長は言っていた。それでも、おそらくカモフラージュのため、なのだろう、五日に一度くらい、ダンが操る遠隔操作用の機器のメンテナンスを兼ねて小型トラックがやってくる。しかしそのトラックの中には、鉛筆もスケッチブックも入っていない。衛生用品も、女性の生活に入り用な物も。だからアキは、右腕に装備されている義手のメンテナンスのついでに、この、薄汚れた感じが拭えない町で必要な物を調達していた。
ダンが好んでいる、キャラメルが入っていないチョコレートバーも補充しなければ。あの地下室の奥にある、宇宙船にある冷凍睡眠用のベッドから冷凍装置だけを抜いたような頑丈な設備の中で眠るダンの、子供らしい無邪気な寝顔を思い出し、右頬に走る火傷の跡の引き攣れを無視して口の端を上げる。ジョーンズ隊長が押しつけた資料の中に、ダンの過去に言及するものが入っていた。違法な孤児用施設で育ったダンは、奴隷のように売られているところを軍に保護され、そして遠隔操作機器への適性を見出されたが故に、地球外を探索する機器の試行を押しつけられた。読んだ資料の、無機質な文字列を思い出し、アキは小さく首を振った。
気を取り直して、上着のポケットからスケッチブックを取り出す。角にあったはずのバーは、潰れたのか。千鳥足で歩く、軍に所属している者だという印である三重円のエンブレムを背中に付けた上着をやり過ごすようにゴミの散らばった道路の脇に身体を寄せる。不毛の大地に散らばっている軍の施設が多い所為か、小さな町なのに歩いているのは軍人と浮浪者と酔っぱらいしか居ない。目に映る荒んだ光景に肩を竦めると、アキはスケッチブックの最後のページを開き、前回この町に来たときから変化した点を、金属の右手に握った鉛筆を器用に動かして描き留めた。まともな酒を出していた、結構繁盛していたバーだったのに。
「さすが、『第三の瞳』」
探索隊に所属していたときの二つ名を呟く濁声に、顔を上げる。去ったと思っていたがさつな顔が、アキのすぐ上にあった。
「腕を無くしても、その腕は変わらないな」
いつ見ても、でかい。濁声を発するルークの唇を、仰け反るようにして見上げる。おそらく2フィートは、身長が違う。ニヤリと笑うその口元に、アキは肩を竦めた。
「そっちこそ、やってることは探索隊時代と変わらないじゃない」
ルークの後ろで手持ち無沙汰に立っている、二つのひょろりとした影を見やり、再び、ルークの方へと視線を上げる。まだ制服に着られている感じが否めない二人の少年はおそらく、軍に入ったばかりの見習い兵。探索隊を罷免されたルークは、見習い達を訓練する職務に就いていると、風の噂で聞いている。この女性に何の用があるのだろうという不満をありありと浮かべ、ルークとアキを交互に見やる少年達に、無駄なことは一切しゃべらないダンの小さな身体を重ね、アキは心の奥底で微笑んだ。地球に帰っても、ルークは相変わらず『鬼軍曹』ぶりを発揮しているらしい。
ルークが探索隊を罷免された理由も、風の噂で耳にしている。探索の結果から導き出された回答を正直に報告した部下を庇った、と。
地球にとって有用な物質が、探索中の惑星に暮らす知的生命体にとって有害なものが棲んでいる場所にあることを発見したルークの部下は、その『有害なもの』を除去することによって発生するリスクをも計算し、その結果を正直に、上司であるルークに報告した。地球政府と惑星の知的生命体はその場所を破壊し、地球にとって有用な物質を採取することに合意したが、部下の報告を聞いたルークはそれに断固として反対した。結果、上層部に煙たがられたルークは探索隊から外され、物質の採取は滞りなく進んだ。だが、有害物を除去したその惑星は程なく、生態系が大幅に変化し、殆ど全ての生物が死滅した。有害物が取り除かれたことに喜んでいた知的生命体も。結局、得をしたのは地球だけ。後味が悪すぎる。風の噂で耳にした全てを思い出し、アキの背は無意識に震えていた。
「また、飛んでるな」
灰色の空を見上げたルークの声に、はっと思考を切り替える。ルークの視線を追うと、軍が所有していることを示す三重円を横腹に付けた小型の無人機が二台、ぼろぼろに見える高層建築の影へと消えるのが見えた。
「上層部ってのは、何をしたいんだか」
アキが探索隊を外された理由を、ルークはおそらく怪我の所為だとみているのだろう。それとも、探索に遠隔操作機器が使われつつあることを知っているのだろうか。再び空に現れた小型の無人機を睨んでせせら笑うと、ルークは連れて来ている二人の少年の方を向いてから再びアキの方を向いた。
「折角逢ったんだ。一緒に飲まないか?」
もぐりだが、まともな酒を出すバーは、まだ、この町にも数軒残っている。ルークの言葉に、アキは首を横に振った。酒は、嫌いではない。だが飲むと、義手と生身との境目に痺れを感じてしまう。
「止めとくわ。怪我に障る」
もうそろそろ、ダンも目を覚ましているだろう。ルークに断りを告げると、アキは乗ってきた二輪車を預かってもらっている町端の知り合いの家へと向かった。
と。
もう少しで目的地、というところで、道端で何かを囲んで凄んでいる三人の軍服に出会す。不穏な雰囲気に、アキは唇を曲げて道の反対側に寄った。だが。男達が囲んでいる影に、足が止まる。あの華奢な影は、もしかして、……ダン! 何故、ここに? あのゲストハウスからここまでは、沙漠を突っ切っても三十分は掛かるのに。ゲストハウスにうち捨てられていた錆だらけの自転車を使ったのだろうか? 疑問が脳に届く前に、アキは右腕を構えた。とにかく、助けなければ。三対一ではこちらが不利だが、金属の義手で殴れば。
「止めとけ。殺す気か」
そのアキの思考を、アキの肩を掴んだ濁声が制す。
数瞬の後、三人の軍人は汚い路上に伸びていた。
「あ、ありがとう」
おびえを示すダンの腕を掴んだルークに、頭を下げる。
「こいつ、知り合いか?」
アキを見たダンの視線に、ルークが怪訝な声を出した。
「ええ」
ゲストハウスの外回りを管理している人の息子。何故か、嘘を付いてしまう。アキの言葉に嘘を感じなかったのか、ルークは拘ることなくダンの華奢な身体をアキに押しつけた。
「ここは子供の来るところじゃない」
凄みを込めたルークの声に、ダンの唇がまっすぐになる。
アキの二輪車の後ろに乗っている間も、ゲストハウスの地下室に辿り着いてからも、ダンの唇は引き結ばれたままだった。




