結婚退職しました
「先輩、結婚おめでとうございます!」
そう言ってグラスを差し出して来たのは一年前に後輩として入って来た部下。
「ありがとう~」
カチンと軽い音をさせてグラスを受けるとビールを胃に流し込む。居酒屋を陣取り行われているのは私の送別会。三十路を前にようやく結婚する覚悟が決まったのだ。
「でも、先輩会社辞めちゃうんですね」
そう言ってショボンとした空気を纏う後輩は庇護欲を掻き立てる。
「可愛いなぁ……もう」
「だって先輩会社辞めて彼について行くんですよね?」
うるうると目を潤ませる姿に後輩を抱きしめる。
「この可愛い奴め!」
「先輩!」
ひしっと抱きあうのを男性社員が恨めしそうに見ているのを私は後輩の肩越しに鼻で笑ってやる。年下の男性後輩が彼女を狙っているのを知っての攻防だ。彼女が好きならもっと頑張れ!と発破を飛ばし、私は後輩を離す。
「で、永津は結婚したらどこの国に行くんだ?」
そう聞いて来るのは今の上司。
「そうですね……なんかちっちゃい国らしくてよく分かんないんですよ」
ぐいっとビールを煽ってから永津と呼ばれた私は曖昧に誤魔化す。
そう……実際は小さい国などではない。その大陸の半分くらいを占める大国。ただこの世界でその国の国名どころかどこにあるのかを知る人は私の周りにはいないだろう。たぶん。だって、私が嫁ぐのは外国は外国でもこの世界ではない。はい、電波な事言い出したなんて言わないで。分かった人も居るだろうが私は異世界の恋人と結婚する。
「そんなんで大丈夫なのか?」
「まぁ……なんとかなりますよ」
からかうような同期の言葉に苦笑する。この世界の人間ではないが私が嫁ぐのはそれなりの名家。だって大国の公爵家の息子で、騎士。かなりの好物件。
「彼が送ってくれた写真をみたら結構大きい家で家政婦さんも居るみたいで」
そう嘘じゃないが本当の事に近い事を口に出す。嘘はつきたくない。でも、本当の事を言っても誰にも理解は出来ない。だから私は彼の出身を金持ちだと偽る。実際に金持ちなんだから嘘ではない。
「先輩、凄い!そんな人とどこで出会ったんですか?」
目をきらきらさせて聞いてくる後輩には申し訳ないが出会いは異世界。
「大学のインターンの時に。私はその会社落ちたけど」
あははと笑って誤魔化す。実際には14歳。中2病の真っ最中。学校に行って来ますと家の扉を開けたらうっかり異世界。元々、小さい頃からの特技で気合いを入れて扉を開けるとどことも知れない場所に出てしまう事があった。その“あー、またか……”な感じで手近な扉を勝手に開けて帰ろうとした時に彼とは出会った。今では私より背が高くてイケメンな彼だがその当時はお人形のように可愛いらしかった。誰何する声を無視して無事帰宅。ちゃんと期末テストに間に合った。それからもたびたび彼とは色んな場所で出会った。
ーダンジョン部屋の前ー
ー彼の寝室ー
ー彼の入浴中ー
上げると切りがないが私と彼はこれでもかと出会った。そのうち会うたびに“よっ”“久しぶり ”が私達の会話になった。そんなある時、彼が勇者に選ばれた。何でも優れた武勇を持つ人間が魔王と呼ばれる異種族の王を殺しに行く事になったらしい。そんな栄えある役目に選ばれた彼は弱音を誰にも話せなかったが、異世界の私には遠慮なく話す事が出来たらしい。私としては彼が旅の間、時間が出来ると話し相手になった。ちょうど夏休みで時間はたっぷりあったので。そんな紆余曲折がありつつも私との会話の中で異種族への偏見に気づいた彼は今までどの勇者にもなし得なかった偉業を達成する。
「灯と話してたら争う事だけが解決策じゃないんだと気づいた」
出会った時は子供だった彼はいつしか大人の男になった。そう言って自分を見つめる瞳が熱を持つ。私も彼に惹かれていった。どんなに苦しくても決して諦めないその姿に。どちらが先に好きなったのかなんて分からない。でも……私達の間には決して簡単ではない蕀の道が待っていた。まず、種族とかではなく住んでいる世界が物理的に違う。私は彼の元に行けても彼は私のところには来れない。だからもっぱらデートは彼の世界。平民と結婚するなんて非常識な価値観の世界にどこの馬の骨とも知れない私……。彼の両親に認めて貰えるなんて思っていなかった。でも彼は孤独な旅路を慰めてくれた女性と結婚すると家族に真っ向から勝負を挑んでいた。私は住む世界の違う彼との結婚は諦めていた。だが、そんな怖じ気つく私に大人になって彼は私が結婚すると言ってくれるまで待つと言ってくれた。
逢瀬は週に一回。彼の仕事が休みの日に向こうの世界で。彼と会えば楽しくて、彼が居ないこの世界は寂しかった。そんな戦いを挑んでいた彼に彼の家族は彼が結婚しない姿に諦め、私との結婚を認めてくれるようになった。今では彼の家族とはいい関係を築いている。
「彼の写メはないんですか?」
「彼写真苦手で」
「は?一枚もないの?」
「うん。一枚もない」
そんな金持ちの彼に興味津々な職場の面々は彼の写メを見たいと言ってくるが彼の写メはあっても見せられない。だって彼の容姿は白銀の髪に青い瞳の超イケメン。でもカッコよくてもこの世界ではコスプレーヤだと思われる。そんな色彩の人間なんていないから。また文明の利器はあんまり彼の前では使わない。ひとつ間違えると魔法だなんだと騒がれる。
「でも、イケメンでお金持ちなんて羨ましいなぁ……」
「人間顔より性格よ」
「それはイケメン捕まえた先輩だから言えるんですって」
酎ハイ二杯で酔いが回ったのか後輩が拗ねた様子でパクパクとつまみを摘まんでいる。その様子に私もパクパクとつまみを摘まむ。次、いつこんなジャンクフードを食べれるか分かんないので有り難く頂く。ちなみに私は異世界では必ず彼の前に現れて、私は異世界に入った場所に戻る。だからひとつだけ知っている。仕事中に異世界トリップした時はどんな原理かは知らないがインカムを通して「永津さん!永津さんどこに居るの!」という声が聞こえてくる。まさか異世界に居るとは言えないのでトイレと答えることにしている。
ま、そんな紆余曲折を経てようやく私も彼との結婚に覚悟を決めた。私が異世界トリップするのはこの世界には私の運命の相手はいないからだと思うから。むしろ私が異世界トリップするのは運命の相手が向こうに居るからだと思えば短時間神隠しの多い私に対する上司の小言にも広い心で対応出来る。
だって仕方ないじゃない。私の身も心も彼を求めてトリップしちゃう……うん、我ながらに恥ずかしいからこれ以上は止めておこう。私の送別会なので私の話がもっぱらだが写メもない金持ちの外国人という謎設定に他の面々が超大盛り上がり。その間に私は食べ納めになるかもしれない食事を一人楽しむ。その気になれば帰ってくれるし問題はないだろうが……。
ちなみに私の結婚は家族にも報告済だ。弟には妄想するのもいい加減にしろよと言われたが私が実際に目の前から消える姿を見せたら納得した。両親にも同じようにした。だって、異世界に嫁ぐけど実際にはこの日本国から出る訳じゃない。家族に変な嫌疑がかからないように裏工作が必要だ。だって端からみたらニートな娘になるのだ。税金についてはしばらくは退職金と貯蓄で遣り繰りする。子供が生まれてしばらくしたらまたパートする予定だ。いつまでも親のすねをかじってると思われるのはシャクだが仕方ない。
だって私にとって彼は運命の相手なのだから。
「永津、幸せになれよ」
「はい、もちろん!」
その言葉に私は幸せな笑顔を浮かべる。私は住む世界の違った人と結ばれる。でも、ひとつだけはっきりとしているのだ。私は私を誰よりも愛してくれる人と結ばれる。
たとえ…彼とは住む世界が違っていたとしても……。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。私の背を押す仕事の波が止まる所を知りません。
ちょっと思い付いたため、投稿です。基本はとりあえず、異世界の労働問題を解決しようと思いますが優先になります。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです