「転」 傘月サイド
家を出るとすっかり辺りは夜の気配に満ちていた。
ああ言えばもっと驚くモノだと思っていたが、女は黙したまま、背後斜め四十五度付近を保って着いてきている。
「・・・・・・特に質問は無し?」
そういう意味合いは無かったが、文人の放った言葉は意地の悪そうな雰囲気で響いた。
背後の女は少し動揺したようで、あ、その、えっと、等々もごもごと口元でとどまるような言葉が耳に届く。
下がった口角の顔つきからおっとりというより鋭い感じを覚えたが、どうやら頭はそう鋭く動かない質の人間らしい。
「何故、あのようなウソを」
やっとのことで出したと見える言葉は、困惑した声だった。
「ただの身辺整理の一環さ」
あっけらかんと文人は答える。
「今にも死のうと思っている自分より先に死ぬかもしれない母親を安心させておこうと思ってね」
「じゃあ、お母様が死ぬより早く死ぬことはしないのですね」
残念なような、しかしどこかホッとしたような声が背後から投げかけられる。
もう少し頭の周る女だと思っていたのに。文人は苦々しく思いつつ、言葉を返した。
「今にも死のうとしていると言っただろ。俺は今日にでも死のうと思っている」
発した言葉は、思った異常にとげとげしくなった。
「あ、え、ご、ごめんなさい」
その雰囲気を察してか、女がサッと謝罪の言葉を返す。
愚鈍だから周囲の人間と合わずに自殺を考えたのだろうか、といった考えが文人の脳裏を過ぎった。
「・・・・・・僕の身辺整理での一番の重荷が母親だったんだよ」
そう言って文人は空を仰ぎ見た。星が一つ、輝いている。
「こっちは今にも死にたいと思っているのに、あっちは病人で今にも死にそうだ。何の恩返しもなく先に死んだらあの世で再会したとき居心地が悪いだろ?」
あの世なんて、あるとは思っていないけど。という言葉を文人は飲み込んでおいた。
「それに俺は母親には恨みがないからね」
一拍おいて、頭の回らない女にもこちらが真意だと解るように、念を押すように呟く。
「・・・・・・ハハオヤにはウラミがない・・・・・・」
女にも伝わったのか、女は自分に念を押すように同じ言葉を呟いた。
まるでそれが、異国の言葉であるかのようなイントネーションで。
何かひっかかるものでもあるのだろうか、と思いつつ、文人は少し先の曲がり角で立ち止まる。
振り返ると、距離がいつの間にか少し開いていたようで、女がパタパタと駆けてきた。
「あそこが僕の家だ。詳しい話はそこでしよう」
女が追いつくと、文人は少し先に見えるアパートを親指で指してそう言った。
文人の部屋はワンルームで、天井まで届くほどの大きな本棚と座卓以外何もない。
そんな殺風景すぎる部屋をきょろきょろと見渡す女に座るように勧め、文人は座卓をはさんで女と向かい合わせになるように座った。
「悪いね。座布団も売ってしまったんだ。フローリングに直に座るのはちょっと辛いかな」
「あ、いえ、大丈夫です。お構いなく」
女はそう言うと、またぐるりと辺りを見渡し、あらためて文人に顔を向けた。
「何にも、無いんですね」
「そりゃあね。前はそこの本棚を埋め尽くすぐらい本があったし、人並みの生活ができる程度の家具や電子機器やパソコンもあったけど、全部売ってしまったんだ」
「・・・・・・身辺整理、ですか」
言葉では解った風な口をきいているが、顔には「なにもここまでしなくても」と書かれていた。
「なぜ、このテーブルだけ残してあるんですか?」
純粋な質問のようだった。
「自殺のためだよ。首つり自殺をするときには台が必要だろ?」
「じゃあ、自殺は首つりを?」
「いや、風呂場においてある洗剤を使う。ただいざとなったとき選択肢は多い方が良い」
「・・・・・・ああ、洗剤を混ぜて毒ガスを出すアレですね」
女は納得した顔でそう言うと、また少し思案するような顔つきになった。
「え、でもそうすると、このアパートだとガスが漏れて、他の部屋にも被害が及ぶんじゃないんですか?」
文人のアパートは結構な年季の入ったもので、先ほどから隣の部屋で見ているであろうテレビの音が漏れ聞こえていた。
「そう、そこが今回のポイントだよ」
文人はにっこりと笑うと、続けて説明した。
「このアパートの大家は俺の父親なんだ。ここで俺がガスなんてだだ漏れさせて、さらに人が死んだとなればここの物件価値は大幅に下がるだろう」
「でも、近所の方が巻き添えになる可能性が・・・・・・」
「そうなったら儲けモンだ。老い先短い母親は責任を負う前に死ぬだろう。責任は全て父親に行く。そこがポイントだ」
考えただけでも気分の良くなる自分の自殺計画を口にすると、文人はさらに気分が良くなった。
「・・・・・・お父様が、お嫌いなんですね」
ゆっくりと時間をかけてから、女は納得がいったようにそう口にした。
「そう、その通り」
文人は気分の良いまま、にこにこして肯定する。
「君にして貰いたいことは二点のいずれかだ。一つは、僕と一緒に死ぬなら心中という形にして欲しいということ」
そう言うと、文人はスッと人差し指を立てた。女は居住まいを正してじっと文人を見る。
「もう一つは、もし僕と別に死ぬというなら僕の後に死んで欲しいということだ。できれば、僕の後を追うような形に仕立て上げてくれると嬉しい」
中指も立てて、はさみの形になった手を顔の横に示しつつ文人はそう言った。
女は口を真一文字に結んで、すこし目を伏せてなにかを考え込み、ゆっくりと飲み込むように頷いた。
「つまり、先ほどの婚約者の話を崩さぬ形で私に死んで欲しい、ということですね」
「そういうこと。あ、もしかして他に彼氏いたかな? 何か不都合な点はある?」
「いえ、恋人はいないですし、そもそもいても、カゾク、には教えません。何も不都合な点はありません」
キュッ、と真面目な顔つきになって女は答える。
家族という所が妙に強調されているように聞こえた。
「・・・・・・なるほど。君の自殺には家族が大いに絡んでいるんだね」
はさみの手をひっこめて、文人は両手を後ろについて大きくのけぞり、天井を仰ぎ見た。蛍光灯の白い明かりが目に刺さるようにまぶしく感じる。
ゆっくりと目を閉じる。視界が暗転して、昔の記憶が目に浮かんでくる。
「そういえば、僕の名前について話をしていなかったね」
「そういえば、私の名前も話してませんね」
「君の名前は?」
「くろかわ・・・・・・黒巛茜です」
「いい名前だね、君が夕焼けにこだわる理由も分かった気がする。茜は夕焼けの色だからね」
「そういうつもりじゃなかったんですけど・・・・・・あ、でも無意識にそう思っていたのかもしれないです」
自分にもそういう意義ある名前が与えられていればもっと違う人生だったのかもしれない。
文人は名前に呪われた人生を振り返りつつそう思った。
「俺の名前は白縄文人だ」
「しろなわふみひと・・・・・・いいお名前じゃないですか」
茜と名乗った女が発した言葉は、たとえそれが社交辞令だったとしても文人にとって許せない言葉だった。
グッと姿勢を直して、茜を睨む。
「いい名前だぁ? 俺はこの名前に呪われて、この名前に死ぬんだ。お前に何が解る」
「えっ?! ・・・・・・あっ、す、すみません!」
いきなりの凄みに気圧されたのか、茜は身を縮ませてさっと頭を下げた。サラリと長い黒髪が流れる。
イライラしながらも、何も知らない茜にいきなり凄んでしまったことをすこし後悔しつつ、文人は下げたままの茜の頭のつむじを見ていた。
そしてため息を一つつく。
「・・・・・・いや、ごめん、俺が悪かった。君は何も知らない」
その言葉にゆっくりと様子をうかがうように茜は顔を上げた。怯えた表情が張り付いている。
「白縄文人。色のシロに首つりに使うナワ、そして矢文のフミにヒトと書く。並べて書くとどうなると思う?」
「えっ?」
いきなりの問いに、茜の怯えた顔に疑問が浮かぶ。
茜はゆっくりと左手を開いて、右手で何かを書くようにその上で動かす。
「シロ、ナワ、フミ、ヒト・・・・・・?」
「そこから一番上のシロを抜いてみて」
「・・・・・・あっ、縄文人」
「そう、ジョウモンジンだ」
言いながら過去を反芻して、文人は苦虫を噛み潰したような表情になる。
「その名前を付けたのが、俺の父親なんだ」
(傘月サイド 続く)
フォーマットを可不可さん寄りにするべく一文節を短く書くということに挑戦。
そして玉砕。
おかげで何度書き直したことか。
そして書き直しのおかげで毎日更新という目標がもろくも崩れ落ちました\(^o^)/ゴメンナサイカフカサン
そして書き直した完成原稿に可不可さんからどれだけダメだしを食らったことか\(^o^)/カフカサンマジメンゴ
次回か「結」で最終回になりますが、はたして終わるのでしょうか。
悪球打ちに定評のある可不可さんがここからどう終わらせるか期待です。