今日が寒いのは、冬のせいだ。
二0四五年、世界は破滅に瀕していた。地球温暖化だとか、国同士の戦争などといったそれなどではなく、突如太平洋の中心部に現れた「TABOO」という、怨念が具現化したようなそれによって破滅の道へと歩んだ。
突如、タブーが現れると、土が枯れ、大地から生気が奪われるように人々は感じ、人類は本能的に生命の危機を感じざるを得ないような状況であった。
そして、人類の予想は的中した。大地に生気が奪われていくにつれ、植物、動物に膨大な影響を及ぼし、世界規模で飢饉が起こり始めた。
しかし、黙って指をしゃぶって観ているのも人間ではない、アメリカ・ドイツ・ロシア・イギリス・日本・オランダの六カ国同盟は「TABOO」を、世界の崩壊の現況を破壊しようとしていた。二〇四七年の出来事である。
アジア最大の人口を誇る中国は、六カ国同盟が結ばれる二年前つまりタブー発現当時に独断で「TABOO」との交戦を開始し、翌年撤退した。
以降、六カ国同盟の誘いに口を閉じているが、現在の世界の状況であった。
戦いは三年間の長期戦を強いられた。何故、一つの存在に対して三年という長い時間が経過したのか。「六カ国同盟を組んでおいて情けない」なんて今から教える事実を知らなければ、誰もが自国に対して、不満を持ち、呆れるだろう、知らん顔をしている国の国民はこの事実を酒の肴に、酒を片手に笑い合うだろう。
理由を簡単に上げるとするならば、
彼らの攻撃が全くと言っていいほど効果がなかったのである。
現代の兵器を以てしてでも、「TABOO」には傷一つ与えることはできなかった。
さらに、統率力が崩壊した国が「核ミサイル」を撃ち放ち、世界に知れ渡った瞬間、人類は、愛する者の姿を浮かべたが、否、それはタブーに飲み込まれ、消滅した。
このタブーはいくら攻撃してもすべてを飲み込み、平然とした顔をしているのだ(真っ黒なスライムの形状をしており、実際顔は無いが)
ではどうやって、数多くの兵器が通用しない「TABOO」を倒せたのか。
―結末というのは必ずしも最後に感動的なストーリーがあるとは限らない―
ある放送局の命知らずなニュースキャスターが、上空からヘリコプタで放送を行っている途中に、タブーから放たれた衝撃波により、ヘリからふるい落とされたキャスターは、タブーの偶然空いていた大きな口に飲み込まれ、気を失っていた。
彼が偶然命拾いし、目を覚ますと、そこには赤いスライムのような玉が浮いていたのだ、彼は自分が生きていた痕跡を少しでも残してやろう、と思い立ち、人を惹きつけるような妖しい光をはなつ林檎のような赤い玉に手をつっこみ、偶然キャスターが所持していたグレネード(この際なぜ持っているかは置いておくとして)のピンを引いた。
そうしてどうなったのか。
答えは、タブーが消滅したのだ。なにも痕跡を残さず、最初から何もなかったと思わせるような一瞬の出来事で。
そうして一時世界は、偶然の連発によって救われた。偶然も重なれば必然、と言いたい所である。世界を救った彼は、二0六一年の現在も過去のことを匠に脚色して、己の武勇伝を熱弁している。
全世界のほとんどの人類は、まだタブーが密かに存在しているとも知らずに。
「TABOO」が破壊された頃のとある出来事。
十歳くらいの二人が座っている縁側の近くの中庭には、楓の木と、その周りを囲む猩々緋色の大量の蓮華が水面に浮かんでいた。
一人の少女は、少年の方に顔を向け、
「実はね……私、明日から試練の門を行うの」
白か銀の区別が付きにくいロングヘアーのその少女は、悲しみを堪えて、無理に笑顔で笑っていた。
「試練って……榛名! それが何かわかっているんだろうな!」
「ええ……」
「だったら!」
榛名、という名の少女の隣に座っている少年は勢いよく立ち上がり、右拳を握り締めていた。
「由依、私達弥生家は、貴方たち浅間家に奉仕すると誓い、浅間家のために仕え、あるときは盾になる者と誓った一族なの、あなたも、そこは理解しているでしょ?」
十歳の少女から放たれたとは思えないこの言葉は、幼い頃から教え込まれ、震える唇を抑えながら、無邪気な笑顔を作り出して笑った。
「……」
しかし、「ユエ」という名の少年もこの言葉を知っていた、彼の、「浅間家」にどのような恩があるかはまだ知らないが、榛名の嘘だけは見破っていた。
榛名だって、本当は試練の門を行いたくないと思っているはずだ。
長い沈黙が二人の間に流れる、二人の視線が絡み合い、互いを理解する。
しかし、我慢が出来なかったユエは自身の黒髪をいじり、ふてくされた子供のように、
「……わかった」
「……ありがとう」
榛名は感じ取っていた、由依の不安を
由依は理解していた、「試練の門」がどのようなものなのかを。
弥生家として生を受けた者は、主である浅間家に仕えるために、心身を鍛えるためタブーと呼ばれる怪物が発生しやすい次元に入り六日間の修行を行う、男女関係なく。
三百六十度真っ暗な空間で、タブーと戦い続ける、今まで幾人もの弥生家の者たちが命を落としただろうか。
「必ず、必ず帰ってこいよ」
「うん」
少女は、少年の首にある、古傷なようなものを撫でた。
ふたりはその言葉を最後に、場所を去り、それぞれの戻る場所に戻った。
二0五六年
約束の日から、六年の歳月が経った。
時季は水に薄い氷が張るような十二月下旬。寒さにより、通常の時間帯より覚醒の早くなったその少年は、額に手を当て、偶に起こる不思議な現象について悩んでいた。
「また・・・夢が思い出せない」
その少年、ユエは偶に夢が思い出すことができない。
普通の人間のように夢を見て思い出すこともできる。彼の何人かの友達にも聞いたが、むしろ由依は普通の人間より夢を多く見る、ごく普通の夢だ。
ただ、彼は完全に夢を忘れることがある、どうやって判断するかというのは簡単だ。
彼の心に大きな穴があいたような喪失感、しばらくの間、放心状態となる、何も考えることができず、思い出すこともできない。このまま永遠と黙っていれば、石像の完成だ。
「ッ痛!」
しかし、しばらくしたあと、胸が締め付けられるような痛みが彼に訪れる。
いてもたってもいられない、自分は何かをしなければいけないという感情に見舞われる。
十歳以降の記憶を忘れてしまったあとから、ずっとこうだ。
ある程度の時間が経つと、少しは痛みも癒える。
今日も痛みに耐え、彼が通う浪川高校への学校の準備に取り掛かる。
いつも独りの家を施錠し、もう少し防寒をすればよかった、などと思いながら白い息を吐く。
「おはようございます、由依、今朝は早いですね」
彼の背後から馴染みの声が聞こえた。
声の主に顔を向けようとすると、少女が白い吐息をしながら小走りで由依に追いつこうとした。
「ああ鶴見、おはよう」
由依の隣にいる濃い藍色の髪を先端部分で束ねているのがトレードマークな彼女は「鶴見舞」といい、由依とは家が近いことでよく登下校で一緒にいたりする。
ちなみに、鶴見は生徒会書記であり、家柄も相当いい。
などと、やけに説明口調な紹介を終えたところで。
顔を僅かにしかめて、由依の顔を覗き込む。
「朝早いってことは……またアレですか?」
「そうなんだよ、またよくわからない夢を見た気がしたんだ、……でも思い出せなくて」
「そうですか……由依が記憶が失う以前のことを思い出していたのでしょうか」
「六年前以前の出来事ねえ……どうして記憶喪失になったんだろうな」
舞は、由依の事情を知っているので、深くは聞こうとはしなかった。
彼にとっては有難いことであった、少しでも胸の痛みを味わいたくなかったから。
長い静寂が訪れる。
(こうなると学校に到着するまで話すに話せないじゃないですか!)
彼女は由依をちらちらと目配りしている。
舞の心中を知らず、気を紛らわすために由依は大きなあくびをした。
しかし、沈黙は、後ろからやってくるバイクによって破られた。
バイクの乗用車が彼女のバイクをいきなり盗んだ。(声をかけてから窃盗に及ぶケースなどないと思うが)
「ああ! 私の鞄が!」
早朝にも関わらず、スクーターバイクが、舞の鞄を奪った。
追いかけようとする鶴見、しかしバイクは無情にも去ってゆく。
大体、人間がバイクのスピードに追いつけるわけがない、幸いにも貴重なものはそれほど入れていなかったから、後で買い直せば良いと思って、速度を落とし始めた舞だが――。
舞の視界には走り出した影を捉えていた。
由依がスクーターバイクを追いかけた。
心の中で、追いつくはずがないと決め付けていた舞だが、目の前の光景を見て、目を見開いた。
彼がバイクのスピードに追いついている、いや、それ以上だ。
(嘘! 身体能力が優れていることは知っていましたが、これ程とは!)
もちろんバイクは最高速度ではないが、その速さは異常な程であった。
「荷物を返してもらおうか」
「な、なんだこいつ! ありえねぇ!」
舞は後者に同意していた。この場の誰もが見ても全員そう思うだろう。
「早くその荷物を……ってうわ!危なッ!」
由依がなぜこんな声を出したのか、答えは目の前に集中していて注意をしていなかった地面の石につまずいた。そして、バイクの運転手を巻き込み、そのままバイクに突っ込んだ。
「由依!」
運転手と共に転げ落ちて、由依は地面に叩きつけられた。
叩きつけられた瞬間、全ての空気が体内から出ていくような衝撃を味わった。運転手も同様だろう。
あまりにも一瞬の出来事であり、状況を把握するのに精一杯であった舞が我に返るが、理解して彼の方向を向くと、倒れ込んでいる彼がいて言葉を失った。
「由依! 大丈夫? 由依!」
彼のもとに駆け寄った舞は、瞳に大粒の涙を溜めて、大声で叫ぶ。
倒れている由依は、むくりと立ち上がった。
「いたた……」
「由依!」
彼が無事だということがわかり、ほっと胸を撫で下ろすが、ひとつの疑念が生まれた。
「いやー危なかったよ、もう少ししたら骨にヒビが入ってたかもだな」
けらけらと、高笑いをするが、舞はあっけにとられていた。
(むしろ、あの叩きつけられて無事でいるほうが不思議ですよ)
誰もがそう思うだろう、思い切り叩きつけられてピンピンしているのはありえない、実際に鞄を盗んだ運転手はピクリともしていないのだから。
「ほら鞄、事故は警察が多分何とかしてくれると思うから早く学校に行くぞ」
手が触れたが由依が気にする素振りはなかった。
何事もなかった用に振舞い、先に歩き始める。
後ろで彼女が頬を赤らめていたのは、誰も知る由もない。
浪川高校、いたって普通のどこにでもありうる高等学校。
生徒数は約六百人、大体一学年二百人というわけだ、由依と舞は同じ一年。そこでは普遍的な高校生活が一部を除いて営まれている。
「よお! 由依、おはよう」
由依に声をかけたのは右目に黒い眼帯(かっこつけているのではなく、右目の視力は事故で喪失したらしい)をつけ、高校生らしい体つきをしている。
「よお!利根」
いつも通りの挨拶を終え、何を思ったのか、彼、「利根 満」は眼帯をしている右目を抑えた。
いつものアレが始まるな、と思っていた。
「う……ぐああああああ!」
「どうした!」
毎日の恒例のような利根の行動に、心配を装った風に話しかける。
利根は抑えていた右目を掲げ――
「うおおおお!俺の右目の邪気眼と左手に眠っている蒼いドラゴンがああああああ! 畜生! 例の奴らがそこにいるのか! 出てこい!」
周りの視線をお構いなしに発言する利根。
そう、彼はいわゆる『厨二病』というやつだ。
由依が入学した時、初対面でこれをやられたときは、本当にどうしようかと思った、ただ、こいつとは関わってはいけない人物だな、と思ったが、彼が気さくに話し掛けてくれたおかげで由依にも周りに友達ができたのだ、由依は利根には密かに感謝をしている。
「まったく……うるさいですよ」
舞が呆れ顔で利根に言い放つ。彼女もこの光景をよく見ているが、まだ慣れていないらしい。
「そうだよトネ! そろそろ恥ずかしさを覚えないの!?」
由依の後ろから発せられた声の主は、明らかに顔立ちが日本人ではなく、ブラウンのカールが掛かったオランダ人の少女である。
「おはよう、デルク」
「おはよう、ユエ、というかその呼び方はあまり好きじゃないって何回言ったらわかるのよ!」
「カレン、おはようございます」
デルク改め、カレンをなだめるような口調で舞が話しかける。
「別にどっちでもいんじゃねーの? デルク=ド・カレン様?」
利根が言った途端、プツン、と聞こえたような気がした。
「へぇ、トネくん、いい度胸をしているわね」
からかう気満載な利根が話しかけ、止めようとしても無駄だと悟った舞は、由依に視線を向ける。
(俺が止めろというのか)
オランダから、語学留学という名目できているらしいが、彼女が由依たちのクラスで自己紹介をしたとき、日本語は完璧と言っていいほどであった。来日した理由は別にあるのではないか。男を追って日本まで来た、という噂が出回っていたりする。当の本人は、自分の語学の未熟さを説く、以外に謙虚(今までの会話からは理解できないが)な性格であった。
(仕方がないな……)
睨み合っている二人の仲裁に入ろうとした。
彼の心情は、これ以上クラスで目立ちたくなかったというのであった、由依も面倒事は嫌いである。早く済ませたいと思った。
「ほらお前たち、そろそろやめろ」
「うぐっ……確かにこれ以上は、周りの視線が痛いぜ」
「そうね、ユエに免じて、ここは黙りましょう」
意外にもあっさり方がついた。
「そういえば、カレン」
思いついたように利根がカレンに話しかける。
「なによ」
「前々から気になっていたんだが、ひょっとして由依のこと……」
「……ッ!」
手に持っていた筆記用具を舞が落とす。
「ち、違うわよ! 何言ってんのこのタコ!」
よくそんな罵り方知っているな、と感心している由依だが、カレンは顔を赤くしながら必死に拒否していた。そこまで否定されると由依も傷つくが。
「おっと……ごめんよ」
クラスメイトの足がカレンに引っかかった。案の定、カレンは前に転倒そうになり、目の前にいる由依に激突した、客観的に見ればカレンが由依を押し倒したことになる。
床に倒れる過程で、カレンがどうにもできなないことどうにかしようとしたが、甲斐も虚しく、重力に従うことになる。
由依の顔面はカレンの豊満な胸によって塞がれた――