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薔薇の帷  作者: 積銀
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白い花の名前

 教会の鐘が鳴り響き、爽やかな風が吹きすぎていく。その風に乗って、花の香りがふわりと辺りを包みこんだ。祈りの声が止んだ教会の横の小さな花壇に、白いマーガレットの花が咲き乱れていた。風にそよいで左右に揺れ動く姿が、何とも可憐であった。カーシャはその花を、何とはなしにうち眺めていた。

 少女の死から既に二週間近くが過ぎていた。フランツィスカの葬儀がとり行われたその教会からは、もう彼女の死を悼む者達の讃美歌は聞こえてこない。

 もしも彼女がこの場にいたなら、きっとこの花群れを見て、太陽のような明るい笑顔を振りまくだろう。彼女が、どんなに些細なことをも喜びに変えてしまう不思議な力を持っていたことを、カーシャは懐かしそうに目を細めながら思い起こしていた。

「君は、何故あんなに明るい顔ができたのだろうな……」

 優しい手つきで花に触れながら、カーシャは小さくそう呟いた。自分の顔には、いくらこの花達を眺めても、笑みは浮かんでこない。心に浮かび上がるものも、喜びとは程遠い感情であった。

 カーシャは知らずのうち、手に触れていたマーガレットの花びらを無心にむしり取っていた。てのひらに花弁が散り、その一枚が屈み込んだカーシャの膝に舞い落ちた。黒いスラックスに白い花びらが重なり、浮かび上がっていた。

「花を痛めつけないでやって下さいませんか? その花も、必死で咲いているのですから……」

 カーシャは背後から投げかけられたその言葉に、肩をビクリと震わせた。敏捷に振り返ると、彼の後ろには、黒い修道服を身に纏った男が立っていた。優しそうな青い瞳に、哀しげな色合いを込め、カーシャをじっと見つめている。

 カーシャは驚きの表情を隠せなかった。男が何の気配もなく現れたせいであるが、彼の髪が見事なまでの金色をしていたせいでもあった。

「あ、あの……私の顔に何かついていますか?」

 逆にカーシャに見つめられた男は、不安そうにカーシャから目をそらした。

 優しそうであり、気弱そうであり、それでいて存在感のある容姿が、カーシャの興味をそそった。

「いや、司祭にしては派手な色の髪だなあと思って」

 男の髪を指差しながら、カーシャは小さく笑った。すると男は一瞬目を丸くし、しかしすぐに沈痛な表情を顔に浮かべた。その表情が、カーシャの気に入った。

「目立ち……ますよね、やはり」

「皆に色々言われるでしょ?」

「はい……。あ、私は司祭ではありません。修道士としてこちらの教会で仕えております」

と、男は丁寧な口調で言い、教会に向き直った。それにつられ、カーシャもそちらに目を向けた。

 それにつけても見事な金髪。以前フランツィスカに見せてもらった絵画集に描かれていた、金髪の大天使と似ているように、カーシャには思えた。美しい金糸の髪が、風が凪ぐ度に柔らかく揺れた。

「でも、僕は貴方の顔に見覚えがないな。最近来たの?」

 カーシャのその問いに、男は初めて笑みをこぼした。大人びた面もちだが、笑うとあどけなさがうかがえた。

「はい、先日からこちらに。貴方はこの教会に来て下さっているのですね」

「たまあにだったけどね。リーベに連れられて」

「リーベ(恋人)?」

 優しく微笑んだ男の表情が、顔は全く似ていないのに、何故かカーシャの頭の中でフランツィスカの面影と重なって見えた。

「優しい子だったよ。だけど、つい最近死んでしまった」

 その一言に再び男は沈痛な面もちへ変わる。彼の心情を映してコロコロと表情を変える顔が、カーシャには非常に物珍しく見えた。いつもカーシャの周りにいるのは、ニヒルな父レギナルドと、彫刻のように美しく無表情の母マルガレーテだけであった。(フランツィスカはいつも光に溢れた笑顔を浮かべていたが、共にいた期間はほんの僅かだった)

「だから少し前、ここで葬儀があったんだ。たくさん参列者がいて、白い花に囲まれて。彼女、きっとすごく愛されてたんだろな」

 まるで他人事のように語るカーシャを、男は静かに見つめているだけで、相槌も何も口にしなかった。

 自分でそんな話題を提供しておいて、途中で気が滅入ってきたカーシャは、何気なく空を見上げた。青く晴れ渡った空で鳥が泳ぐように飛び交っている。甲高い声で泣き続けるその鳥達を、カーシャは眩しそうに見つめた。

「ああ、鳥が飛んでる」

「気持ち良さそうですね」

「うん……」

 カーシャの手から白い花弁がさらさらと滑り抜け、いつの間にか全てが風に盗まれていた。空から視線を手のひらにおろし、カーシャは呆けたように動かなかった。

「鳥は、神から与えられた翼を思う存分に動かすのです」

 まだ空を見上げている男は、風になびく金色の髪を指でそっとかき上げた。その髪は、まるで花の香りが漂ってくるように思えるほど、美しく輝いていた。男が言葉の続きを話そうとして、カーシャに視線をおろした。

「イレーネ! どこに居るのですか」

 しかしその時、教会の中から厳粛な調子で男を呼ぶ声が聴こえた。男ははっとして目を見張り、「今参ります」と返した。

「では、失礼致します。ええと……」

「ああ。僕はカーシャート=フェーレンバッハ。カーシャでいいよ」

「カーシャ……ですね。私はイレーネ=エーベルトと申します。また是非」

「イレーネ! 早くいらっしゃい!」

 司祭の呼ぶ声が苛立ちを含み始めたことに、イレーネは少々不安そうな表情を浮かべ、

「是非またいらして下さいね」

と早口で言うと、すぐに走り去ってしまった。

 その後姿を、カーシャはじっと見守っていた。

「イレーネって……女名前じゃないか――見事な金髪といい、名前といい、変わっている修道士だなあ」

 そう呟くと、しばらくの間やんでいた、花の香をのせた風が、ふうわりとカーシャの横を通り過ぎていった。マーガレットの花の群れは相変わらず可憐に揺れ動き、教会の壁の赤いレンガに白い花弁がよく映えていた。

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