兄上の結婚相手は異世界の人
「結婚したい相手がいる」
その言葉にライ・エディータは目を瞬く。聞き間違えでなければ今、兄から“結婚したい相手がいる”と聞こえた。あまりに突然の出来事に目を瞬いて、夢でないかを確かめる。食べていた皿から天井に目を向ける。そして暫し考えてみた後、再度食事の乗った皿に目を向けてから嘆息する。
“どうやら夢ではないみたいだな”
今までどれだけ縁談を勧められても首を縦にふらなかった兄からの発言に思わず夢を見ているのかと疑ってしまった。夢でなかったことに安堵して、何事もなかったように食事に戻ろうとしたライはそこでようやく場の異変に気づく。
「…………………」
普段なら母と父の他愛のない会話に子供達がちゃちゃを入れて穏やかに進む食事の席は兄からの驚愕の発言に時を止め、誰も言葉を発しない無音の世界と化している。普通なら兄の結婚についてやきもきしていた父が狂喜する筈だが、あまりにも堅物で浮いた噂一つない息子が発した一言に父は驚愕のあまり凍りついている。
ー父上、固まるのは止めて下さいー
その姿にライは苦笑する。いくら驚いたとはいえ、いつも兄に縁談を勧めている立場の人間が寝耳に水だったとはいえ、目を見開いて固まるのだけは止めて欲しい。一向に結婚しない姿勢に周りから心配と一部から奇異の目を向けられていた兄がようやく結婚を考える女性がいると家族に相談してくれたのだ。喜ばしいことではないか。そう思ったライが嘆息して口を開こうとした瞬間。
「どこのご令嬢ですの?」
やはり先に立ち直ったのは“母”だった。固まる父をよそに息を吸い込んだ母が口を開く。その言葉に確かにと頷く。今まで縁談のえの字もなかった兄の心を奪った令嬢に興味が湧く。兄の反応を確かめるために視線を移して絶句する。嬉しい筈の報告なのに浮かないような堅い表情で座る相手は嘆息する。
「彼女はどこかのご令嬢でも、この国の人間でもない。ましてやこの世界の人間ではない」
その言葉に一体何を言っているんだ頭が言葉を否定する。ではどこの世界の人間なのだと言うのだ。あまりの事態に目を瞬くだけの面々の反応に反対されていると誤解した兄がぐっと拳を握りしめるのが視界に入る。
「だが、たとえ生きる世界が違っても彼女は私の人生にとって必要不可欠な人です。一人で歩くには長く続く人生にその名のとおり灯りを灯してくれるただ唯一の人です。私には彼女以外の伴侶は考えられない。……もし、結婚を認めて頂けないのなら私は公爵家の身分を捨てて生きていきます」
そう言葉を紡ぐ兄に迷いはなかった。公爵という立場よりも彼女が大切だと迷いなく告げる姿に喜びが胸の奥から込み上げる。いつも公爵の嫡男として生きることを余儀なくされていた兄がそれ以上に大切なものを見つけたというのだ。
「兄上、良かったですね」
だからその言葉は意識せずとも出てきた。その思いは妹も同じだったらしく、妹からも笑みが溢れる。名のある公爵家の嫡男として恥ずかしくない教養と武力を身につけた。それが認められまた10代という若さで国を救う勇者として長く苦しい旅路をしたと聞いている
「兄様、どんな方ですの?」
妹が問いかける言葉に視線を兄に戻すと優しく笑った。
ーそれが答えだー
「…一度、連れていらっしゃい」
同じことを感じたらしい母の言葉にライは嘆息する。あまり表情の変わらない兄があんなに優しく笑う所などみたことない。
「だから今日は初めていらした時に彼女に失礼がないように色々教えてちょうだい。ロイ」
そう告げる母の言葉と表情はは様々な経験をした息子を労る慈愛に満ちていた。
……父が復活したのらそれから数分後のことだった。
ーそれから数年後ー
「兄上」
ライは朝からそわそわとした様子を必死に押さえようとする兄の背に笑いながら声をかける。何度も同じ扉の前をいったり来たりしながら心配気な表情を隠しもしない。その姿に笑いが込み上げる。
「なんだ…ライ、来ていたのか?」
だが、自分が声をかけるとその背を正して、悠然と振り返る。そのどこか人間染みた姿に親近感が湧く。前はどこか人形じみていた兄を抱えた彼女に感謝する。
「はい。公爵家の嫡男が生まれると聞いたらいてもたってもいられず」
「そうか、すまないな」
そう言いながら兄の視線が硬く閉ざされた扉に向く。その情けない表情から冷たい表情をした10代の頃の面影はない。誰も信じられないと冷たい瞳で吐き捨てた兄はもうここにはいないのだ。それをおかしく思いながらも自分も視線を扉に向ける。兄を変えた女性は今日、母になるべく戦いに挑んでいる。そんな中、兄は今日、彼女の陣痛が始まってからずっとこの扉の前から離れないらしい。ずっと心配気な表情を崩さない兄にライは嘆息する。
「……さしでがましいようですが兄上がここにいてもお産は進みませんよ」
「………分かっている」
そう言うと兄がじと目を向けてくる。それに肩を竦めて自分も扉に時折から部屋の中から聞こえる彼女のうめき声とそれを励ます母の声が聞こえてくる。
「無事に産まれるといいですね」
「ああ………」
異世界で一人、見知らぬ土地でお産するのは不安だろう。そのまま無力な男二人で扉の前に立ち尽くす。
どれぐらいたっただろう………
“おぎゃあ、おぎゃあ”
元気な産声が扉の向こうから響き渡る。その声に兄弟二人して顔を見合わせる。不安そうな顔から一転して安堵の表情を浮かべる兄にライは頭を下げた。
「兄上、おめでとうございます」
公爵家の嫡男として産まれ、国を救った英雄の孤独を知る兄弟としてライは最大限の祝福を口にした。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
この話もこの次の1話でようやく終わります!