死者の花の香
「人間なんて、すぐに死んでしまうものだなあ……」
呟いた少年の栗色の髪が、身に纏った喪服の黒によく映えていた。
少しつり上がった目に失望の心情を滲ませ、美しい少年――カーシャは、ゆっくりとした足取りで教会から出てきた。まだ教会の中からは、死者のために集まった会衆たちによって歌われている讃美歌が、荘厳なオルガンの音に合わせて聞こえてくる。
教会の外はひどく晴れていた。雲一つない青い空が広がり、その中心に黄金の太陽が照り輝いている。カーシャはその光を避けるように木の影から影へと移動し、讃美歌が自分の背中を押しているのを感じながら、教会から遠ざかっていった。
不意に先程までいた葬儀の場に振り返り、彼は手にしていた紅い薔薇の花束を、棘で手が傷つくことも省みずにくしゃりと握りつぶした。その花弁と葉を、教会の方向に向かって吹く風に乗せると、辺りには甘ったるい薔薇の香と、紅い色が広がった。
「やはり、葬式に紅い薔薇は不似合いだったな」
カーシャは自嘲するような苦笑を浮かべ、
「でも、僕の屋敷には紅い薔薇しか咲かないんだ。ごめんね……――フランツィスカ」
カーシャは、紅い薔薇と同じくらい葬式に不釣り合いな、爽やかな笑顔を、その整った美しい少年の顔に浮かべて再び歩き始めた。
「Auf Wiedersehen....」
辺りの薔薇の香が、彼と共に消えていった。……
「また無断で外出したのか」
テールコートを軽く着こなした若い男は、屋敷の重い扉を押し開けて入ってきたカーシャの姿を見つけると、足早に彼に近付き、苦々しい声色でそう呟いた。
「父様」
父と呼ばれた男――レギナルド=フェーレンバッハ伯は、幼さの残るカーシャの顔を鋭い目で見つめた。
彼は、ローティーンの見た目をしたカーシャの父親としては、あまりに若い容姿を持っている。常に厳粛で渋い表情を浮かべているが、それでもまだ二十余歳の青年の顔だった。
艶やかだがニヒルな容貌のレギナルドの、怖ろしいほど冷たい視線がカーシャを貫いている。
「どこへ行っていた」
「別に……」
カーシャは反抗的な瞳で父を一瞥すると、すぐに踵を返し、その場を去ろうとした。
「この屋敷の薔薇以外の、むせ返るような花の香りが、お前のコートから香ってくる」
去っていく息子に向かい、レギナルドは冷淡な口調でそう言った。その言葉は、カーシャの足を止めるのに充分だった。玄関ホールに響いていたカーシャの足音が消えた途端、屋敷の中はしんと静まり返った。
レギナルドの菫色の瞳は、薄暗い屋敷の中で、妖しいほどに光って見えた。
「フランツィスカ=ブルーメルガルデン。あの人間の葬儀のために、教会へ行っていたのだろう?」
「!」
狼狽したのが何よりの証拠……レギナルドは自身の推測を確信した。
フランツィスカ=ブルーメルガルデン――良家の息女で、たおやかな14歳の少女であった。カーシャは、父レギナルドの目を盗んでは彼女の元へ通い、そして二人の間には静かな愛情が芽生えていた。
しかし、その愛が続くことはなかった。ある日の午後、彼女はカーシャとの待ち合わせの場所に向かう途中、不幸にも暴走した馬車に轢かれてこの世を去ってしまっていた。
その彼女の葬儀が、今日行われたのだ。
「知らないとでも思っていたのか? 愚かな」
「監視でもしていたのですか? 悪趣味な」
「口を慎め」
「はあ……」
カーシャは苦笑いをしたが、レギナルドの表情が崩れることはなかった。
重々しい雰囲気を作り出すレギナルドが、カーシャは苦手であった。実の父でありながら、常に一枚の膜を周りに張っているような近寄り難いこの男を、怖いと思っている。それと同時、上から抑え付けようとする態度が気に入らなかった。
「お前が幼かった頃から言っているだろう、人間は汚らわしい生き物なのだと。人間を信用するな、人間に深入りするな、人間をあ」
「愛するな。でしょう? もう耳にタコができるほど聴きましたよ」
レギナルドの言葉を遮り、カーシャはウンザリしたようにため息をつく。
親子の会話とは思えぬほどの、不穏な空気が漂う。ピリピリと肌を引っかくような、鋭い視線がぶつかり合っていた。
「……わかっているなら、何故あの少女に近付いた」
「じゃあ、何故父様は母様を一族に加えたのですか」
「質問をしたのは私だ!」
「父様は身勝手だ! 自分のことは棚に上げて、僕にばかり命令と規律を押し付ける!」
カーシャは声を荒げると、少し紅潮した顔をふいっと父からそらした。彼の翻った黒い外套からは、再び甘い花の香りがふうわりと香ってきた。
そのまま立ち去ろうとするカーシャの腕を掴み、レギナルドは息子を睨みつけた。
「どこへ行く」
「僕の部屋ですよ! フランツィスカの死を一人で想うのです、放っておいて下さい」
掴まれた腕を力ずくで振り払うと、カーシャはヒールの踵をカツカツと踏み鳴らしながら去っていった。
「人間など、すぐに死ぬのだ……。我々ブルートザオガーが人間を愛したところで、幸せになどできやしない」
去っていくカーシャの背に向かい、ほとんど聴こえないほどの小さな声で、レギナルドはそう呟いた……――。
「ブルートザオガー」とは、ドイツ語で吸血鬼と言う意味(だそうです/笑)
次話からは、もう少し舞台の背景を書けたらなあ……と思っています。