8話「合わされる」
足元の土は、どこまでも乾いていた。
昨日、この場所で繰り広げられた無様な敗北の記憶を、大地は冷酷に刻み込んでいる。無数に乱れた不揃いな踏み跡。力なく膝を突き、倒れ伏した身体の跡。そして、乾いて黒ずんだ血の痕跡。それらは風にさらわれて消えることもなく、生々しい拒絶の色を帯びてそこに存在していた。
生徒たちは並んでいる。二列の隊列。
昨日よりも、互いの距離は近い。手を伸ばせば触れられる、肩がぶつかり合うほどの密度。しかし、その境界線は絶望的なまでに明確だった。物理的な距離が縮まっても、内側の壁は一向に崩れる気配を見せない。混ざり合うことのない二つの集団が、ただそこに存在している。
「組め」
ユリウスの短く鋭い声が、静寂を切り裂いた。
しかし、誰も動かない。隣り合う者への嫌悪、あるいは関心の欠如。微動だにしない空気の中に、沈黙だけが重く沈殿していく。
ユリウスはその光景を予見していたかのように、感情の排された声で淡々と告げた。
「指定する」
その言葉を皮切りに、残酷なまでの宣告が次々と地面に叩きつけられた。
「カイル、エマ」
「エリシア、トーマス」
「ロイド、ガイル」
「セレスティア、サラ」
「ダリル、ナナ」
「ミレイナ、リナ」
「フェリクス、ユウ」
「ノエル、シオン」
「フェリクス補助、アイリ」
「余りは後ろ」
名前が呼ばれるたびに、周囲の空気が急速に凝固していく。張り詰めた緊張の糸が限界まで引き絞られ、そして爆発した。
「は?」
重なった声は、驚きよりも不快感に満ちていた。
「無理だろ、こんなの」
「ふざけんな。なんで私が」
「誰がやるかよ」
罵詈雑言が飛び交うが、ユリウスの瞳はただ静かに、冷徹に彼らを見据えている。反論の余地など最初から存在しない。その威圧感に押し流されるように、まずエマが動いた。カイルの前へと歩み出る。
あまりに、近い。
「最悪」
同時に吐き捨てられた言葉。互いの顔を見ることさえ拒むように視線を逸らしながらも、彼らは指定された場所から離れようとはしなかった。
トーマスが深く、諦めを含んだ溜息をつく。彼はエリシアの横へと無感情に立った。
「口を出すな」
エリシアの牽制を、トーマスは「無駄を省くだけだ」と冷淡に一蹴する。火花を散らす視線。協力とは程遠い、ただ隣り合っているだけの歪な沈黙。
ロイドは努めて軽薄に笑い、隣のガイルの肩を親しげに押した。
「まあ、来いよ」
だが、その手は容赦なく払い除けられる。
「触るな」
ガイルの拒絶に、ロイドの笑みがわずかに引き攣る。それでも、無理やりに距離は詰められていく。
サラが、隣のセレスティアを盗み見るようにして声をかけた。
「……動けるの?」
セレスティアは答えない。ただ前だけを見つめ、幽霊のようにそこに立っている。
ナナは挑発的にダリルを睨みつけた。
「どうせ口だけなんでしょ」
ダリルは不敵な笑みを浮かべ、挑戦的に受けて立つ。
「試してみるか?」
ミレイナは震える足を隠すようにしてリナの横に立ち、その距離の近さに身を固くした。
フェリクスとユウは、互いに一言も発することができない。言葉を選んでいるのではない。かけるべき言葉を持ち合わせていないのだ。
ノエルが静かに動き、シオンの横に並ぶ。二人は一度も目を合わせない。
全員が、組む。
しかしそれは「連携」と呼ぶにはあまりに醜く、歪な形をしていた。パズルのピースを力任せに押し込んだような、不自然な結合。その危うさを孕んだまま、ユリウスは無慈悲に次なる段階へと進む。
「やる」
ユリウスが短く告げると同時に、森の奥から不穏な胎動が伝わってきた。
「一体」
言葉と同時に、森が激しく動く。
現れたのは、昨日と同じ化け物だ。
しかし、今日という日は条件が違っていた。出現した化け物との距離が、昨日よりも圧倒的に近い。迎撃の準備を整える余裕さえ奪うような至近距離。
「前へ出ろ!」
カイルが叫ぶ。同時にエマも地を蹴った。
しかし、歩調は全く合っていない。二人の肩が激しく衝突し、その衝撃で互いの位置がわずかにずれる。致命的な一瞬の遅れ。
化け物の牙が、目前に迫る。
「……っ、どけ!!」
カイルの声に、誰も従わない。エマは意地を張ってその場に留まり、カイルもまた引き下がらない。
鈍い音と共に、カイルの腕に牙が食い込んだ。鮮血が飛び散る。
「下がれ!!」
トーマスが叫ぶが、エリシアはそれを無視して剣を振るう。
「指図しないで!」
独りよがりの一撃は空を切り、別の個体がその隙を見逃さずに入り込んでくる。
「見るな!!」
後方からミオの悲鳴にも似た制止の声が上がるが、混乱の渦中にある彼らには届かない。
ロイドが突っ込み、ガイルも同時に動く。しかし、互いの得物が干渉し合い、力が殺し合われる。どちらの攻撃も遅れ、二体の化け物に囲まれる結果となった。
「……チッ」
舌打ちと共に、拳と剣が交差する。
当たる。確かに当たっている。だが、それはあまりにも浅い。致命傷を与えるには至らず、化け物は倒れない。
「後ろ!!」
サラの鋭い警告。
セレスティアが慌てて振り向くが、その動作は決定的に遅い。
バランスを崩して転倒するセレスティア。サラが舌打ちを堪えながら、その細い腕を乱暴に引く。
「立て! 死にたいの!?」
ナナが援護の魔法を撃つ。しかし、焦りからか術式が安定せず、魔法の弾道は大きく逸れた。それはあろうことか味方のすぐ横をかすめ、土を派手に抉り取る。
「おい、どこを狙ってる!!」
崩壊していく連携。
ミレイナが恐怖で足を止めた瞬間、背後からリナが彼女を突き飛ばすようにして前に出る。
「邪魔!」
「えっ……あっ」
動作が遅れ、再び戦線に穴が開く。
フェリクスが恐怖に負けて下がり、ユウもそれに釣られるように一歩後退する。
守るべき空間が開き、そこへ新たな影が滑り込む。
ノエルは微動だにせず、シオンだけが孤立して立ち向かう。
間に合わない。誰もがそう確信した。
全部、バラバラだった。
かろうじて一体を仕留めても、すぐに次が来る。
個人の実力はあっても、隣の誰かと「合わせる」という意識が欠落している。昨日よりも物理的な距離が近くなったことで、その不協和音はより凄惨な実害となって彼らを襲った。
「……撤退だ」
ルークが絞り出すように言ったが、戦場の喧騒の中にその声はかき消された。
あるいは、誰も聞きたくなかったのかもしれない。
そして、また止まる。
喧騒が去り、不気味なほどの静寂が再びその場を支配した。
全員が、土の上に倒れている。
昨日と同じ結末。昨日と同じ絶望。
だが、昨日と今日とでは、決定的に違う光景があった。
それは、距離だ。
昨日、彼らはバラバラに、遠く離れた場所で力尽きていた。
しかし今は、隣に、いる。
顔を上げればすぐそこに、憎たらしいはずの相手の、汚れきった顔がある。
荒い息がかかるほどの距離で、彼らは折り重なるようにして全滅していた。
泥にまみれ、血に汚れ、呼吸さえも苦しい。
その無様な姿を晒し合いながら、誰も言葉を発しようとはしない。
静寂の中、ユリウスの足音だけが響く。ゆっくりと、一人一人の状態を確認するように歩く。
そして、無慈悲な一言が落とされた。
「もう一回」
その言葉に、幾つかの顔がゆっくりと上がる。
そこには、当初のような激しい拒絶の叫びはなかった。そんな気力すら、今の彼らには残されていない。
誰も笑わない。自虐的な笑みすら浮かばない。
ただ、泥を噛み締め、震える腕で土を押し、彼らは立ち上がる。
隣にいる相手の手を借りるわけではない。ただ、隣にいるという事実を拒むこともできず、引きずられるようにして。
今度は、立ち上がる速度が少しだけ早い。
意識的に早めたのではない。隣の誰かが動き出した気配に、無意識のうちに反応してしまっただけだ。
でも、まだ合わない。
最悪の空気、最悪の相性、最悪の距離。
すべてが最悪のまま、地獄の反復は続いていく。




