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案内された場所に、戸惑いを隠すために唇を噛む。途端に引き攣った頬の痛みに、アキはそっと、火傷を負った右側の頬に金属の手を置いた。鞣し革を触った時と同じ感覚が、金属の義手を覆う人工皮膚に張り巡らされた疑似神経経由で脳内に響く。確かなその感覚に頬が引き攣らない程度に口の端を上げてから、アキはもう一度、現在自分が佇んでいる、さっぱりと明るい場所をぐるりと見回した。
不毛の大地にこんもりと盛り上がった丘の上に立つ、将校用のゲストハウス。その地下にある、コンクリートが打ちっ放しにされた壁に囲まれた、シアタールームだと思われる地下室に、アキは上司であるジョーンズ隊長とともに立っていた。いや、部屋にはもう一人居る。
「ダニー」
その、部屋の真ん中に無造作に置かれた大きめのクッションの上でくつろいでいる小さな影に、ジョーンズ隊長はぞんざいな声を掛けた。
「新しい護衛だ。仲良くしろよ、ダニー」
隊長の声に、小さな影が気怠そうに蠢く。それでも、おもむろにアキの方を見たその影の顔は、半分以上、何も見ることができないゴーグルに覆われていた。そのごついゴーグルと、ゴーグルとほぼ一体となっているヘッドセットを、小さな手が面倒そうに取り外す。ゴーグルの下から現れたのは、まだあどけない、少年の顔。しかも、頭も身体も小さい。ふらふらと歩を進め、アキの数歩前に立った細い影は、小柄なアキよりも更に低い身長をしていた。おそらくアキより半フィートは低い。
「今度こそ、追い出すなよ、ダニー」
隊長の言葉に、少年が隊長を睨む。無言のまま元の位置へと戻り、ヘッドセットとゴーグルを付けて自分の背とあまり変わらない大きさのクッションに埋もれた少年に、アキは声を出さずに首を横に振った。……そう言うことか。確かに、私にふさわしい任務だ。クッションに埋もれたまま、側の直方体をしたテーブルに置かれたリモコンの一つを無造作に手に取った少年の華奢な背を、アキは見るともなしに見つめた。
「では、後は打ち合わせ通りに」
そのアキの背に、隊長が鼻を鳴らす。
「その顔の所為で追い出された、ってことは無しにしてくれよな」
「ご心配無く」
明らかに嫌悪を示していた隊長の顔に、アキは頬の引き攣れを気にすることなく口の端を上げた。
「まあ、もっとまともな給料が出るんでしたら、顔の方も何とかなるんですけどね」
アキの皮肉に、隊長の顔色が明らかに変わる。しかしそれ以上何も言うことなく、そそくさと部屋を去る隊長のぎくしゃくとした背に、アキはもう一度口の端を上げた。
ふと、振り返る。
アキの方を向いていたゴーグルに、アキは生身の左手を小さく振った。
〈皮肉には皮肉で返せるようにならないとね、少年〉
アキの心の声が聞こえたのか、少年がぷいと、アキから視線を外す。その少年に笑いを堪えると、アキは自分の職務に戻るために息を吐き、軍用の上着のポケットに入れっぱなしの小さなスケッチブックと太い鉛筆を取り出した。
開くスケッチブックに見えた懐かしい光景を振り落とし、白い面を開く。このスケッチブックももうそろそろ終わりだな。まだ白い紙の枚数を確かめ、そして太い鉛筆の感覚を金属の義手で確かめながら、アキはおもむろに、自分と少年がいる部屋を見回した。ジョーンズ隊長から事前に説明があったとはいえ、自分の五感で探らないと気が済まないのは、地球の外を探索する部隊に属していたアキの、骨身にまで染み着いた性。
現在、アキの目に見えるのは、食料庫や地上部への階段に繋がる廊下に出ることができる頑丈そうな扉、扉の向かいにある壁に垂れているスクリーンとそれに合わせて天井から吊り下げてあるプロジェクター、そしてクッションに埋もれた少年とその横にある直方体のテーブル。プロジェクターの周りで薄明るく光っている電灯と、テーブルの上にある複数のリモコンと水の入ったペットボトルを確かめてから、アキはスクリーンの方に歩を進め、スクリーンの裏側を確かめた。打ち合わせ時に隊長が言っていた通り、廊下に続く扉よりも安っぽいドアが二つ付いている。一つは。耳を澄ませ、確かめる。少年が身に着けているヘッドセットや映像を見るためのゴーグルを動かすためのサーバーが置かれている部屋だと隊長は言っていた。そして、もう一つのドアは。
「そこは、僕の部屋」
咎めるような声に、はっとして少年の方を振り向く。
「ごめんなさい」
自然に、謝る声がアキの口から出た。
「別に」
再び、クッションに身体を埋めた少年に、心の中で微笑む。「気に入らない」という理由だけで、これまでに何人も護衛を追い出しているとジョーンズ隊長は言っていたが、この少年、そんなに悪い奴では無い。追い出された奴らは、おそらく、ジョーンズ隊長と同じように、この少年を子供扱いしたのだろう。何となく、アキはそう、推測した。
それはともかく。
〈うーん……〉
少年の後ろに立ち、確かめた部屋の構造をスケッチしながら、唸る。右腕を失う前にアキがしたことを考えると、この部屋の監視体制は驚くほどに少ない。高機能にみえるカメラとマイクが、軍用であることを示す三重円のエンブレムが取り付けられたプロジェクターの影に置かれている以外は、何も無い。少年の監視は少年が身に着けている機械で行っているのだろうが、それでも。もう一度、確かめるように首を横に振ると、アキは半ば埋まりかけたスケッチブックへと目を落とした。義手を作ってくれた医師の言う通り、脳内のイメージに近い形がスケッチブックに描かれている。しかし義手自体の動きはぎこちない。軍では必須の銃も、うまく撃てたためしがない。今度調整に行ったときに、あの藪医者に文句を言っておこう。
その時。
唐突に部屋が暗くなり、同時にスクリーンが明るくなる。一瞬で白い布を染めた、緑色の抽象画に、アキは無意識に左手のスケッチブックを握りしめた。幾何図形で置き換わってはいるが、この景色は、確かに。
「今の探索対象」
アキの方を振り向いた少年の手には、先程までとは違う形のリモコンが握られている。おそらくスクリーンやプロジェクターを調べていたアキを見て、機器に興味を持ったのだろうと推測し、プロジェクターを起動したのだろう。上がっているように見える少年の口の端に、アキは何とか微笑んだ。
少年の職務については、ジョーンズ隊長から事前に説明があった。地球から遙か遠く離れた、宇宙中に散らばる惑星や衛星を、地球上から調査する。今は生身の人間が直接その星へ降り立って行っていることを、遠隔操作の無人機に代用させる、その試行を行っているのだと。ゆくゆくは、アキも所属していた、地球外の惑星にある、地球の民が生きていくのに必要な資源を探り当てる探索隊に替わるものになるのだろう。少年が身に着けているゴーグルに映るのは、おそらく、アキもかつては見ていた、地球外の惑星の光景。
探索を遠隔操作に切り替えること自体は、賛成できる。鉛筆を持ったままの義手に目を落とし、小さく頷く。だが、それでも。得体の知れない感情に、アキは少年に悟られないように、呻いた。
気を取り直し、監視装置の位置を、アキにしか分からない記号で書き加えてから、半ば乱暴にスケッチブックを閉じる。普通のノートの方が使い勝手が良い、いやタブレット端末の方がデジタルで残るから便利だ。アキがかつて所属していた仲間内では色々な議論があったが、アキは、文庫版の本よりも一回りだけ大きいスケッチブックを愛用していた。このくらいの大きさなら、軍支給の上着のポケットにぴったりと入るので落としにくい。それに、……爆発に巻き込まれても、運が良ければ残る。頬の痛みを無視し、アキはそっと、少年の横に立った。そう言えば、自己紹介をしていなかった。
「私はアキ」
ゴーグル内部を睨むようにしながら、ゲーム機に似たリモコンを操作する少年に、横から声を掛けて頭を下げる。
「ダン」
リモコンの操作を止めることなく、少年は一言だけ、声を出した。
おそらく、遠隔操作での探索がゲームのようで面白いのだろう。再びリモコンの操作に集中する少年に、心の奥底で小さく笑う。探索隊に配属されたばかりの頃、宇宙船から見える景色や未知の惑星が示す不思議な風景に一々興奮していた自分を思い出してしまう。今はまだ試行期間だから、柔らかく身体を包み込むクッションでのんびりとできるだろうが、実際に運用するとなると、ダンという名のこの少年のように、ゲーム感覚でのんびりというわけにはいかないだろうな。何となく脳裏に浮かんだ思考に、アキは今度は大きく微笑んだ。
と、その時。不意に、ダンがゴーグルを外す。
先程の笑いが、気に障ったか? 唇を元に戻したアキの前で、ヘッドセットを乱暴にクッションの上に置いたダンが扉の方へと動いた。どうしたのだろう? 廊下に出たダンを、無言で追いかける。少し目を伏せるだけで見える、ダンのつむじに、アキは思わず首を傾げた。
だが。ダンが次に開けた扉に、再び、笑いを堪える。ここは、食料庫だと隊長が言っていた場所。お腹が空いただけなのだ。微笑む口元を何とか元に戻し、アキはダンの後ろから、薄暗い部屋へと侵入した。
先程まで居た部屋よりもだだっ広い食料庫を、ぐるりと観察する。意外に、何も無い。入り口側にあった小さな冷蔵庫を開けてみても、中に入っているのは水の入ったペットボトルに、チョコレートバーのカラフルな包みのみ。その横の冷凍庫に入っていたのも、カットと下処理を施されただけの肉と野菜、そしてアイスクリームの大きな箱のみ。親切なのかそうではないのか、分かりづらいラインナップだ。肩を竦めて小さく呻く。自炊しろ、ということなのだろうか? 探索隊の食事は探索場所での自給自足が基本だったから、片腕が金属でも、自炊は、できる。しかし少年の好みが分からない。
〈まあ、後で本人に聞けばいいか〉
冷蔵庫近くの段ボール箱を探り、炭酸飲料のペットボトルを取り出す。重めのペットボトルを冷蔵庫の中に置いてから、アキはおもむろに、冷蔵庫から水のペットボトルとグラノーラ入りのチョコレートバーを取り出した。
「はい」
それをそのまま、横にいたダンに渡す。あの部屋の、直方体のテーブルの下に落ちていたチョコレートバーの、複数の包み紙の色は、とっくに把握済み。キャラメルが入ったチョコレートバーが苦手なことも。それでも、アキが手渡した物品に目を丸くするダンの、意外に素直な表情に、アキは苦労して笑みを隠した。




