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第7回 浴衣とコンチキチン

「ハルヒト、あんたな、前に家連れてきた可愛いらしいお嬢ちゃんいたやろ?」


母からそんな電話がかかってきたのは、週末に宵々山を控えた七月半ばの事だった。


「ん?舞子?」


「そうそう、舞子ちゃん舞子ちゃん。あのお嬢ちゃんな、浴衣いらんかいな?」


「え?どうしたん?急に浴衣て?」


「嵯峨のおばちゃんいはるやろ?」


「うん。畳屋の」


「あそこの忍ちゃん、あんたの又従姉妹の。秋に結婚しはるんやけど、色々整理してて、子供の頃着てはった浴衣があって、誰かもろてくれはらへんかて電話あってな」


忍ちゃんが結婚するなんて初耳だ。

まあ、あんまり親戚付き合いをしたがらない僕のせいなんだけど。


「それでな、ウチはあんたとヒロシだけやさけ女の子の浴衣は要らんねんけど、あのお嬢ちゃんにどうかと思てな。ほら、エラい小柄な子ぉやったさけ、大柄な忍ちゃんの子供浴衣やったらちょうどええんちゃう?」


確かに僕も同じ事を考えた事がある。

結局行けなかったけど、去年の送り火の時にそんな事してもらえたら、でもさすがに厚かましいか、などと思ったのだ。


「うん。ありがとう。舞子に訊いてみんと分からんけど、嬉しいわ。」


「ちょうど祇園祭やろ?」


「うん。ほな、本人に訊いてまた電話するわ」


そう言って受話器を置いた。

舞子がバイトから帰ってきたら言ってみよう。

舞子の事だから最初は遠慮するだろうけど、喜んでくれるはずだ。

それに僕だって、浴衣を着た舞子と宵山の四条通を歩くのは楽しみだ。


その夜バイトから帰ってきて話を聞いた舞子の反応は、予想通りだった。


「え!?そんなのいいのかな?なんだか申し訳ないような…」


「いや、向こうも処分に困ってる言うてたし、それにほら、祇園祭、宵山、浴衣で行くのええやん!今年は涼しい宵山になるて天気予報でも言うてたし!」


「そう?それなら、ご好意に甘えようかな…」


そう言いながら、実はとてつもなく喜んでいる事が舞子の顔色からはっきりと伝わってきた。


翌日母に、ありがたく頂戴することを伝えると、一旦切っておばちゃんに連絡を取ってくれて、すぐにまた折り返しの電話がかかってきた。

なんと、こちらの都合が良ければ宵山の日の夕方あたりに嵯峨まで取りに行ったら、その浴衣を着せてくれるという。

そのまま宵山行っといで、という事らしい。

横でお昼のそうめんを食べながら電話を聞いていた舞子の大きな目がさらに大きく見開かれてキラキラと輝きを増して行くのを感じながら、僕は母にその段取りでお願いした。


「手土産のたねやのお菓子、あんたのとこに送るさけ、それ持って行かい」


そう言って母の電話は切れた。


「いいのかな?いいのかな?わーい!」


テンション最高潮の舞子を見ながら、僕はふと思い出した。


「忘れてた。宵山やねんけどな、バイト先の、大阪から立命来てる女の子が、行った事ないから一緒に連れてって欲しい言うてるねんけど、舞子ええかな?舞子のいっこ上で、人懐こくてオモロい子やわ」


「怖いお姉さんじゃなきゃいいよー。同年代なら仲良くなれるかもだし」


「怖わない怖わない。どちらかというといじられるてるし」


「なら大丈夫ー」


「ほなそういう事で。」


「はーい。浴衣~♪」


◇    ◇    ◇    ◇


お昼すぎにざーっと降った雨は小止みにはなったけど、なんだかはっきりしない天気の日曜日の夕方、

浴衣を着せて貰うんなら車の方がいいだろうと、僕は舞子を乗せて丸太町通を西に向かっていた。

後ろの席には、母が手土産にと送ってきた地元・たねやの手づくり最中、ふくみ天平十個入り箱が紙袋に入って鎮座している。

渡月橋に向かうメインストリートから細い路地を東に入った嵯峨の住宅街にその畳屋さんはある。

築何年になるのだろう、周りの昭和的近代住宅の間でその存在感を示している、民話に出てきそうな茅葺き屋根は僕の子供の頃からずっと変わらない。


「おお、ハルヒトくん、よう来たな!」


父方の大叔母さんが嫁いだ先の跡取り息子、つまりは父の従兄弟の畳職人のおじさんは、日曜日にも関わらず店先の土間で仕事をしていた。

畳に針を打って、肘をテコにしてクイクイと糸を締めるその仕草は子供の頃からカッコいいなあと思っていたが、やはり今見てもカッコいい。


「ようおこし。まぁ、こちらが舞子ちゃん?聞いてた通り小っちょうて可愛いらしいお嬢ちゃんやね」


「お世話になります」


舞子がペコリと頭を下げた。


「おばちゃん、今回はありがとう。これ、お礼と言ったら何やけど」


「あら、たねや。こんなんええのに~。おおきにえ」


僕は子供の頃から慣れた家だが、舞子にとっては初対面の僕の親戚の、初めて上がる家だ。

緊張するなという方が無理があるだろう。


「そない固とうならんと、まあこっち上がりよし」


「お邪魔します」


緊張しながらも、舞子は凛とした態度だ。

金沢の旅館での経験のおかげだろうか。

襖を開けて居間に入ると、ちゃぶ台の上には色んな小鉢が並んでいた。


「おばちゃん?これ?」


「あんたら、晩ごはんまだやろ?」


「うん、そらまだ夕方やし」


「先に食べてから着付けた方がと思てな。お嬢ちゃん、浴衣とか着物とか初めてちゃうん?」


「ああ、なるほど。舞子、どう?」


「はい。着物は金沢で旅館で働いてて、ずっと着物だったので慣れてはいます」


そうだった。

金沢の街で舞子を見つけた時も、着物姿のままでお茶を買いに来ていた。


「あらそう?金沢で?そらええとこやねえ。小京都言うて、ようしはるけど……町並みもきれいにしてはるし……。せやけど、旅館で着物なんて、よう頑張ってはったんやねえ」


「はい!ありがとうございます!」


おばちゃんは、どうやら子供の頃から可愛がってた僕が連れてきた子ということで舞子のことは歓迎してくれているらしいが、隠し切れない京都味がにじみ出ていた。


「ほな、ご飯食べはる?」


「はい。ありがとうございます。せっかくの浴衣汚したらいけないんで、先にいただきます」


驚いた。

緊張しているのは伝わっては来るが、舞子がこんなに堂々と初対面の大人と話ができるとは。

小京都の旅館、おそるべし。


「でも、ちょっと早ない?あんまり早よ食べても祇園祭の最中にまたお腹空いてもアレやし…」


僕がぐずぐず言っていると、おばちゃんが


「ウチが食べていき言うてんやから食べたらよろし!はよそこ座りよし!」


とピシャリと言った。


「はい!いただきます!」


「はい。普通のもんしかないけど」


おばちゃんがちゃぶ台の上を手で示す。


大根と油揚げの炊いたん、たけのことわかめの炊いたん、連子鯛の蕪蒸し、九条ねぎとアオヤギのてっぱい、おから、蓮根のごま和え、かぶらの漬物。


小鉢に少しずつ盛られたおかずは、どれも地味な色合いなのに、ひとつひとつが輝いて見えた。

舞子は取り箸を手に取り、おてしょうに少しずつ取り分けていった。


「はい、ハルくん」


「ありがとう」


おばちゃんがご飯とお味噌汁を持ってきてくれた。


「ハルヒトくん来るさかい、味噌汁は瀬田のシジミやで」


おかずはどれも美味しかった。

中でも、『京野菜』と言われるだけあって、野菜が素晴らしい。


「こういうの、『おばんざい』って言うんですよね?テレビで見ました」


舞子がおばちゃんに話しかけた。

本当に礼儀正しくて堂々としている。

金沢で色々な経験をしてきたのであろうことが、舞子の口調から伝わってくる。


「はあ、まあ、テレビやら雑誌やでそない言うてはるみたいやけど、私ら『おばんざい』やなんて言うたことないけどねえ。『おかず』やねえ。まあ、テレビ屋さんやらはあずまの人多いやろし、そない言うたら田舎の人らには分かりやすうて喜ばはるんやろねえ」


またもや、おばちゃんの隠し切れない京都味がにじみ出た。

舞子と僕はそれには返事ができず、曖昧な笑みで誤魔化しながら箸を動かした。


それにしても美味い。

昆布出汁と鰹出汁が品によって使い分けられ、素材の美味しさを引き出すように脇役に徹した塩と醤油。

てっぱいの白味噌は甘く香り高く、鯛の蕪蒸しは、ただでさえ上品な味を更にその上のみぞれにおろした蕪が引き立てる。

舞子も「わ。わ」と言いながらずっと食べていた。

ほっぺたを一杯にするのは我慢していたようだが。


いつまでも食べていたい。


ご飯も味噌汁ももう食べ終わっているが、箸が止まらなかった。



「ほなそろそろ、着付けさせてもろて、な」


僕たちがお腹はいっぱいなのに、まだ箸を置けずにいるのを見て取ったのか、おばちゃんが声をかけた。


「ほなおばちゃん、お願いします」


「お願いします」


僕は観るともなくテレビのオール阪神・巨人の漫才を眺めながら舞子を待った。

やがて笑点が始まり、ずうとるびの山田くんが座布団を運んでいる頃…


────「ハルヒトくん、でけたで」


襖が開いて、おばちゃんの後ろから舞子がやってきた。

現れた舞子は、いつもの少し幼さを残した雰囲気とは違って見えた。

浴衣に袖を通しただけで、こんなにも印象が変わるものなのか。

紺地に白の朝顔の模様が涼やかで、肩から腰にかけての線がすっと通り、子供っぽさがどこかに隠れてしまっている。


帯をきゅっと締められたせいか、背筋も自然と伸びて、まるで知らない誰かを目の前にしたような気がした。

ただ立っているだけなのに、部屋の空気が少し澄んで、時間までゆっくり流れ出すように感じられる。

髪も綺麗に編み込まれている。


この前の貴船のときのワンピース姿もそうだったが、いつものTシャツに短パンの舞子とは別人のようで、言葉を探そうとしても、喉の奥がひどく乾いて声にならなかった。


「ハルヒトくん、舞子ちゃんに穴開くえー」


おばちゃんに言われてハッと我に返った。


「どう…かな?」


「うん、めっちゃええんとちゃうかな。可愛いわ」


「ハルヒトくんも惚れ直しやなー」


「そんなんちゃうて!」


と、気がつけばテレビではいつの間にかひみつのアッコちゃんが始まっていた。

サキチとの待ち合わせは四条通の八坂さんの御旅所の前で夜七時。


「あ、舞子、そろそろ行こか。言うてたバイトの子との待ち合わせあるし」


「友達と待ち合わせしてるし、そろそろ行くわ。ごちそうさま。美味しかった!」


「浴衣も美味しいご飯も、ありがとうございました。」


「よろしおあがり。舞子ちゃん、着崩れもせんとちゃんと座って立ってでけるんやね、さすが金沢のお宿仕込みやね」


「ありがとうございます。本当に美味しかったです。浴衣もありがとうございます。」


「ほな、行ってらっしゃい。楽しんで」


「ありがとうー」


ここから、今日は烏丸の方には近づけないから桂川沿いを四条通まで下りて四条大宮まで車で二十五分、時間貸し駐車場に車を停めて阪急で河原町まで行ってサキチとの待ち合わせ場所までは十分ほど。

まあ、大丈夫だろう。


───という僕の計算は甘かった。

東行きの四条通は、梅宮大社を越えたあたりからもう大渋滞で、天神川まで来た頃にはもう七時前だった。

この先も大宮までなんて到底辿り着けそうにない。

何とか西大路まで行って、西院から電車に切り替えるしかなさそうだ。


「祇園祭、甘く見てたな…」


「こんなとこから渋滞なんだね。」


ジリジリとしか進まない四条通、時間はとっくに七時を過ぎている。

連絡しようにも、どこかの駅ならまだしも、御旅所ではどうしようもない。

待ってて貰うしかないのだ。


やっと西院で駐車場を見つけ、阪急に乗って河原町に着いたときには既に時計の針は八時を回っていた。

歩行者天国の四条通は人でいっぱいで、前に進むのにも時間がかかる。


「舞子ー、もう一時間も過ぎてるし、今更急いでも一緒やからゆっくり行こう。浴衣に草履なんやし」


そういって僕は舞子と手を繋いで、御旅所に向かった。

当たり前だが、提灯がズラッと並んだその場所にはサキチはいなかった。

申し訳ないけどどうしようもない。

街でダブルのスーツを着た人たちが肩から下げてる携帯電話でも持っていれば連絡も付いたのだろうが、

あんな、本体が何十万もする上に、月額が数万、通話が一分で二百円近くかかるという噂の電話なんか、学生が持てるはずもない。


「いないね」


「しゃあない。次バイトで会うたときに謝るわ」


「申し訳ないけど、それしかできないもんね。私も会ってみたかったけど。」


「うん。とりあえず今は二人で歩こか」


そう言って僕と舞子は人混みではぐれないように手を繋いで歩き出す。

烏丸通の方からコンチキチンの祇園囃子が聞こえる。

提灯の吊られた四条通を西へ。

オレンジ色の連提灯、長刀鉾のお稚児さん、白いテントに並ぶ粽。

一歩路地に入れば、焼きそば、イカ焼き、りんご飴、綿菓子。

いつも通りの宵山の風景だけど、舞子だけが去年とは違っている。


去年の舞子は、短パン姿で、お餅を食べようとして厄除け粽を解き、屋台の食べ物を両手に持ってほっぺたを膨らませ、熱々のたこ焼きを僕の口に放り込み、燈籠山の前でシャー!とカンフーのポーズをしていた。


その舞子が、今日は紺地に白い朝顔が涼しげに抜かれた浴衣に身を包み、僕と繋いだのとは反対側の手で、ゆっくりとうちわを扇いでいる。


編み込んでアップにしたうなじに後れ毛が数本。

草履の足運びも優雅に堂に入っていた。


「今年は涼しいねー」


そう言って見上げた舞子の顔はなんだか大人っぽくて、僕は照れて目を逸らしてしまった。

いつの間にか舞子は、僕の知らないところで、少しずつ大人になっていた。


コンチキチン。

太鼓と鉦と笛の音。

人のざわめき、提灯の明かり。

遠くの空から、報道のヘリコプターの音がした。


「これから本格的な京都の夏やなあ」


僕は、舞子の手を握り直した。


◇    ◇    ◇    ◇


「中田さん、ひどいですー!」


「ごめんごめん、親戚のとこ行ってたら帰りが大渋滞で。ほんまごめん!」


サキチは、あの場所で三十分以上待っていたらしい。

次々と他の人たちが待ち合わせ相手と出会って楽しそうに出かけていくのを見ている内に馬鹿らしくなって、ナンパしてきた男の中から良さげなのを見繕ってそのまま遊びに行ったらしい。


「もしかして浴衣とか着てきてた?」


「普段着です!もし浴衣着て行っててこの仕打ちやったら、もう打ち首獄門、三条の河原に晒します!」


(それは石田佐吉や…)

心の中でそう思いながら僕は平身低頭謝りまくった。


「もう!お詫びに今度デートしてくれたら許してあげます!」


サキチはそう言って、腰に手を当ててニヤリと笑った。


冗談なのか、本気なのか。

その時の僕には、まだよく分からなかった。

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