表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
教えない勇者に育てられた俺たち、命令がない世界で最強になる  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/32

15.6話「回る」

土。

それは昨日までの、ただの乾いた地面ではなかった。

二十人の足によって幾度も踏み固められ、そして昨日、彼らが流した膨大な水と汗、魔力の残滓を吸い込み、重く、粘り強い質感を帯びている。

朝の光が差し込む訓練場には、まだ薄く、広く、水が残っていた。

鏡のように空を映すその水面を、二十の影が踏みしめる。


整列に指示は不要だった。

彼らの間に、もはや無駄な隙間はない。

肩が触れ合うほどの距離にいても、互いの魔力の波長が干渉し合うことはなく、むしろ一つの巨大な機構の歯車のように、静かに噛み合っていた。


「始めろ」


教官の短く、無機質な号令。

それが、巨大な回転のスイッチだった。


動く。一斉に。

その初速は、昨日までとは比較にならないほど速い。

肉体強化「アクセル」が、彼らの神経を加速させ、筋肉の一節一節を強制的に駆動させていた。

足は羽のように軽い。

薄く張った水膜の上で地面は滑るが、転ぶ者は一人もいない。

滑ることを前提とした重心移動。

氷の壁を滑り、重力と遠心力を手なずけた昨日の地獄が、彼らの足腰に「正しい踏み込み」を刻み込んでいた。

一歩を踏み、その反動をそのまま次の一動へと繋ぐ。

淀みないエネルギーの循環。


カイルが弾丸のように飛び出す。

それとほぼ同時に、エマがその死角を埋めるように滑り込む。

昨日までは個別の点だった動きが、今は一本の線となって繋がっている。

間が詰まる。

一瞬の交錯。

カイルの放つ拳には、重厚な「マッスル」の魔力が宿り、空気を圧縮して叩きつける。

だが、エマはそれを真っ向から受けない。

流動する水のようにその軌道を受け流し、最小限の動きで弾き飛ばす。


そこへ間髪入れず、ロイドが乱入する。

ガイルもまた、対角線上から同時に肉薄した。

本来なら衝突し、自壊するはずのタイミング。

しかし、彼らはぶつからない。

互いの魔力の「揺れ」を肌で感じ、磁石の同極が反発し合うように、あるいは天体が重力で引き合うように、絶妙な軌道修正を無意識に行う。


重い。

空気が、密度の高い液体に変わったかのような錯覚。

打撃の音が、肉を打つ鈍い音から、金属塊同士が衝突するような鋭い衝撃音へと変わっている。

一歩が、どこまでも深い。

地面を抉り、土を跳ね上げ、彼らは互いの中心を奪い合う。


トーマスが、予備動作もなく横へとずれる。

その動きに呼応し、エリシアもまた鏡合わせのように位置を変えた。

計算されたものではない。

「ウォーターサーチ」による空間知覚が、共有された視界のように彼らの脳に状況を書き込んでいく。

角度が、ピタリと合う。

防御の薄い、針の穴を通すような隙間に、エリシアの指先が「穿」の軌跡を描く。

刃が通る。

だが、トーマスはその軌跡が完遂される寸前で、首筋をミリ単位で逸らして回避する。

躊躇はない。

止まることは、すなわち死を意味することを彼らは知っている。


後方から、ナナが水弾を放つ。

速い。

弾道を予測させない、ランダムな射出。

それは確実に標的を捉える精度を持ち、空気を引き裂いて飛来する。

セレスティアがそれを察知し、迷いなく踏み込む。

横からはサラが、風を切るような勢いで圧をかける。

互いの背中を預けるのではない。

互いの存在を、己の拡張された感覚の一部として扱っている。


ミレイナの動きに、リナが同調する。

二人の間に言葉はない。

ただ、流れる水のような連携。

迷いは、魔力の霧散を招く。

だから彼女たちは、考えるよりも先に「循環」の中に身を委ねる。

フェリクスが止まらない。

嵐のような連撃を繰り出し、そのすぐ隣には影のようにユウが寄り添う。

逃げ場を塞ぎ、退路を断つ。

一人を相手にしているはずが、いつの間にか全員に取り囲まれているような、逃げ場のない重圧。


ノエルが地面を滑り、シオンの影と重なり合う。

静かに。

気配を殺した入身。

刺突が空を切り、水刃が旋回する。

すべてが、回っている。


速い。

加速し続ける。

それでも、陣形は崩れない。

個々の意志を超えた、巨大な渦。

その中心で、彼らは互いを削り、磨き、高め合っていた。


肺が焼ける。

酸素が足りない。

肉体強化による過負荷が、少しずつ彼らの筋肉を蝕み、足は次第に鉛のような重さを帯び始める。

視界が点滅し、意識が遠のきかける。

だが、止まらない。

止まることができない。

一度始まった回転は、彼ら自身の意志を超え、慣性となって動きを強制していた。


一瞬、世界が静止したかのように錯覚する瞬間がある。

誰かが、その細めた瞳で「空気」を見た。

そこにあるのは物質としての空気ではない。

魔力の流れ、温度の差、人の殺気、それらが織りなす「色のないうねり」だ。

動く前に、動く。

影がそこに来る前に、既に体は安全圏へとずれている。

当たらない。

いや、当たる必要がない。

攻撃を「受ける」という行為そのものが、次の「返す」ためのエネルギーへと変換される。

終わりなき循環。

繰り返される、生と死の擬似体験。


息が荒い。

胸が激しく上下し、喉の奥から鉄の味がする。

それでも、彼らの内側の芯は崩れない。

膝をつく者がいても、地面に手が触れるより早く、魔力がその体を跳ね上げる。

立ち上がる。

水が、体表を流れる。

「ウォーターヒール」による緊急処置。

傷口がふさがり、内出血が抑えられる。

完全な治癒ではない。

ただ、動くための最低限の機能を、魔力という燃料で無理やり維持しているに過ぎない。

それでも、戻る。

戦いの渦中へ。


時間が、奇妙なほどに引き伸ばされていく。

一秒が永遠のように長く、同時に数時間が一瞬のように過ぎ去る。

疲労は極限を超え、感覚は麻痺している。

だが、精度は落ちない。

むしろ、余計な思考が削ぎ落とされたことで、その動きはより純粋な、鋭利なものへと研ぎ澄まされていった。


回る。

ずっと。

円を描き、渦を巻き、彼らは一つの生命体のように訓練場を席巻する。


夕方。

燃えるような夕日に照らされ、彼らの影が長く伸びる。

動きは目に見えて鈍くなった。

一つひとつの挙動に重苦しい疲労が滲み、呼吸はもはや喘鳴に近い。

それでも、続く。

誰かが倒れれば、その穴を別の誰かが埋め、回ることを止めない。

それは意地や根性といった精神論ではなく、そうあらねばならないという、回路に刻まれた必然だった。


そして。

最後に、動きが止まった。

リリアが手を下ろしたのか、あるいは予定された時間が終わったのか。

その境界さえ定かではないほど、唐突に、しかし必然的に静寂が訪れた。


全員、立っている。

膝を折る者はいない。

地面に手をつく者もいない。

ただ、激しい息の音だけが、静まり返った訓練場に反響していた。

誰も笑わない。

達成感に浸る余裕など、誰の心にも残っていない。

けれど、崩れない。

彼らの立ち姿には、昨日までにはなかった強固な「軸」が通っていた。


彼らの内側で、水がまだ動いている。

静かに。

しかし力強く。

外側が静止しても、体内を巡る魔力の循環は止まることを知らない。

それは彼らの血肉となり、魂の奥底で、今もなお回り続けている。


第15.6話、完。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ