歴史について
私が歴史のおもしろさを知ったのは、小学五年生のころ。親に買ってもらった学研の漫画がきっかけであった。日本史世界史の偉人伝、そのダイジェスト。私は歴史にのめりこんでいった。真綿が水をふくむように、歴史の人物や故事をおぼえていった。小学六年生から始まる日本史の授業を、わくわくしながら待っていた。
歴史の授業は、学研漫画で武装した私には物足りなかった。歴史の授業は表層的で、もっと突っこんだ内容を欲していた。そのおかげで、歴史の成績だけはよかった。歴史が、私のアイデンティティとなった。
中学に入った私が魅了されたのは、「三国志」の世界だった。最初に読んだのは、柴田錬三郎の三国志。あれはたしか、赤壁の戦いで終わっていたと記憶している。それから横山光輝三国志全60巻をそろえ、さまざまな関連の書籍を読みあさった。きちんとした『三国志演義』と正史『三國志』を、いまだに読んでいない。ちょうど、三国志ブームが来ていた。「三度の飯より三国志」というフレーズを、いまだにおぼえている。当時の私はまさしく、そんな心境の渦中にあった。学校の勉強そっちのけで、三国志の知識を吸収していった。武将の名と、字をおぼえていった。中二病、中学時代のアイデンティティであった。
中学三年。受験戦争まっただなかのおり、人生初めての小説を書いた。ひじょうに拙い、三国志の架空戦記であった。冊子となった原稿用紙に、狂ったように書きつけた。誰に見せようとかどこかに投稿しようとか、そんなつもりはさらさらなく。ただただ物語を書くたのしみに憑かれていた。受験勉強をしなかったことが、いまの底辺の生活に繋がっている。物語を創りだすたのしみを知ることがなければ、よりよい人生を送れたのではないだろうか。学業を私のアイデンティティとできていたのなら……後悔がさきに立つことは、いつもない。「歴史にifはない」。この箴言を噛みしめる日々。このように進んできてしまったのなら、このように進みつづけてゆくほかに途はない。
歴史は、年号や固有名詞を暗記するものではない。歴史とは物語である。歴史から学ぶことは多い。短篇ではなく長篇の物語を書くときはだいたい、歴史を参考にしている。キャラクターの造形なんかも、歴史上の人物を手本にしたりする。
拙作『贄物語』を例にする。舞台は、日本の戦国時代初期(一五〇〇年前後)。主人公・贄惣十郎は、蘭陵王(美貌)と平将門(生首)とチェーザレ・ボルジア(謀略)の組みあわせ。宗助は、朱元璋(醜悪)と武蔵坊弁慶(巨漢・剛力・従順)の組みあわせ。ざっくりと、そんなところだろうか。
歴史は大好きであるが、歴史小説を書きたいと思わない。歴史小説を書くために必要な知識と、史料を読むための教養を欠くためだ。そして、取材力というものがない。歴史伝奇にしたところで、やはりきちんと史料は読まなければならない。歴史的事実には忠実であらねばならない。恥をかくだけだ。
だが、多少の知識不足も、偽史であれば問題ない……そう捉えているから、私は偽史を綴る。偽史を書くのは、歴史小説家への劣等感があるからなのかもしれない。