同級生と会って
四
『突然言われても困りますよ。さっき行きますって言ってたじゃない。なぜですか? 休みすぎて働く気が失せたのですか?』
初美と原宿駅で別れると、わたしはまた竹下通りをぶらついた。
角を曲がると建ち並ぶビルの日陰になるので、携帯を出し派遣会社へ辞める旨を伝えた。
「そういうわけではないのですが、ほかの仕事に興味ありまして」
『清掃がいやになったってことですか、ならほかの仕事もありますから、オフィスに来てください。ただ明日は入れてしまったので仕事へ行ってもらいたいんですけど』
二年と十カ月は勤めた派遣会社の清掃員。そのとき面接をした上司はもう辞めていなく、半年前から三十代の今電話対応する上司になった。
「いえ、もう辞めますので」
『ちょっと、待ってください。どうしたんですか。三年近くも働いているんでしょ。長いのでわたしも引き止めているのですよ。一カ月やそこらではないわけですから』
うざくなったので、ここは強行突破しかない。
「いえ、山口さんがどう引き止めようとしてもわたしは辞めますから、ではお世話になりました」
そう話し強引に携帯を切った。これで同僚に面倒な整形の説明がなくなった。わたしは一息つくと原宿駅へ向かう。
新宿駅を降りると、歌舞伎町方面をぶらつこうとした。水商売は時給がいいことを知るので、店頭にある募集広告でも見ようと思った。
相変わらずアルタ前は人の待ち合わせでいっぱいだ。なぜあそこだろうか。タレントが出入りするためか。
横断歩道を渡ると、若者や中年男性がわたしの顔を見て行く。竹下通りでも初美より自分に目線を浴びるのがわかった。
今までは妹へ男の視線が行ったが、きょう歩けばわたしばかり見るのできっと妬みもあるだろう。
歌舞伎町に続く道を歩き、靖国通りの横断歩道で信号待ちになった。新宿へは久々に来たので辺りを左右見回していると、真横に男性が並んだ。チラッと見れば髭を生やした黒ワイシャツ姿の男性で、こっちを何度も見ている。信号が変わったとき、急ぎ足で渡った。
そして歌舞伎町へ入ったとき、後ろから声が掛かった。
「すいません、ちょっといいですか?」
振り返るとさっきの五十ほどの男性だった。腕には純金のブレスレットをしていて目についた。頭髪はオールバックで髭があり、目は大きく鋭い。オヤジという感じはなく、崩れたような危険さが漂っていた。
「なんですか?」
風で髪がなびく。袋を持たない手で髪を耳の後ろへもっていく。
「わたし、店の紹介を受け持つ者ですけど、もしこの辺で数時間でも働きたいのなら紹介しますけど……。お姉さんはどこかの店に入っているの?」
「いえ、別に、ただふらっと来たんですが」
店の紹介? そんな者が存在するのか。
「もしよければ、そこの喫茶店でお茶しながら話でも聞かないですか?」
男はビルを指した。二階に喫茶店の看板がある。
もしやスカウトのような者か。危険な感じはするが、歌舞伎町自体が危険だった。
「は、はい」
話だけと思い了承した。それに声を掛けたということは、自分が認められたということ。歌舞伎町のスカウトならば女を見る眼力は心底持っているだろうから。
「そう、話し聞いてくれるんだ。時間割いてわるいね」
一見危険でそうであったが笑顔を向けられると、それほどわるい人ではなさそうだ。
「いえ、ちょうど暇を持て余していましたから」
男の笑顔で緊張が取れ、本音を話すとあとを追った。
エレベーターが開くとそのまま喫茶店だった。男は迷わず店の奥へ行く。昼に入ったカフェレストランよりはだいぶ狭く、観葉植物が数個あり、自然な感じのする店内であった。
男は何度と来たことがあるのだろう、カウンターにいる髭の生えたマスターに手を上げた。奥にボックスの席が六席あり、二席には男女ペアが二組腰掛けていた。男は客のいる席を一つ置いた席へ招いた。
「なに飲みますか?」
「じゃ、アイスコーヒーを」
ウエイトレスが来ると男は伝え、片腕に抱えるバッグから名刺と携帯を出した。
〈優良店舗紹介コンサルター・藤岡 信弘〉
「コンサルター? 藤岡さんですか」
藤岡はおしぼりで、額と頬の汗を拭いている。
「ええ、この業界は僕のような者がごろごろいます。でも優良店の者もいますし、とんでもない店に入らせる者もいますからね」
聞きながらわたしは水を飲んだ。
「そうですか。じゃ、藤岡さんはいい人ってこと?」
「いいかどうかはお宅の思うことで、ただ僕は騙すことがいやだからね。それにせっかく紹介するわけで自分も紹介料もらうからには、いい人に入ってもらいたいんだ。あなたを見たとき、ここへは染まってなさそうに感じたので声掛けたのですよ」
藤岡は笑みを浮かべて話すと、おしぼりを正方形に畳んでグラスの横へ置いた。
「たしかに染まっていません。水商売はやったことがないもんで」
「やはりそうでしたか、失礼ですが年と名前もしくは愛称でも教えてくれればいいんですが」
愛称などないので名前を伝えた。アイスコーヒーを飲みながらしばらく世間話をすると本題に入った。
「水木さんは今、なにかやってます?」
「いえ、派遣会社を辞めたばかりで」
「そう、じゃ、水商売なんかどう?」
「時給がいいので少し興味があるってところです。でも接待などしたことはないから」
仕事内容はテレビドラマや小説でほぼわかるが、実際やれば緊張し、どうやればと戸惑うだろう。また過去の自分へ突如と戻るかもしれない。顔を変えても中身はすぐに変わらなかった。
「水木さんなら美しいので大丈夫だよ。なにもしなくても客はつくし、話しを合わせて、お酒作ればいいことで……。それか、風俗のほうもあるけどね。でも初めてならキャバ嬢のほうがいいでしょ」
お水と言ってもキャバ嬢だった。繁華街のスナックを想像していた。ここの喫茶店も夜はスナックのようだが、このような雰囲気を思っていた。でもスカウトがスナックへ紹介などするわけはない。
実録番組でホスト系のスカウトが、若い女をキャバクラで働かないかと誘う場面を見たことがあり、これもそのようなことだろう。
「キャバクラですか。でも遅刻すると罰金や、成績がわるいといろいろ言われるようですが」
「遅刻や無断欠勤は罰金があるのはこの業界特有だからね。時給多く払うからそれは仕方ないけど、風俗はそういうのないよ。風俗なんてどう?」
まだ女にもなっていないので風俗はむり。でも百万近い月給を電話ボックスのチラシで見たことがある。人気があって月百万と思うが、五十万でも魅力はある。清掃員は月十七万だった。それに比べればはるかにいい。
「どういう職種があるのです?」
風俗にもヘルスからソープランドまで様々だろう。
「僕の場合は店で男性サービスをするヘルス系と、ホテルや自宅でサービスのデリヘル系だけだよ」
デリヘルはここのところはやっていると聞く。ホテルや自宅では本番もあるのだろうか。
「デリヘルって本番もあるのですか?」
「それはお客さんとの交渉だよ。もちろんギャラの取り分は上がるけどね」
本番があるようなので、手っ取り早く稼げるのはデリヘルだった。
整形もして美ぼうを手に入れた。男は顔とスタイルがよければ寄って来るはずだ。その中でも顔が一番だろう。なぜなら過去に〈エイ〉とあだ名がついたのが顔だったから。
わたしの容姿はデブとまでいかず、ポッチャリ体型なので男がそのタイプなら間違いなく指名が多くなるはずだ。顔は整い、あとは胸の成形と体のスリム化である。恥ずかしさは以前とは別人なので体を見せても平気でいられそうだ。
「やっぱあるのですか。わたしお酒は飲めないし、風俗のほうがまだいいのかもしれません。お金が欲しいもので……」
「それはみんな一緒だよ。お金があればブランド物もかえるし、それなりにいいとこ住めるしね。短気で稼ぐなら、風俗かな。それに一時の今のうちだしね。これが年食ってしまうと指名もないし、若いうちの特権だよ」
そうか、今しかなく若いうちの特権か。藤岡の言うとは当たっている。もし十八でこの業界に入っていれば二十二という年令では相当稼いでいて引退する年ではないのか。その後は結婚に備え、花嫁の修業する年でもあった。若いというが二十二なので風俗入門するにはギリギリの年令かもしれない。
今や世の男は女子中高生へ興味がいっている。淫行条例ができ以前より減ったのかもしれないが、事件はあとを絶たない。今の子たちはミニスカートを履き派手な格好も原因ではないのか。というが、自分も遅咲きでそうだった。
「……そうですね。若いうちですよね」
コーヒーのストローを回しながら、しばらく考えた。
「そうむりに誘わないから、じっくり考えてよ。もしやる気があるならここへ電話して」
藤岡名刺の携帯番号を指すと、二つの携帯番号が載っていた。
「はぁ。じゃ、少し考えさしてもらいます」
藤岡の容姿からただ者ではないので、誘いもしつこくもなるものかと思えば、案外猶予期間を与えてくれて優しかった。今までの男は陰口や無視されることが多く、自然とわたしは目を合わせなくなった。でも彼は終始笑みを絶やさず、紳士というのか律儀で丁寧に教えてくれた。年は離れているがとても好感がある人だった。
「仕事が合いそうもないなら電話はいらないからね。水木さん次第が決めてください。必ず心配ない店舗を紹介していきますから」
席を立つ藤岡は笑顔でそういうと、腕時計を見ていた。
わたしもバッグと下着の紙袋を持ち、席を立った。藤岡はブランド物のバッグではないのをいち早く察したのだろうか。それで声を掛けたのかもしれない。でも最初はみんな乏しい生活なので、この街を訪れるのではないか。それを知っていて、藤岡のような水商売斡旋業があると思う。なんと言っても日本最大の繁華街。全国各地やアジア地区からここで働く者がいるのだから。
「わかりました。前向きに考えてみます」
藤岡は携帯と名刺をバッグにしまい、にやりとしてうなずいた。
「じゃ、わたし急ぎますから」
藤岡は先にレジへ向かった。またスカウトをしに行くのだろうか。
その仕事も暑い中歩き回り大変だ。断る女性のほうが多いのではないのか。
わたしはたまたまそのような仕事募集を見に来たので、都合よく藤岡へついて行った。でもほかの女性はショッピングのついでであったり、映画や劇場に足を運ぶときだったりするわけで、そんなとき、一見怪しそうな藤岡に声を掛けられれば、腰が引けるのではないか。わたしがほかの用事ならそうだ。
エレベーターで降り外へ出ると、暑さでムッとした。喫茶店の冷房はちょうどいい適温だったことから、きょうの気温は相当高い。
来た道を駅に向かった。結局店の表にはる募集広告などは見ていなかった。藤岡の話から高給であることは聞いたが具体的に時給いくらかは聞いてない。でも普通の仕事よりは確実に高いだろう。
今現在は五分五分だった。なにが引っ掛かるといえば自分が処女ということ。まだ男を知らず、いきなり風俗に入る人などいるわけがない。まして二十二で処女などだれも信じないし、恥ずかしい気もする。今は中学で失う時代だ。どうクリアすればいいか。それか、わざと初々しさを出し、処女を売りに出すという作戦で行けばいいものか。
風俗はどんな男が群がるのかもよくわからない。ただ抜きに来るのはわかるが、それでも女の趣味はあるだろう。女を見て断ることもできるだろうから。もし、わたしが初めて店に出て断られることはないと思うが、サービスが下手で次なる顧客がつかなければ、稼げないのでそこが問題だった。
昼にナンパされたとき、妹を置き去りにしてついて行けば処女喪失は確実だった。でもチャラ男は乗りが軽くて騙されているのが見え見えなので、ついて行かないのが正解だ。処女を失ってもあと味がわるく、その後は冷たくされ捨てられる。
アルタのところにはまだ人がいる。いったい何時までここは混んでいるのか。夜中でも待ち合わせに使いそうだ。
まだ四時前である。せっかく新宿へ来たのだから、アルタでウィンドショプでもすることにした。
五
パイプベッドに腰掛けるとため息をついた。夕食は一緒に食べたが、妹とは口を開いていない。母はけんかを察して話題を作り、わたしや初美に問い掛けるが、お互い単語だけで会話にならなく、食べ終わればすぐ部屋に入った。
アルタのウィンドショップは一時間見回った。欲しいものはたくさんあり、お金があれば不自由しないことを感じる。電車の中では藤岡へお世話になる確率が八割まで上がった。残りの二割は処女と自信がないということ。でも人格を変えなければ昔のままと思い、今は九割まで達した。ブランド物が欲しい。もっと自分を変え、道を歩けば男性からすぐ声が掛かるという欲求が出た。
風呂から上がり改めて体のラインを鏡台で見た。締まりはないが男に愛されれば、美しくなりたいという気持ちになり、エステに通わざるを得ない。ジムや水泳、ジョギングなどで体を使うのは苦手なのでダイエットとエステしかない。これでは異常にお金が掛かる。
それを考えると手っ取り早く稼げるのは風俗だった。
わたしは決心し、パジャマに着替えると携帯を取った。
『もしもし、藤岡ですが……』
四コールで出た。わたしの携帯は伝えてなかったが迷わず出たのだろう。
「水木です。昼はどうも……」
『ああ、水木さん。これは意表をつかれましたな』
「そうですか?」
『いえいえ、ほかの電話と思いまして……ということは前向きということですね』
藤岡は昼間と変わらないものの言い方で安堵感があった。
「ええ、まあ。ただ風俗なんですが……、なにぶん初めてでして」
『それはだれでもそうですよ。みんな不安いっぱいでデビューして行きます。一カ月もすれば慣れますよ』
それはわかるが、処女なのにできるかが不安だった。初めての男が客となるだろうから。
「はい、そうですよね。でも……」
『どうしたんです? 風俗ですと、先輩女性との講習を受けてもらいますので、初めだけクリアすれば大丈夫と思うけど』
やるつもりなので話そうとするが、いざ言葉が言いにくい。まだ藤岡とはきょう会ったばかりで話しづらいのもある。
「あの、明日もう一度、会ってもいいですか?」
清掃仕事も辞めたので暇だった。それに初美の手前もあり、夕食時に母へ明日から仕事と話したから、自宅を仕事に合わせて出なくてはならなかった。
「いいですよ。やっぱ仕事のことは大事だからね。わたしも中途半端で辞めてもらうと歯が立たないもので。それなら、時間は何時にします?」
「そうですね、昼ころにでもきょうの喫茶店でいいですが」
昼の喫茶店が落ち着いていて、話すにいい気がした。
「わかりました。では十二時半でもいいですか?」
「はい。じゃ、昼に行きますので、では」
正直、藤岡に会えるのでよかった。本音を話し、できるのか聞きたかったから。まだひとりで決められない。風俗で働くのに体験がないなど、話しにならないだろう。でも処女は捨てたい。初めてが客ではラブストーリーのようになんのロマンスはない。でも捨てられることには変わりない。事実は小説よりも奇なり、とはこのことだろうか。
仕事のときは七時に起き、身支度をして八時に出かける。格好もジーンズにTシャツといつもの格好に戻った。いくら仕事へ行く振りでもキャミソールではおかしく思われる。派手な格好で職場へ行くのは水商売のみではないのか。
けさは初美がキッチンテーブルにいない。もう部活もなくあとは受験勉強だ。将来は交響楽団の道へ進みたく、それがむりなら、別の音楽での職を希望とのこと。妹も夢があり音大へ進学という。
普通の顔で過ごせていれば別の夢があっただろう。そこが初美と違い、その辺もわかってくれると思った。
一度高校を中退し通信高校を出た。美容整形という夢があったので大学へ行かず、お金を貯めれば望みどおりになった。それがこの夏であり、昨日試したわけではないけど効果はあった。
原宿ではチャラ男だったが初めてナンパされ、新宿ではスカウトの藤岡にも声を掛けられた。かつてないことで今後が楽しみだった。
日曜で父はまだ寝ている。と言っても父はウィークデーも朝早く仕事場へ向かうので、わたしとは顔を合わせなかった。
キッチンにいるのは母とわたし。母は競艇が開催中なので仕事という。長く続けた仕事を辞めたことに母は反対するだろうか。いくら美ぼうを手に入れても仕事は別で、辞めるのは反対するだろう。
この顔を手に入れたときは喜んでくれた。もともと父より母の不細工さが自分に影響した。でもわたしよりはるかに整い整形はしてなかった。あまりの不細工顔だったので母は整ったときに喜んでくれたのかもしれない。
母はわたしがジーンズ姿なので仕事と思っている。
「今夜、自分たちでご飯食べてね。わたしは同僚とご飯食べるから」
四日あるうちレースが最終日だ。開催日の前日には発売機のペーパーなど用意し、作動調整するらしい。最後の日は必ず同僚とご飯を食べている。よって夕飯は妹かわたしが作る。自分は仕事になっているので、自宅にいる妹が作るのだ。
「わかった。母さん、仕事辞めるからさ」
「えーっ、なんで?」
「もっと時給がいいのにしたいの。今まではこのために働いたのでしょ、だから面接だって通るから給料のいい仕事にするわ」
自身の顔を指して母へ向けた。面接を何度も落ちていることや、学校時代には村八分だったことも知っている。
「でも、せっかく慣れたんだから、もうちょっと辛抱してみれば?」
「そんなこと言ってればいつまでたっても辞められないからね、ここはしっかりとけじめつけるよ。じゃ、行って来ます」
わたしは母の反応を聞かずに玄関へ向かった。
大沢がいないのをドアスコープから確認しドアを開けた。門から自転車を出すとペダルを踏んだ。仕事のときは駅まで自転車で向かうので、いつもと変わらないようにした。
どこで暇を潰すかだ。とにかく電車へ乗ろうと駅へ向かった。
ビール工場を曲がり駅方面へ自転車を走らせた。ジーンズ姿だが、昨日買った下着をつけている。昨日の格好なら決まるが、Tシャツに派手なブラでは透けるかもしれないので、地味な黒色Tシャツを着ている。しかも紫のTバックをはいているので下着をつけていない感覚だ。自転車に乗ると食い込むので尻の位置を左右に揺すった。
駅に着くと自転車駐輪場に入れ、バッグを肩に掛けた。改札口をくぐるとき背に声が掛かった。
「水木さん?」
わたしはびくっとした。男の声であるがだれだ。
ゆっくり振り向いた。男の背は百七十ほど。真ん中で分けたサラサラヘヤー、やや垂れ下がった目に高い鼻、唇は薄くスラックスにワイシャツの格好だった。中学のクラスメートの落合だった。
なぜわかったのだろうか。まったくの別人になったはずだ。
ここは無視をしたほうがいいかもしれない。
「いえ、違います」
わたしはずんずん改札口をくぐった。落合も電車へ乗るようで、後ろから再度話し掛けられた。
「水木さんだろ? おれだよ、落合だよ」
彼は横に並び、こっちを見ながら話し掛けてくる。視界に入るが、無視をした。
「なぜ無視をするんだ? おれはよく水木さんを目撃してたんだ。ここ何カ月か見なかったけど、随分と変わったね。ジーンズと自転車へ乗ってたのは変わらないけど」
わたしは耳を疑った。帽子とサングラスは外したものの、ジーンズというスタイルでわかったのかもしれない。
もうばれているが、わたしは目線を合わせずスタスタと階段を上がり、品川方面行きに下ると落合もついてきた。まったく運がわるい。これでは彼に根掘り葉掘り聞かれそうだ。
落合は仕事だろうか、目は合わせていないが、視界に入る姿はネクタイを締め、肩からバッグをつるすので仕事に違いない。
「ねぇ、なぜ話してくれないんだ」
しつこい男だ。早く電車が来ないか蒲田方向を見ると目が合ってしまった。顔はさっぱりとして髭はなく、ヘヤースタイルは中学時代となにも変わってなかった。
「随分きれいになったね。そのかっことバッグがなければわからなかったな」
「なんなのよ、いったいなにが言いたいの? 水木ならなんなのよ」
わたしはしびれを切らした。この格好のことを何度も言うので頭に来てしまった。
「そう怒るなよ、かつての同級生が変身したので声を掛けたくなっただけ。別に変な意味はない」
「なら話し掛けないで。そうよ水木温子よ、これでいいでしょ」
投げやりに答えた。たしかに変ぼうしたが、正体をばれたことにくやしくなり、落合へ八つ当たりをした。話し掛けなければ気分を害さなかった。別に彼はわるくないが、〈水木温子〉とわかることが過失と思った。
中学時代、落合からいじめなど受けたことはない。彼は優しいほうで、目立つ存在でもなかった。でも過去の自分を捨てたので、クラスメートのだれとも会いたくなかった。
「なんでよ、久しぶりに会って声掛けないほうが変だよ」
「だって以前は知らん振りしたのでしょ、さっきそう言ったじゃない。だからまた知らん振りでよかったのよ」
落合に整形したのがばれたのか。たぶんばれた。それでなければ、以前のように見て見ぬ振りで無視したと思う。ブスの女と話しているなどまわりに見られたくはないからだ。わたしがきれいになったので声を掛けた。それなら納得する。
「前も話そうとしたんだけど、今のように堂々歩いてなかったので話しずらかったんだ。帽子も目深くかぶりメガネ掛けていたでしょ。正直、人を避けて歩いていたように見えたよ。きょうは帽子もなく堂々としていたので、声を掛けた。変な意味でもなく、ただ級友とのあいさつだよ」
そう言うことなら当たっていた。以前は隅のほうへ存在を消すかのように、うつむき加減で道を速めに歩いていた。その歩き方でティシュ配りでさえも寄って来ない。まわりからは暗く見えたに違いない。でもこの顔を手に入れたので、もう隅は歩かなく、自然に堂々歩く。それで声を掛けやすかったのだろう。
「そう、わたしは元気です。これから仕事なの、急いでいるから」
そこへ電車が来た。落合も同じ車両に乗るため品川まで話し掛けてくるのは目に見えている。でも二駅なので沈黙していればいいことだ。
日曜の朝は空いていて、車両に乗り座ると落合も横へ座った。
「僕も仕事だから、今、秋葉原の家電屋に勤めているんだ。だから日曜は関係ないよ。水木さんの仕事はなに?」
わたしは目線を合わせずに正面を向いた。仕事をこの年で清掃といえば見下すだろうか。まだ水商売のほうがあか抜けていい。今は無職で、さっき仕事と言ったためなにか伝えなければならない。そのまま前を向きながら言った。
「派遣の仕事……」
「そう、お互い日曜出勤だよね。ところでさ、顔はどうしたの?」
「わかってるんでしょ? いちいち聞かないでよ」
「なんで、わからないよ。顔が痩せたしジムでも通い運動でそうなったのかと、そうじゃないの?」
本音か。クラスメートがこの顔立ちを見れば整形と思うのが当たり前だ。それか彼はそういう内容に疎いとでもいうのか。あまり話したことはないが、落合の性格を考えると真面目で優しそうな男。
たしか写真部に所属していて、体育祭など動き回り撮影していたのを覚えている。卒業文集に将来はカメラマンと書いてあった。が、現実は電気屋の店員らしい。
「本当にそう思う?」
わたしは横へ顔を向けて聞くと、落合はうなずいた。
正直者そうだしたしかだろう。彼の素直なところにわたしは顔が緩み出す。そして小声で伝えた。
「落合君、わたし顔をいじったの」
「えっ、いじったって?」
垂れた目を丸めているということは、その道を知らなそうだ。
「整形したの」
「整形って、美容整形?」
「そうよ。だからこうなったの」
「へえー、そういうのタレントもやるみたいだね。カメラマンがモデルの撮影すると、月日がたち同じモデルも撮るから、美容整形するのがわかるようだよ。別にいいと思う。ベタだけど人生は一度っきりだしね、僕はまだプロカメラマンを捨ててなく、コンテストに何度も応募してる。でもなかなか実らなくてさ」
わたしは少し感心した。あきらめてなかったことに心を打ち、人生一度というベタな表現でも同じ思いである。
改札口で会ったときより、落合の真面目さに張っていた気も緩んだ。大井町を過ぎたので次は品川である。
わたしは品川で降りるのをやめ、東京駅まで整形を認めてくれた彼に付き合うことにした。
「さっきはゴメン、落合君に偏見があったわけではないのよ。顔を変えたことを同級生などに知られたくなかったから。わたし、中高時代は醜く、みんなに相手にされなかったので、いつかきれいになるという願望が強くて。それで落合君へ別人を装ったというわけ。同級生に会えば整形したことを噂で伝わりそうだし、一番同級生には会いたくなかったの。気持ちわかると思うけど」
正直に話すと、胸のうちがすっきりした。
「いいことだよ。ただ費用だって高いんでしょ」
わたしはうなずくと、うつむき加減となり左にいる落合の足下へ目線向けた。品川を過ぎると、あと四駅で東京。すぐ着いてしまうので、彼の電話番号でも聞きたくなった。
「けっこうしたわ。それで落合君にちょっといろいろ相談したいんだけど……、もしよければ電話番号を教えてもらえる?」
こっちから番号を聞くなど初めてで、恥ずかしく目線は合わせなかった。今までだれからも聞いてこないし、当然アドレスも聞かれなかった。
「いいよ」
落合は携帯を出すと、
「水木さん何番? それとアドレスも」
わたしはプリペイド携帯を出し、番号を伝えるとワンコールの着信があった。
アドレスを見せると、素早く携帯をいじっている。電気屋なので、携帯やパソコン関係には精通していた。
しばらく無言が続くと、あっという間にアドレスを入力し、受信した。携帯を開けるとメール受信になり、〈よろしく〉とだけ入っていた。
「それがぼくのだから、いつでもメールいいよ。返すのは遅れることもあるけどね」
「ありがとう。ちょっと悩みもあるし、わたしここで降りるから。じゃ、また」
ちょうど東京駅に着いた。もし落合以外がメールを入力するなら、まだ終わってない。わたしのアドレスは複雑にローマ字と数字が並ぶ。プリペイド携帯購入時のままで、再入力はしてなかった。
落合は車両から軽く手を上げていたが、まだ同級生と再開したばかりで温子は軽い会釈をした。
六
九時過ぎに新宿へ着けば、藤岡との約束時間までは暇を持て余し、駅ビルをぶらついては喫茶店でもくつろいだ。十時ごろになると日曜なので人も増えてきた。
整形をしたせいか、ジーンズの格好を恥ずかしくも思える。今まではこの格好だったがなにも恥ずかしくない。顔が変わるとあれやこれや服も合わせなければならないので、着替えを持ってくるべきとも思った。
十時半まで駅ビルにいた。外は暑く、少しでも冷房のところにいたほうがいい。
場所を変えてアルタにでも行こうとし東口へ向かった。
東口を出ると待ち合わせなのか自分の年令を下回る若者の男女が立っている。そこへ散らしやティシュ配りがいる。受け取った。
アルタまで行くときワイシャツ姿のロン毛男が寄って来た。
「あの、ちょっといいですか?」
この容姿でもナンパされるのか。
「はぁ」
その男はわたしの顔を凝視している。
「あなたはひと目で美しいのはわかります。目や鼻は整い、小口であるし締まった顔立ち。それでもすばらしいのですが、あなたはまださらに美しくなれますよ。なりたくありませんか?」
「はぁ?」
「つまり今のままの美女より、より美しくなるということですが、少し時間ありますか?」
キャッチセールスとわかり、顔をしかめた。美顔機や化粧品、美乳機などを高値で売りつけ、ローンを組み購入させることを知っている。この手の詐欺まがいの商法はテレビで何度と見ていた。友人がいないのが幸いしてか、夜はテレビ観賞なので情報も入っていた。
「いえ、わたし先を急ぎますから」
わたしは片手を左右振り、この場から逃げようと小走りになった。
「そんなこといわないでください。あなたのことを考えてのことで
すから」
背にロン毛の声が聞こえた。
「きっと後悔しますよ」
声が小さくなった。あきらめた様子だ。あのあと別の場所へ連れ
て行き、話しを聞かされることを知っている。二人からの話しで催眠術に掛かったように契約書へ判を押すのだ。何十万もする美顔機や化粧品が主なことも知っていた。
以前はキャッチセールスも声を掛けて来なかった。そんなときは不細工も役に立った。
わたしはあっちこっちの路上にいるチラシとティシュ配りも避け、
急ぎ足でアルタへ向かった。
店内へ入ると携帯が鳴った。ポッケから取り出すと藤岡である。
「はい、どうも。はい……、えっ、はぁ……。そうですか。はい、
ああそうなんですか。いえ、別にまだ自宅のほうです。はい、はい、
わかりました。では明日ですね。はい、いえいえ、それはけっこう
ですから。では失礼します」
携帯を畳むとため息が出た。藤岡は急用が入りきょうはむりとい
う。すでに新宿にいることは話さず、まだ自宅付近と伝えた。
会えないことをわるく思った藤岡は、明日、自宅付近まで向かうと言うがそれは断った。そこまでしてもらうほどでもなく、もし家族や近所の者に見られた場合はまずいからだ。
まだ十一時過ぎである。これからどうするかと暇になったので考
えた。そういえば落合は秋葉原に勤めていると言ったが、どのよう
な店だろうか。朝の出来事により彼への親近感はある。昼の休憩は
あるだろうから、メールを入れてみることにした。
新宿から総武線に乗り秋葉原へ着くと昼になった。体を動かした
わけではなく、お腹も減らないので抜くことにした。
新宿駅から落合宛へメールを打ち続けた。きょうは仕事ではなく、
ほかの話で新宿へ来たことを打ち、それが中止になり暇になったの
で店へ行ってみたいことを送った。
十二時半ごろ秋葉原をうろついていると、携帯が鳴った。表示画面は落合だ。
「もしもし」
『あっ、落合です。水木さん仕事じゃなかったんだ』
「ええ、ちょっと用事だったので。仕事のことだったけど」
風俗の内容までは電話で言えない。
『そうか、で、いまどこ?』
わたしは道を隔てた向かいに大型有名電気店があるので、その
名を伝えた。
『そこを御徒町駅のほうへ五十メートルくらい進むと、〈ヤマノ〉本店があるから、そこだよ。僕は二階の家電にいるから』
〈ヤマノ〉電気だったのか。大型店のほうで、他県にも進出してい
る宣伝を見たことがある。予想ではテナントへ入るビルの一階や二
階を借りる電気店と思ったので意外だった。
「そんな大きい電気店だったのね。わかりました。もう少しで着く
と思います」
わたしが向かっても落合は仕事で話ができるわけではない。仕事
の邪魔にもなるので、すぐ帰ろうと思う。
一見するとビルは四階建て。店内入り口は三十メートルほどあり、
近隣のビルより大きかった。
中に入ると、赤のハッピを来た店員は物静かにあいさつしてくれた。大型電化店は威勢いいあいさつで、わたしは入りづらさがあった。でも〈ヤマノ〉は物腰やわらかいあいさつで、こっちも会釈をしてしまうほどである。
日曜の昼とあり、家族連れや若夫婦かカップルなのか、店内は込み合っている。
わたしはエスカレーターを探すが広い店内なので辺りを見回していた。
「水木さん」
振り返ると赤いハッピ姿の落合が笑みを浮かべていた。
「あれっ、二階って聞いたから」
「いや、迷子と思いね」
「正解です。エスカレーターを探してしまい」
再度辺りを見回すと落合いは入り口から離れた端を指した。
「随分遠いのね」
「あそこまでいくに商品を見るでしょ、それでひとつでも目につけ
ばと思って少し入り口から遠いようにしたと社長がいうんだ」
なかなか上手な設定である。エスカレーターまで行くのに冷房関係のエヤコンや涼風機が並んでいて、そこまで歩けばクーラーや涼風機へあたるので涼しい。
「ふーん、秋葉原は電化街だから、みんな考えるんだね」
「よそとは違うことをしないとさ。うちは一、二階が家電関係で、
三階が携帯やパソコン関係、四階が事務室や役員、社長室だよ」
エスカレーターに乗ると落合は店内を紹介した。二階へ上がると、
女子社員が前を通るとにやりとしてあいさつをする。落合は目が合
ったのか、少し照れていた。
店内は広くて明るく、照明のコーナーはより光っている。客は一
階より二階のほうが多く、落合はわたしについていていいものか。でも一応客だからいいのだろう。
落合と横並びに歩いているとテレビのコーナーへ来た。
「僕はここの持ち場だよ」
デジタル放送に変わった当初より、テレビの売り上げは低迷して
いるとニュースで聞いた。でもそんなことは言えない。
「デジタルテレビって大きいのが売れるようだね」
「うん、移行時より売れないけど、需要はまだあるよ。安くなったから。高齢者に説明がどこまで伝わるかだよ。詳しく話さないとならなくて、地デジをまだわからない人も多いし。自分は次世代テレビの進化を聞かされているから、デジタルでもお勧めと勧めないのがあるんだ。それもけっこう話さなくてはならないし〈ヤマノ〉は良心的だと思われないとね」
「けっこう伝わらないとどこを説明していいか悩んで大変なんでしょうね」
「そうそう、よくわかるじゃん。そんな感じの仕事。物を売るとい
うより、いかにお客さんへ伝えるかとやっていて思うよ。買う買わ
ないは関係なく、とにかく商品の説明を伝えたい。そうすれば次回
来たときに顔になっているからね、お客さんとの顔馴染みは利益に
つながるんだ」
落合の先にいる店員は、年寄り夫婦に薄型デジタルテレビだろう
か、パンフレットを見せながら説明している。年寄りはメガネの淵
を持ち上げてパンフレットをジッと見ている。横のおばさんはまっ
たく話を聞いてなく、テレビ画面を見入っている。あのハッピを来
た店員も説明に大変そうだった。
「落合君、仕事の邪魔になるから、内容わかったわ。相談が合った
んだけど……仕事は何時に終えるの?」
わたしはテレビを買うわけではない。日曜日はかきいれどきなの
で、買う人に接客しないと成績が伸びないことを思った。落合のよ
うにこの仕事をできるだろうか。風俗に比べれば真っ当な仕事であ
る。それに堂々と職業を販売員と言える。以前の顔なら面接で落ち
るだろう。客に対して不細工な顔で暗く接しても買ってくれないだ
ろうから。それどころか販売員など接客があるし、初めから目指さ
なかった。
でも今はまともな顔で販売員としてやって行けるかもしれない。
わたしはブランド物や胸の成形を頭に浮かべると、やはり風俗に
向いてしまう。自分を変えるのが目標であると同時に、今までの青
春を取り返すつもりだった。
「きょうは早番だから六時だよ。どうした?」
「ここでは言えないけど、夕食ごちそうするから相談したいんだけ
ど、いいかな?」
朝に出会い、落合の性格を知った上での相談で、風俗のことも話すつもり。今まで相談相手は初美だけで風俗のことなど身内には言えない。それに彼は異性であるし別の意見を話してくれると思うから。
「いいけど、どこで待ち合わせにする。大森駅?」
地元は避けたいので、品川辺りが構内にも何店か飲食店があった。
「品川でもいい?」
「いいよ、じゃ、六時半に品川の構内の本屋にしよう」
わたしはうなずくと、軽く手を振り落合から離れた。早速落合は
近くで大きなプラズマテレビを見ている客へ接客に着いた。
わたしは店内を一周すると、三階に行った。携帯を本契約にしようとバッグの中身を探り保険証を確認した。持っているのでエレベーターで上がった。
七
六時過ぎから品川駅構内で立ち読みしている。ファッション雑誌
を手に取り、自分の好むページを開いて服の値を気にしていた。
風俗界に入れば、その月から欲しい物が買える。顔もそうだけど、
お金があれば人生はなんでも手に入り、幸福になれる。
よく考えればスポーツセンターのある品川だ。でも顔を変えたこ
とを同僚は知らずに辞めたので、万が一すれ違っていてもわからな
いだろう。
「よお」
と肩を叩かれた。びくっとして振り返ると、朝と同じ格好の落合
だった。
「はぁ、びっくりした」
「どうするか、居酒屋でも入る?」
「ごめん、おごると言ったけどサイフの中身は薄いのよ」
「いいよ、おれがごちそうするから」
自分が誘ったのでそれはわるく思い、手を左右に振った。
「それはいいよ、わたしが誘ったんだから」
「いいって、きょうだって仕事じゃなかったんだから。それに相談
など、一杯飲みながらのほうが話しやすいからさ」
「いいのかな、なんかわるく思うけど」
落合は大丈夫というと、笑みをこぼした。彼は知っている店でも
あるのか、ずんずん歩く。わたしはそのあとを着いて行くだけ。
「ここでいい?」
わたしはどこでもよかった。ただお酒はほんの少し程度なので、落合にはそれほど付き合えない。
店内は十席ほどのカウンターと五つの四人掛けテーブルがあり、サラリーマンが二人連れで入るような居酒屋だった。
落合がテーブルにしようというのでしたがった。
「あれからどうしたの?」
「そうそう、携帯をスマホに変えちゃった。これ」
わたしはジーンズのポッケからスマートフォンを出す。プリペイドなので機種変更とは行かず、新規で入った。機種は無料で電話番号とアドレスが変わった。
「きょう番号聞いたばかりなのに?」
「ゴメンね、新しいのも入れてみて」
落合へ渡すと携帯へ再入力している。そこへ注文取りが来たので、彼に合わせて中ジョッキビールにした。わたしはジョッキ全部を飲めるかわからないが、合わせたほうがいいと思った。甘える身分なのでつまみも彼に任せた。
「朝教えたのはプリペイドなのでまだ使えるから、そっちでもいいよ。でもいずれこっちがメインになるから」
「そうだったのか」
携帯をいじる落合は、すでに入力し終わった。
「このスマホ三階で買ったのよ」
「それはどうもありがとうございます」
落合はニッコリし頭を下げた。そこへビールが来たので、彼とグラスを合わせた。久しぶりに飲むビールへ一口つけると苦かったが、表情を変えずにいた。
「ちょうど変えようと思ってたし。そこでスマホの使い方いろいろ聞いていてね、佐野さんという人が親切で、二時間ばかりヤマノ電気にいたんだ。そして休憩場でアドレス考え登録して、東京駅の構内や店をぶらついては休憩場で休んでいたわ。お金使わないで時間を潰すのって大変だった。きょうは三人からキャッチセールスみたいのに声掛けられて、街歩くのがいやになったわよ」
二口目を口に着けると、息を止めながら飲み込んだ。落合はグイグイおいしそうに飲んでいて、とても満足の表情をしている。
「そうか、佐野さんは三つ上の人で親切な人だよ。けっこう長くいたんだ」
わたしはうなずくと、口直しに落合の頼んだナス炒めをつついた。
「キャッチにもあったんだ、あれはしつこいしな」
新宿で二度、東京駅構内でもキャッチ風の男から声を掛けられたことを伝える。
きょうの出来事はその辺で終わると、落合は高校卒業から今までのことを話してくれた。
「じゃ、ずっと一つの仕事なんだね」
落合は〈ヤマノ〉の電気屋に四年間勤めていたので、それには感心した。自分は高校を変え、何度も職を変えている。
「そうだよ。水木さんは?」
話したくはないが整形をし、風俗界に入る仮定を話さなければ、相談にならなかった。
「わたし、中学はあんなだったでしょ、高校も同じだった。二年次に耐えられなくて辞めたの。そして通信高校へ入って……」
整形に至るまでを話し出すと落合は黙って聞いている。ときおりのどにビールを流しては話した。苦かったが、顔が火照ってくると酔ったのか、にがみを感じなく飲めるようになった。
「……大変な人生だったね。でも今は美人になったから、もう過去は忘れたほうがいいよ」
「ありがとう、そんなこといわれたの初めてだわ、といっても退院したのが一昨日だから」
自分のビールが残り半分になると、ほろ酔い加減でいい気持ちになる。落合は三杯目を飲みながら、話しを聞いてくれる。店員だけあって、相手を褒めるのが上手なのかもしれない。でも中学時代から優しい男子だったから、これが彼の性格なのだろう。
「それで、相談って言ったけど仕事関系のことなの?」
落合の表情は赤くなり、目が緩んでより垂れている。
「うん。実は、きょう新宿へ行ったのは水商売というか、そんな仕事のことで行ったのよ」
わたしはジョッキを持つと一口飲みながら落合の顔色を窺った。
水商売と伝えて〈風俗〉の言葉を初めに言えなかった。落合はフライの盛り合わせをつまみながら、表情を変えずに聞いている。
「へぇー、今度はお水系やるの?」
「うん、というか……、風俗なの……」
わたしは小声で言うと、少しうつむき加減となり、上目使いとなって落合を見た。少し目を見開いたが、また元の表情になり、ビールを飲み干していた。
「風俗に勤めると、相談はお金に困っているってこと?」
「いえ、違うわ。困っているというか、これからお金が掛かるもんで風俗の仕事につこうと思っているんだけど、それが正しいかなって、男性の意見を聞きたかったの」
落合の表情は一転し明らかに曇り掛けた。
「生活難でお金に困るなら仕方ないけど、はっきりと言って勧められないな。勧めるのは、利益が生まれる店やその取り巻きみたいのでしょ。飲み屋ならまだしも、借金で風俗は手っ取り早いと思うけど、困らないならやらないほうがいいよ」
予想と違った。なぜなら落合も人生は一度っきりと話してくれたので、風俗でお金を稼ぐのも賛成だろうと思ったから。
ジョッキを持ち二口強引に飲むと、落合の顔がぼやけるように見えた。
「なぜダメなの?」
「だって、風俗に染まると抜けるのが大変と思うし、そっちの業界には怪しい者が常にいるじゃん。水木さん、いくら顔を変えたからって、そっち行かないでよ。同級生として反対もあるんだ。たしかに今の君なら人気は出るかもしれない。でもやれば何人の男を相手にするんだ。それで恋なんてできる?」
緩んでいた表情から眉間にしわを寄せて話した。借金がないのならまともな仕事をしろと言うのだ。それに恋のことが出るとは思わなかった。
よく考えれば落合のいうことは当たっている。風俗に染まり、彼氏ができたとすれば当然反対するだろう。それどころか、風俗で彼氏ができるだろうか。客がしつこく付き合えとストーカーのように追われる可能性もあり、もし顔が大森まで知れ渡れば近所の噂にもなりかねない。
「そうよね。でも人生は一度って言ってたでしょ?」
「一度っきりだけど、自分を汚すことをしてはダメだよ。水木さんだってこれから結婚をし、子供産んで家庭を築くんだから」
そうだった。〈結婚〉があった。その言葉は頭になく、ファッションや整形ばかりが先行していた。わたしは底をつく冷めたジョッキを持ち飲み干すと、うつむき加減になった。
数十秒無言が続くと落合が切り開いた。
「正直、水木さんは真面目なんだからもっとほかの仕事で活躍できるんじゃない? もう昔の君じゃないなら、別の意味でがんばればいいと思うよ。また大学などで勉強しながらバイトもいいし、僕のような店員でもやれるでしょう。お金あっても人間としての心は持っててもらいたいんだ。そういう意味でのたった一度っきり。僕はカメラマンにそれを向けているから」
落合の言うことは正論だ。風俗がわるいというわけではないようだ。ただ借金を背負ってないのなら、以前のように給料は安いが会社へ勤め、お金を貯めて夢を達成するようなことを言うのだろう。
自身を汚さず、夢は可能なことをわたしへ伝えたいのだ。
「そうよね、わたし整形して全部変わろうと思ったの。顔を治せば、次はほかを治そうとして、そうなれば男性を意識して服装にもこだわるしブランド物で着飾りたくなるだろうと思ったの。お金がいくらあっても足りないと思えて。それで手っ取り早い水商売を考え、昨日新宿をうろつくと、勧誘のようなスカウトマンに出会い、話を聞くと、いい人なのでつい口上に乗っていたんだ」
そう言い切ると気分がスッキリした。藤岡にはわるく思うが、やはり風俗は何人もの男の相手をする。将来結婚をし、過去風俗関係で働いていたことを夫が知ればどうなるだろうか。傷つくのは間違いなく、騙したとも言われかねない。よく考えると自身が不幸にも陥りそうだ。
夫にばれなくても心には一生残るだろうし、月日が流れても後悔の念も抱き続けるのかもしれない。わたしは黙って考えている水木の言葉を待った。もうこれ以上ビールを飲むのを控えることにした。
「水木さん、もう整形はやめたほうがいいよ。もし僕が君の立場だったなら、そこまでで終えると思う。お金は掛かるし、なにも病気ない顔にメスを入れるんだから、きれいなところを切ってなにかを詰めたり、移植したりするんでしょ。それはよくないよ。今のままの顔以外はやらないほうがいい。もう十分きれいだからさ。それに顔を治したから次も成功するとは限んないじゃん。失敗の話しも雑誌かなんかで読んだことある。女性だから美しくなりたいのはわかるけど、顔や体はもうやめたほうがいい。服やブランドのことは水木さんのファッションだから、そっちのことはなにも話せないけど」
落合はもう飲まないようだ。穏やかな顔から固い表情になっていて、相談事も彼にとっていい話しではなかったのかもしれない。酒の席を不愉快にしてしまったことをわたしは反省した。
「そうよね、体にメス入れるんだもんね。この顔になって天狗になってたのかもしれないわ。昨日妹と街歩いたんだけど、ナンパを初めてされたの、この顔になったのでされたのよ。昔なら男は不向きもしないし、ナンパされたので気が大きくなってた。おかげで妹には昔の控えめなわたしがよかったと言われ、けんかもしたんだ。だから、天狗だったみたい」
「そうか、でも初めてのナンパは整形顔のおかげだからね。こう言っては失礼かもしれないけど、仮面をかぶっていると思ってよ。それでナンパされたのかもしれない。実際、仮面を取れば昔の顔がそこにあるってことなんだ。そこをわかってほしい。変なこと言ってわるけど、それが現実だから」
わたしは胸に刃物がグサッと刺さる感じを味わった。〈仮面〉をかぶるという言葉が、現実はそうなのかと心に痛感した。それでも酔って聞いたのでよかったのか。もし素面ならもっと打撃を食らったていただろう。〈仮面〉をかぶるのだから。でも一生取れない仮面を着けることになる。それはまだ頬の下が痛み、鼻が引きつっているということが仮面であった。
「今の話し効いたわ。落合君もけっこう言うのね。でもそのおかげで目が覚めたわ。やっぱスカウトマンが言う若いうちだけと聞くが、あとのことを考えると、地道に働いたほうがまっとうな仕事でいいのかもしれないわ。そこから欲しい物を買えばいいのだからね。いくら若いうちしかできないというけど、過去にその仕事とばれては一生を台なしにしそうだもん」
藤岡の話しもわかるが風俗側の言い分であり、一般人である落合の話も聞くと、こっちのほうが正論とも思った。
「自分を失わないことで、安く投げ出さないことだよ。じゃ、これで安心したよね」
落合の言葉にうなずいた。わたしは少し酔いを覚ませたくもなり、コーヒーでも飲みたくなった。
「ねぇ、ちょっと酔いを覚ませたいわ」
「そんな顔してるよ。目が何度もまばたきするし、じゃ、出るか」
落合と立ち上がった。彼は伝票を持つとレジに向かった。
店を出ると落合に頭を下げた。それは明日藤岡の話を聞く予定だったが、取りやめることにもつながり、人生を変えてくれた礼も入っている。やるかやらないかは別として、きょう、彼とここへ来なければ確実に風俗へ面接していた。だが、落合の話で一生を背負うことになるかもしれないので、風俗は思いとどまった。彼のおかげで改心できたことに感謝でもあった。
八
午前七時に目覚まし時計をとめた。
昨夜、駅のホームで落合と缶コーヒーを飲み、電車へ乗ると揺られたせいか気分がわるくなった。大森駅に着くと足がふらつき、目も焦点が定まらなく気持ちわるくなった。自転車へは乗れなかったので、落合がわたしの自転車に乗り、自分は荷台に座って背に寄り掛かった。落合も自転車で来たらしいが、明日は休みなので暇見て取りに行くという。
男の背に顔をうずめるのは初めてで、気分わるいがこのままでもいいと思った。
落合は家をおおよそ知っているので、それほど案内しなく、ただうなずいているだけで着いた。自分はなにもしないのに、落合の優しさに頭が下がる一方だった。ごちそうになって相談もしてもらい、自宅まで送ってくれ、彼はそこから歩いて帰ったのだから。
そのまま二階の部屋へ行き、風呂にも入らず寝てしまい、そして今起床した。昨夜は八時半ごろ帰って来たと思う。落合の〈おやすみ〉というメールがその時間だった。
わたしはシャワーを浴びると、きょうはハローワークへ行くことにし、藤岡へは風俗の話しを断ることにした。
「温子、昨日はどうしたのよ。仲間と珍しく飲みにでも行ったの?」
バスタオルで髪を拭きながらキッチンに入ると母が聞いて来た。
「中学時代の子と会ってね、それで話に花が咲いてビールジョッキ一杯で酔っちゃったのよ」
「あんたが飲みに行ったのって、あまり聞かないから初美と夜テレビ見ながら話題になったの、初美はあんたが整形したから遊びまわってるんじゃないかって」
母がトーストとバターをテーブルへ置くので、わたしは牛乳を冷蔵庫から出しコップに注いだ。
「そんなことするわけないじゃん。わたし真面目よ。初美に言っといて、勝手な想像するなって、何様なのよ」
母に向かって話すと、寝巻き姿の初美が入って来た。
「なに? わたしのこと言ってたでしょ」
初美がこっちに向かい怪げんな顔を向けた。
「よけいな想像しないで、遊んでるわけじゃないわ」
自分も負けずと初美をにらんで話した。
「朝からよしなさい。別に遊ぼうが遊ばないがいいから、仕事さえしてくれればいいわよ」
母はそういうが、わたしはまだ辞めたことを言ってないので黙ってトーストを食べ始めた。
「なによ、今度は黙って食べ出して」
初美と向かい合っているが、顔を背けて食べた。父はとっくにいなく、母は昨日の仕事が開催最終日だったので本日は休みになる。
黙って食べるつもりだったが、真実も話さないとならなかった。
「わたし、仕事辞めたからね。だからきょうはハローワークへ行ってくるわ」
母に向け言うと目を丸めた。妹もそうだろうが見なかった。
「なぜ辞めたの、この不景気に。見つけるの大変なときなんだよ」
「清掃ではいつまでも社員じゃないでしょ。わたしは二十二よ、なぜ若いのに清掃員やらないとならないの。大変だったから時給よかったけど。でも今後のことも考えると男性とは知り合えないと思うの。わたし結婚もしたいし、整形したから正社員へ面接も行けるしいいじゃない。わたしが貯めて出したんだから。社員のほうがボーナスだってあるし、先も明るいと思うの。だから派遣はやめたの」
わたしは声を張ったせいか、二人はなにも言わなかった。
「だから、わたし仕事を探しに行くからね」
パンを食べ終わり、牛乳を飲み干すとキッチンを出た。母は辞めたことにショックかもしれないが、社員や結婚という言葉になにも言えなかったのだろう。
部屋で一昨日買った服を着ようかと思ったがやめた。ハローワークへ行くに派手な格好では職員もいい顔はしない。
わたしは水色のTシャツによそいきのジーンズに着がえた。スカートはあまりなく、普段からジーンズをはいていたので、この格好が慣れている。整形しミニスカートにキャミソールを買ったが、やっぱこの姿がいい。顔を変えて格好も変えるのではそれも落合の言う〈仮面〉だ。彼の話で目が覚め、派手な衣装をこれから買わなくて済みそうだ。
ただ女として美容院には行きたくなり、ハローワークの帰りによることにする。
十分ほど自転車で走ればハローワークへ着いた。エントランスを歩き中へ入ると、意外に人が少ない。景気がよくなったというがそのせいとは思えない。なぜなら派遣の仕事ばかりなので、正社員は少ないだろうから。
早速検索機に座ると画面を操作した。以前も探しに来たが事務関係は断られるので自ずと避けていた。でもきょうは違う。年を入力すると〈事務・庶務〉の画面をクリックし真っ先に見た。
年が三十歳までの募集が多く、年令は余裕でパスするだろうとにんまりとしながらながめた。
事務はほぼパソコン操作のエクセルとワードが必修である。そんな機械をいじったことのないわたしは少しがく然とした。今はIT企業も多く、その事務員は当然パソコンを使いこなせなければ仕事にならないのだろう。
年令は可能だったが事務はあきらめ、販売店員をのぞいてみた。
三ページ目に〈ヤマノ〉電気本店と横浜店の募集があった。落合は昨夜飲んでいるとき募集しているなど一言も言わなかったので、目をとめ見入った。
募集は本店が三名で、横浜が二名ですべて正社員である。待遇面や休日面を見てもわるくもない。それに同級生の落合もいて、相談にも乗ってくれるし、頼りになることを思えば、〈ヤマノ〉がよく見えた。わたしは印字ボタンをクリックした。
ほかの店員募集も見るが、〈ヤマノ〉に引かれた。昨日店内で携帯を買ったときの優しい人もいて、心が動きそうだ。
しばらくジッと目を凝らし、検索機を見ていると疲れてきた。印字までに至ったのは〈ヤマノ〉のみであり、ほかはパッとしない。
かつて探した清掃や警備、工場を閲覧しないのもあって〈ヤマノ〉が光った。
わたしは印字した用紙を受付に渡した。求人登録用紙に記入し求職カードを発行されると順番を待つことにした。
待っている間、きょう決められることを満足げに思った。三百万近く掛けたこの顔だからこそ、やる気も出る。
そういえば藤岡との面会だった。断りの電話を面接が決まりしだい入れることにする。
「……そうですか、では電話してみます」
わたしは大森に住むことから勤務地を横浜でも通えると伝えたので職員が本店に電話をし、面接の主旨を話している。希望は落合のいる本店に勤めたかった。
「では本店へ、明日の十時半に四階の事務所をたどって行ってください。えー、場所はここです」
場所は知っているが、職員は秋葉原駅で降りてからの道順を丁寧に説明してくれる。昔来たときは感情もなく事務的な態度だったが、今は親身に教えてくれるので、わたしは知らない振りで聞き、紹介状をもらうとハローワークをあとにした。
整形のおかげで行動を広めた。まさかきょう、仕事の面接までこぎつけるとは思わなかった。景気が上向きと言っても派遣や契約社員はいくらでもあって正社員は薄く、現に検索機で事務員を見ていると、人材派遣会社からの募集が半分以上である。店員も三分の二は契約社員である中、〈ヤマノ〉は社員としての募集だった。そこより大きな電気店の社員募集もあったが、落合の顔も浮かぶため、〈ヤマノ〉と決めた。
昨夜、彼からの説得はわたしの心へ親身に伝わっており、今も会いたい気持ちはある。帰りは気持ちわるくてそれどころではなかったが、自転車の後ろで落合の背に顔をうずめたことを今になってじわじわきた。それを思い、少しでも彼の前ではきれいな女でいたく、美容院へ行くのも早足になった。
いつもの美容室へ行くと髪質でわたしのことをわかるだろう。顔を変えても髪質は変わらなく、美容師に整形がばれるのではないか。
毛染めは自宅で行い、いつもはカットのみで床屋のように利用している。きょうは縮れた毛が多いことからストレートパーマを美容室でかけることにした。
いつものところは避け、ショッピングセンター内にある格安な美容室にしてみる。
店内の時計コーナーを通ると、ちょうど十一時になった。藤岡との待ち合わせは昼過ぎである。
携帯を出すと電波の状態はいい。わたしは化粧室の前へ急いだ。
トイレで用を足そうとすれば、下着はTバックと気づく。見せる人もいないが、せっかく買ったので着けた。まだTバックの違和感はあるけれど初日よりはいい。男を知らずのくせ、下着は遊び女を演じていた。
でも今はひとりの男性に思いを寄せた。昨日偶然に会いこんな展開になるとは、人生はわからないものだとつくづく思う。
トイレを出るとスマホはやめて携帯のメモリーを藤岡にする。
『はい、藤岡です。ただいま電話に出ることができません。このまま引き続き、お名前とメッセージをお願いします……』
留守電とは思わなかったので、少し肩が落ちた。そして名と用件は会えないことを入れた。
美容院は月曜なのか、お客は一人いるだけで空いている。値段を見るとやはり安い。カットとストレートパーマを伝えると、雑誌を手に取り読み出した。
パーマを終え、シャンプーをしてドライヤーで整えると髪が引き締まって見える。鏡の中に女王様でもいるようにも見えた。わたしは思わず心でガッツポーズすると自然に顔が緩んだ。
「ストレートかけてこんなに引き締まるとは思いませんでしたよ」
美容師はわたしより年上だろうが、さほど年令の変わらない女性である。
「お客さんは小顔ですので、ストレートをかけることでより、小さく見えますわ。得なお顔ですね」
お世辞とは思えないセリフを言ってくれ満足に思った。たしかに小顔になれた。でも二週間以上前はエラのはる輪郭で、みにくい顔だ。すべてが貯めた二百七十万と南条のおかげである。
わたしはあまりの変化に四千五百円の料金だったが、五千円でお釣りを受け取らないほど気分がよかった。
携帯を見ると藤岡から着信履歴がある。ちょうど昼過ぎの待ち合わせ時間だ。わたしは化粧室へ行くと掛けてみた。
「あっ、水木です」
『ああ、どうも。さっきはわるいね、きょうは朝から面会だったので……。で、水木さんどうするの?』
面会を断っても、藤岡は変わらず愛想いい話し方なので、正直に話すことにした。
「あの、やっぱ風俗はやめときます。いろいろお話してくれてありがたかったんですけど、就職しようと思って……」
わたしは話しづらかった。藤岡は優良な店を紹介してくれるというし、初めてでも相談に乗ってくれ、そんな彼に申しわけなさがあった。
『そうなの。でもまともな仕事をとったんだから、それが一番かもね。この世界にいる者は借金だったり、なにかと不備がある子も多いし、水木さんのような純粋な人は少ないよ。本音はあなたを紹介すればわたしの株が上がると思ってね。水木さんなら売れそうだったから。ゴメンねこんな言い方で。純粋な子はこの業界は少ないからさ』
「そんな、わたし純粋ではないです。汚い人間かもしれません」
親から授かった顔にメスを入れた。純粋な者はそんなメスを入れるなどしないだろう。だから純粋とは言えず、変えた顔で男遊びをしようとしたので、むしろ腹黒い女だ。
『いやね、長年の感だよ。昨日会っていればどうだったかな?』
「昨日ならどうかな? でもやめたかもしれません。ちょっと同級生に会って、アドバイスもらったので……」
もし昨日の朝、落合に会ってなければ、風俗はやるだろう。会って彼の誠実さがわたしの心を動かした。つまり落合は未来を変えてくれたし、恋心も開いてくれた男なので運命の男性とでもいえる。
『そうですか。その方がいいアドバイスでもくれたんですね。ところで仕事は決めたの?』
「まだです。実は午前中にハローワークへ行って、明日、面接することになったんです」
『そう、それはよかったね。じゃ、もう会えない形だな。またなんなりと相談していいからさ。業界の仕事をやらなくても、どんな相談を持ち掛けてもいいから』
「はい、ありがとうございます」
藤岡は顔に似合わなく優しい男だ。でも裏社会の顔になればきっと凄みを利かせるに違いない。そうでなければ新宿で風俗のスカウトマンになれないだろうから。
電話を切るとわたしは藤岡の優しい気持ちに感謝した。この顔になったら、優しい男性ばかりが自分のまわりに来る。それだけ第一印象の顔は大事ということ。以前の顔ならこれほど男性は寄り付かなかった。




